Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

最後のキャンプ旅行ーアヴィニョン(Avignon)

2016-06-30 21:44:45 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 キャンプサイト・フレージャスから Aix-en-Provence(読み方が判らない)までの100kmを高速道路で走った。こちらの高速道路は最高速度130㎞だから1時間もかからずAix-en-Provenceに着いた。ところがその料金が17.6ユーロもする。イタリアでも100㎞近く高速道路を走ったが料金は7.4ユーロだったからフランスの高速道路の高さがわかる。でもイタリアの道路の悪さはヨーロッパ一番、ディーゼルの高さもEU 圏内一番。

 

 高速を降りて国道をアヴィニョンへ向かった。アヴィニョンの街には、もう20年ほども前来たことがあるが、こんな立派な城砦があることを一切覚えていない。

 

 カーナヴィの指示で城塞の一辺を正門まで走り、正門から町の中心繁華街までまっすぐに。

 

 繁華街では人出が多く、そこから狭い道をジグザグ走って裏門から出た。本当に冷や汗ものだった。私のカーナヴィのセッティングが悪いのがよくわかり、改めてセッティングのし直しをした。

キャンプサイトはローヌ川に囲まれた島の中州にありサイトの裏側がアヴィニョンに対峙し正面はヴィルヌーヴ・レ・ザヴィニョンに面している。どちらもローヌ川に囲まれているから橋を渡らなければ行けない。

 

 壊れた橋(Pont Saint Benezet)を見たときに思い出したのはあの有名な歌・アヴィニョン橋で踊ろよ。踊ろ。輪になって踊ろ。本当にあの橋だけは覚えていた。この壊れた橋(聖ベネゼ橋)は12世紀に建設され十字軍遠征時に取り壊された。再建後ローヌ川の氾濫で何度も破壊され17世紀から以降は壊れたまま放置されたという。今ではこの町のシンボルみたいでユネスコ指定になっている。

 

 ヨーロッパ最大のゴシック建設の教皇宮殿(Palais des Papes)は14世紀に建設された。サイトについた午後町の見学ついでに宮殿へ来たが明日ゆっくり来ようと宮殿の庭園へ回った。

 

 宮殿付随の教会には入って写真を写しただけでゆっくり見て回ることもなかった。

 

 左上の建物はかっての大司教館で現在はプティ・パレ美術館になっている。庭園の高台から見える景色は素晴らしい。

  

 裏門を入ったばかりの旧市街。キャンプサイトの正面側からアヴィニョン側へ発着しているフェリー、島の裏側もローヌ川が見える。

  

 宮殿近くのアヴィニョン・オペラハウス、この建物のほうがスカラ座よりもずっとすばらしかった。

 

 日曜日の午前中いっぱい大雨が降り続き、やっと収まった午後、宮殿見学に出かけた。

 

 この城塞まがいの宮殿は王侯貴族ならぬ、二人のローマ法王によって作られたものというからもっと驚く。14世紀のベネディクト12世とクレメント6世によって作られ彼らの居城だった。その後何世紀にもよって建て増しされ現在の大きさになっている。

 

 内部の絵画や彫刻などはほとんどが美術館に移されているから見るものは少ない。上の絵2枚は映写されたものを映したもの。

右のエンジェル4人はどこにでもいるおばちゃんみたい。

  

キャンプサイトの正面に見える聖アンドレ要塞(Fort Saint -Andre)は14世紀軍隊建築の典型でフランスの国境を守ったもの。フィリップ・ル・ベル塔は13-14世紀アヴィニョン橋の往来を監視していた。

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最後のキャンプ旅行ーフランスへ

2016-06-29 17:41:41 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

ミラノからフランスへ行くには南下して海岸線を通るか、真っ直ぐ西に向かってアルプス越えをしてフランスへ入るか 、で意見が分かれたが何しろ運転手の意見が一番。山中は寒いから南へというのでカーナヴィをイタリアの海岸線にセットし南下する。

 

 朝から霧が深くすべてがかすんでいる。カメラを出すのも億劫なくらいだったのに、あたりに稲が実っているのや刈り入れたばかりの田を見て写真を写す気になった。ミラノから南に100㎞くらいは海抜何メーターかわからないが台地が広がる。そしてこの台地の平野では陸稲の栽培がなされている。昨年もこのあたりを通った時に稲の穂が実っていた。

 

 霧にかすむイタリアの農家、ここを過ぎると道路は下りになりジグザグ道路が2時間近くも続いた。そしてアクイ温泉(Acqui Terme)のローマの遺跡を目にしたときにこの道は昨年も通った同じ道だと気が付いた。昨年このジグザグ道にほとほと嫌気がさし、もう2度とと思ったのにまた同じ道をと愕然。

 

 山の中の崖に建っているこれらの家はいったい何で生計を立てているのだろうか?やっと海岸線に出てきて巨大なクルーズシップを見たり、道を間違えて行き止まりだったり、狭い通りに入り込んだりで散々、やっとキャンプサイトのある街へ着いたもののカーナヴィが指示した先は鉄道下の小さなトンネル。ポールなど全く頭にきて次の町まで数十キロ先へ行こうかと言う。

神経を減らして6時間も運転していたから、疲れているだろうとやっと鉄道の踏切を探して山側のサイトへたどり着いた。

 

 翌朝はイタリアからフランスへの道、曲がりくねった海岸通りや狭い町中の道を通る。

 

 

 

 

 

 イタリアからフランスにかけてのリビエラと呼ばれる海岸線は、急な陸地が海へ落ち込んだ狭い海岸にホリディホテルやフラット、高級ショップが立ち並び、有名人が滞在するところからますます繁栄したもので、交通は不便極まりない。

 

 道路の真ん中の巨大なオリーヴの模型、よくできているけど大きすぎない?通りの木々は全く南国のそれ。

 

 サンレモの町中ではスクーターの全盛、自転車では危なくて走ることはできないだろう。やっとフランスについてここでは昨年と違って国境検査がないと思ったが、

 

マントン(Menton)の街を通り越して山道を走っているときに警察に止められ、キャンパー内に不法入国者の有無を検査された。

フランスでも海岸線は狭いところが多く、高速道路は海岸線から山側海抜100メーターも上がったところを通っているし、丸2日間ポールは神経をすり減らしてやっとサントロペ近くのキャンプサイトに着いた。

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最後のキャンプ旅行ーミラノ(Milano)

2016-06-28 12:35:17 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 ミラノのキャンピングプラッツは郊外にあり大した設備はないのに一泊25ユーロもした。ミラノの中心地から50km以内に開いているキャンピングサイトがないのだから仕方がない。ここに2泊してサイトの近くから出ているバスと電車を乗り継いでドゥオモのすぐ近くまで行くことにした。

 

 キャンピングプラッツの周りには何もないがただ一軒だけ園芸店がありこの巨大なオリーヴの苗を売っている。これらの木はほとんど樹齢100年は経っていると思われる。なぜなら今年のオープンガーデンで見かけたオリーブの木が100年は経っていると言われた。ほとんどあの木のサイズと変わらない。

 

あまりお尻に楽な椅子ではないが古い電車で30分ほど、ドゥオモの近くで降りて角を曲がって目にした大聖堂の素晴らしさ。亭主は今までで最高という。でも昔行ったフローレンスも良かったじゃないか?このゴシック建設の見事さは言葉には言い表せない。 

 

 中へ入る前にチケット売り場で長い行列、もうちょっとで買えると言う時に75歳以上はこの窓口でというのを見つけ、地団駄踏んだ。早速ポールに買ってきてもらい、内部へ入ってまずは床のタイルに感嘆。

 

 

 

巨大な石柱の列とカラフルなステンドグラス、ゆっくり一回りして写真を撮りまくった。 

 

 ドゥオモ前の広場の一辺に最も有名なショッピングモールGalleria Vittorio Emanuele IIがある。ここは何度もテレビで見ているからすごく期待していた。

 

 屋根付きの十字型ストリートの屋根も素敵だけれど床のタイルの芸術的なこと、歩くのさえももったいないくらい。

 

 中国人の観光客などタイルの上に座り込んで記念写真を撮っていた。

 

 スカラ広場の4人の若者を足元に立っているのはレオナルド・ダ・ビンチの像。大御所の貫禄十分だけどこんな像になるとあまり魅力がない。彼の作品は大いに興味があるけれど。かの有名なスカラ座にはあまりにがっかりした。もっともっと素晴らしい建築物を想像していたからで、目の前にあっても信じられなかった。

 

 ドゥオモから北西にあたるところにあるスフォーザ城は歩いて10分、この城は14世紀の城塞から15世紀にミラノの侯爵フランチェスコ・スフォーザが再建拡大したもので16,17世紀にはヨーロッパ最大と言われた。今現在では5つの博物館が入っている。

 

 建物を見て歩くだけでも相当な距離、裏庭の凱旋門をみようとゆっくり公園をあるく。あちこちにアフリカ人のグループがたむろしている。彼らは昨今の不法移民らしい。公園内の小屋の前にジーンズが2枚干してあった。

 

 イタリアは郵便料金がまちまちで郵便局を探してストリートをうろうろ、やっと見つけた郵便局で日本までの郵便料金を聞くと誰も知らない。公園内の絵葉書を売っていた店では2.5ユーロだという。みんな適当に言っているのが判るから、わざわざ郵便局まで行ったのに。

昔ポールが弟とヨーロッパを1年かけて回った時、イタリアの銀行での換金にごまかされて、二人で大いに文句を言ったところマネージャーが出てきて又何千リラかを払ってくれたというから、本当に信じられない。

お昼にこの郵便局の近くでピザ(これが素晴らしくおいしかった)を食べていたら雨が降り出し、とうとうあきらめて帰ってきた。たったの半日に2泊のキャンプ料を入れてもミラノは見る価値ありと言わねばならぬ。

 

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最後のキャンプ旅行ーピエンザ(Pienza)

2016-06-27 18:43:00 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

ラポラノ温泉から南に40㎞程タスカニーの高い丘の上の中世の町ピエンザ(Pienza)へ行こうと思ったのは、キャンピングプラッツがあり、そこから町の中心まで200メーターと書いてあったからで、ここがユネスコの町だとは行くまで知らなかった。

 

 

 町へ行けばインターネットカフェに行けると思い、田舎の素晴らしい景色を愛でながら山道に差し掛かった。急に子鹿が飛び出し道を横切って行った。その後にこの鹿に注意の看板を見、見たよ、見たよ、と喜びながら七曲の急坂を登って行った。

 

 

 

 ピエンザの町は15世紀にこの丘で生まれたバチカンのピウス2世がルネッサンスタウンを作ろうとしたのが初めで1457年から4年で完成したものだという。右上のPalazzo Piccolomini はドゥオモの横にありどれもユネスコ指定(1996年)のルネッサンスの建築物。

 

小さいながらドゥオモは大聖堂と呼ばれている。中はたいへんシンプルで,改装中だった。町全体がきれいな石畳の静かな雰囲気で、チーズと靴のお店がそこかしこ。チーズは羊のミルクから作られたもので時代を経たものは周りが緑色のカビでおおわれている。

 

 

 このピエンザは高い丘の上で周囲の景色のすばらしさはユネスコが2004年 World Cultural Landscapes に指定したのがうなずける。この日は全体がかすんでいたため、はっきりした色彩には欠けるが本当に息をのむくらいに素敵な風景だった。

 

 

町の正門とPalazzo Borgia & Jouffroy( 博物館)の内部。

 本当に小さな町で1時間だけ駐車場に2ユーロ払って停め、街を一回りして景色の写真を写し、インターネットカフェーでメールをチェックしただけでこの街を去ることにした。特記すべきは中国人団体がここにも来ていたことだった。

キャンピングプラッツは無くて駐車場にトイレがあるだけだった。

 

 

 

この日は6時間かけて、高速道路を通ってモデナのキャンピングプラッツに着いた。

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最後のキャンプ旅行ーラポラノ温泉へ(Rapolano Terme)

2016-06-26 15:39:01 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

  

イタリアの東海岸は初めてのコースで、大きなお城があったり、海岸線には面白い漁獲設備が点々とある。この原始的な設備はもう今では使われていないそうだが、以前はここでとれた魚がその場で料理されたとのことだった。

 

 たまたま止まった道端のブドウ畑、イタリアはどこでもオリーヴとブドウ(ワイン)が有名。通り過ぎる街中には宣伝や看板が見当たらないが、こんな工業地帯はいやらしいほど、看板でいっぱい。

 

 

 

 日曜日の朝、イタリアではというよりヨーロッパでは自転車競技が盛んで、この辺りではグループのサイクリストがあちこちで見かけられた。道路が狭くてグループで走っていると車が進めなくてイライラする。

 

 東海岸を北上中、左上には高速道路が走り、右側は線路で比較的モダンな電車が高速で通り過ぎた。

アンコーナ(Ancona)の南から内陸へ向かって走る高速道路に乗った。内陸は山また山の連続で、トンネルを20以上も通り抜けた。カーナヴィはこのあたりの変化についていけないらしく、指示もめちゃめちゃ。画面も道のないところを車が走っている。

ペルーギア(Perugia)についたころにはカーナヴィの予定時間より30分以上も短縮されていた。

 

 ところがペルーギアの町中を通り過ぎるときにトンネル工事中で2車線から1車線になりひどい渋滞。ここでせっかく30分も短縮したのに40分以上もノロノロ運転。日曜日にみんなどこへいくのだろう?

 

 東海岸から西のタスカニー地方へ行くとなぜか景色も随分変わって見える。タスカニーは糸杉が有名で、糸杉の並木はどこを見ても絵葉書になりそう。

 

 タスカニー地方には教会を中心に丘の上に作られた村や町が多い。

 

 午後3時にはシエナ(Siena)の南ラポラノ温泉の隣にあるキャンピングプラッツに着いた。ここにはトイレと電気もありキャンプサイトとほとんど変わらない。キャンプサイトと違うのは、キャンパーやキャラバン以外は泊まれない。もちろんテントは張れない。

 

日曜日でもあり、温泉はたくさんのイタリア人で、家族連れや若者のグループも多い。水温が38度から39度ていどで熱い温泉に入っている日本人には物足りない。皆水着で数時間浸かっていても湯のぼせしないところがいいのかもしれない。シエナの近くだから一日家族で楽しんでいるらしい。私たちも2時間温水に浸かっていた。硫黄の臭いが激しい温泉で、いろいろな効用がイタリア語で書かれているからわからない。2時間くらいではどんな病気も治ることはないだろうけど。

 

 

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最後のキャンプ旅行ーマテーラ(Matera)

2016-06-25 18:08:09 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 マテーラはアルベロベッロの町から70kmほど離れたユネスコ世界遺産の町で、キャンパーをお城の脇道に停め、小雨の降る中を観光に出かけた。ここは教会の多い街で街角のいたるところに大きな教会がある。

 

 

 聖フランチェスコ教会は巨大なうえ内部もなかなか凝っていた。しかし色彩がほとんどない。この教会の前のスクエアで2組の観光団体に会い、彼らの後をついていけば観光地につける。観光案内所ではこの町全体が観光地で・・・・と言われてあまり漠然としていたから。

 

 この町は全体に巨大な建物が多く,聖フランチェスコ教会からしばらく歩いたところで着いたのが巨大な大聖堂ドゥオモ(Duomo)でこの内部は絢爛豪華、天井画のすばらしさは目を見張るものがある。

 

 大聖堂の外観は石造りの堂々たるもの建物上部のガーゴイルは赤ん坊の頭をくわえこんでいる架空の動物。キリスト教はあまり優しい思想を持っているとは思えない。これって日本でいう閻魔のようなものだろうか?それにしては無垢な赤ん坊がこんな目に合うわけがない。

 

 U字型の深い谷間を埋め尽くす岩を掘って作られた家屋はフランス抽象画を思い出させる。もしかしてここで描いた絵も有名になっているのかもしれない。

この町は紀元前3世紀にローマ人によって作られ、その後この谷間はキリスト教の各宗派の修験場として岩場の住居が作られた。

 

 時代を経て1950年政府はこの岩間に住む住人(貧しい人たちがおおかった)を全員追い出し、空き家にしたが1980年代にここは観光名所として有名になり1993年にはユネスコ世界遺産に登録された。

 

 町を囲む谷間は非常に深く、水はほとんど流れていない。

 

 U字型の対岸に立つとドゥオモの尖塔の周りが岩の住居で埋め尽くされている。聖アゴスティーノ教会はドゥオモの対岸にあり内部はシンプル。

 

 祭壇横のドアから聖グイリアーノ教会の洞窟に入っていき、17世紀のフレスコ画を見ることができる。

 

午後1時過ぎまでU字型の端から端までを歩いて写真を撮りまくり、キャンパーにかえって昼食、そのままイタリア東海岸を北上する。キャンパーの前を走っている大きなトラックをよく見れば、アラブの文字に英語でイランと書いてあった。ヨーロッパを走っているといろいろな国の車やナンバープレートを見るがイランは初めて見た。

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最後のキャンプ旅行ーアルベロベッロ(Alberobello) イタリア

2016-06-24 16:52:42 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 一晩中ほとんど眠れずへとへとに疲れてバリーの港から約70㎞程離れたアルベロベッロの町へ向かったのは朝の9時過ぎ、キャンピングプラッツが町の真ん中にあり、プラッツの管理人に聞くとここを右に曲がってまた右に行くとあたりは全部と言われて半信半疑、行ってみて本当に驚いた。あっちにもこっちにも面白いキノコのお化けのような屋根が見える。この町に入る前にところどころに同じような屋根の家?小屋?が見えたのでこの地域一帯なのが分かる。

 

 アルベロベッロは美しい木という意味だそうだがこの黒っぽい石の板を積み上げて作られた屋根は木には見えない。

 

 この石の板はこの地域で採れるものらしく、英国でみられるスレートとは厚さが違う。煙突の上の風車がローマの軍人みたいで気に入った。

 

 お土産店があちこちにあり観光客は住民の何倍もいそうだ。インターネットで見ると16世紀40家族がここに土地を得て農耕に従事し、この石積みの家屋には税金がかからないことから、地域一帯が同じようなつくりの家になったとのこと。

 

 観光用に一軒の家を解放していて、入ってみたがベッドルームとリビングルーム、キチンはどこにもドアがなくトイレ・風呂だけがカーテンで仕切られていた。壁の厚さも相当なもので、夏は涼しく冬はあたたかだろうと思われる。

 

 シンプルなリビングルーム。ここアルベロベッロは1996年にユネスコに指定された。

 

 

 

 教会の屋根も同じつくりの巨大な丸天井で、祭壇がカラフルだった。右の写真は雪景色の写真看板を映したもの、こんなにイタリアの南でも雪が積もるのに驚いた。

 

 木曜日はストリート・マーケットの日で、町の大通りいたるところに食べ物の屋台やたくさんの靴の店、衣類の店が並んでいたが午後1時過ぎに閉まりだした。おいしそうなキノコやオリーヴの漬物、いろいろな種類のキノコが売られていた。

 

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最後のキャンプ旅行ードブロヴニック2日目

2016-06-22 17:53:31 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 翌日水曜日、天気予報では大雨というのに素晴らしい晴天になった。昨日歴史博物館へ入ったときに入場料100クーナを払い写真撮影不可と言われて膨れて帰ってきたのに、チケットをよく見るとこの博物館だけでなくほかに8か所の博物館や美術館がみられるという。二人でバスで出かけたが、私は壁の内部のあらゆる館なるものを見ようとし、亭主はフェリーのチケットとキャンパーの停車地を調べに港へ行った。2時間の自由時間をフルに使おうと大急ぎで民族博物館へ。右上の像は聖ヴラホでこの町の守護神としてうやまれている。左手に持つのはこの町のモデル。

 

 この民族博物館は階段をたくさん上った高台にあり、内部の写真はやっぱり撮影不可だったが、博物館の2-3階の窓からドブロヴニックの町が眼下に見える。堅固な壁の上を歩いているたくさんの観光客やテラコッタ色の屋根が整然と並んでいる下町、

 

大聖堂のドームなどこのほうが博物館内よりも格段に素晴らしかった。

 

 

 港に突き出ている巨大な建物は海洋博物館で、船に積んでいたであろう大砲や

 

 16-17世紀の港の絵など面白い。右上はこの港や街を描いた油絵で、お土産屋さんで売っていた。

 

 歴史博物館の玄関口、過去には宮殿だったらしいが2階建てのきれいな建築物。民族衣装を着て土産物の刺繍をしている女性。

 

 このドブロヴニックの要塞は城塞でなく(王は存在しなかったしお城もなかった。)ここは7世紀に町の基本が築かれ、中世を経て12世紀には自由都市として内政、外交,海運交易、建築などの法規が制定され、市民は自由と独立を謳歌していたという。

現在では世界中から押し寄せる観光客がこの小さな都市を豊かにしている。クロアチアで一番観光客の訪れる町として知られる。

  

 夕方5時までキャンパーをキャンプサイトに預けていたが、夜10時出航前には港へ行かねばならぬ。港を見下ろす対岸の駐車場で時間待ち、夕食も終えて、夜8時には港の前の大きなスーパーで食料を買い込み持っていた現金を全部使い終えた。足りない分はカードで支払った。これが外貨を無駄にしない最良の手段。

 

 

9時にはフェリーに積み込まれたが、この2週間の間にフェリーの客席は満杯で、カフェーの椅子で一夜を明かすことになった。オフィスではリクライニングの椅子があるということだったが、そこは鍵がかかって入れず、カフェーのソファーは2席ごとに木の板で仕切りがされて横になれないようになっている。いかにも寝るなと言わんばかり、こんなに不親切な不愉快な目にあったことはない。ちなみにベットのある客席は全部中国人団体に予約されていた。

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最後のキャンプ旅行ードブロヴニック(Dubrovnik)

2016-06-21 08:32:53 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 ドブロヴニックにあと15kmというところの小さなキャンプサイトには3泊した。このサイトの片隅には野生のシクラメンが咲いている。ギリシャのメテオラでこの野生のシクラメンが一面に咲いていたのを思い出した。

 

 

 月曜日は雷を伴う雨が激しく観光は諦め、火曜日の朝バスでドブロヴニックの港へ向かった。水曜日の夜この港からイタリアへフェリーで出航するためにチケットを手に入れなければならない。残念ながらパスポートを忘れていったので無駄足だった。この紫いろの野の花は草むらには咲かないが岩山やコンクリートの塀の上などで見事に満開になる。

 

 

 港に駐車していた小型バスにはGame of Thronesとあるがこれは何作目かにこの地で撮影されたもので皆商魂たくましい。港に停泊していた大型クルーズシップはオランダの船だった。こんな巨大な船の乗客がこぞって観光に降りてきたのだもの、小さなドブロヴニックの町が人々であふれるのは仕方のないことだ。

 

 

 

 町の一角の塔から山頂までケーブルカーが通じていて一人130クーナ(16ポンドくらい)街を取り囲む要塞の上を歩くのも130クーナだった。44年前にここに来たときはほとんど観光客はいなくて要塞の上を歩くのもフリーだったのに。右上はインペリアル・グランド・ホテル。

 

 

 

  

 メイン道路から脇道は狭く奥へ行けば行くほど無数の階段で手足の不自由な人達はどうするのだろう。

 

 44年前はこの狭い通りのどこにも無数に洗濯物が翻っていたのに、申し合わせたように変わっていた。

 

 

 町の中は中世の教会が数軒あり宮殿、会議所などがある。

 

 町の重要な港からはヨーロッパ諸国へ塩や、鉱石などが輸出された。

 

 

  

 人ごみを避けて街中の静かな通りを行って初めて洗濯物が下がっているのを見かけた。

 

 たくさんある教会の一つ。中は割合質素だった。

  

 44年前と変わらないものは白い大理石の床で当時も今も磨かれ輝いている。

 

 

 この要塞は14-15世紀、外敵から街を守るために築かれたもので,全長約2kM  壁の厚さは陸側で4-6メートル、海側で1.3-3メートルもあるとのこと。高さは最高25メートルもあり、今も完全な姿を保っている。

 

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最後のキャンプ旅行ードブロヴニクへの道

2016-06-20 18:44:12 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

  

 

 スプリットを出た日も素晴らしく良い日だった。海辺に集まるテラコッタ屋根の村は美しく、通り過ぎる街並みはヨーロッパのどこの街並みにも負けないくらい豊かさを感じさせる。

 海岸に平行に横たわる大小の島も望遠で同じような村や町が島のあちこちに存在するのが見える。こんな大きな島にはキャンプ場も多くフェリーで渡らなければならないから、もうイタリアへのフェリーを予約した私たちには時間がない。

  

 

道端に建てられた家は、わがキャンパーではとても登れないほどの急斜面の車道を持っている。今時このような土地に住むには車なしの生活は考えられないだろう。

  

農作物といえばこのような乾燥した岩の多い土地にはブドウ畑が適していると見える。

  

 

内陸に入った場所ではきれいな湖が見えた。このあたりは農作に適した土地らしくみかんを売っている小屋が林立し、岡の上からきれいに整備された畑が見渡せた。

  

 

 

 

このスプリットからドブロヴニックへ行く途中の海岸線にボスニアヘルツェゴビナの海岸線が15Kmほどある。国境でパスポートを見せただけで通過、友達からはビザにお金がかかると聞いていたが何の問題もなくて拍子抜け。この国境の海辺にはホテルやレストランが林立し、ボスニアヘルツェゴビナのただ一か所の海辺だから、国民がここにホリデーでくるのだろうか?

  

15Kmほど行くとまたクロアチアの国境の検閲でパスポートを見せると、Have a nice day ! と愛想の良い声が返ってきた。

  

 

 

その後はますます島の数が多くなりまるでクロアチア版松島のような感じ。

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最後のキャンプ旅行―スプリット(Splet)へ向かう

2016-06-19 18:00:24 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 ザグレブのキャンプサイトで3泊したのち、クロアチアの海岸線の町スプリットを目指して南下する。途中にナショナルパークがありキャンプサイトが2か所あるというから今夜はそこのサイトで一泊しようと計画、途中まで高速道路を走っていたが半ばで高速を降り内陸を南下する。

 

 

 

 

道路下の村に滝が流れ落ちているのを見つけ、駐車場で停めてもらった。カメラを持って後戻りし眼下の村や川を撮りまくった。よく見るとこの村は2つの川の合流点に造られていて、高いほうの川の水は村の中や家屋の下を流れて低い大川に流れ落ちている。

キャンパーに乗って出かけるときにちらっと見た川の水が澄んでいて、もっとのんびりできたら村の中を歩いてみたかった。心残りな名も知らない村だった。

 

 

クロアチアの内陸は真夏は熱暑になるらしく、岩山と平野は不毛の土地といったところ。

ほとんど農作物はなくて牧草と羊の集う牧場が見えるくらい。

 

 

 

 

クロアチアの海岸線は無数の大小の島が連なり、初めにたどり着いた海岸はまるで湖のように波一つない。スタリグラッド(Starigrad)近くのキャンプサイトは内海の海岸線で水の透明度が高く、カキの養殖がいたるところで行われている。

 

町や村はイタリアやスペインと言われても疑えないほど似ており、ブーゲンビリアや夾竹桃が咲いて、ヤシの並木があったりする。

 

 

お昼近くにナショナルパークがあるはずのキャンプサイトに着いたが、誰もいない。まだ開いているのか、もう閉まったのかと思ったが誰にも聞けず、あきらめてそこの駐車場で昼食にした。もう一軒あるというサイトも途中で嫌になりそのまま海辺のサイトへ行くことに決めた。

ザグレブのサイトを出るときに、英語の観光案内書で、ザグレブ周辺というのを手に入れた。この夜何気なく見ていたら、このナショナルパークがクロアチアでは一番素晴らしい観光地だと書いてあり、切歯扼腕。

 

 

二日目にサイトを出た時から夕方まで、小雨の降る暗い一日だった。

道路わきのレストランで子豚一匹を丸焼きにしていた。道路わきに桔梗に似た紫いろの花が咲いていて見たくてたまらない。コーヒーの休憩時にうろうろ探し回りやっと花が終わりかけのを見つけた。高さ50センチくらいに花がびっしり咲いているのは見事だけれど、走っている車からは写真は撮れない。

 

 細長く伸びた海岸に家々が隙間なく建っているのは素敵な被写体だが、これもアドリア海の荒波が直接襲ってこれないように連なる島々が防波堤の役目をしているからだろう。

 

 

  

 もっと感激したのが陸続きの小さな島全体が教会を中心に建物で覆われていてよくぞ沈没しないものだと思わせる。ここはたぶん有名な観光地なのだろうが、亭主は止まらず走り続けて、全体が見える丘の上でやっと止まって写真を撮らせてくれた。この島の近く大型観光船が停まっていた。

 

 

いろいろな村や町を通り過ぎ山道も走っていると何度もイノシシに注意の立看板を見かけた。

北欧だとトナカイ注意、英国だと鹿に注意だけどヨーロッパでイノシシ注意はここクロアチアが初めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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最後のキャンプ旅行ースプリット(Splet)

2016-06-19 10:01:47 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

  

キャンプサイトはスプリットの郊外で、岬一帯がキャンプサイトになっている広大なもの、

サイトの水辺から向かいの町スプリットのベッドタウンが見え、夜間のきらびやかな明かりが素敵。

 

晴天の暑い日は土曜日で、バスはキャンプサイトまで来ないからメイン道路まで歩くようにとのことで歩いて5分、バス停で待つ。

  

 

港の繁華街がバスの降車場所、そこからは観光客と土曜市場へ行く人で、ものすごい賑わい。やっと観光案内所へ着き、ユネスコ指定のディオクレチアン(Diocletian)皇帝の宮殿の行き方を聞いた。この案内所から50メーター先の門をくぐるとその一角、3世紀のローマ皇帝の宮殿はほとんどが崩壊し,地下や厚い壁にその面影を残すのみとなっている。

 

 

 

 

  

ものすごい観光客の間を縫って宮殿の中心地へ行くと高い塔を持つ大聖堂、

 

25クーナ(3ポンド)払って聖堂内へ入ってみたが普通の教会より狭いところで、小さなパイプオルガンがあり調教中。あまり見るものや写すものがなくて5分で出てきて、大聖堂の向かいの細道をいったところにあるジュピターを祭ったテンプル(寺社)これはローマ時代のものらしく完全な姿を残していた。

 

 

 

この宮殿の中央北の門の外に巨大な像が立っている。10世紀のスプリット大僧正で彼の巨大な足の親指を触ると幸せになるとの言い伝えで、親指だけが金色に光っていた。私の足のサイズと比べてみた。

 

この像の近くにある高い塔はベニス共和国が権勢を誇っていたころの塔。

ここスプリットは3世紀にローマ皇帝によって開発されたところで、現在に至るまで各国の権力にもまれ淘汰されて、町として発展していった。

 

中央の円形ドームの中で4人の男性グループが合唱していてそのハーモニーに魅せられてしまった。早速彼らのCDを買った。ここスプリットの記念になる。

 

 

お昼ころに昨日充電を怠ったカメラのバッテリーが上がってしまい、スペアーを忘れてきたので、写真はあきらめ、町のレストランで昼食を食べて午後早めに帰ってきた。

 

44年前にこの地を訪れたときは、町の散策よりもきれいな海で泳ぐことしか念頭になくて、ポールがダイビングでホタテ貝を2個採ってきて食べたことしか覚えていない。

海水のきれいなこと、娘に来年夏のホリディーはスロベニアにとめ勧めている。

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最後のキャンプ旅行ーザグレブ2日目

2016-06-18 16:32:14 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

ミロゴユ墓地から再びバスでアッパータウンに戻ってきたのは1時過ぎ、歩道いっぱいにテーブルを出しているレストランのメニューを見ているうちに、客引きのお姉さんにつかまり、このレストランで昼食を食べることになった。私はコイワシのフライ、亭主はチキンのグリルを頼んで、テーブルに着いたが日陰で風が冷たく、レストランの中へ逃げ込んだ。ところがこのレストラン、間口3メーターの中にカウンターと小さなテーブル2つ椅子が3脚、戸外に広げたテーブル椅子とは何と言う差、出てきた食事も大したことなく昨日とは雲泥の差で料金も高くぼられた。

まだ帰りの電車には1時間半はあるからと、アッパータウンの坂道を上り、道の真ん中に立派なナイトが馬にまたがっている銅像を見つけた。その足元にはなんと巨大なナマズの像、このナイトはナマズを退治して有名になったと見える。

 

 

 ここから坂道を左に上っていくところ、あらゆる観光見どころが掲示板に張られている。

  

アッパータウンの入り口の石の門は中世からのもので、中には聖母マリアの礼拝堂がある、行きも帰りも通った時は熱心に祈る人たちが数人づついた。聖母マリアはザグレブの守護聖人として人々からあがめられている。

 

石の門からすぐ近くのマルコ広場には素晴らしい屋根を持つ聖マルコ教会がある。この教会は13世紀に建設されたが、19世紀末に修復された際、屋根にはクロアチア、ダルマチア、スラボニア、ザグレブの紋章が色タイルで施された。塔のてっぺんに1841年の数字がみえる。

 この教会は内部が古く派手な飾りが一切なかった。ドアが開いていなくてガラス戸からかろうじて中を映すことができた。

 

マルコ広場の右手の建物は首相官邸でポリスが玄関で警備していた。右上は国会議事堂、たいして大きくなくて見逃しそうな建物。

  

 

 もうあまり時間がないとせかされて、急いで帰る道で見つけた聖フラニョ教会はステンドグラスが美しく、気高いマリア像があった。周囲はカラフルなステンドグラスが並んでいたがこのステンドグラスが面白い。イカやエビの絵が描かれている。

 

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最後のキャンプ旅行ーミロゴユ墓地 (

2016-06-17 21:34:24 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

ザグレブ初日にシャトルバスで知り合ったオランダ人夫妻が、ぜひおすすめとバスのチケットもくれて、2日目の朝9時のバスと電車でザグレブへ行き市バスに乗ってザグレブ郊外へ行った。

 

 バス停が墓地の正面門の前で止まり、門の両側のタワーの数の多いこと。ここはヨーロッパで最も美しい墓地の1つと言われているとの案内書。

 

 

 

 

門を入ると壁に沿って回廊になっていてすべての壁になくなった人々の名前やキリスト像、天使などが飾られている。この回廊の長いこと奥が見えない。

 

 

 墓地もいろいろな形の墓石で整然とならんでいる。

 

通路は背の高い木々が遠くまで並木になっていて、遠くが見えない。

 

 

 壁と回廊が途切れたところから壁の外へ出てみてまた驚いた。見渡す限りの墓石で背の高い十字架の周りもびっしり墓石が並んでいる。

 

 スタンダードな墓石は左の写真にあるような長い石の蓋が上を覆うようになっている。クロアチアはカソリックがほとんどでカソリックは死体を焼却せず、埋葬にするため遺体を長い墓石の穴へ入れて上から石の蓋をするだけらしい。右のウルトラモダンな墓石は17歳で亡くなったエドワード君のもの、ご両親の悲しみが心に沁みる。

 

 行けども行けども墓石の行列、それなりに家族が墓地を大切にしているらしく墓石を洗っている人たちや枯れたお花を取り換えている家族連れを何度も見かけた。丘の上の墓地の終わりかと崖下を見るとこれまたお墓がいっぱい。

 墓地の見取り図でこの墓地の大きさが少しはわかるかもしれない。左側の小さな図の黄色の部分が右側の図面全部に相当する。

 

珍しいお墓といえばこのプロペラがついている古いお墓で死者は元パイロットだと一目でわかる。ツタが這って文字を覆い隠しているが1896年生まれ1931年に亡くなっている人で37歳では事故死に違いない。それにしても家族がもういないのか墓守が来ていないようだ。右の立派なお墓はイスラエルのヒーブル語で書かれてある。ドクターホセア・ジェコブはユダヤ人だ。

 

 

 墓石に等身大のきれいな天使が寄り添って、遺族の心が和むであろう。右の像は第一次世界大戦で亡くなった人たちのメモリアル像で心打たれる。

 

 お金持ちの家族の墓石と言おうかお墓の家というのか、家族の名前が中の壁に彫り込まれている。右の小さな墓石は戦死者のお墓で遺体は埋まっていない。

 

 面白い字体の墓石でここだけでしか見られなかった。巨大な石のモニュメントは第2次大戦時の戦死者のモニュメントで永遠の火が燃えていた。壁にはアルファベット順に戦死者の名前が彫ってあった。

 

 クロアチアの初代プレジデント ドクター・フラニョ・トッドマン(Dr Franjo Tudman)1922-1999 のお墓が一番立派でここでも永遠の火が燃えていた。

 

 

墓地の向かい側の道路沿いに墓石を作る石屋が並んでいて、死はお金がかかるものだと判らせてくれる。墓地の木々や墓石の手入れをする人々などここでは多くの人たちが働いていた。これも残された人たちの出費になるに違いない。

正面玄関の反対の大きな教会でちょうどお葬式を行っていた。私たちが帰りのバスを待つ間に霊柩車を先頭に喪服の人々100名ほどがゆっくり墓地に向かっていった。交通整理に警察官が出てきたほど交通が止まってしまっていた。

墓地は観光ではないにしろこんなに巨大で手入れの行き届いた、そしてこれほど芸術的な墓地を見たことがない。3時間歩きまわって墓地の大きさを知った。美術館へは入りたくない亭主はこの墓地がすごい、面白いと興奮して歩き回っていた。

 

 

 

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最後のキャンプ旅行ークロアチア現代美術館

2016-06-16 22:00:47 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

現代美術館には過去から現在までに至るクロアチアの芸術家の絵画や彫刻が2階と3階に集められている。この美術館は宮殿だったらしく石造りの素晴らしい階段が2階へ続いている。

  

2階の入り口の部屋には上の絵が展示されている。この絵は壁の一面を覆う巨大なもので初めて見るとぎょっとする。ローマのセネターたちがバッカスに捧げるいけにえに、クリスチャンの首をはねて楽しんでいるという恐ろしげな絵で説明を聞いて初めて判った。

 

 

 今年71歳のクロアチアの画家ムネル・ヴェイゾヴィッチ(Munir Vejzovic)はクロアチアの現代絵画の第一人者でファンタジーとエロチックな絵でしられる。右上はアダムとイヴ。

 

 どの絵も色彩がきれいで面白いが私の好みではない。この日彼の展覧会を開いていたから否応なしに見る羽目になってしまった。

 

 サーカスという題名にどうしてこんなに裸の女性が出てくるのか?右上の絵だけが何か政治キャンペーンでもありそうな彼の華やかな色彩がない。

 

 1969年生まれのクロアチア画家の作品で2008年作。これはよく見ると面白い。

 

 1975年に亡くなっている画家の作品で On the Draba River (ドラバ河の上で)という題名。面白い夢のような作品。右の写真は白い花という題名だけどいったい何が言いたいのかわからない。絵の描き方がおとぎ話にでも使えそうな。

 

 フクロウという題名の彫刻。よく見ればそれらしきもの。

 

 

 

 これらの絵はそれなりにうまいしさすが美術館に展示されるだけあってプロの絵なのだろうが、なぜか絵本やおとぎ話に使ったほうがいいような作品が多い。

これはひとえに私の好みで選んだ作品ばかり。

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