Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

ポルトガルへ出発

2019-11-27 21:17:42 | 日記19

明後日、29日に英国南方のポーツマス(Portumouth)の港からフェリーでスペイン・サンタンデルへ向かいます。

亭主の最終注射が11月19日に終わったので、すぐフェリーを探したが、こんなシーズンオフの時期にサンタンデルへ行くフェリーは29日まで満杯とのこと。

それならフランスのカレーから南下してスペインを通ってポルトガルへと行こうと計画し、キャンプサイトを探したがフランス北部では何処も10月末で閉まって来春3-4月までは開かない。

仕方がないから29日のフェリーを予約して、その間あちこちの博物館や、美術館巡りをした。

亭主はこの夏肺がん第3期と診断され、4か所に転移が見られるという。背骨に転移した癌だけは大きくなって脊髄を圧迫すると歩けなくなるというので、5日間の放射線治療を受けた。左肺下部に5センチ大の癌はもう何年かかかって大きくなってきたものと思われる。なぜならこの数年たまにしか合わない友達に会うと、皆そろって ずいぶんやせたね。 と驚かれていた。

肺がんは転移がある場合は薬物療法しか治療方法が無いと言われたが、亭主はガンと薬物療法を拒否。

今まで大いに楽しんできたから、いつ死んでも悔いはないという。

それでもじっと死を待つのではなく、まだ痛みや咳などの自覚症状が無いうちは例年のごとくポルトガルへ避寒に行こう。毎年10月初めにはヨーロッパへ南下していたので11月の暗くて寒い英国の天気を忘れていた。

今では一刻も早く真っ青な海と空が見たい。いつもポルトガルの青空を見ては ’” できるならこの青空を1メートル四方切り抜いてロンドンへ持って帰りたいものだ。” と願っていたものだ。

2011年に初めてフェリーでポーツマスからサンタンデルへ向かった。いつも船酔いで苦しむ私は乗船するなり酔い止め薬のせいでぐっすり眠っていくことにしている。それでもビスケー湾の荒波を超えて27時間は苦しい。

もう2度とこのコースは取りたくないと言っていたけれど、今回は選択の余地がない。

今日一日キャンパーにあらゆる荷物を積み込み、明日や明後日の食事の用意も心配しなければならない。今まで6か月近くもキャンプしていた時は朝食用のポリッジ(オートミール)を17KG 持って行った。

今回は2か月短縮するから12Kg を買い込んだ。ヨーロッパの北方ではポリッジは普通に食べられるが、南へ行けば行くほど食べる人が少ないらしい。いつも買う1㎏がポルトガルでは500グラムで、値段が英国の1Kg の倍くらいはする。キャンパーならこそいろいろなものをどっさり持っていけるから、これが一番うれしい。

 

 

 

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大英博物館のトロイ展

2019-11-26 22:33:29 | 日記19

 

V & A の翌日は友達と大英博物館のトロイ展を見に行った。

実際のトロイはもう20年近く前、トルコ旅行でトロイに立ち寄った。下手な日本語の説明案内書があったが、実地よりも今回のトロイ展の方がずーと面白く、また良く分かった。

 

 

この壺はギリシャで作られたもので、トロイの勇者アキレスがアマゾネスと戦っているところ。

トロイはギリシャに滅ぼされたが、古代ストーリーテラーのホーマーの抒情詩からギリシャではトロイ戦争やイリヤッド、オデッセイなどが絵や彫刻によって表現された。

 

このバストはローマ人による盲目のホーマー。

 

 

 

ゼウスがトロイの王子パリスに3人の美女の中で一番美しい女性を選ばせた。パリスはギリシャのスパルタ王妃ヘレンを選んでトロイに連れ帰ったことから、長い戦争になった。

一説によればゼウスは人口統制のためにトロイ戦争を起こしたという。

上の絵ではヘレンとパリスの結婚式に招待されなかった不和の女神エリスが、怒って金のリンゴを投げて、3人の女性が不和になるよう呪いをかけたという。

 

ローマ時代の彫像でヘレンがメッセンジャーボーイ・ヘルメス(ローマではエロス)の手引きでパリスと会っているところ。

 

 

 

ローマ時代に造られた石棺の周りの彫像は多くギリシャ神話から採ったものが多い。この石棺ではアキレスが友人であり愛人?だったらしいペトロクラスの死を悼んでいるところ。

 

 

 

このトロイ展でのハイライトが、アキレスが彼の弱点であるところのアキレス腱に矢が刺さって苦しんでいる様子を像にしたもの。Filippo Albacini (1777年―1858年)によってつくられた1825年の作品。

純白の大理石に美男のアキレスが素晴らしい。

 

ホーマーのイリヤッドによれば、トロイ戦争でギリシャの王子ヘクターが破れ、その遺体をアキレスは12日間馬の後ろにつないで引き回したという。ギリシャのプリアム王はアキレスに膝まづき、息子ヘクターの遺骸を返還してくれるよう頼んでいる。

この銀の壺はローマ時代AD50年ごろのもので、デンマークの指導者の墓から出土された。

 

 

石棺のレリーフでトロイの木馬を表したもの。こんなに小さい木馬に何人も兵士が隠れることが出来ない。

 

 

トロイの木馬を考案したオデッセアス(Odysseus)の像。ホーマーの詩では彼が大活躍する。

 

トロイの木馬、太古からこの話は芸術家の意欲をそそり、絵や彫刻によって表される。

 

 

オディッセウスがサイレン(誘惑者)の歌声から誘惑を振り切るためにマストに我が身を縛り付け、船乗りたちには歌声が聞こえないように耳をふさいだ。ホーマーのオディッセウスの詩から。

 

 

この小さな彫像は、アキレスの母親が彼の右足をつかんでStyx河に浸けてアキレスを無敵の体に祈願したが、つかんだ右足だけが水に浸からず、右のアキレス腱だけが弱点になった。

 

プレラファエリティのエヴリン・デ・モーガンによるヘレンとカサンドラ。

ヘレンは鏡に映った自分に見入っていて後方はまだ平和なトロイ。カサンドラには焼け落ちるトロイが見えているが誰も彼女の言葉に耳を貸さない。彼女には自分がとらわれ奴隷になり死が待って居るのが見える。

 

 

アキレスの金の盾。ローマ時代から幾多の人々によってホーマーが言うアキレスの盾を作ろうと試みた。この盾は1822年John Flaxman (1755年ー1826年)のデザインで作られた、銀とブロンズに金メッキしたもので数個造られた。

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メアリー・クワント(Mary Quant) 展

2019-11-26 18:23:29 | 日記19

 

11月の末にはポルトガルへ行くフェリーを予約したので、2週間の準備期間中になるべく文化的なことに触れておきたいと行ったのが、V & A (ヴィクトリア&アルバート博物館)の特別展。

 

 

 

 

 

この日は特に寒い日だった。V & A と自然博物館の間では子供たちのためのスケートリンクが出来ていて、素敵なクリスマスツリーと,英国で一番美しい建物と私が信じている自然博物館をバックグラウンドに、家族連れが遊んでいた。

 

 

V & A の表玄関のアドバーツメントでは、メアリークワントとCarsが出ていたが、Cars の方はこの週の土曜日から一般公開するということだった。

 

私の20代の頃はメアリークワントの口紅とマニキュアセットが大流行り、この5弁の花模様を見ればメアリークワントと誰もが知っていた。今の若い人たちではこれを見ても知らないだろうか?

 

こんなスタイルの服を着ていた思い出がある。

 

 

今ではこのようなスタイルは流行らないのだろうか?

 

 

確かに上の写真を見るとオールドファッションのような気もする。

 

 

 

60年代はミニスカートの全盛時代だった。ツイギーがもてはやされていた。

 

 

 

 

上のピンクのチェックのプリーツのスカートは確かに私も着ていた思い出がある。

 

 

 

こうしてみるとあの時代の服は普段着や、ちょっとした外出着であって、誰でも作れるようなシンプルな服が多いのに気づいた。まだ日本が世界に羽ばたく少し前、戦後の第一次出生人口増加が、日本の世界進出を大きく支えた時期で、若い人たちが皆同じようなファッションをしていたのに、今更ながら驚いた。

 

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オペラ・オルフェ & ユーリディチ

2019-11-21 00:45:31 | 独り言

ひと月前、ロンドンコリーシアム(London Coliseum)でOrpheus in the underworld というオペラがあった。

もう10数年前このコリーシアムで見たオルフェのオペラがとっても素晴らしかった。

ストーリーはギリシャ神話から採ったもので、愛妻のユーリディチが蛇にかまれて死んだのを嘆いてオルフェが彼女をあの世へ迎えに行ったが、帰りに決して後ろを向いてはならないというのを、彼が振り向いた瞬間彼女はあの世へ引き戻されるというもので、なんと1607年イタリア人のモンテヴェルデ(Monteverdi)がオペラを書き、1645年フランス人のチャペンティア(Charpentier)が書き、1714年ドイツ人のグラック(Gluck)、1725年ドイツ人のテレマン(Telemann)、最後は1858年ドイツ人のオッフェンバッハ(Offenbach)がオペラを書いた。それぞれストーリーは少しづつ違っているが、私が過去2回見たオペラはグラックのオペラでしっとりとした情緒と優しい音楽ののいいオペラだった。

このコリーシアムで見たときは舞台に川のように曲がりくねった道の両側にずらっとろうそくが灯って幻想的な雰囲気、歌も音楽も出演者もとっても良かった。

もう一つ見たのがニューヨーク・メトロポリタンオペラで、これはオペラを映画館でオンラインで見せてくれる。

この時のオルフェになったのがメゾソプラノ(女性)の小太り背の低いアリス・クーツ(Alice Coote)でユーリディチになったのが当時有名途上のインド人と白人の混血美人でソプラノのダニエル・デ・ニース(Danielle De Niese)だった。

このソプラノはすごい迫力、オルフェが彼女をあの世から連れて帰ってくるのに、長い坂道を延々と昇ってくる。その間彼女は ”どうして振り向いてくれないの?どうして言葉もかけてくれないの?” としつこく歌う。聞いているこちらがイライラしてきて ”うるさい!!”と怒鳴りそうになった。それでたまりかねたオルフェが振り向いた。忘れられないシーンだった。

今回初めに見たのが一番最後に書かれたオッフェンバッハのオペラだった。

このストーリーがグラックのオペラとは全く違っていて、ユーリディチは死んで地獄へ落ち、地獄ではカンカン踊りや賑やかな音楽と踊りで全くコメディー。

写真は携帯で写したせいで、あまり良くないが、この舞台装置が地獄だと知れば、ちょっとは想像がつくかもしれない。

さて先週見たのがグラックのオペラ Orpheus and Eurydich で舞台はシンプル。最近の流れとしてお芝居やオペラにはミニマイズとして最低必要な道具だけで舞台装置などほとんどない。

そしてオルフェを演じたのがもう10年以上前に見たメゾソプラノのアリス・クーツだった。

彼女は上の写真では挨拶している男性の後ろにいるグレイのシャツの人。

ユーリディチは若くて細いセーラ・タイナン(Sarah Tynan)メトのオペラのような迫力が無くて、肝心の彼女を連れ戻すシーンで寝てしまった。

はっと目覚めてみればユーリディチはもう死んでいた場面だった。あーあ つまらない。

それにしてもあと知らない作曲家 Harison Birtwistle の The Mask of Orpheus とPhillip Glass の Orphee というのが上演される。一体どんなストーリーに変わることやら。

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クリスマス・マーケット

2019-11-20 19:22:47 | 日記19

先週日曜日の夕方、トラファルガー広場の近くに、バレーを見に出かけた。日曜日は電車の都合があまり良くないので早めに出かけて、待ち合わせ時間より30分以上も早く着いてしまった。

 

まだ6時ごろというのにここ英国では4時過ぎると暗くなってくる。6時など外は真っ暗。このナショナルギャラリーのあたりはクリスマス・マーケットが開かれていて明りもこうこう、すごい人だかり。

ヨーロッパの各地でクリスマス前にはこんな夜店が立つ。数年前ドイツのクリスマス・マーケットでテロリストのトラックがこんな夜店に突っ込んで、たくさんの人の命を奪ったことがあった。

このトラファルガー広場の周りは直径80センチくらいのコンクリの円筒がマーケットの周りに置いてあって、トラックが通れなくなっている。

とにかくこのようなクリスマスマーケットは英国に住んで47年、初めて見た。

 

トラファルガー広場の真ん中の噴水にも照明が当たってきれいだが、今回は携帯しかもっていなかったので写真はあまり良くない。

 

各お店はとってもカラフルで見て歩くだけでも楽しい。この店はロンドンの土産物屋さん。

 

 

このようなろうそくか電気で飾りを見せる陶器の店が3軒もあった。どれもとっても素敵だけれど、後期高齢者の私にはこれを買ってどうする?と思うととっても飾り物を買う気にはなれない。

 

 

手織りのウールのスカーフは今の時期には重宝する。それでもスカーフもいったいどれほどタンスに眠っていることやら。

 

 

これらはクリスマスツリーに下げるデコレーション。子供が小さい時はクリスマスツリーを飾るのが年中行事。親子で楽しんだものだけれど、こんな無駄は一切しなくなってしまった。

 

 

きれいなネックレスや、本革の手作りハンドバックなど見れば欲しくなるけれど、バックもどれだけあることか?

 

 

 

あの手この手で買い手の購買欲をそそる商品が多い。とってもきれいなものだけれど、年寄りには飾り物はますます縁遠くなってきている。

 

 

終わり近くのお店ではトルコの陶器がたくさん出回っていた。今から20年も前にトルコへ5回も旅行に行って、いろいろカラフルなお皿やつぼを買って持ってきた。

今ではそれらを見ても思い出しもしなくなってしまった。これらの陶器は低温で焼いたもので英語ではアーゼンウェアーと呼ばれる。色彩は素晴らしく、アラブの模様が新鮮だが、実際に使ってみるとすぐに欠けてしまうのが難。

カーブーツセールに行くと必ずこのような陶器が何枚か売りに出されていて、土産物は結局使い物にならないのがわかる。

 

これは木製品のクリスマスデコレーション。

こんな土産店ばかりでなく、食べ物のお店も何件か会って若者たちが群がっていた。

クリスマスが楽しいのは子供たちが小さい時だけ、大人になって家族が分散してくると楽しみは年ごとに減ってくる。

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プレ―ラファエリティ・シスターズ(Pre-Raphaelite Sisters)

2019-11-10 16:04:44 | ロンドン周辺

10月半ばから来年一月までロンドンのポートレート・ギャラリーでは上記タイトルの展覧会を開いている。

プレ―ラファエリティというのは、19世紀英国画壇に発生した新しい画法とアイディアのことで、その当時フランスでは印象派が台頭してきていた。日本で知られる英国のプレ―ラファエリティ・ブラザーズではウイリアム・モリスが一番有名である。

今回の展覧会はその新派の画家たちを支えた妻や女友達で、モデルでもあり同時に彼女たち自身が画家でもあった人たちの作品を展示しているもの。

展示されている中には以前からテートブリテンで常備されているものも多かった。

 

 

 

上2枚の写真は当時のプレ―ラファエリティ・ブラザーズと呼ばれたメンバーたち。

 

 

上の絵はハムレットの恋人オフェーリアが狂っておぼれ死んだのを描いた作品で、ここの展覧会ではコピーだったため写真写りが悪い。この絵はテートブリテンに昔から飾ってあり、私の好きな絵の一つ。画家はこのブラザーフッドを立ち上げた3人の中の一人でジョン・エヴェレット・ミレー(John Everett Millais)でモデルが33歳で亡くなったエリザベス・シダル(Elizabeth Siddal)

彼女は当時ブラザーフッドの3人の男性の絵のモデルだったが中の一人ダンテ・ガブリエル・ロセッティと結婚していた。

 

この絵のモデル クリスティーナ・ロセッティ(Christina Rossitti 1830-1894)はダンテ・ガブリエル・ロセッティの妹で・ブラザーフッド間で活躍した。

 

 

1860年に発表されたこの絵はファニー・コーンフォース(Fanny Cornforth )のモデルの最初で画家はダンテ・ガブリエル・ロセッティ(Danti Gabriel Rossetti)。日本の琴をつま弾いている高級娼婦とのこと。

彼はこのファニーをモデルに多くの絵を描いているが顔が全く同じで、一目で彼の作品とわかる。

 

 

この会場で一番目にひく巨大な絵、女流画家エヴリン・デ・モーガン(Evelyn De Morgan 1855-1919)の素晴らしい作品 Night & Sleep。彼女は1873年、後のロイヤルアカデミーに入学、当時女性画家はまれだった。彼女はギリシャ神話を題材にした絵を多く描いた。

 

 

画題プロサピーナ(Proserpina)はローマの女神でワインや農業をつかさどる。

画家はダンテ・ガブリエル・ロセッティでモデルがジェーン・モリス(旧姓ジェーン・バーデン)(Jane Morris 1839-1914年)この画家の描く女性の顔はどんな違うモデルでも同じに見える。

特に彼女をモデルにたくさんの絵を描いているが全く同じ顔で同じ表情。ちょっと引ける。ジェーン・モリスはウイリアム・モリスと結婚して生涯新しい芸術ムーヴメントに尽くした。

 

 

ウイリアム・モリスによるLa Belle Isoult (オペラ・トリスタンとイソルテ)のイソルテ。モデルは結婚前のジェーン・バーデン(Jane Burden) 結婚してジェーン・モリスになった。画家が違うとモデルも全く違った顔になる。

 

 

マリア・ザンバーコ(Maria Zambaco 1843-1914年)はモデルでありまた彫刻家でロダンに師事した。この絵はThe tree of Forgivenessと題するエドワード・バーン―ジョーン(Edward Burne-Jones)の作品。

画家とモデルは深い仲になり当時の世間でのスキャンダルになった。この絵は彼女が忘れられない画家によって新しく描き直されたものだと言う。

 

 

 

The Bequiling of Merlin はキングアーサーの物語に出てくる、魔法使いであり預言者のマーリンが湖の精二ムエに法典を取られて身動きできないところを描いたエドワード・バーン・ジョーンズの大きな絵。顔のモデルはやはり愛人だったマリア・ザンバーコ。

 

プレ―ラファエリティの絵を見てゆくと、ほとんどがギリシャ神話やローマの神話、言い伝え、伝説のKingアーサの物語などから採ったものが多い。このような物語性のある絵画はそのストーリーがわかるとなおさら興味がわく。

まるで物語の挿絵にしたらよいような絵が多いと感じた。

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ドラゴンボートレース

2019-11-01 23:08:28 | 思い出

私がまだ日系の会社で働いていた90年代の終わりころ、毎年ファン・ランと称してセントポール大聖堂の近くの川渕からウエストミンスター(ビックベン)の橋を渡って、南の川渕を一周するチャリティランニングをやっていた。

これは会社とは関係なく自然にできたクラブ活動で、その時に押されてキャプテンになったデビットG によそのチャリティ企画からドラゴンボートレースに参加要請が舞い込んだ。

ボートでこぐ人20人にボートの前で太鼓をたたく人ひとりの最低21人が必要。

ランニングで知っている若くて力のありそうな男性を集めたが、その時会社にできていたラグビークラブの男性10人ほどにも声をかけて出てもらうことにした。

 

 

ドックランドのドック(船が停泊するところ)はもう使われなくなって数十年。サッチャー首相が音頭取りしてこのドックランドをモダンなオフィイス街に変えた。

このドックの一つで日曜日の朝からレースが行われる。

若い独身の人たちが多く、総勢30人を超えた。太鼓をたたくのは私。男性群の中では紅一点何しろ私が一番軽い。

対戦するのはシティの会社や銀行など4社が集まった。

 

大きな男性20人と私が乗り込んで、出発点500メーターくらいのドックの反対に向かった。乗った初めからボートは水際迄10センチくらいしかなくちょっとの揺れでも水が入ってくる。

ちなみにこのドックの水は緑色をしていて、落ちたらやばいなーとは思っていた。

案の定50メーターも行ったところで船は沈んでしまい、皆救命具を付けているから水面に浮かんで、ワン。ツー、ワン。ツーと言っている。

応援に来た友達や家族は腹を抱えて大笑い。

 

 

助けのボートが来るまで、皆水の中で結構楽しんでいた。

 

さてもとに帰って乗組員の再編成。キャプテンのデビットGは皆を一列に並ばせ、”体重100㎏を超える人は右に出よ ””と言ったらラグビー部の6人が並び出た。それで対戦4回のうち一回に二人づつ載せあとはトータルで18人に絞った。

こうして4回戦、4連勝。

友達や家族は大喜び、もちろん戦ったクルーも大満足で、キャプテンのデビットGは習慣にのっとって胴上げされ、ドックの中に放り投げられた。懐かしい思い出、写真はまだデジタルになっていなかった時代の話。

 

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