ラトヴィアへ入国するも国境には誰もいず、道路は2車線でまっすぐだが、目に見えて状態は悪くなった。これが国と国を結ぶ国道かと亭主はぼやく。
乗用車だと揺れが少ないがキャンパーの中の家具や什器すべてが揺れに揺れがたがたひどい音を立てるからとっても早くは走れない。
今夜の宿泊地レゼクネ(Rezekne)は町の中心地から10Kmほど離れているから入国して一番近いダウガヴィルス(Daugavpils)の町でこの国の貨幣ラッツをおろすことに決めた。下のグレイの建物はダウガヴィルスの町の入り口の刑務所、だからなおのこときれいじゃないが・・・・。
それほど大きな町ではなく、道も碁盤の目のようになっているから、銀行かキャシュマシーンを探すのはそれほどたいしたことは無いとたかをくくって行ったが、それが大間違い。町のにぎやかな通りまで行かないと、キャシュマシーンは見当たらない。にぎやかな通りでも2車線でおまけにあちこちで道路工事、通行止め。さすがのミセス・ナヴィすら狂ってしまった。
亭主も半分おかしくなり早くこの町を出ようとあせりまくっている。やっと見つけたキャシュマシーンで100ラッツを下ろしたがこれがいくらになるか見当もつかない。
狭い道をぐるぐる回りやっと町を取り囲むリングロードにたどり着いたが、この時点でミセス・ナヴィが狂っていることには気がつかなかった。リングロードを反対方向に指示されおかしいと思いながらも行くとずいぶん遠回りの末、松林の中の一車線の舗装されていない道を指示したり国道を走っているのに、わき道を指示したりして、初めて狂っているのが判った。
今夜のキャンプサイトも湖のほとり、この地域もリスアニアと同じく湖水地帯でこれらの湖水の東側がロシアとの国境になっている。そして湖水地帯には蚊がはびこる。
この菜の花畑は菜種油を採るのだろう。ここラトビアからエストニアにかけて一面黄色の海みたいだった。ほかには麦畑とジャガイモ畑。ラトビアのほうが酪農が盛んだった。
ラトヴィアはソビエト時代、重工業が盛んでロシアの列車は95%がメイド・イン・ラトヴィアだったという。ところが1991年に独立して以来、これらの重工業は見捨てられ廃棄され、バルティック3国の中で一番経済的に苦しいのがこの国だという。首都リガの周辺は国土も整備されているが、地方までは行きとどかない。
これらのことを知ったのはエストニアへ行った後で、ただ一日通っただけでも感じはわかるものだ。
レゼクネ(Rezekne)のキャンプサイトはログハウスが並ぶホリディ・リゾートでこの日も私たちのキャンパー一台だけだった。Wifi使用が只だったがキャンパーの中からはインターネットがつながらず、オフィスのソファーに座ってブログを書き送った。