Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

キャンプ旅行 オルニャオ (Olhau)

2012-04-30 13:10:07 | キャンプ旅行 2011-2012

クェテイラから南ポルトガルの主要都市ファーロを挟んだ反対側の町オルニャオは、昨年2回も滞在したところで、馬鹿でかいキャンプサイトはヨーロッパ北部からの避寒者でいつも活況を呈している。
ここが気に入ったのは、サイトのすぐ近くの野鳥観察公園と活気あふれる土曜マーケット、そして魚料理が美味しいマーケット周囲のレストラン。

昨年はここにWifiがあるのを知らなかった。レセプションから奥行き500メータ以上ある松林の中にキャンパーを停めたが、Wifiの電波が受けられるところは、ウオータータワーからレストランの間だという。
レストランの庭のテーブルでブログを送付する。毎日良い天気が続き、日中気温は20度を越える。ヴァレンシア以来もう2週間以上も晴天が続いているが、内陸の朝夕は急激な気温の変化で身を切るほど寒かった。
この南部ポルトガルは、昨年もそうだが穏やかで暖かい。

皆この地で6ヶ月はゆっくり落ち着いて、夏だけ故郷へ戻ってゆく。キャンプサイト料金も夏の7-8月は高騰して若者や家族連れの短期滞在者で占められる。

ここオルニャオのサイトは電気込みで一泊9.5ユーロ(8.1ポンド)と驚くほど安い。おまけに設備が整っていて文句なし、しいて言えばレセプションまでが遠すぎる(文句を言えば罰があたりそう。ポルトガルの神様ごめんなさい)

最近はEU圏内ではユーロ不安定、ギリシャに次ぎ、ポルトガルの経済が破綻寸前まで行っているという。昨年から見るとガソリン代が高騰し,1月からは準高速道路も料金を徴収するそうだ。



土曜日は港にある常設マーケットの周囲に野菜や日用品の市がたち、何としても見逃すわけにはいかない。

昨年も買った500グラム入りのアーモンドを、昨年と同じ年寄り夫婦の出店から買う。言葉はわからないからジェスチャーだが、おじいさんがこのアーモンドは俺が木からとったものだと言う。
オリーヴの漬物は量り売りで、大中小の金属の枡で買う。いろいろ種類があるが私はやっぱり黒オリーヴが一番好き。大枡いっぱいのオリーヴが2.5ユーロ、うれしい。

  

柿もこの地方でも取れるが、スペインほど立派なものではなく、皆自分の庭で取ってきたものを売っているみたい。1kgで1.2ユーロからだからロンドンのマーケットと変わらない。今が取り入れシーズンのオレンジは1kgが40セントから80セントくらい幅があり、サイズや種類で違うらしい。ここのオレンジは新鮮で味が違う。ここにいる間は毎日オレンジを食べ続ける。

  


ポルトガルは豚肉が安く、このマーケットの肉屋さんは売っている肉の半数は豚肉、そして鳥、牛、羊肉は豚肉より格段に高い。ほとんどが塊で日本のようにきれいにスライスされた肉はあまりない。

  



魚市場は込み合っていた。ぎらぎら光る大きな太刀魚などどうして料理するか判らない。
1kgの鯵と巨大なカツオを買ってしまった。カツオは近海では取れないはずだから鮮度が落ちていたがやっぱり魚は最高。



12月10日は満月、午後から曇りだった空が夜中の1時澄み渡った。月光であたりは明るく静まり返ったキャンプサイトを照らしていた。

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キャンプ旅行 オルニャオの日々(Olhau)

2012-04-29 10:23:45 | キャンプ旅行 2011-2012

  



オルニャオのキャンプサイトに落ち着いてもう10日も経ってしまった。
毎日特別することも無いが、どこに居ても生活していることに変わりない。掃除、洗濯は毎日こまめに、三食はほとんどキャンパーでクッキングしている。たまにお昼にショッピングに出ると、町のレストランやスーパーの簡易食堂で昼食を食べる。外食は塩分が多いのがたまに傷。町のクリスマスデコレーションもあちこち見られ、キャンパーにも派手な電気の飾りが見られる。ショッピングセンター内のクリスマスツリーはいろいろ工夫を凝らしてあり、特に卵の空箱を利用したツリーは良く出来たと感心した。

  

去年この町へ来てはじめの印象が、町の空き地いたるところの落書きで何と落ちぶれた町だろうと思ったのに、今ではこれらの大きなグラフィティ(落書き)は完全な芸術だと思うようになった。

  

 

この巨大なキャンプサイトで数百台のキャンパーやキャラバンに住む人たちは、ほとんどが北ヨーロッパからの60才台以上のゴールデン・エイジの年寄り?この50人乗りのバス・サイズのキャンパー(10メーター以上ある)がこのサイトに5台も停まっている。彼らは6ヶ月くらいはここに住み着いているのらしいが、こんな大きな車がポルトガルやイギリスの田舎道や街中を走ると思うと恐ろしい。

  

食器洗い場へ行くと出会った人たちと気安くおしゃべり、英語の出来ないフランス人のおじさんはチーナ(中国人)?と聞き日本人と知ったらすぐ”おはようございます”、こんばんはございます”と片言の日本語連発。翌朝自転車で”おはようございまーす”と走り抜けていった。

スーパーマーケットの支払い場でオブリガード(ありがとう)と言うととっても喜ばれる。
ポルトガル人のお客まで一緒ににっこりして、此方まで嬉しくなる。市場でだってこうして地元の人たちに混じって平気で買い物が出来る。

今日、スーパーで買い物中に亭主が寄ってきて、”あれだからイギリス人は嫌われるんだ”と言う。キャッシャーではこの店はクレジットカードは受け付けないと言うのに、態度の大きいイギリス人の男性は”ヴィザはどこでも有効なのに君はヴィザなど知らないのか!!”と怒っている。 何をえらそうに・・・・とは私の独り言。

  

スペインもそうだがポルトガルでもスーパーの中で生鮮魚の売り場が充実している。一匹の魚でもえらやはらわた、うろこ、尻尾など全部とってくれる。このサーヴィスは市場ではあまりない。以前にスペインのスーパーで私の前に小イカを1kgほど買った客がはらわたを抜いてもらっていたから30分以上も待たされて、頭にきたことがあった。



今日は新鮮な鯛があったから1匹買って刺身に、頭と中骨は味噌汁にした。亭主にはステーキとチップス。お互いにハッピイでこれに越したこと無し。

この巨大なサイトの中間点でしかWifiが使えない。レストランの庭がWifiの使える最端でその日によって、電波の強弱が激しくて、つながらないことも多い。
ウォータ・タワー近くの道端のベンチでコンピューターをつけて、マレーシアの友達とスカイプ交信。すっかり楽しんで大声で話していたら、通りかかったサイクリストの夫婦が去年クエテイラで親しくなったアイルランド人の二人だった。
偶然の再会に大喜び、ポルトガルでアイルランド人、マレーシア人、イギリス人、日本人とのおしゃべりなんて何と国際的ではないか。

  

この10日間に雨が降ったのが1日だけ、ほとんど空が澄み渡って、キャンプサイトの上空を舞う2羽のコウノトリを見て何と幸せだろうと思う。
昨日は暖かくて半そでで海辺へバードウオッチングに出かけた。海は遠浅で貝拾いの人たちがあちこち見える。遠くに一塊のへら鴨の群れが見えたが、土手を行く3人の人たちを恐れて飛び立っていった。今年は去年ほど野生の鳥が見えないのが気になる。

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キャンプ旅行 ポルトガルの年の暮れ

2012-04-28 16:07:47 | キャンプ旅行 2011-2012

オルニャオのサイトへ来て今日で20日、お正月からはスペインへ行き10日からモロッコへ渡るつもりだから、もう一度ここオルニャオのブログを書いておこう。

もう3週間以上晴天が続いていて、今では青空が当然のようになったが、暖冬とは言え暗いイギリスの冬を考えると、英国に住む友達に申し訳ない気になってしまう。
クリスマスはキャンパーの中でチキンの丸焼きとローストポテト、疑似ヨークシャプディングで亭主が大喜びした。


クリスマスの翌日、運動も兼ねサイトから7-8Km位離れたフセタ(Fuseta)の町まで散歩に行った。サイトの横の鉄道線路は海岸とほとんど平行に走っていて、線路の海岸側には家は一軒も見当たらない。




南ポルトガルは冬の平均温度が18度、夏は40度にもあがると言う。働きもののポルトガル人は線路と海岸までの広大な湿地帯を塩田に変えた。
冬季は人影もないこの塩田では、かもめの群れや足長の海鳥がえさをあさっているばかり。



道端には金盞花(マリーゴールド)の原種やこの地方独特の黄色や白の野生の花が咲き乱れ、純白の家々の垣根には冬と言えどもカラフルな花が咲いている。濃い緑の葉の間から金色のオレンジやみかんが実っているのが見える。



線路脇の田舎道を歩いていて20分に一本くらい来る電車に手を振ると、運転手も手を振ってピーポーと汽笛を鳴らしてくれる。もうずいぶん昔に日本でもこんな情景があった。





フセタの町は新市外が横に広がりどこの家も純白、狭い旧市街に入ると昔からの壁タイルを張ったテラスド・ハウスになる。道端のカフェーでは年寄りが集いお茶を飲みながらおしゃべりに余念がない。こんな平和な年の暮れ、この地方の人たちは幸せだなーと思う。




帰りはたった一駅だけれども2時半の電車に乗った。下りの電車は落書きがひどくみすぼらしく見える。この地方の電車はプラットホームよりずっと高くて3段の階段を登らなければならない。体の不自由な人たちは一体どうするのだろうか?最近のヨーロッパでは身障者の為にあらゆる便宜が図られていて、電車もバスも車椅子のままで乗降できるというのに・・・・・。キャンプサイトだって身障者用のシャワー、トイレが設置されていて、何人かの車椅子のお年寄りが住みついている。





12月26日夕方6時過ぎ南西の空に新月が輝いた。去年と同じ時期だったと思うに、昨年は東北に新月が昇った。

今年は史上最悪の災害の多い年だった。激動の歴史の変遷があった年でもあった。2012年は一体どんな年になるのだろうか。ポルトガルの陽だまりで平和な世界を願っている。

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キャンプ旅行 New Year eveの花火

2012-04-27 10:59:41 | キャンプ旅行 2011-2012

12月31日、オルニャオのキャンプサイトを出てクォテイラへ帰っていった。

オルニャオの町を去る前に海岸の土曜マーケットへ行った。このマーケットはクリスマスイヴにもこの年末にも大盛況の賑わいを見せていて、スペインへ行ってもすぐスーパーへ行かなくても済むよう、果物や野菜、それに丸々太った生きのよい鯖2匹も買った。鯖は一匹をしめ鯖にしてお正月のご馳走。オレンジの盛りで値段がだんだん下がり1kg40セント(35ペンスくらい)になった。柿とオレンジを数キロ買い、オリーヴの漬物も買い込んで欲しいものが全部手に入って嬉しい。

新年は日本では除夜の鐘がなるが、世界各国で夜中に花火が上がるようになったのは、2000年祭からだと思う。テレビではオーストラリア、ホンコン、シンガポール、モスクワ、パリ、ロンドンと時差があるから東のほうから順に花火が上がり始め、最終はニューヨークで祝典は終わる。各国の首都であがる花火は絢爛豪華で他国に負けない気概がある。

ここクォテイラの町では、海岸べりで夜中12時から花火があがる。こんな小さな片田舎の町では日本の町内会の花火ほどにも華やかさはないかもしれないが、わずか10分間を大いに楽しませてもらった。

スペイン、ポルトガル、イタリア、ギリシャ、アイルランドのユーロゾーンでは経済危機が叫ばれて久しい。アイルランドでは若者たちがオーストラリアやアメリカに移民し、ポルトガルではブラジルへの移民が相次いでいるとのニュース。こんなに経済危機でも年末に決して安くない花火をふんだんにあげるこの国民性に感激した。

  

この夜夕食をアイルランド系のレストランで食べようと10時まで待って行ったのに、この夜だけは予約制で断られた。仕方がないから海岸べりのあいているレストランを探し廻って入ったところは、メニューの数が極端に少なく満員の客はほとんど飲み物だけで騒いでいた。食べ物は私が料理できるようなものばかりで、値段は高くがっかり。11時半ごろから海岸の歩道はワインボトルを持った人たちでいっぱいになり、12の花火と同時にいたるところで歓声が上がった。私たちもワイン1本を持って行ってたから新年のお祝いに海辺で乾杯。半月が輝いていた。

  

  

明けましておめでとうございます。  皆様にとって良い年になりますよう。  

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キャンプ旅行 エル・ロシオ (El Rocio)

2012-04-25 11:10:00 | キャンプ旅行 2011-2012



1月2日スペインへ向けて出発、昨年12月半ばまで無料だったポルトガルからスペインへ行く高速道路は無人有料道路になり、その支払いの仕方がはっきりわからない。だから田舎道を通ってスペイン国境までたどり着いた。昨年も行ってとっても気に入ったスペインのエル・ロシオを目指す。




もう一月近く晴天が続いて、砂漠の中に造られたようなロシオの町は砂埃が舞う。昨年行ったときは大雨の後だったせいもあり、砂で出来た道路のいたるところに大きな水溜りがあって車が泥水を跳ねて走っていた。

  

昨年町の隅々まで歩き回って写真を取り捲ったものだけど、今回は感激度がずいぶん薄れてしまった。それでも湖に映る純白の町は何度見ても素晴らしい。広大な湖にはフラミンゴは数えるほどしか見えず、がっかりしてドニャーナ(Donana)自然公園へ足をのばした。

  


今回気づいたのはドニャーナ自然公園がユネスコに指定されていたこと、この自然公園の中のロッシナ・ビジターセンターは3.5kmの木道が松林や、湿地帯、草原に延びており、湖のほとりにわらぶき屋根の野鳥観察小屋が設置されている。

  


松林の中は涼しく、草原に出ると直射日光が暑い。私たちの真上でたくさんのコウノトリが舞っている。どうしてあんなにたくさん集まっているのか不思議だけれど、とにかく上を向きっぱなしで写真を取り捲った。首が疲れていったん休み、1分ほどして見上げたらあんなにたくさん舞ってたのが手品のように消えてしまってまるで狐に化かされたみたい。

  

夕方になるとこの湿地帯は帰宅する水鳥で賑わうらしいが、太陽ぎらぎらの日中ではカイツブリくらいしか目に付かない。又ゆっくり木道を散歩しながら日向にワラビが20センチくらいに伸びているのを見つけた。もちろん公園内では草花すべて採ったり折ったりは禁止されている。

  

このロシオの町も町外れのキャンプ場も真平らの砂地にあり、四方を見渡しても松林より高いものはなく、太陽は地平線から上がり地平線へ沈む。この時期、この町へ訪れるのはキャンプサイトへ来た人たちばかりだが、夏の競馬シーズンや、宗教祭典時には一躍100万人もの人たちで賑わうという、面白い町だ。

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キャンプ旅行 ロッシェキャンプサイト(Roche Camping)

2012-04-24 22:25:50 | キャンプ旅行 2011-2012



砂地のエル・ロシオを去って、いったんセビリアまで行き、セビリアの環状線からカディスへ向かって南下した。この道も昨年通ったところだから、特にカメラを構えることはなかったけれど、途中の遠い山並みと若草の萌えるような耕作地の色合いが早春を思わせる。

  

ミセス・ナヴィに又近道を指示されラス・カベザス・デ・サン・ホアン(Las Cabezas de san juan)の狭い通りに入り込んでしまい、亭主のぼやくこと。でも遠目には素晴らしい町だった。



カディスへ分かれる高速道路わきは塩田か湿地帯のように大小の水田様の水たまりが見え特に一つの池にはフラミンゴが群れをなしていた。エル・ロシオのフラミンゴがここまで南下してきたのじゃないかと思った。でも今まであれほど多くのフラミンゴを見たことがない。残念ながら高速で走っている車中からは写真は撮れなかった。

ロッシェのキャンプサイトはカディス(Cadiz)から20kmほど南に位置する。ポルトガルより南にあるせいか日中は気温が上がって、20分も日向ぼっこをすれば暑くて真っ赤になってしまう。この地方には冬がないのかしらと思う。きれいに耕された畑にはえんどうの芽がしっかり育ってきているし、こんなに大きなオレンジの木はポルトガルでもギリシャでも見たことがない。

  

このロッシェキャンプサイトの周辺も砂地できれいな松林がどこまでも続いて、縦横に散歩道が伸びている。この小太りのポーニーは青い目をしていて人なれしているが横につながれた番犬が吠え立てて、馬泥棒を警戒しているらしい。

  

松林が終わると膝丈くらいの草地が海岸近くまで広がり、野生のローズマリーが青い花を満開にしてミツバチを誘っている。ローズマリーはラム肉をローストするときに一緒に焼くと香りがいい。NHKの番組でハーブティーにも使えるというので束にして採って来た。

  

コニル港(Port Conil)は昨年も散歩に来たところ、向かいの灯台の辺りに野生の白い水仙が咲いていたのが忘れられない。港に流れ込む河口脇に赤さびた碇がたくさん置かれている。去年もそのまま変わっていないからもう使われていないのだろう。去年は一体何に使うのだろうと不思議でならなかったが、これは地中海独特のマグロ漁の網を固定するのに使われる。しかし多年の乱獲でマグロがほとんど捕れなくなってこの碇は捨て置かれたまま赤さびているのだ。

  

松林の途切れた広い野原一面のピンクのじゅうたんは、芝桜様の野生の小花で ”やあ今年も咲いていたのね” ととっても嬉しかった。

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キャンプ旅行 再びポルトガルへ

2012-04-23 17:45:57 | キャンプ旅行 2011-2012



上部スペイン、ポルトガルの地図でブルーの線は2004年のキャンプ旅行、赤線は2010年の旅、今回の旅は黒線で表したが良く見れば3回ともポルトガル南部だけは重複している。それだけ南ポルトガルは気候がよく居心地もよく、どれだけ居ても飽きることがない。
ヨーロッパ各地からの元気な退職者がこの地で5-6ヶ月越冬するのも当然かも知れない。

1月上旬から2月10日過ぎまでに雨が降ったのが2時間ほどだったと言うからこの国は今年の夏は旱魃になるのじゃないかとひそかに心配している。でも私たちの居る間は降って欲しくないと勝手なことを考えている私。毎日青空だけどTシャツで歩けるようになったのは2月も半ば過ぎからだった。

  

キャンプサイトから町へ行く途中の道端に、あるこの巨大な植物は下のほうから花が咲き始め、ずんずん上に進んでいるが、あまりの重さに自分の体重が支えられ無いようだ。無数の花にはミツバチが這い回って蜜を吸っている。このサイトに3週間居て、毎回町へ出かけるたびに花を観察していたが、まだ3分の2くらいまでしか花が咲いていなかった。


  

ある日キャンパーの近くの木に緑の小さなカメレオンが上っているのをドイツ人の隣人が見つけた。周りのキャンパーからもいろいろな国籍の人たちが見に来てひとしきり賑やかだった。ポルトガルにもカメレオンが生息するなんて思いもしなかった。このカメレオン、周りの騒ぎを屁とも思わず悠々と木の上まで登り、木の葉と同化してしまったので、翌朝はどうなったものかは誰も知らない。

私たちのキャンパーの後ろには誰も住んでいない英国車のキャラバンがあり、その人たちが残していった猫が居る。この猫を周りの人たちが毎日餌をやって面倒見ているらしい。その餌を狙って毎早朝、尾長にブルーのきれいな鳥がたくさんやってくる。猫としては自分の食料を奪われるのが面白くないらしい。木の上に登ってこの鳥達を狙っているが、賢い鳥は猫をからかって木の先端を飛び回り、まるでトムとジェリィの漫画を見ているみたいだった。

 

散歩の途中に見かけたポルトガルの案山子、ところ変わると案山子もこんなにファショナブルになる。まだ日の暮れない空に浮いている銀色の三日月、確か去年もこの頃に月を写したっけ。

  

オルニャオのサイトのすぐ近くには野鳥保護地域があり、散歩がてら数回訪れた。千鳥やかもめや鴨に混じって20数羽のフラミンゴが餌を食んでいる。それにしてもあの細い足で片足で立って眠れるなんて・・・・・・。


  

オルニャオから隣の町フゼタ(Fuzeta)まで遠出した。片道2時間で線路脇の真っ直ぐな農道(塩道?)の横から海までは塩田が広がっている。2月末のこの国は春の真っ盛り、野生の花が色とりどり、野鳥も多種見られる。

  

  

  

真平らな塩道もフゼタ近くになると岡のうえに真っ白の町が見えはじめ、道路と平行に走る電車は一時間に一本くらい、電車の胴体の落書きが余りにひどい。

  

  

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キャンプ旅行 アーマセル・デ・ペラ(Armacau de Pera)

2012-04-22 11:39:21 | キャンプ旅行 2011-2012

 

オルニャオのキャンプサイトには3週間いた。あまりに大きなサイトで奥行きが深く、入り口の行け受付へたどり着くまで500メータ位は歩かねばならない。それに大きな松の木がほとんどを覆っていて、テレビの衛星中継受信機を設置するのが一苦労。けれどこの町はサイトを一歩出れば一般市民の生活の場であり、スーパーマーケットも数軒あるが、毎週土曜日の港の魚、野菜市場の賑わいが素晴らしい。いつもは一緒に出歩く亭主が土曜日だけは一人で行って来いという。今までどこかで待っていると言うと気が気でないが、土曜日だけは自由に時間をかけて楽しむことが出来る。

 

この青野菜はポルトガル独特のものだそうで、千切りにした葉を袋詰めにして売っている。それはスープの具にするらしい。珍しいから買ってみたら、なかなかいける。普通のキャベツの緑の部分はよく煮込まないと青臭いか生では苦かったり辛かったりする。ところがこれは癖がなくていったん火を通すとすぐ食べられる。大いに気に入って市場の売り手のおじさんに野菜の名前を書いてもらい種を買ってきた。
今年の春はこれを植えてみよう。1990年代トルコで初めてロケットを食べてみた。その時はあまりの美味しさに2皿も食べてしまった。その翌年ヨルダンへ行き種を500gも買った。それ以来10年ほどロケットが我が家の庭で育っていた。最近ではイギリスのスーパーでもロケットは珍しい野菜ではないが当時は見当たらなかった。この葉牡丹のお化けのような野菜もヨーロッパへ広がってゆくのかも知れない。

1970年代、ズッキーニ(又はコジェットと呼ぶ)は日本では売られていなかった。珍しいものだからと金沢の両親に種を送ったが食べ方を知らせなかった。両親は借りていた大きな畑にこれを植え、どんどん育ってあんなまずいものは無いと苦情を言われた。金沢にはとてもよく似た野菜で漬物用のかた瓜がある。かた瓜は実を大きく実らせて収穫するが、ズッキーニは実の小さい,柔らかいのが身上。巨大な実があまりたくさん生って、村の人たちが見に来たそうだ。




オルニャオも飽きたからとアーマセル・デ・ペラのサイトへ移った。このサイトは8年前に気に入って1週間以上も滞在していた。昨年も来た時にWifiが無いと言われあきらめて町に近いもう一軒のサイトへ行った。このサイトは設備がよく松ノ木も少ないから日当たりが良い。冬の長期滞在者にはうってつけの素晴らしいサイトだ。でも夏は40度以上になるこの地では,住み辛いだろう。
このサイトの片隅にイギリスの国旗が翻るキャラバンがあり、住人のハリーというおじいさんと”8年前におしゃべりしたね”と言ったら”君の名前は覚えてないけどこの向かいにキャンパーが停まっていたね。”と言われた。
8年前ハリーの奥さんが癌で亡くなり、それでも一人でここに来ていた。今年で17年もポルトガルで越冬していると言う。

毎日晴天の続くある日、近くのサルガドス湖へキャンパーで出かけた。この湖はフラミンゴやいろいろな野鳥が群れていて立派な木道が設置されている。しかしベンチやトイレの設備が無くて、一日中楽しむには日陰もない。






草原に羊の骸骨があった。野犬に襲われたのかもしれない。昨年ここへ来たときはちょうど羊の出産時期で白い母羊から生まれる2頭の子羊が白と黒で不思議でならなかった。この日は羊はどこにも見当たらない。
この長い木道の脇の砂地にポツポツ咲いているのが小さな野生のアイリスで高さも10-15センチくらい。まるで星のようだ。






木道を通るバードウオッチングのグループや、自転車で走る年寄り夫婦、乳母車を押しておしゃべり夢中の若者たちなどでここは賑わっている。

 
 
3月の満月は昇ってくるのが遅く8時過ぎて遠くの岡の上に赤い月が出た。隣のペラ村の教会の塔と月だけが見える幻想の夜。



この南ポルトガルで一番珍重されているブルーダック。昨年は葦の茂みで満足な写真が写せなかったが、今回は川の対岸の葦の茂みで新芽や根を引き抜いて食べていた。この色はさすがに珍しい。

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キャンプ旅行 ポルトガルの春

2012-04-21 12:09:12 | キャンプ旅行 2011-2012

  

アーマセル・デ・ペラ の町からキャンプサイトは1km近く離れている。道端にはあらゆる野の花が咲き乱れている。3月はイギリスでも水仙、クロッカス、桜などが花盛りだろう。
キャンプサイトのプールも水ぬるむ季節になったとは言え、いまだ泳いでいる人を見かけない。すぐ近くのテニスコートでは元気な年寄りがテニスに打ち興じている。
さすが暑い国だからゴムの木が10数メーターに伸びコンクリートに負けない巨大な根を張っている。ゴムの木は観葉植物だとしか観念がないがこれほど大きくなるとやっぱりゴムを取るのはこの木だと思わせる。


  


  

町の入り口にカトリックの共同墓地がある。お墓を彩る花は全部造花で,生花は枯れるだけでなく残った水に蚊が湧くからオーストラリアでは禁止されていた。きっとこの国でも同じ理由だろうと思う。時に気がついたのが生前の写真を墓に貼ってあること。それも死者の若かりし頃の一番良い写真に違いない。


   

今年は2月になってヨーロッパ全体に寒波が襲った。特に地中海沿岸から中東にかけ大雪だった。ドナウ川が凍ったのも何十年ぶりだとのニュース。北アフリカでもアルジェリア、モロッコに雪が降った。今日3月19日のニュースではイランが雪に見舞われているそうだ。

昨年は2月に満開だったミモザの花が今頃辺りを金色に染めている。 きっと北ポルトガルではまだつぼみが固いだろう。南国の昼顔は濃い桜色で野原や土手を這っている。英国の昼顔にこれほど濃い色を見たことがない。

  

2-3月に満開だったアーモンドの花はもうすっかり散って、青い梅に似た実がつき始めた。アーモンドはこの地の特産品で秋に収穫される。殻をむいたアーモンドがマーケットでは1kg、6ユーロ(約600円)で売られている。
通りの家の庭の枇杷のみが熟れ始めた。まだ早稲なのだろうけど、枇杷がロンドンに出まわり出したのもここ20年以内。枇杷の実などまだまだ知らない人たちが多い。食べた後の実を土に埋めるとしっかり芽がでてくる。観葉植物には葉が大きすぎるけれど、もう30年ほど前一本だけ鉢植えにして前庭で育てていた。高さ1メーターくらいで鉢の大きさも一人では持ち上がらないくらいだった。
2週間のホリディから帰ってみると、鉢ごと盗まれていた。それまで枇杷など興味のなかった亭主が、枇杷の木を見るたび”あれはうちの木じゃないか”という。


  


サルガドス湖へは野原の細道を歩いて1時間ほど、道端や野原が野の花で彩られている。エニシダは巨大な潅木になり今が真っ盛り、白い花が雪のように咲き誇る。


  


  


  


  


   

左上は珍しい白っぽいミモザ。

この国で見られないのが満開の桜で、たまたまワシントンのポトマック川沿いの八重桜が満開なのをニュースで見て、我が家の周囲の桜に思いをはせた。


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キャンプ旅行 ポルトガルからスペインへ

2012-04-20 14:58:20 | キャンプ旅行 2011-2012




ポルトガルからスペインへの道はいろいろあるが、一番の近道は世界遺産の指定されたエヴォラ(Evora)を通ってスペイン国境の町バダホス(Badajos)へ抜ける道、この道は過去何度も行き来しているので今回の帰国には緑の線で道を示したい。

  

    


バダホスから昨年一週間滞在したカセーレスまで直線の近道を通る。一日450Kmを一気に走り抜けた。
この初日は相変わらずのポルトガルの春、空はぬけるほど青く国道は車が少ない。乾燥した畑はオレンジ、オリーヴ、ブドウ、コルク樫の林のみ、これがどこまでも続いている。

  


時々中世の立派な城下町が現れたりするが、バイパスを通り抜けるだけ。エヴォラの北では大理石の採石地が続き、大小の石はまるでゴミ箱をひっくり返したみたい。

  

バダホスからカセーレスへの一直線の道(EX-100)は起伏も少なく、町や村も少ないため、交通量が少なくて快適なドライブだった。

カセーレスの町の入り口で大きなスーパーに入りポルトガル、スペイン最後のショッピング。昨年スペインからポルトガルへ行った時、ディーゼルはスペインのほうが安かった。昨今のポルトガルの財政困難と石油の世界的高騰でポルトガルはこの2年ほどガソリンやディセルの値段が上がっている。だからスペインまで来て入れたのに今回はスペインのほうがもっと高くなっていた。

カセーレスのキャンプサイトで一泊し翌朝セゴヴィア(Segovia)の北東400kmのリアザ(Riaza)のキャンプサイトを目指す。
地図ではカセーレスの北から斜め直線にスペインを横断する国道N110が一番早そう。

  


3月21日は私たちの39年目の結婚記念日、空も快晴、カセーレスから35kmほどで大きな谷川を横断、このテージョ河はポルトガルのリスボンに流れ込むと聞きリスボンを懐かしく思い出しながら先を急ぐ。

    

  


N110の始まるプラセンシア(Plasenncia)の町は特別大きな大聖堂が町を圧巻している。立ち寄ってゆけないのが残念。ここから谷川に沿った道は二車線の田舎道で両側には高い山が連なりその山の両壁面が山頂近くまでしっかり耕やされ段々畑になっている。そしてここは村から村へとすべての段々畑が桜の木で、まだほとんどはつぼみだが、さくらんぼの大収穫地なのだと気がついた。
さくらんぼの実る桜の花は観賞用の桜ほど華やかさが無く、早いのは白っぽい花が咲いている。でもこれだけの山肌を埋め尽くす桜が一辺に咲いたら見事だろう。

  

道は進むに従い谷間が迫ってきて前方の山に暗い雲が湧き上がってきた。そして深い谷間の道は急激なジグザグの登り道になり、山頂の1275メータでは冷たい霧雨になっていた。

  


山頂の見晴台から見下ろす風景も、晴天だったらどんなに素晴らしいだろう。急激な天気の変化と直線であるはずの道路に驚きつつ、通り過ぎた城下町の薬局の看板の温度計が0度を示していた。

  

  

  

そこから200kmほど天気はどんどん悪くなり道路わきは雪で白くなり部分的にボタン雪が降ったりした。でも道路はぬれた状態で水蒸気が立っていて雪が積もることはなかった。

急な雪でキャンプサイトが閉まっていなければ良いがと心配しつつ午後3時過ぎやっとたどり着いた。雪は今朝から降り出したと言う。
キャンパーをサイトに停めるため指定の地にキャンパーを乗り入れた途端雪にタイヤが空回り動けなくなった。サイトの人たち数人がかりで雪の中から押し出してくれ、今夜はサイトの道路わきに駐車することにした。悪いことは重なるもので、衛星放送受信機をキャンパーの屋根に取り付けるのにソファーの上に登っていた亭主が滑り落ちて左腕を打撲皮膚の2箇所をえぐってしまった。
この39年間で最低の結婚記念日になってしまった。

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キャンプ旅行 旅の日々

2012-04-19 15:06:16 | キャンプ旅行 2011-2012



ポルトガルで特に安くて美味しいのがオレンジと魚。オレンジは12月から3月が収穫時期で2週間前このキャンプサイトへ移ってくる道中の両脇に、オレンジを売る車がいたるところに見られた。小粒のオレンジ5kgが1ユーロ(100円)大粒5kgが2ユーロ(200円)だった。数日前そのオレンジを求めて5kmほど走ったがどこにも見当たらない。たったの2週間で売れつくしたはずがないとまた5kmを行ってやっと一台のオレンジ売りの車を見つけた。
もう品薄に成ったのかもしれない。大粒5kgが2.5ユーロ(250円)だった。お土産にとも思い10kgも買ってしまった。これもキャンパーならこそ。

この大きなボニート(カツオ)は6.7ユーロ(670円くらい)と素晴らしく安い。新鮮な間に一部を刺身にして食べ、残りは皮や骨を除いて冷凍にした。この地に居る間になるべく魚を食べようと思うが、魚が2日続くと嫌がる亭主は全くの肉食人種。英国人で小魚を頭から食べられる人はあまり居ない。最近日本では高級魚に格上げされたと言う鰯は1kg4ユーロ(400円)で亭主には頭も中骨もとってオリーヴオイルでから揚げにしてやっと食べてもらう。
ショッピングに行くたびに必ず魚を2種以上買い、3枚におろして冷凍した。そんな魚で冷凍庫が満杯になりつつある。

それで冷凍食品を上手に格納する方法をここに書き置きたい。

  

ミンチ肉は買い置きにしておくと急ぎの時にも大変便利、しかしスーパーなんかのパックに入っているのを、そのまま冷凍しておくと嵩張るし解凍にも時間がかかる。だから必ず一食分づつ小分けにビニール袋に入れてのし棒かビンで平らに広げる。それを巻いて棒状にして冷凍する。大変早く解凍されるし、たとえばバーガーなどを作るとき、いためたたまねぎや人参それにパン粉、卵なども同じ袋に入れて手でもみ混ぜ合わす。それをバーガーの形にすれば容器も汚れずに済む。

是非ためしてほしい。

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8年前このキャンパーを買い入れヨーロッパの旅にでる前、亭主は糖尿病の初期だと診断された。投薬無しで食事療法をするよう言われたが、一体何が良くて何が悪いか判らない。結局3ヶ月で10kgも体重が減って骨と皮のようにやせてしまった。それで午後のおやつに市売のケーキを一切れづつ食べるようになったらまた糖尿復活、それで考えたのがこのフライパンでも焼ける砂糖なしのケーキ(クッキー)で私はこれをオリーヴケーキと名づけた。

この中の材料は個人の好みとありあわせの材料でどうとも変えられるし、是非必要なものと言えばオリーヴ油と干しブドウのみ。そして糖尿病や腎臓病の病人食にするのなら、この材料が最適だと思う。ここには漂白粉、砂糖、塩は絶対使わない。しかし美味しいケーキだけが目的なら漂白粉も砂糖、塩もご自由に。

まず小麦粉は全粒粉(ホールミールフラワーと呼ぶ。)量も適当だが2-300グラムくらい、医療用語で言うと白米や白いパン、砂糖などは消化がよく食べた分がすぐ体内に糖分として吸収される。すると急激に血糖値が上がり糖を分解するため、すい臓が大奮闘しなければならない。これを365日何十年も繰り返している間にすい臓が疲れてくる。すると糖尿が出てくる。
全粒粉には麦の表皮や胚芽が含まれ、食後もゆっくり消化されるか繊維素として排泄される。

次に小麦のぬか(Wheat Bran)を100gくらい。これは健康食品店で売っている。

  

ここにライ麦粉とあわ・ひえの粉(ミレッツ・フラワー)を適宜加える。

  

次にリンシード(Linseed)無ければひまわりの種やゴマ、かぼちゃの種など自由に。そしてアーモンドは充分加えたい。もしなければ胡桃でもよし。

  

とうもろこしの粉(コーンミールまたはポレンタと呼ぶ。)少々。これだけで甘みを取るため干しブドウをどっさりいれる。

  

オレンジ一個分の皮を千切りにしたもの。そしてこれらを完全に混ぜ合わせる。

  

この中にオリーヴ油をどっさり(全体の粉が色が変わるくらい)入れて混ぜ合わす。

  

卵3個を入れて混ぜ合わし、牛乳(スキムミルクか,半脂肪が好ましい。)を入れて耳たぶより柔らか目にする。


  

熱く熱したフライパンにオリーヴ油を少々いれケーキ種を流し込み平らにならし、蓋をして一番小さな火にして45分焼く。


  

蓋の上でひっくり返し反対部分を20-30分焼く。焼きあがったら暫らく冷まして切り分ける。Good Luck !!!

  

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キャンプ旅行 パンプローナへの道

2012-04-18 22:03:06 | キャンプ旅行 2011-2012






雪に埋もれたキャンプサイトにはとっても素晴らしいトイレやシャワー、洗濯の設備があり、スペインでも屈指の高級キャンプサイトだった。

昨夜はもう雪は降らなかったが、雪は凍ったままで、真っ白。雪雲は去って2日前までの晴天になった。

今日はパンプローナまでの300kmを行く。ピレネー山脈の近くだから昨日の雪でパンプローナも埋まってしまったかも知れぬ。







9時半ごろにサイトを出発して10分ほど走ると雪で埋もれていた畑や牧場が急に一塊の雪も見えなくなった。
果樹園には梨とアーモンドの花が満開で、ポルトガルより1ヶ月は遅い春だ。





ピレネー山脈が遠くに見えるところは高度も上がっていたのか、また道端まで雪が見られたが、パンプローナへの100kmほどは平野で若緑の牧場がすがすがしい。



パンプローナに後35kmのタファラ(Tafalla)の町を通りぬけたが、街路樹(たぶんスズカケだろう)の横に伸びた枝をつなぎ合わせ、これで葉が伸びてくると素敵な陽陰の道になる。北スペインの町では夏の暑さもこうして緩和しているようだ。

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キャンプ旅行 パンプローナ(Pamplona)

2012-04-17 14:22:42 | キャンプ旅行 2011-2012

  

  


キャンプサイトから谷川に沿った道を20分ほど歩いて村のバス停へ行き、パンプローナの町へ。バスは30分ほどで旧市街近くの大通りに着いた。
地図を頼りにカスティロ広場へ向かう。途中にこのパンプローナで一番有名な祭り(通りに荒れ牛の群れを放ちその前を走る勇気のある(または狂った)男たち)の銅像が堂々と立っていた。その横を見ると通りの向こうに闘牛場が見える。この祭り今年は7月6日から14日まで行われ闘牛場までの850メータの通りを怒り狂った牛の前を男たちが走るもの。これで怪我をして一生歩けない人もまたは死ぬ人も出るのに、全くどうしょうもない人たちだ。

一度闘牛場へ入ってみたいと思うが、牛を目の前で殺して喜ぶスペイン人たちは見たくない。この闘牛場の一角にあでやかな枝垂桜が咲いていた。今年初めての桜でとっても嬉しい。近寄ってしばし見とれていた。




カスティロ広場は真ん中に演壇か音楽壇があるスクエアであちこちに設置されているベンチはスペイン人のおじいさんでいっぱい。一つのベンチに4人くらいづつ座っておしゃべりに夢中だった。おばあさんの群れが無いのが不思議だ。

1844年に闘牛場が作られるまでこのスクエアで闘牛が行われたとの事、それも1385年から行われていたと言うから闘牛も長い歴史がある。

  

  

サンタ・マリア大聖堂は有料で外観だけで入らなかった。
この大教会の近くに、サンティアゴ・ラ・コンポステーラまでの巡礼行路が示されていた。 このパンプローナからだと800kmほど歩くことになるのだろう。

  

町の北部は高台になっていて、ここに王宮や博物館が並んでいる。王宮はどう見てもモダンな博物館様で誰も出入りしていなかった。入り口に旧市街の模型がありその写真をとっただけで、隣の博物館へ行くことにした。

  


まだ幼稚園らしい子供たちがてをつないで博物館への坂道を登ってゆく。自分の体と同じくらいのリュックを背負って歩いてゆくのがほほえましい。こんな子供たちをつれて歩く先生も大変だろうなと気の毒になった。

  



博物館内はローマのモザイクや遺跡の発掘物からモダン絵画まで5階建ての各部屋に相当数並べられ結構楽しく見て歩いた。
この中世の宗教画はどこかで見たような気がする。もしかして同じものが何枚かあるのかもしれない。
モダンな闘牛の絵はピカソかと思ったが、ホアン・バホラ(1919-2004)の作品でバダホズの画家。色彩が鮮やかで私の好きな作品。

  

この巨大なモザイクはあまりの大きさに感激してしまい、ローマ時代のものか近代のものか調べるのを忘れてしまった。あまりに完全な姿をしているから古代ローマのものとは思えない。



これはローマ時代の円形モザイクの一部で部分が紛失している。それでも色彩も形も素晴らしい。




パンプローナの町のど真ん中にあるのがシタデルと呼ばれる城砦で1571年から1645年にかけて建設された。5角形の城砦の周囲に深い堀をめぐらしてあり、スペインのルネッサンスの傑作と言われる。外壁を一周しようと思ったがあまりに大きく帰りのバス時間までに間に合わないのであきらめた。

  

たったの数時間の町の散策ではあまり大きなことは言えないが、全体としては昨年11-12月に訪れたメリーダやカセーラス、バレンシア、ザラゴーザの町には及ばない。

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キャンプ旅行 スペインからフランスへ

2012-04-16 22:45:20 | キャンプ旅行 2011-2012

3月末に無事帰国できたが、我が家にインターネットがつながったのが2週間後だったから、やっと今回の旅の最後の締めくくりが書ける。

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パンプローナからN121A山越えでフランスの国境へ向かった。山道を走っているときにキャンパーの前方に大きな鳥が見えあわてて写真を写したがピントが外れた。ちょうど道端の崖の上に着地寸前だったからチラッと見た瞬間だったが驚いたことに20羽近くの禿げ鷹みたいだった。思わず我が目を疑ってしまった。
高速で走っているキャンパーの中からではそこにカメラを向けるのも無理で、山道ではユーターンも出来ずしっかりした写真が撮れなかったのが心残りだった。
それにしてもスペインに禿げ鷹とは想像しがたい。

  

  

カーナヴィの道案内で道路はN121Bの山深くに入り込み、時々通り過ぎる村がフランスともスペインともかけ離れたまるでスイスやオーストリアの風景を見ているような気持ちになった。そしてこの日は土曜日、山道でトレーニングするサイクリストが多く自転車の後ろを追いかけることになった。それと不思議なことにこの国境付近がスペイン側もフランス側も同じくらいにディーゼルが安かったこと。まさかこの国境だけ無税であるはずがないだろうに、フランスもスペインより安いと思ったのが間違いで、カレーに向かうほどにすこしづつ値段が上がっていった。

  

  

  

ボルドーの南のキャンプサイトで一泊し、翌朝ボルドー100km北にあるオングレム(Angouleme)へ向かう。ここには昔ロンドンで働いていた頃のランニング仲間が家を買って住んでいる。帰りに立ち寄って欲しいと連絡が来ていて一泊することにし、早くついたので、オングレメの旧市街へ行ってみた。教会がそびえる小高い岡の上には戦争慰霊塔やお役所などの建物が並び公園の中にバルザックの記念表があった。
バルザックはこの町で生まれ,死後はこの町に埋葬されたと言う。

  

  


ボルドーからパリ周辺までは辺りは平野で耕作地が地平線まで続いているのに、オングレムの郊外へ行ってみると大きな川が流れ水車が廻り、夏には子供たちだけならぬ大人まで川に飛び込んで遊んでいると言う。国道だけを走っているときには見えなかった素晴らしいフランスの田舎だった。



国道を北に向かって走ると上下線ともトラックの多さに驚かされる。国内の物資の移動はやっぱりトラックがメインになるのだろう。

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キャンプ旅行 帰国 最終回

2012-04-15 17:55:50 | キャンプ旅行 2011-2012

  

フランスの友人宅ではじめて新月の近くの明るい2星が月と直線に並ぶ金星(ヴィーナス)と聞き、翌夜撮ったもの。ポルトガルでは毎夜明るく輝いている星を見ていた。

  

フランスにはシャルル・ドゴール通りと言うのがよく見られるがそのほかにも面白いのがこのような1945年5月8日通りなどと言うのがある。この日はヨーロッパでの戦勝記念日。フランスの国道を走っていていつも思うのは通り過ぎる村や町にほとんど人を見かけないこと。おまけに農場でも働く人たちをあまり見かけない。

  

パリ北西郊外のキャンプサイトで一泊,木の間に沈む夕日が印象的な一日だった。


  


フランスは国土のほとんどが広大な農地で、このような広い麦畑などを見ると豊かな国だと実感する。英国に近いカレーからドーバーへのフェリーが出ている。このカレーの町を囲むように頑丈な城砦が散在する。この晴天の午後城砦の周囲の公園で遊ぶグループが多いのに気づいた。


  


  



カレーのフェリー港の対岸に長く突き出ている堤防は魚つりの人たちでいっぱい。水曜日の午後だというのになんと働いていない人たちが多いことか。この堤防の近くにはフリーのキャンプサイトがありこの夜約50台のキャンパーが停車していた。堤防の反対側は長い砂浜が延びてここの海岸へ遊びに来るフランス人も多いと見える。キャンパーの多くがフランス・ナンバーで、英国車は翌日帰国する人たちらしい。

  

5ヶ月近くもこの国を離れていた間にまた春がめぐってきて、ロンドンへ向かう高速道路の両脇は真っ白のさんざし(Black thorn)の花盛り。土手には黄色のラッパ水仙が群れ咲き誇っていた。やっぱりイギリスの春はいい。我が家へ向かう通りは桜の花盛りだった。
昨年9-10月に手入れして裏庭の肥えた土を入れた前庭の花壇には、去年落ちたからし菜の種がいっせいに育ち、菜の花畑になっていた。これぞ花より団子で、毎日からし菜の漬物や煮つけを食べている。やっぱり我が家が一番いい。

今年はオリンピックがロンドンで開催されるから、秋までどこへ行くつもりも無くEU圏内をすべて廻ってしまったから、特に行きたいところが無くなってしまった。英国の夏を楽しむつもり、無事に帰ってこれて亭主には今回も感謝している。

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