代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

八ッ場ダムから八ッ場コモンズへ

2010年12月17日 | 治水と緑のダム
 八ッ場ダム計画に関して、展望のない「ダム観光」プランに代わる魅力的な観光開発プランが必要である。私は以前から、この地に「戦国村」を整備し、ロケ地としても活用する「時代劇版のハリウッド」にすべきと提起してきた。いま一度、そのプランを再論したい。

 ダム計画によって既に300ha以上の広大な面積の「国有地」が出現している。この国有地は、ダムができれば湖底に沈む。しかしダムができなければ、「国有=みんなのもの」として、みんなで使える共有財産として機能させることが可能である。いわば、八ッ場ダムではなく「八ッ場コモンズ(みんなのもの)」をつくるのである。「八ッ場コモンズ」とは、市民団体の八ッ場あしたの会の方々が、既に非公式に論じているアイディアで、その言葉を借用させていただくことにした。

 300ha以上もあるから、いろいろな用途に使える。「八ッ場コモンズ」の一用途としてぜひ提起したいのが、「戦国村構想」なのだ。ダム計画によって移転していった集落の跡地に戦国時代の城下町や民家を再現する。八ッ場周辺に数多くある真田氏にゆかりの深い関連城郭を復元する。

 江戸の時代劇は太秦の映画村などがあるが、戦国時代劇に関しては、それに相当する施設がない。よって戦国時代劇の撮影には金がかかり、NHK以外の民放では予算面の制約もあってなかなか制作できない。国有地であればロケ地として安価に提供できる。時代劇に必要な小道具も、ここに一式そろえて貸し出せるようにすればよい。NHKでも民放でも、映画会社でも、さまざまなクリエイター達が、誰でも使える時代劇村になる。とくにNHKの大河ドラマは、2~3年に1度の割合で戦国時代を舞台にするので、ロケ地として重宝されることになろう。
 「国有」というと、「民間活力を阻害する」などと言われるが、この場合は逆である。国有資産を広く民間に提供することにより、民間活力を引き出すのだ。

 よい映像作品はまさに皆の共有財産として、子子孫孫まで語り伝えられることになる。名作は、日本のみならず海外にも広がり、地球人類にとっての「コモンズ」となる。名作は世代と国境の壁を超え、共有されるのだ。黒沢明監督の『七人の侍』などがそうなっているように。

 これまで予算の制約から戦国時代劇にはなかなか手を出せなかった民放も、戦国村があれば戦国ドラマに挑戦可能となろう。もちろん、南北朝、鎌倉、平安など他の時代の時代劇も制作可能になろう。安い製作費で、良質な映像作品が生み出されることは、国民共通の利益となる。国有施設であるから、合戦シーンのエキストラなども全国のファンから募うことなども可能になろう。まさに皆でつくり、作品を共有するコモンズとなるのだ。

 ダムができれば、その膨大な維持管理費は納税者への負担となり続ける。ダムに水を貯めることにより懸念されている地すべり災害が発生すれば、ダムの建設費用もさらに何千億円と上昇していくだろう。水道料金も上がる可能性が高い。
 戦国村ならば、利用料金の徴収によって独立採算が可能であるから、納税者への負担になり続けることはない。そして何よりも、ここで名作が生み出されれば、自然と観光客も増え、ダム湖などよりはるかに大きく、地元の利益になり続けるのである。
 

 
    丸岩城


 この八ッ場の地ほど、戦国ロマンを掻き立てる場所も珍しい。「戦国最強」の呼び声も高い真田家の領地の中核に位置し、真田を中心に、武田・上杉・北条の群雄割拠の攻防の舞台だったからである。この歴史的景観を湖底に沈めてはならない。
 ダム予定地には、丸い奇岩の上に本丸が築かれた丸岩城が存在する(上の写真)。
 丸岩城は、岩櫃城の支城である。岩櫃城は「知る人ぞ知る」、戦国期の山岳城郭の白眉ともいえる難攻不落の名城だ。下の写真が岩櫃城である。この断崖絶壁の裏側に本丸がある。
 この二つの山城の個性豊かな風貌を見てほしい。天然の要害を徹底的に実戦のために活用しようした戦国期の日本人の精神性を見事に表象しているといえるだろう。



    岩櫃城


 ゆえに、この地ほど戦国村として妥当な場所も少ないだろうと思われるのである。何よりも、地元の人々に多大な迷惑をかけた上で収用の終わった広大な国有地がある。せめてこの土地を、子孫に迷惑を及ぼす構造物の建設のためにではなく、世界人類にとって有用な用途に使うことを考えるべきなのである。

 岩櫃城は、戦国期に真田幸隆・昌幸が二代にわたって本城とした。「戦国武将人気ナンバー1」の呼び声も高い真田幸村(信繁)も、青春時代は吾妻の岩櫃城下ですごしたのだ。今も、この地を訪れる人は、この城を称賛してやまない。
 武田家滅亡の折、城主・真田昌幸はこの城に武田勝頼を迎え入れ、織田・徳川連合軍に籠城戦で対抗しようとした。「織田vs真田」の合戦は幻となったが、「もし実際に行われていたら、やはり真田昌幸が勝ったのではないか?」 戦国ファンたちが、今でもそのような妄想をしてネットで意見をたたかわせている。それほど、この城は見事なのである。実際、真田昌幸はその3年後に徳川家康の大軍に勝利している。その真田昌幸が、最大の防御力を持つ城として最も頼りにしたのが、この岩櫃城なのである。

 ダム湖は、この岩櫃城と丸岩城のあいだを分断するようにして造られる。何とも興ざめである。ダム湖予定地は古戦場でもあるのだ。

 武田と織田が滅亡すると、ふたたび真田と上杉の間の戦闘が激しくなり、丸岩城は上杉方の手に落ちる。上州の沼田城から岩櫃城を経て信州の戸石城・上田城に行くには、この丸岩城の前を通過せねばならない。丸岩城を奪取すれば、上信二州にまたがる真田家の勢力を分断し、互いの交通を妨げることが可能になるのだ。上杉としては丸岩城は、真田を攻略するための橋頭堡としての戦略的意味を持ったのである。

 真田以前の吾妻の旧領主は、羽尾氏や斉藤氏などであった。今も長野原には羽尾城跡が残る。武田信虎に攻め滅ぼされて上州に落ち延びた真田幸隆を助けたのが、吾妻の羽尾幸全であり、上州の名将・箕輪城主の長野業政であった。歴史は数奇である。のちに幸隆は、宿敵・武田信虎の子の晴信(信玄)に仕え、信玄の命を受け、大恩ある羽尾幸全や長野業政と戦うことになるのだ。
 ちなみに最近、火坂雅志氏が、長野業政を初めて主人公とした『業政駈ける』(角川学芸出版)という小説を出版した。これまで歴史に埋もれてきた名将に光を当てた作品として価値が高いと思う。ぜひ参照されたい。

 真田に敗れた羽尾の残党は、上杉謙信を頼って越後に落ち延びたが、吾妻奪還の執念を燃やし続けた。武田家が滅びたのを好機と見て、上杉景勝の援軍を得て丸岩城を奪い、岩櫃城の真田昌幸に戦いを挑んだのである。この羽尾=真田の戦いは、吾妻渓谷を挟んでその両岸で繰り広げられた(まさにダムサイトの地!)。この合戦の顛末は池波正太郎の『真田太平記』にも取り上げられている(文庫版2巻参照)。

 国交省は、八ッ場ダム建設にあたって、こうした歴史を一切語らない。この地が「真田の史跡である」という事実は徹底的に隠ぺいされている。真田の「サ」の字でも出せば、全国の真田ファンから抗議が殺到すると思って恐れているからかも知れない。

 

   湖面二号橋と丸岩城


 さて、この構想にとって最大のネックは、急ピッチで進むダム工事による景観破壊である。とくに、この橋(湖面二号橋=不動大橋)は、八ッ場コモンズでのロケにとっては大敵となる。写真は湖面二号橋ごしに見た丸岩城である。このままダムが建設されれば、この歴史的風景は湖底に沈む。まだ湖面二号橋と三号橋のみならばなんとかなる。現在、建設中の湖面一号橋は何としても止めてほしい。一号橋まで造られたら本当にこの地の景観は根本的にダメになってしまう。



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1 コメント

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願い(公僕の皆さん・議員の皆さんへ) (拓大の地形・地質屋さん)
2010-12-18 22:51:49
川原湯の皆さんの日々の声を読んでください。
書かれている言葉以上に、57年も翻弄され、昨年は1年間も放置される扱いを受ける対立状況にした官僚の皆さん、与野党の議員の皆さん、川原湯の皆さんの日々のご苦労を想像してみてください。対立を止めて再生のための法案作りを心がけてください。

http://www.kawarayu.jp/

公僕の皆さんは、この川原湯温泉協会の皆さんの声をどれだけ解かろうとしておりますか?2~3日に1回でもアクセスするようにしていますか。このブログを読めば、板ばさみにあった方々の心情が良くわかるはずです。

今の私達がすぐにできることは何でしょうか?
周りに何といわれようと、多くの皆さんが年末年始に関わらず、残って努力されている旅館に宿泊して、ご主人達の本当の声を聞いてください。お土産を買ったり、温泉街にある「あったかくておいしいラーメンを食べたり、お弁当を頼んだりすること」が、何よりの応援になるのではないでしょうか。

公共事業に振り回され、親子兄弟、ご夫婦・集落間の人間関係まで壊される酷い思いをされながらも、大切なふるさとを守ろうと辛い中を努力されている方々をあなた達は、いつまで手をこまねいているのでしょうか。

つくるつくらないの綱引きをして、周り中が工事現場だらけにされて、誰が喜ぶのでしょう。
どうか、大臣に花を贈ったご主人、移転先の今後もどうなるか解からない中、木を植え始めたご主人、花と動物を愛して焼物を通じて個性ある手作り旅館を経営しているご主人、こけしに願いをこめた笑顔のかわいいお土産のおばさんとご子息夫婦が経営する旅館のみなさん、王湯の前をお掃除しているおばさん、紅葉も雪景色も美しくて、笑顔が素敵で自然を大切に守ってきた皆さんをこれ以上困らせないでください。つくらないと決めたら、速やかに再生に着手してください。

川原湯を大切に思う人たちなら、川原湯の若いご主人、地場産業を育成してふるさとで暮らそうとしている若い人たちを、再生が成就するまでの準備期間として、せめて、皆さんが希望する職種に公費で研修できるようにしてください。

つくれと主張する人なら、代替地の安全性の確保もないがしろに扱ってきたダム工事事務所の職員はじめ国・県・町の公務員の人たちは、どう川原湯の皆さんに説明できるのでしょうか?何度も安全だといいながら、間違ったなどと嘘は言わないでください。計算ミスなどと平気で偽りを言わないでください。
 ●●●・・コンサルタントは、九州で指名停止処分を受けていたことを記者クラブのみなさんや国交省の職員は知っていたのではないですか?
 まさかここでも部署が違うなどというのでしょうか?

嘘や偽りの約束などしないでください。
温泉街の方々の本当の声を汲み取ることを難しくするのは止めてください。

私は、責任逃れをする「お役人」が大嫌いです。保身のために既得権益にしがみつき、志のある政治家の妨害までするそんな人たちを雇用するために税を納めているのではありません。差別やいじめをするような人達を養うために税を納めているのではありません。ヘリコプターでやってきて、記者会見で傲慢な発言を繰り返す人に票を投じた覚えもありません。

ふるさとを大切に思う人たちに、あの美しかった吾妻渓谷を返してください。あったかい、ふれあいのあった川原湯の皆さんに戻してください。

国土交通省(旧建設省)河川局の歴代局長さん、天下りや横すべりをした幹部の皆さん、そのみなさんに基本高水を水増ししてダムを造れと今も言い続け、何の責任も取らない河川学者のみなさん。川原湯の皆さんを困らせ続けた上記の皆さん。あなた達は、歴史の法廷に立てますか。少しでも反省の気持ちがあるのなら、みなさんに心よりお詫びしてください。
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