代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

靖国参拝を止めて東アジア共同体を構築しよう

2005年04月27日 | 東アジア共同体
 本日は靖国問題に関する私見を述べさせていただきます。靖国問題は、このブログの趣旨との関連性も低いかなと思ってこれまで何も書いてこなかったのですが、今の状況は、もう見るに耐えられないので書くことにします。ブログにおいて、私は東アジア共同体の構築を訴えています。靖国問題が片付かない限り、決して東アジア共同体構想は実現しないと思われるので、未熟な私見ですが書かせていただきます。

 小泉首相によると靖国神社は、日本人の伝統的な宗教観に基づいた施設なのだそうです。2001年7月11日の党首討論で首相は、「日本人の国民感情として、亡くなるとすべて仏様になる。一握りのA級戦犯が合祀(ごうし)されているということだけで、死者に対してそれほど選別しなきゃならないんだろうか」という発言をしています(あの人は、神社に行って「仏様」を拝んでくるというのです!)。
 さて、小泉首相のこうした発言に対して、哲学者の梅原猛氏は、靖国神社は日本人の伝統的な宗教観に反する施設であるという立場で厳しい批判を行なっています。私もこの点に関しては、梅原氏の考えにまったく賛同いたします。ちょっとでも考えてみれば、靖国神社ほど「死者を選別・差別する」施設はないといえるでしょう。そして明らかに、日本人の伝統的宗教観に反するのです。
 
 靖国神社は、戊辰戦争で薩長側についた諸藩の戦死者を慰霊するために創建されました。「死者を選別しない」というのなら、武士道を貫いて幕府に殉じた、会津藩、長岡藩(小泉首相の好きな米百俵の藩です)、南部藩などの諸藩の戦死者、さらには新選組の近藤勇や土方歳三なども祀ってあげてもよいはずなのです。何故、「官軍」の側についた諸藩の戦死者だけが祀られたのでしょうか? 

 敵であろうが味方であろうが、死ねばみな平等であると考え、後世にまで恨みを残そうとしなかったのが、本来の日本人の宗教観であるはずなのです。
 例えば、北条時宗公が創建した鎌倉の円覚寺に行ってみてください。円覚寺は、文永の役と弘安の役の戦没者を弔うために建立された宗教施設です。しかし、その性格は靖国とは決定的に違います。円覚寺は、日本軍とモンゴル軍双方の戦没者を等しく弔うためのお寺だからです。円覚寺の仏殿には、元寇の際に戦死した鎌倉幕府の御家人の位牌と、日本を侵略した側であるモンゴル軍の戦死者の位牌が、仏の前に並んで寄り添うように置かれています。生前には命をかけて戦った関係であっても、仏の前ではみな平等であり、敵も味方もないという日本人の伝統的宗教観が見事に現れているといえるでしょう。モンゴル軍の戦没者も幕府軍の戦没者も共に平等に弔って、禍根を後世に残さないようにしようという、北条時宗公の高貴な仏教思想が具現化されているといえるでしょう。
 円覚寺と靖国神社という二つの戦没者慰霊施設を比べるとき、その歴然とした思想の差に愕然といたします。鎌倉時代の日本人のモラルの方が、現代よりもよほど高かったと言わざるを得ません。

 薩長藩閥政府が「想像の共同体」をまとめるために捏造した「国家神道」という新興宗教、ならびに靖国神社という施設は、明らかに日本人の伝統的宗教観に反するのです。薩長藩閥政府が、自分達の政権に正統性を与えようとするために、自分達に忠実に従って死ねば「英霊」であり、敵対すれば「賊」であるという脅迫観念を、日本人にあまねく埋め込もうとした施設であるといってよいでしょう。

 靖国神社は戦争の傷を癒すどころか、恨みの気持ちを末代までに引き継ぐような効果を持つ施設であると思います。その証拠に、いまだに会津の人々は長州・薩摩を許すことができずにおります。戊辰戦争の傷は現在でも癒えておりません。薩長に「賊」と規定された南部出身の政治家である小沢一郎氏も、靖国神社のこの点を問題にしていたのを聞いたことがあります。
 靖国神社は、被害者たちの恨みの気持ちが後々まで尾を引くような効果を生み出す施設なのです。ですから、日本国内の内戦である戊辰戦争や西南戦争の傷も癒すことができないのです。
 日本国内においてすらこうした状況なのですから、ましてや日本に侵略された中国、植民地支配された朝鮮半島の人々においては言わずもがなです。

 日本人の多くは、新選組や白虎隊にあれだけ共感を寄せるのですから、「敗者」「被害者」の歴史を正当に評価しようとする伝統的倫理観は消えていないと思います。それだけに、小泉首相の靖国参拝を肯定する日本人が着実に増えている事態は、私には非常に不思議なことです。
 おそらく多くの人々は、「中国や韓国に言われて止めるのが何となくしゃくにさわる」という程度の認識なのではないかと思います。ならば、中国や韓国に言われて止めるのではなく、日本人の良識と民意に基づいて止めさせるべきだと考えます。

 そして伝統的宗教観にのっとって、15年戦争(満州事変から太平洋戦争まで)の全ての犠牲者を追悼すべきです。つまり、日本軍人の戦没者だけでなく、日本と戦った中国共産党と国民党、米、英、蘭、ソ連の軍人戦没者、そして朝鮮半島の抗日パルチザンやフィリピンのフクバラハップ(抗日人民軍)など日本の占領の非人道性に抗議してゲリラ組織に命がけで参加して亡くなった人々、さらにはインド国民軍やフィリピンのマカピリ(愛国連盟)のように米・英・蘭の植民地支配の非人道性に抗議して日本軍に協力し米英と戦って亡くなった人々、そしてアジア太平洋の全ての国々で犠牲になった全ての一般市民を追悼するための施設をつくるべきだと思います。千鳥ケ淵にそうした施設をつくるのが一番よい案だと思います。

 話は変わりますが、公明党の皆さんは、なぜ首相を公然と批判しないのか非常に不思議です。公明党支持者の皆様は輪廻転生を信じておられるはずです。ならば、人間の霊を永遠に縛りつけようとする靖国神社なる宗教施設は、皆様の立場からすれば決して肯定できないはずです。あのような施設に参拝する首相にせっせと協力しているあなた方の姿を、もし日蓮上人が見たとするならば、きっと激怒されるに違いないと思います。
 
 私的なことを述べれば、私の祖父も徴兵されて中国東北部に送られ、敗戦後はシベリアに抑留されて亡くなっております。ですので、私の祖父も靖国神社の名簿に名前が載っているらしいです。でも私の家族は誰も靖国神社になど行きません。行こうとも思いません。祖父の霊がそんな場所にあるはずはないからです。親族として祖父の墓参に行くだけです。
 祖父は、祖母と幼い3人の子供達を残したまま、徴兵されて戦地に行きました。一番下の子供(私の叔母)はまだお腹の中でした。祖父にとっては、行きたくない戦場に無理やり自分を送り込んだ戦争指導者たちと一緒に、あのような施設に祀られるのは耐えられない苦痛だと思います。

 私の祖父の場合は戦場に行きたくなかったはずです。しかし同時に、アジアを欧米の植民地支配から解放しよう、大東亜共栄圏を建設しようという正義観に燃えて、「靖国で会おう」を合言葉に散って行った兵士も多いだろうと思います。そうした人々の遺族のお気持ちからすれば、靖国神社に参拝したくなるお気持ちも十分に理解できます。
 残念ながら、事実としての大東亜共栄圏構想は、それまでアジアを植民地支配してきた米・英・蘭・仏に取って代わって、日本が支配者になろうとする帝国主義的な構想だったと思います。しかし、戦地に送られた兵士たちは、そうした実態をもちろん知らされてはおりませんでした。日本のやっていることが「アジアの解放」につながるのだと信じて、それを心より願って戦地に赴いて死んでいった人々も多かっただろうと思います。

 ならば、そうした戦死者たちの霊を慰めるために私達がなすべきことは、ASEAN・中国・韓国と連携し、今度こそ帝国主義的野心とは無関係な、唯我独善ではない、共利共生のための「東アジア共同体」を構築することではないでしょうか。
 世界を貧困と絶望のどん底に突き落とそうとする、欺瞞と偽善のかたまりである米帝国の世界支配イデオロギー(市場原理主義)に対抗し、オルタナティブな経済モデルをアジア諸国の人々とともに作り上げることではないでしょうか。

 米国に屈従し、主権も放棄せんばかりに言いなりになっている首相が、アジアの解放を信じて米国と戦って死んでいった人々の霊を慰められるはずはありません。戦没者の立場からすれば、「米帝国のイヌでしかないお前なんかに参拝してもらいたくない。こんな情けない国をつくるために俺達は死んだんじゃない」と石でも投げつけたくなるだろうと思うのです。
 形式的な参拝などではなく、実体として東アジア共同体を構築し、米帝国の世界支配を終わらせることが、戦没者たちの遺志を引き継ぎ、弔うために最も必要とされる行動だと思うのです。
 
 さて、こうした主張をブログに書くと、「ネットウ○ク」と呼ばれる人々から攻撃を受けることになるでしょう。十分に論理的なコメントに関してはできる限り対応したいと存じますが、とても議論できそうもない、罵倒するだけのコメントは削除させていただきます。あらかじめご了承をお願いいたします。


最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
素晴らしいエントリー (i-demo)
2005-04-28 21:28:24
私のところでもちょっと靖国のことを書いたのですが勉強不足が恥ずかしくなってきました。勉強になりました。

返信する
Unknown (武井)
2005-06-07 22:52:44
 生半可な知識や思い込みで書かれたブログが多い中 久しぶりに読み応えのあるご意見でした。

 靖国問題は日本人の間で大議論を重ねてゆくべき問題であって、仰る通り 外国政府が自国の政権維持を目的に口を挟んではならないでしょう。外国人が意見を述べることは、むしろ歓迎すべきこととは思っています。



 靖国問題と東アジア共同体の構築についてですが、残念ながら異論を述べねばなりません。

 

 あなたの 国際情勢や社会問題 環境問題等に対する深い関心から、その大きなエネルギーを注いだでしょうこれらの問題の研究や議論 膨大な読書量を勝手ながら推察させて頂くと、あなたの靖国問題についてのご意見は限られたスペースでの この議論のきっかけを作るための挑発だと私は理解していますので 多少上げ足をとるような反論になってしまう事を許してください。



 幕末、あのような動乱の発生は 言うまでもなく「欧米諸国のアジア侵略」から日本が如何にして逃れるかが 唯一最大の理由だと思います。そしてその唯一の方法が近代的統一国家を成立させることだったのではないでしょうか。幕府を倒し明治新政府を樹立した その中心が薩長であった事は結果に過ぎないと思っています。

 そして、日本史にとって初体験となる近代国家を成功させなければ植民地になってしまうという、新政府の身を削るような腐心と懊悩を、21世紀に生きる我々日本人は軽々しく揶揄して良いのでしょうか。そのような中から「国のために命を捧げた国民を顕彰する」ことが必要にせまられたのは容易に理解できると事ではないでしょうか。

 そうであるなら 「恩賞がもらえない」と不満を募らせる事になる鎌倉武士や徳川家のために命を落とした「新撰組」 お家安泰のために命を捨てた会津他奥州諸藩士 武士階級の維持のために命を投げ出した西郷を靖国に祀れなかったのは当時として仕方のないことでしょう。

 

 薩摩の島津久光が西郷に「わしはいつ将軍になるのか」と詰問したり、孝明天皇が最も信頼を寄せた会津容保が賊軍である理不尽や新政府での薩長藩閥政治等々の不正義をあげつらってみても、これらは歴史の大きな流れそのものの方向までは、変え様も無い小さな渦にすぎないと認識しなければならないと思っています。



 東アジア共同体は、数年後に迫った中国共産党と北朝鮮の崩壊。そしてそのあとに予想される韓国 中国の混乱の度合いによっては、一世代のちに持ち越されるほど実現困難な問題だとおもいます。

 
返信する
コメントありがとうございました ()
2005-06-08 23:50:58
武井様

 丁寧に読んでくださって大変に建設的なコメントを下さってありがとうございました。

 私も、武井さんの仰せのとおり、日本があの時点で近代的な統一国家の建設に失敗していたら、イギリスかフランスあたりの植民地になっていた可能性が高いと思っております。その点、全く同意いたします。もっとも、幕府が主体となった政権が、身分制度を廃止し議会制を導入する・・・といった改革を行なうコースもあり得たとは思いますが、いずれにせよ近代的統一国家が必要だったという事実を否定するものではありません。

 他のアジア諸国がドミノ式に植民地化されていく中で、独立を維持し、工業化を成し遂げた明治政府の功績に異議を唱えるつもりは毛頭ありません。



 ただ、植民地化を回避するための必要条件は「殖産興業」と「富国強兵」だったとは思いますが、「国家神道」という宗教や「靖国神社」のような施設が必要条件だったのかと問うと、私は「そんなことはなかった」としか思えないのです。

 むしろ国家神道や靖国神社の存在は、近代合理主義の精神が発達するのを妨げる作用を及ぼしたのではないかと思っています。



 また東アジア共同体に関しては、「一世代のち」であっても建設の方向性を支持していただけるのであれば、大変に嬉しく存じます。

 もっとも私は、ドル暴落を契機とする米国一極体制の崩壊は間近いと思っていますので(北朝鮮の崩壊よりも近い?)、東アジア共同体はもっと早く実現すると考えております。戦略的・実利的なリアリズム思考から「米国についていくのがベストな選択」と考えている人々も、米国に追従することで日本も沈没してしまうだろうことが確実になった段階で、考え方を修正せざるを得なくなるのではないかと思っています。

返信する
まちがいありません! (toriyaです。)
2005-06-09 20:25:18
 興奮しています。そうとしか想えません。私はこの数日間。特に今朝からヨーロッパの独自通貨からおもいを深めていました。

 生き残る方法は、これしかないと共感します。

 今の打開策としては、総ての面においてこれしかないでしょう。

 ただ、残念なのは私たちが気づかぬばかりに、脳ミソがたどり着かない現実が大きな壁と障害になる(そんな事出切るもんか!)事です。

 でも、代案を考えると活きつくのはヨーロッパに学べというとても簡単安上がり実行しやすい道にたどり着きますね。

 いや~まだまだわが〇〇は、捨てたものではごじゃりませぬ!

 大変失礼しました。お互い時間の許す限り頑張りましょう。(笑顔)希望が沸きました!
返信する
靖国問題について (武井)
2005-06-10 02:09:47
 関さん こんばんは。誠実なお答えありがとうございます。 



私が最も虚しく感じる時の一つが、「民族主義」「国粋主義」「社会・共産主義」「現実主義者を装ったコスモポリタン」「宗派宗教の教義」はもちろんのこと 「平和主義」「人道主義」でさえも、それらをまるごとぶつけてくる人々と費やす議論の時です。「人権」「平和」「差別」「搾取」などのたった一つの言葉が 歴史上の事実や現在進行中の現象を 犬が身震いして水を弾き飛ばすような勢いではねつけてしまうからです。文字通り 水掛け論という事態になるのです。

 そのようなことも踏まえて、改めて感謝いたします。



 前回、異論を述べさせてもらいましたが 国家というものの成立が当時必要であったという前提に立って「靖国問題」を議論できるのであれば、私が敢えて申し上げました「歴史という大きな流れの中の小さな渦」に加えて、廃仏毀釈やキリスト教弾圧は 昭和に入っての抑制の効かないアジアに対しての侵略的行為や軍国主義 日本の崩壊の遠因となった、実に大きな問題として取り上げなければならないことだと思います。そして日本の短所を見極める上でも大事なことだと思います。日本人が自ら進んで誠実に議論を重ねることで正しい結論が導き出せると信じています。



 ただ、何度も言うようですが いかがわしい動機をもった外国政府の圧力を利用した 異様な思想を振り回す日本人との不毛な議論が、もう一方の偏狭なナショナリズムを刺激して それをもまた前者が利用するなどという事態だけは避けなければならないと思っています。日本人の大いなる智慧が、今こそ試されるのだと思います。



 アジア共同体について 機会があれば詳しくコメントさせて頂ければと思っています。

返信する
ありがとうございました ()
2005-06-10 23:32:45
toriya様:

 toriya様のブログでも建設的な討論がなされているようで大変に嬉しく思います。やはり、郵政民営化支持者は、この間のマスコミが広めてきた「郵便貯金→官の肥大化→ムダな公共事業→財政破綻」という図式をなんとなく正しいと思っているだけの方が多いようですね。これは、米国人が日本の個人金融資産を米国に流し込むために考え出した巧妙なプロパガンダでしたが、日本のマスコミは完全に洗脳されてしまいました。

 将来必ずや、マスコミ各社に対し、この間に彼らが行ってきた無節操きわまりない扇動活動の誤りを認めさせてやりたいと思います。

 それだけに、「役に立つ公共事業」のあるべき姿を、そして「官に依存しない、郵貯・簡保の資金の民主的な運用法」を積極的に提示することが、何よりも求められていると思います。頑張りましょう。

返信する
武井様ありがとうごじました ()
2005-06-11 00:10:44
武井様:

 私も、右と左を問わず、教条主義的な思考をする人々との討論は虚しいと感じることが多いです。日本の「右」と「左」は、精神構造はあまり変わらないと思います。



 司馬遼太郎氏は、明治期の合理主義的な思考をする日本人と、昭和初期の精神主義一辺倒の思考をする日本人を比べ、「とても同じ民族とは思えない」と述べておられたと記憶しています。日本人がそのように変わってしまった要因の一つは国家神道の存在だったと思います。明治政府が犯した些細な誤りの一つが、昭和になってからの暴走の遠因となったように思えます。私は歴史学者でないので、具体的な史料で考証することはできませんが、直感的にはそのように思えます。



 最後に、武井さんが述べておられた、「不毛な議論が、もう一方の偏狭なナショナリズムを刺激してそれをもまた前者が利用する」ことを避けねばならないというお考えには、心から賛同いたします。

 私が知っている本当の意味での憂国者である中国人は、「中国共産党の保守派と日本の右派は、お互いがお互いを利用して、つまり実質的に共同戦線を貼って、日中双方の穏健派・国際派を叩き潰し、偏狭なナショナリズムを煽り立て、勢力を伸張させようとしている」と深く嘆息しています。

 中国共産党の保守派は、中曽根首相(当時)の靖国参拝を口実にして、胡耀邦総書記(当時)を失脚に追い込み、勢力を伸ばしました。結局それが天安門事件の悲劇につながったと思います。胡耀邦氏が失脚していなければ、中国の言論空間や民主的空間ははるかに広がっていたでしょうし、今のような日中関係の悲劇もなかったでしょう。

 今度は、日中両国の国際派が手を握って、両国で偏狭なナショナリズムを扇動する人々を逆に追い込んでいかねばならないと思います。

 
返信する
Unknown (武井)
2005-06-11 04:44:20
関さん こんばんは。早速のコメント有り難うございます。



薄々 感付いていらっしゃるでしょうが 私は基本的に議論を好みません。勝つ、負けるの議論のことです。当事者として 第三者として、また傍観者として数え切れない議論の場に接してきて、その種の議論の多さに辟易としているところがあるのです。関さんが司馬遼太郎の名を出されましたが 彼が自分の小説の主人公に「議論に勝つことは 相手の名誉を奪い、その恨みを買うばかりで益が無い」とよく語らせています。現実社会において、それは一面の真理なのでしょう。自分は人とは違う、特別な存在でありたい、人に認めてもらいたい 人間の「さが」なのでしょうか。私も含めてですが。だからと言って「世の中こんなもんさ」と拗ねて ふて寝を決め込むつもりも毛頭ないのですが。



 私も日本人です。日本の風土や文化 歴史、またその中で同じ日本語を話し善良に暮らす日本人に対して 我が子を抱きすくめる時のような もう若くない父母の手をとる時のような愛しさを覚えます。

 しかし だからと言って「民族主義者」になる訳にはいきません。「世界の良心が手を握り協力する」以外に安定した世界を人類が手に入れる方法はないはずです。日本人だけが繁栄と幸せを手に入れることなど有り得ないのですから。当面 私が必要としている事はは、どうすればその様なことが実現できるのか。そしてその方法論を探す議論であって 教条主義者や「自分は特別な存在」主義者と議論をしている暇は無い というのが正直な気持ちです。



 個々の考えは違っていても 関さんとは有意義な議論が展開できるのではないかと 勝手ながら思わせて頂いています。

返信する
また是非コメント下さい ()
2005-06-12 01:34:53
武井様

 是非、他のいろいろな話題に関してもコメントを下さると嬉しく存じます。

 ブログ上で、日本の進むべき道に関して建設的な討論ができることは何より嬉しいことです。
返信する
Unknown (552)
2010-06-11 21:40:36
チベット仏教、キリスト教、イスラム教、法輪功を中国憲法に反して不当に弾圧してる中国が首相閣僚、議員、地方の首長などの靖国神社参拝を非難する資格は全くありません。靖国神社の事はは国内管轄事項なので中国が非難することは国際法の内政不干渉の原則に反しています。日本国憲法第20条信教の自由(信仰の自由,外部布教の自由)があり首相、閣僚、議員、地方の首長などにも適用されます、つまり、彼らも信教の自由があるので靖国神社に参拝しようと憲法違反でもないし、法律違反でもありません。ただ、1つ言えるのは中国がガス抜きの為に靖国神社を非難し、国外においても宗教弾圧をしようとしてることです。片方では中国国内のチベット人やウイグル人の民族自決権を否定し、宗教や文化や思想を弾圧してるのに、片方では首相の靖国神社参拝を非難するのはダブルスタンダードです。まずは中共から改善すべきです。中共が改善しないなら、基地害な中共とは断交して台湾と国交を回復すべきです。 日台一心同体 Japan and Taiwan with each other.
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。