代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

2014年新年のごあいさつ ―過去をふりかえりながら

2014年01月01日 | 政治経済(日本)
 新年あけましておめでとうございます。

 参院選が終わってから、もうブログも止めてしまおうかと思っていた。特定秘密保護法が通って自発的に閉鎖するブロガーも多いと聞き、「それこそ彼らの思う壺じゃないか」と危機感を抱いて、続けることにした。元来が天邪鬼なので、人が自主規制モードに入ると逆の行動をとる。

 私の周囲でも、国外脱出を真剣に考える人々が増えてきた。それが可能な方々は、そうした方がよいのではないかと思う。あまりにも今の状況は危険すぎるからだ。ただ、私は倒れるまで抗い続けたい。

 すでに多くの方々が指摘している通り、あまりにも1930年代に酷似してきた。

 
  関東大震災(1923年)   東日本大震災+原発事故(2011年)
     ↓               ↓
  治安維持法(1925年)   特定秘密保護法・国家安全保障会議(NSC)設立(2013年)
     ↓               ↓ 
  世界大恐慌(1929年)   米国デフォルト・世界大恐慌(?)(?年)
     ↓               ↓
  満州事変(1931年)      第二次日中戦争(?) (?年)


  
 いったいどうしてこんなに酷いことになってしまったのだろう? 年頭に少し過去を振り返ってみたい。
 
 1989年に東西冷戦が終わったとき、私は大学一年であったが、未来への希望を一瞬抱いたものだった。全面核戦争の危機は遠のいて、地球環境問題など全人類的課題に一丸となって取り組むことができるようになったのではないかと。
 
 しかし冷戦終結は、米国型資本主義の世界布教、金儲けのためには何をしてもいいんだという、強欲資本主義への先祖返りの引き金を引いてしまった。

 1990年代に入って、米国発の「規制緩和・自由化・民営化」礼賛の嵐が展開されるようになった。一切の異論を許さないそのイデオロギーのプロパガンダに、私は恐怖し、思った。「こんなことになるくらいなら東西冷戦が続いてた方がまだマシだったんじゃないか」と。

 市場原理主義イデオロギーの世界布教の帰結として、1997年のアジア通貨危機に至った。アジア域内ではグローバル資本主義に対する懸念と、その修正を求める声が高まった。米国発の市場原理主義に対抗するためのアジア通貨基金構想や東アジア共同体構想が生まれてきた。

 「自由・人権・民主主義」という価値観など、腐敗したグローバル資本主義の布教の論理に堕してしまった。もっと深遠なアジアの共通の価値観 ―「仁義礼智信」に回帰し、強欲資本主義を戒め、東アジア共同体を構築すべきだと、私も微力であるがブログで訴えてきた。

 しかし、東アジア共同体のような試みをアメリカの軍産複合体が許すわけがなかった。アジアを分断しようという米帝国の攻撃は強まり、対立は深まるばかりであった。

 1998年に出版されたサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』を読んだとき、「こりゃやばい」と思った。そこには、「日本が西欧から離れて中国との和解に向かうのを遅らせること」がアメリカの国益だと、ハッキリ表明されていたからだ。
 『文明の衝突』が書かれた前後から、日本では華々しく中国・韓国を敵視する右派論壇が開花し、みるみるうちに日本は右傾化していった。いったい宗主国からの工作資金はどのくらい動いたのだろう?

 『文明の衝突』は、イスラム圏を主要敵とすることにより、クリントン政権時代に予算を大幅に削られて苦しんでいた軍産複合体を復活させようという目論見の表明であった ― 実際、その後の世界はそのシナリオに沿って動いた。中国に関しては、当面の主要敵とはしないものの、アジアを分断して中国の台頭を遅らせるという戦略が書かれていた。あれは「予言の書」などではなく、「覇権国の力で世界をそのように変えねばならない」という決意表明の書だったのだ。

 対テロ戦争の泥沼化やラテンアメリカの「北米化」の失敗など、ハンチントンのシナリオは失敗に終わった部分も多いが ―実際ラテンアメリカは急速に離米していった― アジアの分断に関しては見事に成功したといえる。
  

 小泉政権時代、首相がいくら長州(靖国)神社を参拝しても米国が何も言わなかった理由は明らかであろう。小泉首相の長州神社を参拝すればするほどアジアは分断され、それは米国の軍産複合体の長期戦略に合致したからだ。アメリカの沈黙は、東アジア共同体を流産させるための戦略だったのだ。
 

 しかし、ここに至って米国が安倍首相の長州神社参拝の批判を始めたということは、軍産複合体の戦略が変化していることを意味している。それは米国の覇権の衰退と表裏なのだ。
 これ以上、日・中の緊張が高まるのは、米国にとっても得策ではないとブレーキをかけるようになったのだ。日中戦争が勃発したとして、日本が負ければ、アメリカのアジアにおける権益はすべて失われてしまう。米国としては、そんな危険な冒険はできない。

 アメリカの軍産複合体が当面日本に期待することは、日本の防衛費を増額させて兵器市場を拡大すること、集団的自衛権を認めさせアフガニスタン等対テロ戦争の最前線に日本の自衛隊を送りこんで、米軍の兵力損耗を減らすこと。そのシナリオゆえに、安倍政権は米国にとって有用であり続ける。よって当面は延命させるだろう。

 宗主国が日本を中国と戦争させるという軍事的冒険に踏み出すとは思えない。しかし歴史はシナリオ通りには動かない。偶発的に何が起こるかはわからない。
 
 米国がデフォルトないし米国債暴落、つまり世界大恐慌という事態になったとき、どさくさ紛れて軍産複合体がアジアで戦争を起こして一儲け・・・・といったことを考えないとも限らないからだ。
 先の大戦もそうだったのだが、資本主義が発狂して暴走を始めると、戦争にまで突き進んで、破壊の限りを尽くさないと止まらないようなのだ。
 
 最悪のシナリオを回避できる可能性はあるだろうか?

 東アジア共同体の構築。引き続き、米帝国崩壊後の世界がソフトランディングするためには、有用なシナリオだと思う。しかし日中間の対立がここまで深まってしまうと、修復は難しいだろう。胡錦濤・温家宝政権の頃は中国の指導部はしっかりしていたし、大丈夫だと思っていた。彼らの舵取りを危ぶむこともなかった。しかし習近平になってから中国もかなり危ないように思える。

 アメリカの市民革命。アメリカ型資本主義は断末魔だ。この先、長く続かないことは明らかである。同時に、日本の政官業学報の利権複合体も続かないことは明らかだ。
 米国が、ウォール街や軍産複合体やモンサント等1%の人々の独裁国家でなくなるのであれば、いくらでも仲良くしたい。アメリカでも日本でも、もう耐えられないと覚醒している人々は確実に増えている。日米両国民にとっての共通の敵は、日米を牛耳る1%の利権複合体である。
 国境を越える人々の運動が、世界の1%の横暴に規制をかけ、彼らから徴税し、その富を再分配するしかない、非現実的と言われようが、妄想と言われようが、それしか解決策は見当たらない。
 
 
 


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4 コメント

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不可抗力とは・・・ (renqing)
2014-01-02 23:42:01
ブランダイス判事はこういったといわれる、
「不可抗力なものとは、しばしば、抵抗されなかったものに過ぎない。」
アイザィア・バーリン『自由論』みすず書房(1971年)、P.293

本年もよろしくお願い申し上げます。

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抗う術はまだ多い ()
2014-01-03 09:32:48
 あけましておめでとうございます。
 靖国史観マトリックスの記事、笑えました。今年も、彼らのやっていること笑い飛ばしていきましょう。自主規制モードがいちばんいけないことです。
 二度目の歴史は喜劇でしかないのですから、早々に幕引きにして、本当に面白い別の歴史をつくりましょう。
 
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トラックバック有り難うございました (大津留公彦)
2014-01-08 05:08:21
早速TB有難うございました。
ブログ読ませて頂きました。
素晴らしいブログに出会った感じです。
知識の深さに感心しました。
今後とも宜しくお願いします。
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今後ともよろしくお願いいたします ()
2014-01-08 12:34:09
 わざわざこちらのブログにまでコメン下さり、トまことにありがとうございました。
 TPP交渉の中止・解散目指して頑張って参りましょう。今後ともなにとぞよろしくお願いいたします。
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