みみかほう

こころの耳をすませて すてきな果報にであいたいとおもいます。

✿柘榴坂の仇討

2014年09月29日 | ✿映画
あの日、
あの雪の日、
安政七年三月三日、季節外れの雪の中、
どちらが善でどちらが悪か、とか
どちらが正義でどちらが不義か、とか
そういうものはありませんでした。
討たれた方も、討った方も、国を憂う気持ちは同じです。

この物語は、あの日
そう、桜田門外の変のその後の、お話です。

以前観た「桜田門外ノ変」で、たくさんたくさん、学びました。これは史実に基づいたお話でした。
今回の「柘榴坂の仇討」は、フィクションです。





解説・・『鉄道員(ぽっぽや)』など数多くの著作が映画化されてきた人気作家・浅田次郎による短編集「五郎治殿御始末」所収の一編を映画化した時代劇。主君のあだ討ちを命じられた武士の不器用な生きざまを通し、幕末から明治へと時代が激変する中、武士として、人としての誇りと覚悟を持って生きる侍たちの姿を描く。監督は『沈まぬ太陽』などの若松節朗、音楽を映画音楽の巨匠・久石譲が担当。『壬生義士伝』などの中井貴一が主人公を熱演し、阿部寛、歌舞伎役者の中村吉右衛門ら実力派が共演する。

あらすじ・・安政7年。彦根藩士・志村金吾(中井貴一)は大老・井伊直弼(中村吉右衛門)に仕えていたが、登城途中の桜田門外で水戸浪士に襲われ、目の前で主君を失う。主君を守り切れなかったことを悔やむ金吾だが、切腹も許されず、藩から仇を討てとの命が下る。それから13年の月日が経った明治6年。明治政府が仇討を禁止する状況で、金吾はついに最後の仇のひとり・佐橋十兵衛(阿部寛)を探し出す。十兵衛は“俥(くるま)引きの直吉”として名を変え生き永らえていた…。





原作は浅田次郎の短編集「五郎治殿御始末」所収の同名短編小説。
中井貴一演じる志村金吾は、あの日、主君井伊直弼を守り切れなかった。
切腹も許されず、仇を探しながら生きた13年間は、あまりにつらい。
阿部寛演じる佐橋十兵衛の人生もまたすさまじく孤独。


13年後に、対峙した二人は、
お互い、死に場所を探していたことを知ります。

金吾は、
歩みだすことも、遁れることも、死ぬことすらできずに、討たれた主君のかたわらで、13年間ずっと立つ尽くしていた事実を
悟り、
そして、直吉は、
やはり13年の間、踏む出すことの困難な垣根のきわに座り続けていたことを
悟る。


ネタばれは、しませんよ。ご安心を~


「国を憂うる者の無私の心情を、おろそかにしてはならぬ。それを踏みにじって断罪を下せば、命をかけて国を憂うる者がいなくなる。」
とは、この物語で一番、こころに残ったセリフです。

武士道とは、恩顧に対して奉り、義をもって報いること。
それぞれの武士の一分。
武士はなんと不条理な世界に生きていたのでしょう。






*襲撃者達
関鉄之介(水戸浪士。現場総指揮。斬り合い不参加、京に向かい諸国潜伏の後捕縛、文久2年(1862年)斬罪。享年39)
岡部三十郎忠吉(水戸浪士。検視見届役。斬り合い不参加、京に向かい諸国潜伏の後後捕縛、文久元年(1861年)斬罪。享年44)
稲田重蔵正辰(水戸浪士。闘死。享年47)
山口辰之介正(水戸浪士。重傷負い自刃。享年29)
鯉淵要人珍陳(常陸神官。重傷負い自刃。享年51)
広岡子之次郎則頼(水戸浪士。重傷負い自刃。享年20)
佐野竹之助光明(小普譜。自首後、傷により死亡。享年21)
斎藤監物一徳(常陸神官。自訴後、傷により死亡。享年39)
黒澤忠三郎勝算(水戸浪士。自訴後、病死。享年33)
大関和七郎増美(水戸浪士。自訴後、文久元年(1861年)斬首刑。享年26)
森五六郎直長(水戸浪士。自訴後、文久元年(1861年)斬首刑。享年24)
蓮田一五郎正実[84](水戸浪士。自訴後、文久元年(1861年)斬首刑。享年29)
森山繁之介政徳(水戸浪士。自訴後、文久元年(1861年)斬首刑。享年27)
杉山弥一郎当人(水戸浪士。自訴後、文久元年(1861年)斬首刑。享年38)
広木松之介有良(水戸浪士。2度西へ向かった後、文久2年(1862年)鎌倉・上行寺墓地で自刃。享年25)
海後磋磯之介宗親(常陸神官。潜伏後、菊池剛蔵と改名。天狗党の乱に参加、維新後警視庁・水戸県警察本部勤務。明治36年(1903年)没。享年76)
増子金八誠(水戸浪士。京へ向かった後各地に潜伏し、1881年(明治14年)没。享年59)
有村次左衛門兼清(薩摩浪士。重傷負い自刃。享年23)

*彦根藩側
井伊掃部頭直弼(大老。彦根藩35万石藩主。享年46)
岩崎徳之進重光(伊賀奉行。負傷、帰邸後死亡)
小河原秀之丞宗親(小姓。負傷、帰邸後死亡。享年30)
加田九郎太包種(騎馬徒士。闘死。享年31)
河西忠左衛門良敬(剣豪。闘死。享年30)
日下部三郎右衛門令立(物頭。負傷、藩邸で死亡。享年39)
越石源次郎満敬(負傷、帰邸後死亡)
沢村軍六之文(闘死)
永田太郎兵衛正備(闘死)
朝比奈三郎八(無疵、帰邸のため入獄、文久2年(1862年)斬首)
朝比奈文之進(無疵、帰邸のため入獄、文久2年(1862年)斬首)
小幡又八郎(無疵、帰邸のため入獄、文久2年(1862年)斬首)
小島新太郎(無疵、帰邸のため入獄、文久2年(1862年)斬首)
長野十之丞(無疵、帰邸のため入獄、文久2年(1862年)斬首)
藤田忠蔵(軽傷、帰邸のため入獄、文久2年(1862年)斬首)
水谷求馬(無疵、帰邸のため入獄、文久2年(1862年)斬首)

*襲撃関与者達
金子孫二郎教孝(水戸浪士。郡奉行。首謀者。京への途上伊勢四日市にて捕縛、文久元年(1861年)斬罪。享年58)
高橋多一郎愛諸(水戸浪士。小姓頭取、矢倉奉行。首謀者。大坂にて自刃。享年47)
高橋庄左衛門諸恵(多一郎の長男。大坂にて自刃。享年19)
有村雄助兼武(薩摩浪士。次左衛門の兄。薩摩藩とのパイプ役。金子・佐藤と共に京に上る途上、薩摩藩兵により捕縛。切腹。享年26) 
佐藤鉄三郎寛(水戸浪士。金子と共に伊勢四日市にて捕縛。追放刑。後に『佐寛筆記』を記した。1915年(大正4年)没。享年80)
川崎孫四郎健幹(水戸浪士。郡吏。大坂で連絡係。自刃。享年35)
小室治作(高橋に随行、自刃)
大貫多介則光(高橋に随行、捕縛後獄死。享年26)
山崎猟蔵恭礼(薩摩藩士との連絡役、捕縛後絶食死。享年33)
島男也竜雄(笠間藩士。高橋に随行、捕縛後1861年獄死。享年53)
小野寺慵斎(土浦藩士。兵学者。参謀の一人。1861年自刃)
宮田瀬兵衛(水戸藩士。変後に一味だと熊本藩 細川邸へに自訴、獄死。享年47)
木村権之衛門(水戸藩士。計画に参加、江戸で薩摩藩との連絡役。変には直接参加せず帰藩した。文久3年(1863年)3月26日死去。享年40)

*その他の者達
飯田左馬忠彦(国学者。同事件への関与を疑われて囚われたために抗議自殺した。享年62)
滝本いの(関鉄之介の愛人。元吉原谷本楼の妓。鉄之介の潜伏の手助けをした。鉄之介を追う幕吏に捕らえられ伝馬町牢で拷問後、獄死。享年23)
佐久良東雄良哉(京都妙法院の武士。高橋多一郎・庄左衛門を匿ったため捕縛、絶食死。享年50)
後藤権五郎輝(水戸藩郷士。変には関わっていないが元一味。広木松之介を名乗って自首。文久2年(1862年)江戸・伝馬町の牢で獄中死。享年32)






↑桜田門外の変にかかわった実際の人物氏名、
もう一度、列記しました。

映画では井伊直弼を襲撃した浪士たちを「国士」とよび、
(国士とは・・その国を憂い、その国のために私財を投げ打つなどして貢献する人のこと。憂国の士とも呼ぶ。)
自訴後、切腹。となっていますが
実際には、やはり、斬首。なのですね。


柘榴坂の仇討9月23日鑑賞




・・









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6 コメント

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博学多識 (ピースオレンジ)
2014-09-29 16:56:29

” 武士は食わねど高楊枝 ” ではありませんが、
「 武士はこうあるべき 」 というような
「 武士に躾け 」 というか、 「 武士の心構え 」 というものが
そのころは風習や仕来りとして
当たり前だったのかもしれませんね。

タイトルが 「 耳果報 」 というだけあって、
はなこころさんは、いろんなことに詳しくて博学ですね。

返信する
Unknown (都月満夫)
2014-09-29 17:02:59
武士道、仇討は今も日本人の心のどこかで生きているのかも?
だから感動するのかも。
目線を変えると、武士とヤクザの世界は構造が似ています。
だからと言って、ヤクザを肯定するものではありません。
会社組織だって・・・^^
したっけ。
返信する
はなこころさま (Hawks Fan)
2014-09-30 08:06:10
野球があんな調子なのと、野球がない日があったので溜まっていたDVDをやっと5枚見ました。

はなこころさんのハイペースな映画を見ることにはついて行けません。

いつも行動力には感心しています。
返信する
( ..)φ(ピースオレンジ)さんへ。 (はなこころ)
2014-09-30 09:34:31
少し、誤解をもたらした。
と、作者はおっしゃっています。
武士道は死ぬことと見つけたりは
社会を庇護する軍人、社会を造り斉える施政者である武士は、おのれの身命を惜しんでならぬ
ということ。

私は、武士の生活
藤沢周平さんの小説で学んでいます。

この
「柘榴坂の仇討」の浅田次郎さんにも
感銘を受けました。
返信する
( ..)φ(都月滿夫)さんへ。 (はなこころ)
2014-09-30 09:37:53
最後の仇討は
秋月の乱
ですよね、
臼井六郎。
日本史上最後の仇討をした 人物として知られる元秋月藩の武士。明治に改元される幕末最後の年に、藩内の政治 的対立から暗殺された両親の仇討ちを13年後に果たした。

この13年
をヒントにされたのかな。
浅田次郎さん。
返信する
( ..)φ(Hawks Fan)さんへ。 (はなこころ)
2014-09-30 09:40:08
「桜田門外ノ変」を観て
「柘榴坂の仇討」を観ないのは
完全な片手落ちです。

討った方の言い分、討たれた方の言い分、
かなしくて
すごい
時代だったのですね・・・
返信する

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