青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
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速記掲示板 その六百六

2022年03月18日 19時09分39秒 | 投稿

起源は謎である膨大なる科学性欲、そして依拠先利器は不明との科学思想はこうした間への来訪者との対話をしつらえてくる。
私達はこうした機を看過は出来ない。
そして、至りいくべき、妥当な合意点を眺望出来ない。
ここで過ごす時の目的をどのように鋳造していくべきであろうか。
分からない。
途方に暮れてしまう。
私達が現在の勤務先に在っての、長い時にわたる沈思が紬ぎし、思想の編纂意欲群の丁寧配列への、下品眺望無きようにとの高速思考上注意の数々へは、この間での対話の機はどういった連関を唱えゆくであろうか。
何も無き、との断定が既に容易だ。
沈思、思想編纂意欲との連関を、高速思考駆使が不可避の対話が何も紡ぎいきようにはない。
即ち、人間文明と連関する思想と、何の連関も無い、連関観念を紡ぎいきようにはない、鈍重にして時に身勝手に高速なる、霧状欲望への即応隷従を選びし利器の想像図面の描画を試みゆく機に資す他は無い。
何故、利器は顕現せしであろうか霧状欲望の人間達の日々に。
これから未来にかけて、過去在りしらしき異常顕現の再発を招来せずべく警視意欲を増幅す、がここでの機にとっての目的の候補であろうか。
ともかくだ。
私はここでの対話を四度経て、こうして至ってしまった深い当惑思考とは、不可避であったとの確信もまた、不可避だ。
では次の対話に臨みいくに当たり、この不可避当惑を不可避的に足場に選びつつ、没入してしまう対話時思考とは如何なる素性であろうか。
浴びし当惑の霧を明ける、何らかの扉と鍵の役目を果たしいくであろうか。
私の勤務先と回線を繋ぐべしとしたらしき、この間の過去の経緯を知りたいところだ。
何故、こうした霧状捉えの時が私の勤務先を襲ってきたのだろうか。
この世界には属さぬ、何者かによる、科学性欲投下実験・・・未来に再び起き得るとして、私達には抵抗の術を配剤する力は無い。
無い、のだ。
かくなる霧状対話の間の始祖との、堀川の膳食猛禽なる白鶴、慨嘆にとっての巣の島への抗いの小舟術などは。
何もかもを俯瞰す、この笑徳の鳥は降り立つ先は即、成山荘。
文明理性への意外な猛禽宿は地下。
依拠利器は、バケツ傍のバイトへ向かい、動く床のみとのkaiten-sushi barの科学性欲は、皿のメロン、ステーキ、イチゴ、ハモの蒸し焼き、ウナギ、スイカ、マグロ丼、キウイ、サーモン丼、かしわ丼、アサリ丼、カニ飯、イクラ丼を、膳食として選ばずであったオーストラリア人大勢lumbersの食後の寸志を、イギリス人authenticのcarelessな逡巡満つ視神経と指に変える、との想像を確かに生む。
成山荘はいちいち、南米産やらロシア産のば仕入れおる事実を、authenticは一顧だにせん設定のを。
対話後に、理性が投げ置かれゆくであろう、慨嘆の沼への事前眺望は続く。
他の眺望ごとに向けての、折るべし紙飛行機は残りを数えるのが、苦痛になる。
しかし、他の眺望ごとへの眺望衝動は現況に関する分析思考が沸かせてしまう。
これの素性は、書籍をめくる指と目の能率が同期しての快楽に描写を求めてしまう。
そして、一判明ごと、思考にとっては結論的な、強力なすがり先ごとを、取り合えずは得てしまう。
対話の機にとっての先行文明とは、書籍をめくる指と目の能率同期快楽を、碩学泰斗の栄典能力として全く栄光視せずであった、また市井当然のたしなみとの、温泉街の足湯に浸からせるままであった、との憶測の硬質度とは、かくかくしかじか。
・・・切りが無い。
際限を、見えず続けであると見なす自我は確かに在るのだが、・・・理性にとって健全参照先風体の情報が複数並び、慨嘆の投げやり先判定、かつ侮蔑からの知的救済への義侠心沸かせとの不得手造形人形判定の同象限情報が複数並び、確定的なる愛着視野先と思われる湖沼ほとりの古ぼけた水車風景情報と、健全学生にとっての洗練なる携帯型パソコン、滝流れ庭園併設茶店、美味への戒め型ヨモギ饅頭、ここらから近し電気店、文明にとっての洗練背広の輪郭伝えが、鷹揚に、芳醇に、住まいし人生を、非傲慢に、温かに誇ってくる。
書籍をめくる指と目の能率同期快楽にとって、これらを侮蔑する未来に至る必要は在るであろうか・・・。
すぐに問いへ答え能う自己とは在らずは当然なのだ。
こうした状態に至った理由は分かっている。
訪問者が、夢から目を覚ましいく刺激を考案すべく、肉体血流が走る太首の中に、素朴にはなく、攻略的思考の頭部を突入させたからだ。
何者なのだ、対話の間や訪問者にとっての、始祖とは。
何故こうも、確実に野放図である、しつらえ事万象への、しつらえ苦労伴わずの在り様を、人間に抱擁させいこうとしたのだ。
科学性欲をいずこぞに、放ちし者の素性とは一体何なのであろうか。
ようやく、これに可能となった指摘がある。
何も、考えずであった。
科学性欲、始原的、在りの起点に於いては。
これの膨大係数から、すぐさまの判明として、この世界に放ちし者も同様に、何も、考えずであった、との指摘が立つ。
即ち、この世界にとっては忌むべき、壮大な失態の筈。
人間が編みし思想を脅かし得る、人間揺籃文明を、丁寧にお探ししていた日々にあり、これ程、甚大な危険要素に遭遇する事になるとは・・・ただ慨嘆しかない。
もはや、容易に成立するとの憶測がある。
そこに揺籃さる人間とは、“人間をどう思っているのか”との底流する思想を敷衍刺激するが如くの、情動刺激上、危険な芸能台詞の問いへ、何と答えられない筈だ。
何とも、思ってはいない、を問われざる続けの、脳内衝動、常時効率的満足人だからだ。
このような人間とは、思想からは最も遠くへ、人間営為によって追いやられていくのだ。
無関係なのだ。
ただ、文明的ではあるも、ひたすらに非人間なのだ。
首の中のファーストフード熱量混じりの血流と、苦悩文学を肌身で知る青春の頭部による、相互の嫌い合いを、何故か知っていないのだ。
潔癖さを維持する美学のレベルがずっと100なのだ。


【歌ってみた】melt / Covered by 花鋏キョウ【TK from 凛として時雨】 


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