対話の機とは、科学思想の健全性を私達が維持していこうとする思考を、鈍麻させゆこうとある、と俯瞰出来る。
そして、対話の機を無視しても是、との判断を私達は選ぶ事は出来ない。
では、回避は不可能である対話の機の後に在っては、如何にして思考を健全に立て直しいくか、の術を、どのように事前準備しておくべきであろうか。
対話の機に臨むにあっての、事前の警戒事や、事後に向けての計らい事は数多い。
・・・途方に暮れてしまう。
・・・ふう。
知的含意を一切帯びずの疲労の溜息となると、ああいった憶測を帯びいく他は無い、科学性欲まみれの先行文明は如何に、的確な慰安指南を着想させ得たであろうか。
この憶測推移は、次に如何なる硬質確信項目、例えば先行文明に於ける価値不明商品を撮影しての利便性と希少性、価格即時表示目的携帯端末の存在密度を知的描画しゆくであろうか。
この問いを攻略しゆく、一程度の高さの足場が、岩のなだれ込みであったとしても、成った感じがしたならば、攻略を試行する事で、思考を健全に立て直しいくかの術の、準備法に資しゆく妥当性を発見していく事は不可能であろうか。
・・・・・・私が過ごしている、苦慮思案の時とは、人間思想を、科学性欲直参配下の自動走行の床から守護しゆくべくの職務とは、有縁、無縁、いずれなのか。
その答えは真実なのか。
私の現在の苦慮思案の時とは、既に科学性欲直参配下、自動走行の床の上での瞑目座禅・・・か・・・。
ただ、出会いいく先は、有翼の猛禽時給学生の前、頭部内部での“的”観念の相互融合の限り。
人間に自由であった、非物理なる、観念的核融合。
学生的、銀座の寿司店的、頭部にて算術式駆使にての惑貪瞋痴の堀川白鶴的、法力の高しめにいそしむ廊下から地下の蜜舐め坊主の速記真言、表書き参詣記帳の時的、全てはいずれ青龍神界鏡で喰われるエサとの笑徳ごとなので無問題、的。
何とでも、のたまえるのだ。
がてら、眼前の指と脳を繋ぐ視神経は既に、的の相互融合の先、これが次に的と融合しゆくべくの美味芳香の調味に忠実。
私は今、何に忠実なのであろうか。
何らかの相互融合に向けての、美味芳香の調味とは、人間思想を首内の血流から脅かしゆく、科学性欲直参配下の自動走行の床を、胃として認めゆくべくの、ただ遮二無二の時、一可能性なのであろうか。
私の現在の思考は既に、脅かされているのだろうか。
止まらない、のだ。
何故、なのだ。
その故を、追う。
そして、それは新たに、何か止まらず事を、気付かせてくるのみ。
何なのだこうした時とは。
あ、新たな判明事だ。
常識を、大無視だ。
この論外事が、過去、科学性欲大降臨の地、前後ではびこった筈・・・だ・・・。
では、対話の機の前後、とにかく常識を増強しゆく、何らかの思想を丁寧に洗練しゆく可能性を確保出来たならば、対話に臨みいくに当たっての、人間思想守護職務上の不安をある程度・・・。
ふう・・・、との溜息すら・・・収奪されゆく先とは、終わりの無い、核融合思考的の時だ・・・。
どうすべき、か・・・。
一秒すら、脱却が許されない。
句読点を置けないのだ。
起点は何だったのであろうか。
それは、来訪者と彼らが嗜好しゆく良俗の間に満つと思われる大量の日常挙動を、常識分子構造、八方細密充填に閉じ込めての、思われ事、の追及思考だった。
日常挙動のみにとってではなく、彼らのあらゆる非作為性の近傍にて穿孔、内装されゆく、真剣沈思企画意思を・・・尾行、内偵しゆく営為だった。
それは、想念への想念による、辺測定の試みであり、目盛設定時の疲労は重き、わだかまりを二者間に、不可避的に招来する事になる、と事前予見すべき象限にある。
危険な事であるが、他に手立ては無かった。
私達による、人間思想調査意欲の健全性と、この広間へ来訪しゆく彼ら一様なる無意味思考への耽溺からの救済経緯を確保するには、だ。
そして私は未経験なる、南北が直結なる回遊廊下に歩行思考営為が追いやられる事となった。
彼らとの対話の機にとっては、どういった選択、手立てが他に正解だったのだろうか。
分からない。
この機とは一体如何にして出来しゅったい、したのだろう・・・か。
・・・始まった。
回遊廊下歩行思考が。
答えへすがりつきゆく思考はある程度の発見ごとを見出しいく推移をもたらし、これは他の視野と絡み合う事で、鮮度印象の良い、攻略的視座を確信させゆくであろう。
何故、何もかも、この機への接着振る舞い思考へは、心地良い報酬の実が生っているとの、大樹の枝なのだろうか。
・・・これだ。
これこそが、今度こそは、あらゆる問いへの、一結論的視座に該当しゆく筈だ。
人間の全、失敗へ、情けない泣き声を装いつつ、知的哲理風体の結論を浴びせかける主体は一夜、市井へ忍びし、皇太后にて、一週間以内に固定化しゆく失敗回避方策は、伝家の宝物解釈法との璽奥を夫から溶かし盗みゆきしとの、京のあらゆる女の声が、遮二無二、完成を主張。
全失敗の土が一カ所に集まっているその花壇に、次は嘘の勇敢さを装う知的哲理風体結論を浴びせかけゆく術は、作為にては人間文明は編集は不可能の筈。
必ず、非作為性、濃厚象限に在る。
真剣である、思想間口論が近傍に開設しゆく、隠密なる、無意味義憤霧散会話室なら、無数なる、いかがわしい、浴びせかけ事を担当可能。
七度以上の浴びせかけの後に、土に生えゆく心地良い報酬の実の大樹が、対話の機周辺に立つ様とは、少なくとも三本以上・・・。
この数及び、対話の機の頻度から敷衍ふえん、妥当な思想間口論の規模とは、無数の文明、即死後の流出血液、分配論争が、俯瞰上成立なる妥当題目。
何故、無数の文明、即死・・・。
何故、・・・。
分からない・・・。
恐らくは当該、無数の文明、分からない・・・、との自然な頭蓋輪郭、遠方視野上慨嘆を、無視し続けた異常な、分かりいきの力、京曰くの“おしみいぬかさ”、漬物周囲の糠ぬか、との、臭い女ながら脳のまとわりつき観念に樽が満たされ続けたる、断固、キュウリ、壬生菜みぶな、との漬物現物一切が伴わずながらの、・・・まとわりつき経緯、主張の樽。
嘘だ。
漬物現物が埋まっておらずの糠樽が何故、蓋を開けた突如、臭い女ながら脳、まとわりつき経緯を、俯瞰上主張し得たのか。
如何にして。
そして当該、文字式で成立らしき糠樽文明群は何故、即死へ至ったのか。
こうした憶測へ至りいく推移の規模から敷衍さるに、根源とは、いかがわしいの始祖、大嘘、これ在るのみ。
何故なのだ・・・。
過去、この世界に漏れし科学性欲の規模、及びその現象への完全無視事実の成立を鑑みるに、糠樽文明群、即死の故、大嘘を招来せしは、大破壊とこれの後の大後悔との推移。
世界大補修能力や権限を備えし、宇宙視野への眉間、北極星が地球の地軸が如くの酩酊足取り軌道の後の、瞑目を覆う両手縫う涙。
然るに、この宇宙への北極星君臨推移との、理系的把握公言からは憚られる、絶頂脳波波形をもたらせし雌雄については、糠への、引き籠りキュウリの相。
こんな頭と、涙腺の緩さの相関に知的修辞が帯びいかないアホとは、必ずだらしない、へっぽこ交尾が生む。
この二者以前を辿るには、二者にとっての大人生、大銘柄動態が必要。
かような、この世界の大過去に関し、控除的に容易成立となっていきしは、論難を網掛け漁の網素材として暗い海に投げて船に揚がる推論を、足場台座に重ね置いて見える、船室での口論の人影。
成立推移に於ける、思考上狂喜視野、ついでに強固確信ごととは、私が出会いし対話の機に端を発する、回遊廊下歩行思考の対象と、何らかの図形的交合、倫理的整合を果たすであろうか・・・。
即座の断定とは容易だ。
有り得ない。
何者もによる牽制や監査を、完全無感知であり続けし、北極星権力、ただ宇宙への大落下軌道が、宇宙に成層圏観念を招来しての、大熱波との事態規格のみが、私が暫時至っていった、科学性欲の沼での思考歩行のぬまりから知的に観察さる、天文館の天井上映映像と添付字幕。
然るに、この世界の人間とは守られては、いない。
何から、そして何者のご義務によりか、については、把握をする意欲は無い。
とにかく、守られてはいない。
大いに、激烈に。
私達人間とは、科学性欲そのものたる成山荘地下の自動走行の皿床と、指、視神経、これら一体との川面の白布を舟として乗るバイトから、人間思想を守ろうとすべく、在りいくべきだ、との哲理を無謬、無挑戦なる百科璽奥書籍の表紙文字と仰いできた、と人々の遠方から広域へ、断定の光を私は一方的に投射していった。
故に、私は定まっていた思考の手筈に従っていった。
長い文章から成る要望事に於ける、科学性欲への致し方の無き隷従描写、科学思想上の厳密作法、最近の過去より鋭敏なる、科学性欲への懸命な抗いの手足の様、これらの項目に挟まれては、断固濃淡の知的操作は不可能である、人間的疲労描写について、自己の察知に任せる。
これは、自己の自我から、心臓拍動が如くの自律神経の態様にて、毎秒地、眉間を跳ね返り、戻りいく。
文明の葉緑素を強欲に寄り行ってしまう、この察知は必ず、人間思想への寄り沿い度、ひいては幼いアキレス腱観念を無視した乱暴な屈伸運動履歴を、私に提示する筈。
寄り沿い度と乱暴な屈伸運動は、必ず履歴書の紙質の表裏をそれぞれ占める。
乱暴な屈伸運動は、肉体理解上の幼さを意味する。
私の眼前で、寄り沿い度と乱暴な屈伸運動の二者が相互に対し、歪であった、または操作形跡を残していた場合にあっては、察知任せの時が、必ず察知していた。
科学思想が無いながら、人間思想を誇大に語りたがったらしき、総務省官権の数が多い。
対話の機への来訪者が嗜好せし良俗を見るにつけ、察知したのがこの特徴だった。
初めての事だった。
何なのだこれは。
私が、人間思想の在り様に付き添って来た思考の手筈に従った結果がこの判明だった。
そこで、察知を総務省官権に指向させていった。
そして至った先が、回遊廊下歩行思考だった。
つまり、人間思想を科学性欲から守るべくの思考手筈とは、こうした履歴を覚える事になった。
他者、同輩より先んじてこうした対話の機に臨むに至り、人間思想を守ろうとしたならば、同輩に対しては、既に自覚を完了せし無明拡散因子の様を無言ながら、自己警戒していくべし。
これでは、人間思想を科学性欲から守るべくの思考手筈との自覚は、この履歴との相克により、対話の機、これの適当霧散因子へ陥ってしまうのは確実。
ああいった対話の機を、無言ながら推奨していくとの、政治姿勢の選択とは、何故なのだろうか。
危険なのだ。
あの対話の機とは。
人間思想にとっては、望ましからぬ科学知見上良俗のみが、題材なのだ。
一連を察知した上での、対話の機への集団警戒を敷くとする。
次は当該、科学知見上良俗を陰から、巧妙に賞賛せしめゆく、無指向性、溶岩濁流、賛美映像、象限が、遮二無二、対話の機を判定する議事堂の与党として君臨しゆくは必定。
どうするべきなのだ、人間思想とはこの機に及び・・・。
【歌ってみた】melt / Covered by 花鋏キョウ【TK from 凛として時雨】