以下はデュャンステュャンスプックゥスピュフゥー星人が考案した
“理知的指示経由式指示予期的刺激付随心理効果による理知的人間集団心理起伏平坦化のための理知的指示の連続手法“
の概略です。
何らかの指示を予期せざるを得なくなる状況的刺激を理知的な人間集団にまず与えます。
予期通りに次の指示がその人間集団に下る際、ある心理的刺激が伴います。
その心理刺激とは、初めの状況的刺激によって発生した、ある心理的戸惑いを緩和するものです。
そして人間集団が二番目の指示に基づき為した行動の完了時にもたらされる心理的安堵感が、二番目の指示に伴った心理刺激によって緩和出来なかった戸惑いの残量を全て緩和してしまいます。
これで、初めの指示によって発生した戸惑いが、予期通りに下った次の指示と抱き合わせの心理刺激と、その二番目の指示の遂行完了時の心理的安堵感によって緩和されてしまったという事になります。
その人間集団は発生した戸惑いのこのような段階的緩和を見て、以下のように考えます。
“私達は理知的組織内に於ける上位集団の配下として理知的な職務遂行がために維持していた心理状態が、非合法権力の介在が全く無いまま自然に乱され、理知的に予期していなかった心理刺激(指示と抱き合わせの心理刺激)と、自分達の理知的な職務遂行努力の結果の組み合わせによって回復を見た。”
理知的組織に属していながらも、このような心理の起伏が通常に起き得るという履歴を学んでしまい、理知的指示によって起き得る心理起伏について不満を抱きにくくなるという事です。
これで正当な所以で経験する心理起伏に対し、当該人間集団はやや従順になった状態と言えます。
次に、予期通りに下った二番目の指示と抱き合わせの心理刺激によって予期せざるを得なかった三番目の指示が、やはり予期通りに下されてきます。
ところで三番目の指示と抱合せの心理刺激の全てとは、これまでの指示と心理刺激によって発生した心理起伏に対する従順さの性質を無気力に変えてしまいます。
まず、三番目の指示とはこれまでの指示で成し得た理知的な職務努力の成果について、それを達成するために要した等量の心理負荷を以ってして、変質させるものなのです。
”一、二番目の指示で運んだ荷物を元の倉庫へ戻せ”というものです。
つまり三番目の指示の“伝達段階”による心理刺激とは、一、二番目の指示の理知的努力の成果とは、次に来る四番目の指示の成果にとって使い捨てなのであったという慨嘆です。
当該人間集団にとって、一、二番目の指示に対する真摯な努力と成果、それに起因した心理起伏の経験は時系列の中で仕方の無いものでした。
そして三番目の正当な指示の伝達による、一、二番目の指示の成果の否定も時系列として正当な所以を備えています。
これで心理起伏の発生とその後の慨嘆は仕方の無いものという理解が浸潤します。
その人間集団には、“私達は所詮、上位集団の配下眷属組織だ、外的条件による心理起伏の発生は仕方の無い事だ。”
という心理起伏に対する無力感が浸潤するのです。
そしてその人間集団は上位集団からの指示に対し、発生し得る心理起伏の予期に基づいた心理的忌避感の程度が著しく低下するのです。
この一連が三番目の指示の“伝達段階”の心理刺激を意味します。
次に、当該人間集団は以上の推測と心理刺激の伝播の後に、三番目の指示の“遂行段階”に移行しようとします。
その際にも別の心理刺激が発生します。
“これまでの当惑や安堵といった心理起伏の霧散が為されたが(無力感の発生)、それは三番目の指示の達成によってではなく、指示の”伝達段階“に於いてであった。
その段階に於いて自分達が経た心理起伏の後に無力感を得てしまった。
指示の完遂による成果を見ないまま、人間が忌避する心理負荷について結果的に肯定的と見なされる心理効果を得てしまった。
それは当惑、安堵そして当惑と安堵の起伏、これらは自分達にとって仕方の無い事であるという理解が、理知的組織に属していながら上位組織の指示の伝達段階に於いて共有されたという事である。
言わばこれから発生する当惑は理知的職務において不可避なのだというある種の達観だ。(これが肯定的な点)
そしてこれは指示の遂行に於ける心理起伏に対する無抵抗とも換言出来る。“
三番目の指示の遂行に移行する際の心理効果とは、理知的社会に於ける上位組織への隷下状態での無常観の発生なのです。
上位組織からの指示の伝達による心理起伏など仕方の無い事なのだという言わば諦観です。
三番目の指示の遂行完了と抱き合わせの心理刺激の説明は以下です。
自分達が経てきた心理起伏とそれに対する諦観とは五番目の指示のための前座であったという理解の図絵です。
これは三番目の指示の遂行完了時にやっと見えてくるものです。
三番目の指示はそのような性質のものだったのです。
ところで、三番目の指示とは数字の三を冠していますが、人間心理が潜在意識下で求めてくる外的世界の表彰記号を糸口とした内的世界の安定した循環状態が本能的に好印象を抱く数字が三であります。
(詳細は風水知識、引いては霊的世界の窓口と重なっているため省きます。
この辺の知識の編集無き伝播は地球文明に不可逆的変化をもたらすため危険なのです。)
理知的社会という外的世界からの理知的指示による心理起伏に対する諦観を得てしまったという、外的刺激による心理石膏の乾燥的状態に於いて当該人間集団の内的世界が、三番目の指示において強力に安定してしまうのです。
そして四番目の指示の伝達段階の抱き合わせの心理刺激とは以下です。
それは四番目の指示の達成成果は、五番目の指示の抱き合わせの刺激により全く意味の無いものとなるであろうという理解の伝播による無力感の追加です。
この四番目の指示による心理刺激の伝播がなされれば、本来理知的な当該人間集団は上位集団組織の傀儡と成り果てます。
人間の心理の起伏を喜びの方に発生させたまま状態を放置しておくような指示が連続四回下されない限り、その人間集団は政治的指示の伝達という全く正当且つ理知的な経由で、理知的社会において上位集団組織の完全な操り人間であり続けるのです。
傀儡状態を避けるには、既述の心理起伏の連続発生を見抜き、指示を回避する事です。
指示を回避出来ないならば、その上位組織の操り人形と成ってしまいます。
この人間集団心理理論を用いれば、政党といった政治家集団や業界団体、官僚組織、資本家の連合、情報媒体業者などいかなる理知的人間集団でも傀儡とする事が出来ます。
出来上がった傀儡集団は責任の押し付け、身代わりの出頭、時間稼ぎや陽動作戦の捨て駒を企てるなどの際に於いて有用です。
絵馬
二千七百二十七青字