「デモイン」級重巡の2番艦である USS「セーラム」についてお話ししています。
「デモイン」級の最初の2隻は戦時中に企画が始まっていましたが、
建造中に終戦を迎え、2隻は海戦の思想の変化の波に色々と設計変更を加えられました。
3番艦の「ニューポートニューズ」 CA-148は起工が1945年11月と
完全に戦後体制の中で生まれた最後の重巡洋艦です。
「セーラム」はアメリカ海軍で初めて主砲の自動装填装置が加えられた艦ですが、
「ニューポートニューズ」は
アメリカ海軍で最初に空調装置が搭載された艦
ということになっています。
これは直接戦闘とは関係ありませんが、大きな一歩だったんではないでしょうか。
逆にいうと、それまでの艦って、空調設備なかったんですね。
まだしも外に出れば風に当たることのできる部署はともかく、
エンジンの音轟々と鳴り響きボイラーがが発する熱のこもった艦底にも
空調設備がなかった、というのはもう考えただけでぞっとしますね。
1949年に就役したあとは、1962年のキューバ危機でキューバ北東に待機し、
ソ連のミサイルがキューバから撤去されたのを確認する仕事をしています。
なぜ「ニューポート・ニューズ」について書いているかというと、
「セーラム」艦上でこのような銘板を発見したからです。
1972年10月1日、ベトナム戦争中に海岸地域の掃討作戦を行ったのですが、
彼女が非武装地帯で活動中、8インチ砲の2番砲塔で連続爆発が起こりました。
補助フューズに欠陥があり、発射時に砲弾が爆発したのです。
wikiには(日本語のページにはこのことは言及されていない)
この爆発で19名が死亡し、10名が負傷した、とありますが、
ここに書かれている犠牲者の数は20名。
3基砲がある砲塔内には30人いたのではないか、と考えると
wikiの数字は間違いであると考えるのが良さそうです。
重傷者がその後亡くなり、その一人を勘定に入れず記録が残ったのでしょうか。
この爆発では艦底近くのバレル本体が前方に吹き飛ばされるほどの被害を受けたので、
破損したマウントを、すでに予備艦になっていた「デモイン」(CA-134)
またはこの「セーラム」のいずれかのそれと交換することも考慮されたのですが、
それには費用がかかりすぎるということで、結局損傷は修復されないまま、
「ニューポート・ニューズ」はターレットを閉鎖して帰国することになりました。
ということは、最後まで第二砲塔なしで稼働していたってことなんでしょうか。
さて、艦尾側の甲板から前に向かって全部見てきたので、
ここで階段を一段だけ上がってみることにしました。
なんと!
主砲砲塔の中に入ることができるように、木のデッキがあります。
もちろんわたしにとっても中に入るのは初めての経験。
ちなみに、今から入るのはこの上の砲塔の方ですので念のため。
8インチというのは20.3cmのことです。
デッキは両側に段があり、見学者がスムーズに流れるようになっています。
それでは中に入ってみます。
これが砲塔の中だなんてこの写真から信じられますか?
テーブルがあり椅子があり、居住スペースとしても十分。
何よりこの明るさは一体・・・・?
外から見るとこんなことになっているとは全く想像できません。
パネルや計器のあるこちら側と、実際に砲弾が装填される装置は
透明のアクリルで仕切られていて、こちらから操作するようになっています。
自動装填装置を取り入れたというのはこういうことなんですね。
もちろん、砲塔の中にもエアコンが効いていて、
夏場に皆が裸で作業をしなければならないということはなくなりました。
砲が一度稼働し始めたら、この部屋?全体が目標に向かって回転し、
まるでディズニーランドのアトラクションのようになります。
アクリル板はもしかしたら一般公開に当たって上から人が落ちないように
設置されたものかもしれません。
一応下に落っこちないようにもともと柵があるみたいですけどね。
さて、これが装填装置と砲の後ろ側です。
発射体を乗せるトレイが雨どいのように発射口に繋がっています。
トレイの右側にあるのが装填のための機械でしょうか。
部分を拡大してみました。
左にあるのが「パウダー(火薬)トレイ」。
自動装填装置になって初めて、軍艦で火薬を「袋」ではなくケースに入れ
それを扱うということになりました。
これが右側に倒れ、中身だけが装填されると(どうなるのかわからず)
右側の銅色のトレイに火薬のケースだけがカラで残されるというわけです。
銃口の上の丸いのが(おそらく) Breech Block。
日本語では「銃底」あるいは「ボルト」と称している部分で、
発射薬が燃焼する間、チャンバー(薬室)の後部をブロックする
銃器類の機構部品で一般のことです。
ところで、この写真をよく見ると、ブリーチブロックの左に
弾薬を押して突っ込むための棒が見えますね。
主砲は完全自動ってことになってたと思ったけど・・・。
電源パネルも文字通り「パネル」で薄い板状です。
「プロジェクタイル・ホイスト・コントロール」
「パウダー・ホイスト・コントロール」
「プロジェクタイル・クレイドル・コントロール」
「パウダー・クレイドル・コントロール」
など、ここで装填の全ての電源を扱っていたことがわかります。
1から25まで番号の打たれたダイヤルが並ぶパネル。
一つ一つのダイヤルは1番砲かあるいは2番砲のトレイなどを細々と操作するもの。
今のように一つのパネルで全てをやってしまえるシステムがなかったってことですね。
二つ穴の空いたボードは何かの蓋のような気がしますがわかりません。
左の木材は、砲身が詰まった時に使います(たぶん・・・違うかも)
艦の状況がわかるコンピュータ。
アナログコンピュータはフォード製でした。
弾薬を装填しているところ。
「セーラム」は自動装填方式が取り入れる前で手動で行なっています。
射撃が終わった後の薬莢はネットに溜まっていきます。
全てが終わってから甲板にガラガラガラッと落として後始末していました。
とにかくものすごい音がしたでしょうね。
こちら使用後、甲板に薬莢が転がりまくる甲板の光景。
偶然直立してしまった薬莢あり(右上)
安全のための装置がここに集まっている模様。
異常が起きた時のアラームベル、電話、異常を知らせるランプ、
そして天井近くの赤いレバーはスプリンクラー。
ところで今ふと気づいたのですが、「ニューポート・ニューズ」で爆発し
吹っ飛んだ8インチ砲の「第2砲塔」って、まさにここのことだったんじゃあ・・・。
まず、稼働中の「ニューポート・ニューズ」の2番砲。
まさに今見ているのと同じ場所の砲です。
これはベトナム戦争での一コマで、悲劇の起きる直前です。
白黒写真ですが、撮影の時光が写り込んで炎(みたいなもの)が甲板に見えています。
事故が起こった後の砲塔。
これでは中にいた人ひとたまりもなかったでしょう。
むしろ何人か怪我で済んだという方を奇跡というべきかもしれません。
現在階段とデッキがつけられて中に入ることができるようになっていますが、
乗組員たちはこれにも確認できるハシゴをよじ登って砲塔に上がったようです。
砲塔下部の「バレル」部分。
この記事にも死亡者が19名とあるので、wikiはこれを見たのだと思われます。
「爆発によってバレルそのものは前方に吹き飛んだ」
ということだったのですが、それがこの写真で確認できます。
向こう側に転がっているのは装填する前の発射体であろうと思われます。
文中には
「爆発によってフットボール二つ分の厚みのある鉄が吹き飛んだ」
とありますね。
別の装填装置。
これが当然ですが三つ並んでいるわけです。
外に出て見ると、同じ階の艦橋寄りに、対空砲である
がありました。
木材部分の劣化に比べて塗装がやり直してあるせいか、妙に綺麗に見えます。
航空写真で甲板を見ると、主砲二つの後ろに1基、両側に2基。
砲の位置関係はこうなっております。
今の軍艦はこの三つの役目をCIWS1基がやってしまいます。
俯瞰で見ると左舷側に配置されている5インチ砲がこちら。
この中身は確か「マサチューセッツ」で見たことがあります。
1934年から使用が始まり、駆逐艦級の主砲、大型艦の対空砲として
スタンダードになっているので、いわばどこでも見ることができます。
就役してすぐにその名前の由来であるマサチューセッツセーラムに
「表敬訪問」をした「セーラム」は、訓練と調整を済ませた後、
最初の任務として地中海艦隊の旗艦を勤めました。
この時に前任だった「ニューポート・ニューズ」と交代し、
後任を1番艦の「デモイン」に譲っています。
また、その後の地中海クルーズでも前任は「ニューポート・ニューズ」でした。
同型艦であるため、この三姉妹はこうやって同じ配置を交代しあうことが
よくあったということなのですが、末っ子の「ニューポート・ニューズ」が
戦争に参戦し、事故とはいえ「戦死者」まで出しているのに比べ、
「デモイン」と「セーラム」は演習と支援だけで、ほぼ一度も
戦闘を経験しないまま、平和な一生を終えています。
姉二人は日本の重巡洋艦を打倒することを目的に設計されたのに、
日本との戦争が終わってから生まれた末娘は、
姉たちが全く予期しなかった敵と戦って損害を受けたのです。
これを皮肉と見るか、「常に戦争をしてきた国」に生まれた軍艦として
姉たちが単に幸運だったということなのか・・・。
続く。
砲は、弾薬を薬室に装填、閉鎖して、撃発させた時に発生する爆風で弾丸を発射します。閉鎖が完全だと爆風が弾丸を飛ばしつつ砲口に抜けるので安全ですが、不完全だったり、閉鎖前に点火してしまったりすると、砲塔内で爆発事故(暴発)が起こります。重い弾丸を何十キロも吹き飛ばすだけの爆風を至近距離で浴びるので、死に至るか、よくて重症だと思います。
それだけの爆風を受け止めるものなので、かなり大掛かりです。16インチ砲の発射時の砲塔内の動画がありました。https://www.youtube.com/watch?v=MTW_xpK-Twc
始まって1分までに二度、発射音がしますが、三連装なので、この砲以外の砲を順番に発射している音が聞こえます。1分くらいで、弾丸を装填し、次に装薬包を3つずつ2回装填し、トレイが跳ね上がって、最後に下から尾栓が現れ、砲を閉鎖する様子がわかります。
セーラムだと8インチ砲なので、直径はこの動画の半分になりますが、尾栓とはかなりガッチリしたものだというのはわかると思います。
デモイン級の8インチ砲の自動化は、この動画だと装薬包を3つずつ2回装填していますが、これを金属製の薬きょうに変更したものです。
装薬包は、火薬が一杯に詰めた缶で危険です。砲塔内で電灯等から火花が出れば、一気に爆発することもあるので、火薬を薬きょうに詰めてしまい、安全性を高めたのがデモイン級の8インチ砲です。
デモイン級で初めて艦内に冷房が入ったとのことですが、我が国でのお初は大和型戦艦なので、ちょっと先だったのですね。
冷房は居住区画が主です。ボイラー室にはなかったと思います。ボイラー員がボイラー室にいるのはワッチの数時間だけのことで、慣れてしまうとそんなに不快でもありません。
ボイラーは空気を吸い込んで燃料を燃やして蒸気を発生させます。そのため、ボイラー室に入るハッチの傍にいると常にボイラー室に空気が流れ込むので、結構な風量(女性がゴム等でまとめた髪がばらけるくらいの風圧があります)を感じます。
石炭焚きだとそうは行きませんが、重油焚きの船だと、一旦、出港して、速力が安定すると常にボイラーの前にいる必要はなく、定期的に様子を見に行く時(大体15分毎)以外、ボイラー員は「結構な風量を感じる」ところで待機しています。
ボイラーの暑さは、サウナのようにカラッとしている(アメリカ西海岸等、日差しが強いところでずっと日向にいる感じです)ので、熱いボイラーの傍から「結構な風量を感じる」待機場所に戻って来ると一気に汗が引いて、なかなかの快感です(笑)
Mk16はそれまでの層成砲から単肉の自緊砲として開発された。
ロックリングで砲身本体とライフルが加工されたライナーを締め付けて固定する方法であった。
初期30トンあった8インチ砲の重量は、この砲で16.68トンに軽量化されている。
完全な自動装填とするため、尾栓は長年のダウン・スイング式から垂直鎖栓式に変更された。垂直鎖栓式は鎖栓が上下するだけで砲尾を閉鎖できるので、発射速度を上げられるのが特徴だが、従来の螺式尾栓のように砲尾にねじで締めつけられていないので、薬嚢では発射ガスが後方に漏れてしまい使用できない。必然的に発射薬が金属容器に入った薬莢式になる。よって本砲は分離薬莢弾である。
発射間隔は6秒であり、装填は41度から-5度まで全ての角度で可能である。
弾と薬莢は砲の耳軸付近に上げられたのち鎖栓まで移動し、一挙に薬室に装填される。
射撃は砲の発射スイッチを押している限り続けられ、空薬莢は砲身の下に設けられたケース・エジェクター・シュートを通って砲室前方の砲身の下に自動的に排出される。
1門6人で操作するようになっており3門で18名、砲塔長等がいるので20数名が砲塔内にいる事となる。
私の勝手な推定ですが「ニューポート・ニューズ」の2番砲塔の中間砲が1972年10月膅中爆発を起こしたとの事ですがエネルギーは破裂した部分から放出されるはずであり砲塔内に逆流する事はまれであると思います。
破裂した部分が砲身の根っ子の部分のようでありエネルギーの一部が砲塔の砲開口部から入り内部にあった薬莢等に火が移ったのかもしれません。
詳しい記述はありません。
2番砲塔を換装することもできず、真ん中の砲身は除去して塞がれ、前後で固定されて使用不能にされて、まるで連装砲の様になった2番砲塔の写真がのこっています。