ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

靖國神社に初詣

2011-01-06 | つれづれなるままに
皆さん、初詣は行かれましたか?
我が家は基本的にホテルで寝正月だったのですが、唯一の食事以外のイベントとして靖国神社の初詣をしました。
都内で最も人が殺到するのは明治神宮。
こちらは例年ディズニーどころではない人出なので「時間と気力があれば」。
そう思って結局は時間も気力もなくなり行くことができませんでした。
あくまでも靖國優先です。


さて、この参拝のために、エリス中尉頑張って着物を着ました。
日本人として母国の伝統を守るため民族衣装である着物を着よう、
と決心し何かのイベントにはできるだけ着物を着るように心がけているのはおととしから。

こだわりぬいて選んだ着物は「貝紫」という非常に希少な貝の抽出液からとった染料を使った「高貴な紫」のもの。
この染料を取るための貝がいまや絶滅に瀕していて、一部分を染めたものでも非常に珍しいとされています。

このクレオパトラの船の帆やイエスキリストのローブを染めたという染料の薀蓄はまた別の日に譲るとして、そのこだわりの紫に意匠は日本の国花、菊をあしらった着物、そして帯は青海波文様。
 

熱烈なネイビー・エス(海軍好きの芸者)が選びそうな意匠かもしれません。
靖國に詣でるにはこれ以上ないというくらいの国粋的な装いとなりました。
紫はここの宮司の袴の色でもあります。


しかし、この気概はともかく、着物を着るというのは実に大変な修行でもあります。
「日本人として着物を着たい」
位の気持ちがあっても気軽に着るわけにはいかないのがこの世界の怖いところ。
この日、ホテルに午前中ヘアメイク、着付けの方に来ていただき、2時間半かけて支度が整ったときにはすでに
ぐったりと青息吐息。
自分一人では何一つできないのが付け焼刃の着物歴を物語っています。

着付けの方は銀座の有名ママ(本など書いて講演会などするというような)の着付けを毎日やっているそうです。
少しそういう方々の話も聞きましたが、いくらそれが仕事とはいえ、毎日、それもガチンコに固め結いあげた髪にこの拘束衣で装い、さらににこやかに接客をするなんて、そのプロ根性には頭が下がります。
美しいだけではほんと、できない仕事です。

とはいえ、このような装いをすると、気分が高揚し、日本人でよかった、と実感するのも事実。
所作も自然とたおやかに上品に、と(できるだけ)心がけます。



さて、そんなこんなでようやく支度が整い靖國神社へ。
8月15日の物凄い参拝客の数を知っていると、むしろ森閑としているという気もしますが、それでも帰りは人波に逆らって歩くことができないくらいでした。
境内では国立追悼施設の建設に反対する
「英霊に答える会」の人々が署名運動をしていました。
前にしたことがあるのですがもう一度してもいい、ということでTОに無理やり署名させ、わたしもしました。

朝日新聞が始めた中国、韓国への「御注進報道」のおかげですっかり靖國参拝が政治カードにされてしまっている現実、
そしてそれに柳腰の配慮をするあまり「靖國」から逃げようとする政治家。
この運動をしている人々の言う「英霊の声」とは、当然のことながら
「靖國で会おう」
と言って死んでいった方々の声のことです。

「死んでいった家族が靖國に勝手に祀られたので精神的な苦痛を感じた」
という理由で靖國神社を訴えた遺族もいたというニュースが先日ありましたが、
さて、遺族ならそういうふうに解釈する権利があるということなのでしょうか。
どう考えても、死んでいったものの気持ちをここまで忖度する権利が遺族といえどあるのだろうか?
と思わずにはいられないのですが・・・・。

裁判は原告側の敗訴に終わったようですが。
 

8月15日のように後ろから順番に並んで神殿前に設けてある巨大なお賽銭入れにお賽銭を入れ右に退場。
この日は昇殿参拝もできそうで、TОは
「申し込む?」
と聞いてくれたのですが、お経と違い比較的早く済む神式のお祈りとはいえ、
この着物と帯で正座は無理。
しまった、敬意を表したつもりがこういう落とし穴が。


この後遊就館に立ち寄ったら、特別企画でなんと本物の刀匠が実演をしているコーナーが。

鎧を着せてくれる体験コーナーもありました。
そして、太刀(柄無し)を持たせてくれるコーナーで、そのあまりの重さに驚愕。


いや、先日陸戦で有名な中村虎彦大尉のことを調べたのですが、なんでも背中には菊一文字という大刀を背負い、腰には軍刀を指して泥のなかに這いつくばり、そして、突撃のときはその菊一文字を振りかざしながら走ったというんですね。

嘘だ・・・・。

それができたのは戦闘中のアドレナリン吹き出しまくりの状態だったから、
としか説明できないような異常な重さを実感しましたよ。
勿論ある程度の重さがないと何も切れないのでしょうが。
ふと宮本武蔵は二刀流だったというけど途轍もない腕力があったのだなあと感心しました。



この後露店で息子が射的をしたり、甘酒をいただいたり。
寒くなってきたのでホテルに帰ってきて和服だからと近くの和食、
「桜川」でお食事にしました。
花板さんが関西出身で、ミシュランガイドに載ったこともあるというこのお店は当然味も関西風。
ディズニーと違いお雑煮の汁は関西風のお澄まし。

もうそれこそ着物の帯がひと皿ごとに食い込むころになっても次々とお菜が出てきます。
もったいないと言われそうですが、こんなフグの薄造りも全部いただけませんでした。

フグというと眼の色を変える向きもございましょうが、わたし特に思い入れはないんですよね。
ヘルシーな白身、くらいの認識なので・・・。
うちはお酒を飲まない家庭だったし、初めて食べたのも大人になってからだったという理由もありましょうが。

かわいい鯛の入れ物に入って出てきたのはお赤飯でした。
ここは器も非常に凝ったものを出してくれ、目でも楽しみます。
息子のお刺身は「屋形船」に乗ってきました。

そして別腹デザート。
コースがあまりに長々と続くので、退屈しのぎにこのとき
「海軍組織におけるヨーソロの意味とその定義」
についてTОに講義してあげていたのですが、二種類のデザートを一つづつ選んで
わらび餅(右)和菓子(左)が出てきたとき。

「あ、僕わらび餅ヨーソロ。和菓子は取り舵で」

って全然使い方間違ってるし。


さて、部屋に帰って帯をとき、何本もの紐やら布やらを一つ一つ外していくとき
その徐々に訪れる解放感にたまらない至福を感じました。


着物って、着たとき以上に脱ぐときが幸せなのです。









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