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捕虜第一号としての酒巻和男少尉

2011-12-15 | 海軍

なし崩し的に、3日目の「捏造感動ドラマ 真珠湾からの帰還」告発です。
その後、皆がどんなふうにこの番組を受け止めていたか、ネットでの反応を少しリサーチしました。

感想。

思ったほど皆騙されていない。
「艦隊勤務をみんなで歌っていきなりミュージカル展開」(ディズニーのパターンね)や
「ワルツを踊るラストシーン」(ホリエモン映画のあれね)に失笑していたのは我のみに非ず。
それどころか「またやってらー」「お約束」と笑いながら観ている人が大半。
米軍の収容所での捕虜の扱いを酷く描写していることについては、
「NHKは親中親韓、反米で、最近特にその傾向が強いから」と考察している人もいました。

その後、酒巻少尉への関心を持つ人が、このブログにも多くが訪れたというのは、
関心を持つと同時に、あのドラマの真実を検証しようとする人々が多かったということでしょう。
つまりドラマが感動的で反響があればあるほど、
NHKは、自らの創作と捏造を世に知らしめることになってしまっているわけです。

こういうのをマッチポンプっていうのかしら?自分で自分の首を絞めるっていうのかしら?

とにかく、マスゴミなりテレビのすることはまず疑ってかかりましょう、というのが
少なくともインターネットで情報を集めようとする人々の基本姿勢なのだと知って、
少しは安堵の気持ちを持った次第です。


さて、本日はお約束した通り、中宗(相宗)大佐がいなくなってからの、
酒巻少尉の「リーダーぶり」を、本人の記述をもとにお送りします。
冒頭画像は「捕虜第一号」にたった一つだけ掲載されていた挿絵。
あらためて知る、特殊潜航艇の壮絶な極限の狭さ。
「太った大人は入れない」(おそらくほとんどのアメリカ人は不可)
「艇長は立ったまま」
「休憩は機器につかまり、寄りかかり、手足の関節、腰の力を抜いて行う」

って、それは休憩と言えるのか?
「お弁当持ってお菓子持ってハイキングみたい」と、広尾少尉は言ったそうですが、
どうやってお弁当を広げたのか?
そして、食べたからには出る、それをいったいどうやって処理したのか。

我々には想像こそできても、その片鱗さえも実感できない人権無視の兵器。
「こんなもので生きて帰ってこれるわけがない」
渋々Okした山本長官も「生還を目的とするから許可を」と訴えた岩佐大尉も、
誰一人そんな可能性があるはずないと思っていたのは想像に難くありません。


真珠湾攻撃の日、酒巻少尉は潜航艇で出撃し、艇が座礁した後、海中に脱出しました。
艇附を見失い、砂浜で倒れているところを捕獲されます。
(ドラマでは稲垣!と呼んでいましたが、実際は彼らは「艇附」「艇長」と呼び合い、
名前を呼ぶことはなかったようです)
尋問のためホノルルまで汽車で移送される間、泥のように酒巻少尉は眠り続けました。
(ドラマで半裸のまま尋問されていたのが大ウソであるのがこれからもわかります)

前稿でお伝えしたように、その収容所生活が一年以上過ぎ、
それまで先任として捕虜のリーダーだった中宗中佐が
16人の部下と共にサンフランシスコに移送されました。

運命は私を先任者にした。
私は嫌でも捕虜達を指導していかなければならない。


新しく大所帯のリーダーになってしまったら、あなたなら何をしますか?
そう、リーダーとして、その抱負や、今後の目標、そして皆がどうあるべきかを訓示するでしょう。
酒巻少尉のしたのも、方針説明という形の訓示でした。

ところが、集合を拒否した兵が3名いました。
その理由はと言うと
「我々は死ぬのだ。これからの方針を言ふとゐふ坂巻少尉は生きやうと考へてゐる。
全く日本人の蟲けらだ。そんな話は聞きたくも無い」
というものでした。

しかし、そういう「造反」を、酒巻少尉は
「死ぬべきだという軍人的な初心を唯一のよりどころとして、人と反対のことをしたいだけ」
「ニヒリズムに陥って何もしたくない、干渉されたくないということを、正当化し、
指導者の命令に従わないということで優越を感じ、人を困らすことで自分が強さを顕示する」

と断罪します。

(一連の酒巻氏のこういった洞察力、
それをまるで設計図のように硬質な理論で組み立てる頭脳の明晰さ、
さらにそれを明確に表現する文章能力の高さには、実に驚嘆すべきものがあります)

そして、酒巻少尉は「決意の歩を運んだ」のです。
その話は寸分の休みも無く、長時間続きました。
「そして熱した私の怒号は一語一語彼らの考へに毒づいた。
然し全然異論が無い。
ひっそりと俯き込んだ彼等は、私の言葉に確約を誓つてくれた。
そして私は完全に捕虜たちの指導者になつたのである」


用意していた内務方針、諸制度、新編成、日課が可決され、新たな捕虜生活が始まりました。
過去一年間、酒巻少尉が捕虜生活から得た固い信念がその形を作り、
一部の反対をも説得しながら、これは確実に断行されていったのです。

酒巻少尉が最も重要視したのが、「スポーツ」でした。
一部の捕虜の反対を押し切って断行されたのが「インタニーとの定期ソフトボール試合」。
インタニーとは、収容所に収監されている「一般囚、他の国(ドイツ)の捕虜」。
これによって、他のインタニー達への理解が生まれ、何よりも、明るい、広い光の下、
スポーツに我を忘れることで数千の観衆が相共に生の歓喜を味わうことになるのです。



そして、規則正しい清潔を心がける生活を基礎に、「学ぶことによって生まれる生の肯定」
を、酒巻少尉は非常に重視し、そのための夜学が始まりました。
米国の地理歴史、米国事情一般、英語の基礎、数学。
インタニー達との交流から、説教師が来て慰霊をしたり、話を聞いたりする時間も生まれました。

そして、次の収容所、シカゴのマッコイキャンプでも、酒巻少尉はそれこそ
「内部の整理、外部との交渉、衣食住一般の世話、
寸分の休みを惜しんで駆け巡り」
ました。
それは、酒巻少尉が、自分の救い得る、捕虜たちの生きる力が、
戦死した同僚の分も含め、新しい日本のために蓋し得ることを希望していたためです。

昭和19年、5月。
このころになると、マッコイキャンプの日本人捕虜の数は2千人を超えていました。
サイパンから移送される捕虜たちが増え、捕虜たちにも「終戦」という言葉が、
現実味を持って語られるようになって来ていたころのことです。

サイパンから来た海軍兵長と、設営隊の兵二人がキャンプから脱走しました。

この二人は、士官と言った方が待遇がいいと思ったのか、捕虜になったときに、
それぞれ少尉、兵曹長と嘘の申告をしていました。
そこで一度は下士官の中隊長を任されはしたのですが、
彼らの同室がいたため、その嘘はすぐばれ、おまけに隊長としての態度が甚だ傲慢だったため、
反感を買っていた彼等は即座に謝罪させられました。

当時のキャンプで、下士官の作業は、風呂焚きなどの内部作業だけではなく、
農園やダムなどの重労働にもわたっていました。
しかし、書類上階級が将校である彼等には、同じ作業がさせられません。
酒巻少尉は士官室係として彼らに軽作業をさせていました。
しかし、その態度がまた下士官たちの反感をあおり、収容所は一触即発。

二人は、そんな空気に耐えかねたのか、脱走をしたのでした。
そこで不思議なことに、何処へ行ったかと言うと、米軍の前収容所長のところ。
そこで彼等は、階級詐称のことを言わず、ただ士官たちが虐待したと訴えました。

彼らの訴えによって酒巻少尉は厳しく取り調べられました(笑)
しかもその訴えとは
「酒巻少尉は、何かと言うと捕虜たちを扇動して司令官に対抗させ、
日本人同士の中に於いてさへも、平然とリンチを続行し、
あらゆる実権をにぎった悪者のボス」
というものだったのです。

この件で司令官ロジャース中佐は酒巻少尉に対し、それまでの信頼を裏切ったと断罪し、
その真実を追求することなく、ただ疑いだけを酒巻少尉の上に残します。
「何時かわかる日が来ます」と冷静に説明しても耳を貸そうとしなかったのです。


ちょうどそのころ、ハワイ収監時に親しくなったアイフラ大佐が、
わざわざ酒巻少尉に会うために、この収容所を訪れました。

酒巻少尉がハワイから米国本土に移送されることになったとき、
何人かの士官たちは酒巻少尉との別れを惜しんで、泣きそうな顔で埠頭に立っていました。
しかし、このアイフラ大尉(当時)だけは怒鳴りつけるように酒巻少尉に指示を続け、
平然とした顔で近付いてきて、
「私はもはや君とは再会できない」と吐き捨てるように言い放ちました。

しかし、アイフラ大尉はそのあと強く、酒巻少尉の手を握ったのです。
酒巻少尉はそれに対しこう答えました。
「貴方の言葉は誤っている。未来のことは分からないはずです。
再会できないかもしれない、と言わなくてはならない」
苦しそうな顔をして岸壁に戻ったアイフラ大尉は、その後酒巻少尉に大きく手を振り続けました。

そして今、アイフラ大佐自身が、酒巻少尉の言葉が正しかったことを証明しました。
二人は再会できたのですから。

「君の係だったジョンソン曹長も、今では少佐になっている」
再会を心から喜び、屈託なく自分や知人の昇進やのことを話すアイフラ大佐。
その言葉を聞きながらも、横で睨んでいるロジャース中佐、自分のことを信じてくれない中佐が、
開戦以来なぜ一度も昇進できないのか、酒巻少尉はぼんやり考えていました。

もしかしたら、
私たちのような捕虜の収容所長であったのが災いしたせいなのだろうか。


戦後、東京で酒巻氏がロジャース中佐に再会したとき、中佐は依然として中佐のままで、
さらにはそのときにおいてすら、酒巻氏を警戒している様子だったそうです。

捕虜たちの上に立つことで薄汚い濡れ衣を着せられたことに現れるように、
「決して自由になり切れない」魂の不自由が、このロジャース中佐にも及んでいる気がして、
そして、そんな捕虜たちの上に立ったことで中佐の昇進が妨げられたような気がして、
酒巻少尉は何とも言えない哀しみを覚えるのでした。




それにしても、酒巻少尉の捕虜生活において起こったことは、このように、
一部を取り上げただけでも、ドラマにするのに十分すぎるくらいドラマティックに思われます。
事実を曲げずにドラマを創ることができず、捏造までするNHKの、良心と言うよりはむしろ

能力を疑う。








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