ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

パル博士の日本無罪論と映画「プライド」

2011-10-12 | 映画

    

法衣の立ち姿を描こうとして、つい縦長の画像になってしまいました。
画像アップ後しみじみと見つめると、パル博士の清廉で意志的なその人格がいかにも現れた立ち姿であると思います。
「その個人的な全てを覆い隠し、ただ法の代理人となって職務に当たる」
という意味で身体を覆う長い長いガウン。
ついでに、どうしてこんなにズボンの股上が長いんだろうとも・・・・・。

ラダビノッド・パル
東京裁判でインド代表判事を務め、被告人全員無罪と裁判の正当性に疑問を投げかける
「パル判決書」で、日本は無罪であると主張した法学者です。

靖国神社に行くと、パル判事の碑があり、そこにしばし佇んで説明を読む人々がいます。
何故パル判事がここに祀られて?いるのか。

その理由を「日本無罪を訴え戦犯を否定したから」と田嶋陽子氏などはあっさりと言い放つわけです。
確か田嶋氏は左派論客だったはず。
その彼女が若干乱暴な物言いとはいえ、このような認識をしていることに軽く「隔世の感あり」
の想いがします。
東京裁判史観に、一応の最終的結論が出て、それが社会に浸透しているということでしょうか。
一昔前は、左派論客のパル判決解釈は「日本有罪、一部無罪」であったように思います。


以前「嶋田大将の最後の戦い」という稿で、東京裁判について少し語りました。
その時さりげなく「高校時代から東京裁判オタクだった」などと小賢しいアピールをしてみましたが、
いくらオタクでも所詮は高校生。
裁判の流れそのものより、そこに登場する人間にもっぱら興味はあり、例えば

「パル判事は横浜のグランドホテルを常宿にしていたが、
バスタブの外で水浴びして下の階に水が漏れるのでボーイが舌打ちした」
とか、

「鈴木企画院総裁が毎朝『ウェーイ、ウェーイ』と発声練習するのを、米兵がまねしていた」
などという比較的どうでもいいようなことばかり頭に叩き込まれ、
われながら木を見て森を見ずの感ありまくりでした。

しかし、そんな高校生ですら、映画「東京裁判」で、小林正樹監督の歴史観を伺わせる
(日本無罪論は)「パル判事の真の意図ではない」
というナレーションには違和感を持っていたわけです。


パル判決書を「日本無罪論ではない」とする、いわば「日本有罪論」がいくつか出版されています。
この有罪論については、小林よしのり氏が「パール真論」で語っていたのを読んだだけですので念のため。

それにしても、判決書を読むのが大変で誰も読まないからと言って、それをわざわざ
「日本が何が何でも悪いのだし、パルだって本当は無罪だって言ったんじゃないよ」
と、己の思想に都合良く言い変えた解説を出版するというのは、いかがなものでしょうか。

東京裁判の無効性については何度かこのブログでも触れてきましたし、パル判事と東京裁判について、
少し調べればいくらでも納得する理由が読めると思いますから、ここではあらためてそれについて述べません。

でも、簡単なことだと思うんですが。

戦争の勝ち負けは正義の所在、正しかったかどうかとは全く無関係。
勝った方が負けた方を裁き罰するのは事後法。
そもそも、平和条約が結ばれたら、国際法上戦犯という存在は消滅してしまうはずなのに、
戦勝国は戦犯の存在をあえて残し、かつ国民に憎ませるように仕向けた。
日本の如何なる戦争犯罪より人道的に悪辣でかつ国際法違反である原子爆弾投下について、
言及を退けられた裁判であるというだけで公正を欠いている。



パル判事は日本が好きだったから(実際好きだったそうですが)弁護したのではなく、
法学者としてその信じるところを述べたにすぎないということではないんでしょうか。
そもそも前述の映画「東京裁判」では、出どころの怪しい(パルが『証拠に乏しい』と言い切った)
南京大虐殺のものとされるフィルム(生きている人間に土をかけている『だけ』。完全に埋めるシーンは無し)
をカットに入れているあたりですでに思想的に怪しいと言うしかないのです。


こんな簡単なことを、どうして日本人でありながら分からない人がいるの?
分かりたくないの?

と、いわゆる若年性左翼であったはずの女子高生ですら論破できそうな気がしたものです。
しかも、当の日本人がいまだに戦後レジームと自虐史観から抜け出せずにいるのを見て、
「もしかしたら日本人に植え付けられた自虐って、もう一部DNAに組み込まれてしまったんだろうか」
と不安になってしまう今日この頃でございます。
 

「悪辣な軍国日本を美化する邪悪なたくらみを持つ映画」と、映画「ムルデカ17805」を糾弾した
映画演劇労組という団体があります。
その映演労連が案の定噛みついたのが、この映画「プライド 運命の瞬間」でした。
理由はムルデカと同工異曲です。

かつての敵国と思われる陣営の映画評でも「戦犯東条を善人に描いた最低の映画」などという、
散々な、というより「本当に映画、観て言ってる?」と聞きたくなるくらいヒステリックなものを見たことがあります。
その時はまだ観ていなかったのですが、まあ敵ならそう思っても仕方ないかも、くらいに思っていました。
しかし、観た今となってはもう一度この人たちに言ってあげたい。
「本当に、観たの?」


東条英機や軍国主義を美化するもの?
どう観たってこれは「映画、東京裁判(ドラマバージョン)」でしょうよ。
あんたら、もしかして題名と予告編だけ観て非難してないか?

これは、東京裁判の流れを法廷劇仕立てで説明しつつ、裁く側、裁かれる側、
出廷した人々や彼らを取り巻く人々の人間ドラマにも焦点を当てた映画です。
中でも、ラダビノッド・パル判事については、その生い立ちから結婚と、かなりの時間を割いて描いています。

そもそも、この映画は、東日本ハウスの創立30周年事業で製作されたもの。
創立者の中村功氏の
「ラダビノッド・パルを主人公にした映画を作りたい」
という当初の希望があったのですが、、パルでは興業映画として知名度がなさすぎるので
東条英機を主人公にした、という経緯があるのです。

決して「綺麗な愛国者東条さん」を讃える映画ではなく、わたしのような「東京裁判オタク」が
「そうそう!判決の瞬間、こうやって傍聴席を見上げるのよね、広田弘毅は!」
「大川周明に後ろから頭をぺちってされてからの東条の苦笑いは、少し違うんでない?」
などと、盛り上がってしまう、法廷再現映画なのです。
食わず嫌いで観てない、と言う方、ぜひ先入観を捨てて観てみてください。

キャスティングについてですが、
東条英機(津川雅彦)・・・・・造型的には似てない。けど、仕草雰囲気がそっくり。研究の賜物か。
孫の東条由布子さんから『あの世から祖父が帰ってきたようだ』と絶賛されたとのこと。
清瀬弁護人(奥田瑛二)・・・・・奥田瑛二は好きな俳優だけど、清瀬弁護人はもっと枯れた爺さん俳優にしてほしかった。
ただし「枯れた爺さん風の演技」はさすがの奥田瑛二、もの凄く巧い。
キーナン首席検事(スコット・ウィルソン)・・・・・・・・・こちらは『油分が足りない』。
マフィア狩りで名をあげたチョイ悪検事なんだから、太った赤ら顔のアブラギッシュオヤジにしてほしかった。

この清瀬VSキーナンが、アメリカの新聞記者の言うところの
「痩せたヤギが太ったワシに噛みついている」の図にならなかったのは実に残念。



パル博士と日本とのかかわりについては、劇中、裁判中病気で亡くなった最愛の妻が
「私のことはいいから日本に帰って彼らのために裁判を」
と言ったという実話を混じえたり、彼の身の回りの世話をしたというボーイ(大鶴義丹)が
パルに諭されてインド独立の運動に身を投じる、という創作を加えたりして、
かなりの部分を使って人間パルを描こうと言う様子がうかがえます。

ちなみに「日本がボースを支持してインド独立に貢献した」とするこの主張をインド政府は退けています。
インドもこの手の微妙な問題にはディフェンシブなのでしょうか。

それにしても、昔、児島譲氏の「東京裁判」で仕入れた知識のうち、上に書いた
「バスタブの外で水浴びするからボーイが困って舌打ち」という話が映画中で

「不当な判決に激高したパル判事が、
何かに憑かれたように水を浴びまくったので、
それが下の階に漏れた」


と言う熱血エピソードになっていたのには笑ってしまいました。
パル判事は在日中、人との接触、特に民間の日本人との接触を避け、慰安目的で行われるパーティには決して顔を出さないというくらい、徹底して職務に忠実であろうとしたため、その手の個人的なエピソードが残っていないのだそうです。

ある意味戦後の日本人にとって「恩人」とも言えるパル判事ですが、
このボーイさんにとって、ただの迷惑なインド人でしかなかったりして・・・・。

 



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