さて、昨日はついつい米軍つながりで時事問題を語り始めたのはいいとしても、
それだけに留まらず、民主党政権下、日本の議員に手引きさせて米軍基地に入り込み、
基地司令からネガティブな言葉を引き出したうえ、それを一方的な記事にして、
侮辱したいだけ日本を侮辱しただけでなく、おそらく共産党の意を受けて日米離反工作、
ついでにジョージワシントンの機密を何とか盗もうとしたに違いない中国人の書いた記事に
つい我を忘れてしまいました。
(説明っぽいな)
基地主催のフレンドシップデーには、一般人であっても日本人以外立ち入り不可だというのに、
反日中国人をわざわざ米軍基地に送り込んだ売国議員。
この議員は、おそらく民主党が政権を取ったとき、小沢一郎にくっついて
「朝貢外交団」として中国で「接待されて来た」にわたしは100人民元賭ける。
しかし、我々がが思う以上に民主政権下では日本は「危ないところだった」ようですよ。
民主党福山議員「機密文書が34000件も無断で破棄されてるんですよ」
自民党小野寺防衛大臣「34000件のうち30000件は民主党政権で無断で破棄されてました」
民主党福山「・・・・」
なんて、ブーメラン戦隊ジミンガーシリーズのネタも最近ありましたし、
何と言っても内閣府の「中の人」からつい先日伺った証言によると
「民主時代には見るからに人品卑しからぬい悪相がいるはずのないところにいた」
そうですからね。
人は見かけではない、といいますが、一目でわかるものもあるってことですよ。
こんな話をし始めると、またもやエントリのスケジュールが進みません。
今日は出来ればその話題にならないようにいきたいと思います・・・が、
昨日ワンポイント解説した韓国の防空識別圏拡大の件で、
こんな続編が飛び込んできました。
韓国「・・・防空識別圏拡大したニダ」
日本「どさくさにまぎれて中国側じゃなくて日本側に拡大してんじゃねーかコラ♯」
アメリカ「何してんだ韓国! 皆が何で中国非難してるのかわからんのか」
世界「何しれっと中国と同じことしてるんだよ」
「空気読めや」
中国「 中立を守るとか言ってたアルな。どちらにつくつもりアルか」
アメリカ「そもそも防空識別圏の線引きしたのって誰だと思う?それは、わ・た・し!」
韓国「ガクガクブルブル」
なーんかキャラがはっきりしすぎ。
中国=ジャイアン、日本=のび太、韓国=スネ夫、アメリカ=きれいなジャイアンで。
911同時多発テロのモニュメント。
「ビルディング倒れるとも、自由はいまだそびえ立つ」
どこかで聞いたなあと思えば
「板垣死すとも自由は死せず」ですね。
アメリカから遠くはなれたここ日本の米軍基地で、彼らが事件をどのように見、
どのように心を痛め、どのように悼んだのか・・・。
中には親族や知人が犠牲になったというアメリカ人もいたかもしれません。
右の黒曜石の二本の柱は、倒壊した貿易センタービルです。
モニュメントが五角形をしているのは「ペンタゴン」でしょうか。
古めかしい建物の前に金色の錨が。
ここは昔、横須賀工廠の庁舎として使われていました。
横須賀工廠は幕末にここに建設された「横須賀製鉄所」が源流です。
このツァー参加記でもお話しした、フランス人技師ヴェルニーの総指揮によって
日本はここに近代化の足がかりとするための製鉄所を設け、
その後1871年(明治元年)に「横須賀造船所」と改称されました。
日本の軍備拡張が本格的になったため海軍省の管轄下におかれ、
この地で軍艦の建造・修理を中心に稼働しました。
ここにある「1号ドック」はこのときに完成。
当ブログでも以前お話しした初の国産軍艦「清輝」は、
この5年後、1876年にここで竣工されました。
黒船を作ってしまった日本
現在は米海軍の「CPOクラブ」となっています。
CPOとは「チーフ・ペティ・オフィサー」、つまり下士官のこと。
軍組織というのは階級によって立ち入る施設がはっきり分かれています。
将校と下士官、そして下士官と兵というのも厳密にその間に線が引かれ、
例えば旧海軍では、士官がその妻に、
「下士官の妻と親しくしないように」
とわざわざ言い渡すほど、個人的な交わりは禁じられていました。
軍隊という組織の指揮系統が「情」で乱れるようなことがあってはならないからです。
これは世界的なスタンダードです。
我が日本国自衛隊においても士官と曹、そして士の施設はきっちり分かれています。
こう言っていいのかどうか分かりませんが、わたしは「建築物」
という観点だけで考えた場合、ここが米軍のものになって良かったと思うのです。
アメリカに住んでいるとよくわかりますが、アメリカ人というのは一般に
一旦建った建物はよほどのことがない限り、そのまま手入れをして長年使い続ける、
という文化を持っているので、このように100年前の建物でも、
外壁はしょっちゅう塗り替え(ペンキ塗りを趣味にする人も多い)、
中は定期的な改装を繰り返します。
新しく家を買って、そのまま何も改装せずに住むということは
彼らにはまずあり得ないことで、自分好みに全て(しかも業者を頼まず)作り替え、
自分らしいインテリアを作り上げることにこだわる人が多いのですが、
だからこそその「入れ物」である家については、築何年であろうが気にしません。
ここも、現存する往時の建物のおかげで鎮守府時代そのままに時間が止まったようで、
だからこそ我々日本人は、歴史ツァーなどと称してわざわざそれを見に行くわけですが、
彼らにしてみれば、「相手に敬意を払って」などという特別の意識ではなく、
「アメリカでも普通はそういうものだから」
建物を使い続けているに過ぎないのだとわたしは思います。
もしここが日本の、私企業などの所有地になっていたら、
たちどころに古い建物は新しく建て替えられ、
しかもそれが耐久性がないので建て替えのサイクルも早かったでしょう。
「アメリカ軍で良かった」と言うのは、つまり、
100年経った今、戦前と同じ景色を見ることができるのも、
アメリカ人のこの住居に対する慣習のおかげであると思うからです。
こういう壁の飾りも、おそらく建ったときのままなのでしょう。
年月がその彫刻をぼやけさせ、線を不明瞭にしても、決して手を加えず、
ペンキでトリミングまでして保存しています。
江田島の海軍兵学校の建物は、アメリカは占領後使うことを予定していたため、
決して建築物を破壊させなかったそうですが、この横須賀鎮守府も、
どうやら米軍は占領後の軍施設にしようと計画していたらしいですね。
昔は国旗掲揚台だったのではないでしょうか。
倒壊する可能性があるから近寄れないようにしているのでしょうか。
この不安定な碑は、横須賀工廠の建物が関東大震災で倒壊した後、
新たに作った新庁舎が完成した記念に建てられました。
柵越しに見えるレンガの部分は、建物に使われたのと同じ素材。
このレンガはフランス人が作ったとのことで、黒い黒曜石の部分には
フランス語で
année 1871
と書かれ、上には「明治明治辛未年建」と彫られています。
今にも倒れそうで、危険なのはこれを見ても分かりますが、
補修などの手をつけるわけにも行かず、仕方がないので
日本人なら絶対に作らないような無粋な柵を設けたように見えますね。
件の中国人記者ならこういうのを見ても
「アメリカ人が日本を軽蔑している証拠」
と嘲るのでしょうが、これはどちらかというと、
「こういう領域にはできるだけノータッチでいる方が無難」
というアメリカ海軍の配慮であるような気がします。
手前の建物はアメリカの駅などで良く見るタイプ。
向こうの立体駐車場とこの売店らしきのに挟まれて、
海軍工廠時代の庁舎は未だ健在です。
建物は100年前と同じですが、こんな人たちが闊歩することになろうとは。
海軍工廠や横須賀鎮守府の人たちがタイムスリップしてこれを見たら、
さぞかし驚くでしょうね。
それを言うなら、
「中国が日本を侵略しようとするのをアメリカの恫喝で食い止めている」
という今の世界情勢を見たら、彼らはもう一度憤死してしまうかも。
横須賀米軍基地ツァー、まだまだ続きます。