皆さま、連休はいかがお過ごしになりましたでしょうか。
我が家は最終日にあたる体育の日、三日分のスケジュールを一日に詰め込んで、
思いきり、というかやたら充実した日を過ごしました。
中でもメインイベントは、横浜市は中区、本牧のとある寺院で行われた
海上自衛隊横須賀音楽隊による吹奏楽発祥144年記念演奏会。
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このイベントは年一回同じ場所で同じ時期に行われる文化行事で、
毎年陸海空自衛隊が持ち回り交代で演奏をしているようです。
今年は、我が(と勝手に身内認定するエリス中尉である)海上自衛隊から、
横須賀音楽隊が出陣、じゃなくて出演しており、この情報をいただいたわたしは
取るものも取り敢えず家族を連れて馳せ参じ、演奏を拝聴してきたというわけです。
ところで、事情をご存じない方のために、まずどうしてこのお寺で自衛隊の演奏が行われたのか、
この日の演奏会そのものについてお話しする前にざっと説明しておきましょう。
■日本の吹奏楽は、横浜から始まった
日本の吹奏楽の起こりをひもとくと、それは1854年、ベリー来日に遡ります。
ペリー提督御一行様が最初に応接の場となった海岸の建物に向かうとき、
その進行にあわせてアメリカ海軍の軍楽隊が吹奏楽を奏でました。
これが「日本で最初に吹奏楽が演奏された瞬間」です。
その後、日本は鎖国を解き国を世界に向けて開きました。
その門戸のひとつ、横浜港が開港して三年後のことです。
この地に居留する外国人と、そして何より幕府を震撼させる事件、
生麦事件が起こります。(1862年)
居留地付近はそれでなくても、幕末に攘夷浪人が出没して、
外国人殺傷事件が起こる物騒な地域でした。
というわけで、この事件をきっかけに、英仏軍隊が居留民保護の名目で横浜に駐留するようになります。
そこで、当然のように式典で活躍する各国軍楽隊の西洋音楽演奏を見るうちに、
我が国にもこのような音楽を導入すべきである、という風潮が生まれてきたのです。
一番最初にペリーの米軍軍楽隊の演奏をを見聞きした群衆は、きらびやかな、
しかしきりりとした制服に身を包んだ聞き慣れない音楽に驚き、しかしその響きを
「大変楽しんだ」と言われています。
新し物好きで、いいと思えば何でもすぐ取り入れたがる日本人はきっと、
目をお星様状態にせんばかりの勢いで、西洋音楽と軍楽隊の導入に動いたのでしょう。
そこにいたるには、あるひとつのきっかけがあったと言われています。
■サツマ・バンド
1869年の10月、薩摩藩から抜擢された30人の青年藩士が、
横浜は本牧にある妙香寺に集まります。
英国陸軍第十連隊第一大隊所属軍楽隊の指導者、
ジョージ・ウィリアム・フェントン(George Wiliam Fenton)
から吹奏楽を学ぶため、この寺で合宿を行ったのです。
これが、日本人が初めて「吹奏楽」を行った瞬間、つまり、
日本に吹奏楽が生まれた瞬間だったというわけです。
この30人の若い藩士たちは、わざわざ鹿児島から
「薩摩藩洋楽伝習生」
という名のもとに、洋楽を学ぶ最初の日本人としての使命を帯びて送り込まれたのです。
わざわざ送り込まれてきただけあって彼らは非常に優秀で、
教えられたことを吸い取り紙のように吸収し、すぐに初めての楽器演奏をこなしたばかりか、
楽譜の読み書きもできるようになったそうです。
この日本で最初の軍楽隊を取材したイギリスの新聞記者は、
彼らが
「容貌も優れていて、しかも利口そうだった」
ことにも言及しています。
この英字新聞「ザ・ファー・イースト」の記事のタイトルは
「サツマ・バンド」
でした。
それにしても、なぜ最初に選ばれたのが薩摩藩の藩士だったのでしょうか。
生麦事件のあと、それをきっかけに、薩摩藩とイギリスの間に戦争が起きます。
「薩英戦争」です。
薩英戦争は、英語で「アングロ=サツマ・ウォー」といいます。
おおざっぱに言うと、ガチで戦ったあと、両者は講和交渉を通じて
非常に仲良くなってしまったってことらしいです。いい話ですね。
そんな交流の中、ある日鹿児島湾に停泊中のイギリス海軍軍艦に乗り込んだ
薩摩藩当主島津忠義、海軍軍楽隊の演奏を聴き、すっかり魅了されてしまいました。
そのときの島津忠義のカルチャーショックと西洋音楽に対する憧れが、
30人の、おそらく選りすぐりの若者たちによる「サツマ・バンド」という形となって実現し、
それがのちの海軍軍楽隊の礎となり、そして現在の自衛隊音楽隊の源泉ともなったのです。
冒頭写真は、妙香寺の境内にある、日本吹奏楽発祥の地の碑。
この文字の揮毫は島津忠寿、となっています。
薩摩藩当主にこういう人物はいないのですが、この名前で検索すると、
日本化学総合研究所の所属で、
「健常人における12種ビタミンの血中濃度」日本ビタミン学会
などという論文を書いている人物が出てきます。
どうやらこの化学者が島津家の末裔であり、ゆえにこの碑に揮毫したものと思われます。
■吹奏楽の歴史は軍楽隊から始まった
この日蓮宗の寺院は関東大震災で消失、昭和二年に失火によって消失、
だめ押しとして昭和20年5月の横浜大空襲によって消失、と、
もうサツマ・バンドの時代のものはおりん一個すら残っていないというくらい、
何度も消失と復興を繰り返してきたのですが、ここにおいて日本初の吹奏楽団が
最初の音を奏でたという出来事は永久にエポックメイキングとしてきざまれ、、その証として、
毎年ここで、同じ10月にその記念の演奏会が行われている、というわけです。
昔、このブログでも海軍軍楽隊の事始めと君が代について書いたとき、
日本の西洋音楽は「軍楽隊」として始まった、と書いたことがあります。
薩摩藩によって結成されたサツマ・バンドが軍楽隊であったからです。
そう、つまりここ妙香寺の記念演奏会に、必ず自衛隊音楽隊が奏楽するというのは、
その歴史を忠実に再現しているからなんですね。
演奏会に先立って、神社境内では式典が行われました。
海上自衛隊横須賀音楽隊による国歌演奏に参列者が唱和、
そして、来賓挨拶に続き、
献花が行われました。
この献花が行われているテーブルの向こうには、冒頭画像の
「日本吹奏楽発祥の地の碑」があります。
フェントン、そしてサツマ・バンドはじめ、日本の吹奏楽の発展に
力を注いだ偉大な先人たちを顕彰し、その魂を慰めるための献花であるということです。
演奏会の模様と感想、そしてフェントンの「幻の君が代」については、
後半に譲ります。