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P3-Cオライオン見学〜海上自衛隊八戸航空基地

2018-06-23 | 自衛隊

というわけで、青森県は八戸市に初めて新幹線でやってきたわたしたち。
八戸観光の後、地元の食材を使った美味しい料理に舌鼓を打ち、明けて翌朝。

約束の時間に、お迎えの車を運転してきた自衛官が海自迷彩の戦闘服
(って言ってもいいですか)を着て別人になっていたのに目を見張りました。
確かに昨日と同じ人なんだけど雰囲気が・・・制服マジックって、すごい(笑)

坂を登っていくと、住宅街に忽然と現れる航空基地の看板。

建物の正面玄関を入ったところに、司令部幹部と海曹長の顔写真があります。

左上から時計回りに群司令、主席幕僚、基地隊司令、整備補給隊司令、航空隊司令。
ちなみにこの日のお昼ご飯はこの方達といただきました。

隊のマークの一番左は、当基地隊所属機P3-Cのコールサイン、
「ODIN」(オーディン、北欧神話の戦いの神)を図柄化したのもの。

ちなみにオーディンというのは、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」では
神々の長、「ヴォータン」として登場します。

それはそれは立派な応接室に通されました。
呉地方総監部を除くと、今まで訪問した自衛隊基地で一番立派かもしれません。

後ろの墨痕も鮮やかな書をなんと読むのかは聞きそびれました。
碧・・・・なんだろう。志?馬?穹?

応接室に飾ってあった写真。
日本全国の海上自衛隊航空基地のスコードロンマークをつけたP3-Cが
八戸に集合し、1機ずつ並んだ二度とない歴史的な瞬間なんだそうです。

尾翼のマークには手前から1から8までの番号が付されていますが、
奥の3機は番号なしです。

 

しばらくそこで待機してから、今にして思えば時間きっちりに
わたしたちは見学に出発しました。

まずは会議室で、八戸基地についてのビデオ(撮影録音禁止)を
を鑑賞し、基地の歴史に始まって任務などについてを把握した後、
実機を見学という段取りです。

格納庫までマイクロバスで移動するとそこには、見学のための
P3ーCオライオンがわたしたちを待ち構えていたのでした。

わたしたちが到着するなり案内の掲示板が引き出されました。
せっかくだから、これもちゃんと紹介させていただきましょう。

製造会社の「ロッキード社」を見て今更ですがあっと思いました。

もともと日本は次期対潜哨戒機を国産で、と計画していたのにも関わらず、
田中角栄がハワイに外遊した途端アメリカから購入することを急に決め、
選定されたのがこのP3-Cでしたよね。

「ロッキード事件」ではロッキード社が田中と児玉誉士夫に
トライスターの選定をさせるため多額の献金をしていたといわれましたが、
実はこのP3-Cもこの経緯を見れば相当怪しい経緯で選定されたということです。

当時の防衛庁長官は中曽根康弘でしたが、次期対潜哨戒機を
国産開発ではなく輸入することに決まったと知らされた時、
中曽根はあからさまにがっかりしていたと伝えられます。

結局アメリカから直接有償援助された機体は最初の3機だけで、
あとは川崎重工業でノックダウン生産されたものが配備されました。


機体は非常に完成度が高く、ベストセラーになるほど安定していますし、
導入そのものは結果的にしてよかったのではないでしょうか(小並感)

わたしたちはこの日、この機体の内部も見学させてもらいました。
P3-Cの中に入る者はすべからく身分を明らかにすべしということで、
前もって名簿に記載する氏名は提出してあります。

さらにカメラはもちろん、携帯電話も全て持ち込み不可なので、
カメラは預かってもらい、電話はトレイの上に置いて搭乗しました。

驚いたのが、一緒に乗り込んだ群司令も携帯を没収?されていたことです。

中は撮影できないのでせめてもと外側の写真だけは撮りまくりました。
前輪の脚を収納してあるハッチ。

操縦席の後ろにある窓はバブルウィンドウになっていて、
顔を出して機体の下を見ることができます。

確かここにはTACOと言われる戦術士の席があったはず。

操縦士以外の航法員などは機体に対して横に座り、ご覧のように
窓が少ないので外が見えず、そのため酔うこともあるといいますが、
仕事がないときにはクルーは寝ていてもいいそうです。

機内には簡単なキッチンもありお湯を沸かすことくらいはできます。

エンジンは4基、左から順番に番号がついているので
これは4番エンジン(とプロペラ)ということになります。

1番ならびに2番エンジンとプロペラ。

P3-Cは上空に上がったら燃料の節約のために「ロイター」と呼ばれる
省エネ操縦を行いますが、海上自衛隊の場合、その時には外側の
1番と4番を停止すると決まっているのだそうです。

その時にはもちろんプロペラも止まるんですよね?

4基のエンジンのちょうど真下の位置に垂れてきたオイルを
受けるためのトレイが置いてあります。

ところで、この日わたしは海自基地や装備、艦艇を
TOと一緒に案内してもらうと必ず起こる、ある現象を体験しました。

それはこういうことです。

見学の当初、エスコートしてくださる自衛官は、まず皆間違いなく、
わたしではなくTOに向かって説明を行います。

決してわたしが無視されているというのではないのですが、
見学者の主体、つまり本当に興味があるのは夫婦ならば夫であり、
奥方というのは付いてきただけで飛行機や船などに興味はあまりない、
というのが一般的なパターンであるらしく、当然のことながら、
説明者はまず夫であるTOに向かって話しかける形になります。

ところが、見学が進むに従って、夫の反応がほとんどないと言っていいほど
希薄なのに対し、女性であるわたしが喰いつかんばかりの熱心さなので、
次第に説明の方はあれ?という感じになってきます。

TOに言わせると

「興味がないわけではないのだが、あまりにも基礎的なことを
知らないので、疑問も湧いてこない」

ゆえにそのような反応になるそうですが。

そこで、わたしが妙にマニアックな質問をしたりします。

「この翼の先の黒い部分、どうして塗装してはいけないんですか」

写真でも見にくいですが、実際にもよくよく見なくてはわからない場所に、
「ノー・ペインティング」と書いてあるので聞いてみました。

「ここにセンサーが内蔵されているからです」

今回もこの質問あたりから潮目が変わったような気がします(笑)
つまり、解説をわたしに向かってしてくれるようになったのです。

ソノブイを投下する投下孔。
この投下孔に手動で装着するそうで、ソノブイ本体はそんなに重くはないそうです。

機内の見学では、ソノブイの殻や、内部から投下する装置も見せてもらいました。

wikiに載ってるアメリカ軍の機体内部にあるソノブイラック。
値段は一本いくらかこの時にも聞いたけど、すっかり忘れました。
(回収できなくても勿体無い、というほどではなかった気がします)

やっぱり見学したらすぐにエントリ制作しないとダメですね。

コードが繋がっていますが、充電中だったかもしれません。

P3-Cを特徴付けているところのMADブーム、磁気探知装置です。
潜水艦が航行すると起こる地磁気の乱れを、これで探知するのです。

潜水艦の人がこれが空を飛んでいるのを見るだけでイヤーな気持ちになる、
というのは、こういうものとかああいうものとかを搭載しているからですね。

ところで、この潜水艦経験者のP3憎たらしいという証言、わたしはたまたま
何度か耳にする機会こそあったものの、P3の人から潜水艦をどう思っているのか
一度も聞いたことがないのですが、実際はどうなんでしょうか。

忌憚のないところをぜひ一度飛行機の方から伺ってみたいものです。

ここで、「ウェポン・ベイ」と呼ばれるハッチを開けるところを
実際に見せていただきました。

ウィーンと音を立ててドアが下に向かって開いていきます。
この中には魚雷を搭載する牽引装置が内蔵されているのです。

せっかく開けてもらったのに、下から見ることを思いつきませんでした。

ウェポン・ベイの下に入ってまず最初に赤いタグを下げています。

この赤いタグが下がっている小さなハッチには

「BOMB BAY DOOR SAFETY LOCK 」

とあり、ここを引き出して赤いタグが見えている限り、
人がいるのにドアが閉じてしまわないようになっているのです。

あー、これ、やっぱり下から見られるようにしてくれてたんだ・・。

ピトー管は機体の大きさの割に小さいですが、速度と高度が測定できればいいので無問題。

ヘリのピトー管は機首の両側、戦闘機は機首先端などにありますが、
P3-Cは機体下部両側に付いていたりします。

ウェポン・ベイ(注意書きによるとボム・ベイ)から突き出しているのは
「ブレードアンテナ」ちうやつだと思われます。

そういえば、ガンダムの「ツノ」ってあれ、ブレードアンテナなんですってね。
今調べていて初めて知った(笑)

ボム・ベイを開け閉めしてくれています。

格納庫の隅に、このようなコーナーがありました。

航空隊の安全実績を大きく貼り出し、その数字を心に刻むことで、
総員の任務に対する
責任と自覚を一層深めるための試みです。

安全実績は一ヶ月ごとに書き換えられるらしく、この時には
5月1日現在の記録となっていますが、これによると

安全飛行時間 44万62130時間

地上安全日数6,255日

一般安全日数1323日

後者二つの定義を聞かなかったのが悔やまれますが、とにかく
案内くださった航空隊司令によると、当航空基地は

「開隊以来、飛行事故を一度も起こしていないのが誇りです」

飛行機のクルーはもちろんのこと、機体の整備や管制、基地整備、補給、
基地に関わる隊員全員がが自分の任務を確実に果たしてこその安全です。

 

 

 

私たちはこの後、基地内の各施設を説明を受けながら午前中一杯かけて
見学させていただきました。


続く。



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4 Comments

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皆さま (エリス中尉)
2018-06-24 21:29:37
お節介船屋さん
そうそう書き忘れていました。

前回のログで、応接室で見たP-3C写真、なぜあれが歴史的に貴重かというと、
尾翼のスコードロンマークがその後描かれなくなってしまったからです。

第2航空群のHPでもこの写真を掲載していますね。

unknownさん
あの時国産することになっていたらどうなっていたんでしょうね。
当時後継機の選定に当たっていた人たちも、流石にP-3Cがこんなに優秀な機体だとは
想像していなかったかもしれませんが。

お節介船屋さん
おお〜!フェザリングって本当に止まるんですね。
貼っていただいた航空時点のページの写真では1番エンジンが止まっています。
返信する
フェザリング (お節介船屋)
2018-06-23 21:15:26
ハーロック三世さんがお答えになるのではと思っていますが、お節介で船でも使います用語でフェザリングと言い、ピッチ角を一番抵抗がない角度としていますが海中ではどうしても誘転します。
>その時にはもちろんプロペラも止まるんですよね?
インターネットにその状況がありましたので貼り付けます。
http://mmsdf.sakura.ne.jp/public/glossary/pukiwiki.php?%A5%D5%A5%A7%A5%B6%A5%EA%A5%F3%A5%B0
返信する
PX-L (Unknown)
2018-06-23 18:07:00
P-2J後継機(PX-L)ですが、おっしゃる通り、結果的には国内で開発せず、アメリカ製を導入して大正解だったと思います。

P-3C導入でアメリカから得た最も大きな成果は機体よりも、パッシブ(ソノブイ)戦術です。P-2J(米軍のP-3B相当)の時代には、自ら音を発して潜水艦を探知するアクティブソノブイが主体で、探知距離は極めて短かったのですが、P-3Cと共に潜水艦の音を聞くだけで捜索出来るパッシブソノブイが導入され、探知距離が画期的に向上しました。

米軍がP-3Bを開発した頃、対潜哨戒機は海上自衛隊のPS-1飛行艇のように洋上に着水して吊り下げたアクティブソーナーで潜水艦を捜索する方式とP-3Bや海上自衛隊のP-2Jのようにアクティブソノブイとの二つでした。

ソーナーは送受波器を大きくすればするほど、大出力が出せるので、ソノブイよりソーナー(飛行艇方式)の方が有利でしたが、自らは音を出さず、音を聞いて潜水艦を捜索するパッシブソノブイが開発されて、アクティブ方式は一気に廃れてしまいました。パッシブソノブイの開発が遅ければ、恐らく米軍も対潜哨戒飛行艇を作っていたはずです。

残念ながら、我が国は独自にパッシブソノブイを開発出来ず、アメリカからP-3Cと共に導入しました。経緯にはいろいろな事情がありますが、大幅に捜索能力が向上したので、開発したとしてもアクティブしか出来なかったPX-Lより、P-3Cの方が正解だったと思います。
返信する
P-3C (お節介船屋)
2018-06-23 10:46:15
昭和56年(1981)有償援助の3機が竣工、ノックダウンは数機、川重でライセンス生産、平成9年(1997)101機目が竣工し、生産終了しました。
全ての航空隊の機が並べられている写真の白と灰色2色の塗装は平成12年(2000)低視認性の現在の塗装に変更されました。スコードロンマークも尾翼に描かなくなりました。
最終機が生産されて早や21年、初期の機の除籍、廃棄も始まっており、OP-3Cに改造されたり、事故もあり現在は60機を切っていると思います。(参照本は平成28年度末で62機)
ただP-1の竣工が予定とおりではないので機齢延長が実施されたりバージョンアップも実施されていると思います。
参照海上自衛新聞「海上自衛隊艦艇と航空機集」

「ウェポン・ベイ」ハッチの上前部の汚れた部分は補助動力装置(APU)の排気部分でしょう。
乗員11名と書かれていますが機内配置図写真の座席は10名ですね。

フィリピンが除籍機の譲渡を希望しましたがTC-90の5機となりました。
マレーシアも譲渡を希望しており、どうなるのでしょうか?
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