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「MY FATHER」~ヨーゼフ・メンゲレの息子

2010-12-20 | 映画

このMy Father, Rua Alguem 5555(わが父、アルゲム通り5555番地)
という映画につけられた邦題は
「死の天使」アウシュビッツ収容所人体実験医師
といいます。

映画会社広報担当がひねり出したこのタイトルのセンスについては皆さんの判断に任せるとして、
原題「我が父」では全く客が呼べないであろうと判断したゆえの苦渋の選択であろうこの説明っぽさも、
ひとえに「ヨーゼフ・メンゲレ」という名前の日本での知名度の無さからでしょう。



1979年、最後のナチ、モサドの執拗な追及を最後まで逃れた大物、
ヨーゼフ・メンゲレのものであろうと言われる白骨死体が南米ブラジルで発見されました。

ヨーゼフ・メンゲレ。
絶滅収容所での彼のあだ名は
「美男(シェーン)ヨーゼフ」そして
「死の天使」

ナチスの軍医大尉であったメンゲレはアウシュビッツで囚人の選別にあたりました。
親衛隊の制服に白い手袋を付け、オペラのアリアを口ずさみながら
囚人の女性すら魅惑されたと言われるエレガントな身振りで右と左を指し示します。
一方は労働に残され暫時の猶予へと、一方はガス室への道へと。

そして、囚人を使い学術的にはほとんど意味がないと思われる実験を繰り返し、多くの犠牲者を出しました。
中でも双子に異常な興味を示していたメンゲレは、収容者の群れから双子を選び出し、
幼い彼らに菓子を与えながら実験をしたと伝えられます。

実験の結果がどうであろうと「モルモット」と呼ばれた被験者は全て抹殺処理されました。
「ヨーゼフおじさん」と慕う子供たちを車に乗せてドライブに連れ出しましたが、
次の週にメンゲレの実験台に上がっていたのはその子供たちだったといいます。




この映画は、メンゲレの息子であるヘルマンの自伝をもとに、「父がメンゲレだった男」の葛藤を描きます。

幼いころ「伯父さん」だと思っていた男性が実は父親で、ナチスの戦犯だったと「息子」が知ったのは
戦争も終わり、イスラエル諜報特務局がその行方を血眼になって探しているときでした。
その実の父に呼ばれて極秘にブラジルを訪れる息子。

巷間伝わる死の医師のあらゆる所業を、逐一目の前の老いた父の一挙一動に重ね、息子は絶望を感じます。
徹頭徹尾父と自分の理解は防水壁のように隔てられて全く通じあうものすらない。

そんな息子に父は滔々と語るのです。

「我々は過ちを犯した。それは認める。
しかし、お前は戦場を知らない。
そして、収容所の実験の科学への寄与を否定できようか。
今日の全ての種に寛容な世の中を見ていると間違っていると思えてならない。

選別は強い種を残し劣等種を淘汰するために必要なのだ」


最後の言葉を聴き父に殺意を覚える息子。

しかし、かれはそのまま黙って父の元を去ります。
父が白骨となって発見されたときまでブラジルの地を踏むことはありませんでした。



劇中、ユダヤ人俳優であるマーリー・エイブラハム演じるジャーナリストに
「なぜ彼の犯罪を知っていながら見逃したのか」
と聞かれ、息子はこう答えています。

「息子だからだ」


世界的に有名な、そして死んだとされて骨が見つかっても生存を疑われ行方を追われている犯罪者。
復讐のために法廷に引きずり出そうとする大勢の「生き残り」に追われている最後のナチ。
他人のような父親。
なのにいまだに絆を断ち切れず、理解しようとしている。

そして父は死んでなおこうして息子に説明させている・・・・。


何の愛情を受けたことも無く、再会してなお理解しがたく、憎しみと憤怒と絶望と、
殺意の対象ですらあった男。
その弁明に、亡霊のような白人至上の人種優生論に、一片の共感も感じられず、
もとより愛しているとも愛されているとも思えぬ父。

しかし、世の中で一人だけ父と呼ぶことのできる人間。


父という人間とではなく、断ち切れぬ血のつながりと息子は和解しようとしたのかもしれません。


実際のメンゲレは息子に向かって

「息子よ、お前も新聞に書かれていることを信じるのか。
全て嘘だ。お前の母に誓って言おう。
決して人に危害をかけたことなどない」


と言ったと伝えられています。



1979年当時は本人のものであることが疑われていた白骨は、
1992年、DNAテストにより、ヨーゼフ・メンゲレ本人のものであることが確認されました。








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