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映画「桃太郎 海の神兵」〜海軍水兵たちの帰郷

2016-10-02 | 映画

昔、高校生くらいのとき何かでこの「桃太郎 海の神兵」のことを知りました。
おぼろげな記憶のなかでも、当時の製作者が渾身の作品を作り上げたが、
スタッフが戦地で押収したディズニーの「ファンタジア」を見て打ちひしがれ、

「こんな国に日本が勝てるわけがない」

と絶望したということだけは強烈な印象を残しています。
日本のアニメーションにとって原点ともいわれている作品で、なおかつ
戦時中の戦意高揚のために作られたものであるということで、
いつか是非見てみたいと思っていたのですが、夢が叶いました。
なんと、これがDVD化されていたのです。

関係者の間でもこの作品は、戦後GHQによって戦意喪失のため没収、
焼却され失われた「幻の傑作アニメ」と言い伝えられてきました。
ところが近年、松竹大船の倉庫でネガが発見されたのです。
もしGHQの手に渡っていたら確実にこの世から消えていたでしょうから、
もしかしたら映画会社の誰かが隠して検閲を免れたのかもしれません。

そして新たにわかったところによると、実際は記憶と少し違っていて、
スタッフは「ディズニーを見て絶望した」のではなく、
「押収したディズニーのアニメをを目標にこれを作った」のでした。


言われてみると、たとえば旗や桃太郎たちのハチマキが風に煽られる様子、
表情を曇らせたり何かを思いつめたりするときの表情の変化に、
今のアニメ風とはまったく違うディズニー風のテイストが感じられます。

もっとも、物資不足でフィルムもろくに手に入らなかった当時、
ディズニー作品とこれを比べるのは酷というものに違いありませんが、
少なくともその限られた条件の中で、日本の制作スタッフが 、
「ファンタジア」に近づこうとした努力はいたるところに窺えます。

ところでこのシリーズのタイトル画ですが、全てわたしのタッチで
この映画の登場人物を想像し、人間に描き変えてみました。
どうぞその辺りもご覧いただけると幸いです。



昭和19年12月完成。
この、和紙に毛筆で書いただけのタイトルにもなにか
切羽詰まった感が拭えません。
この1ヶ月くらい前からは本土空襲が激化していました。

物資不足も深刻で、国策映画といえども製作に必要な資材の調達がままならなくなり、
質の悪いザラ紙の動画用紙は利用が終わると消して新たな動画を描き、
セルも絵具を洗い落として再使用するなどの大変劣悪な制作環境 (wiki)


ということですので、セル画が残されている可能性はまずゼロです。

 

さすがは海軍省が作った国策映画。
音楽監督は御大古関裕而、そして作詞はサトウハチローです。

ただしわたしは古関が全てを作曲したというようには思われません。
古関裕而は確かに山田耕筰などのようにクラシックの管弦楽法や
対位法をみっちりやって前衛的なものが書ける作曲家ではありませんが、
それにしても、後ろに流れる音楽に耳をそばだててみると
理論的に奇妙に聞こえる展開が多く、時々稚拙ですらあります。

若いスタッフは次々と徴兵、徴用されて減っていった。
その上、スタジオでは空襲警報が鳴る度に機材、動画などを持って地下へ避難し、
警報解除後にまた作業を再開するなど非常に困難な状況の連続で(wiki)

という状況が音楽にも影響を及ぼしたのかもしれません。 
ちなみにオケに「大東亜交響楽団」というような名前がついていますが、
こういうオーケストラ名が付いていたらそれは「寄せ集め」を意味します。(今でも)



この映画は「空の神兵」でドキュメンタリー映画にされた陸軍の
落下傘部隊に対抗するように、海軍の落下傘部隊を扱っています。

この陸海の落下傘部隊の軋轢?については以前も触れましたが、
海軍がこの時期にわざわざ開戦初頭のメナド降下作戦を題材にしたのは、
陸軍落下傘部隊だけが世間にもてはやされたことと無関係ではないでしょう。

ちなみに取材が行われたとされるのは、蘭印作戦で海軍の落下傘部隊が
メナドに侵攻してからちょうど1年後といったころでした。



物語は海軍水兵の四人組、猿・犬・雉・熊が帰郷してくるところから始まります。
彼らは皆、富士山の裾野に広がる美しい村の出身です。



全く期待せず、というか半ば侮ってこれを見始めたわたしですが、
最初のシーンにおいてもうすでに「何か違う」感じがしてきました。
故郷に帰ってきた彼らが鳥の声と風の吹きわたる光景を、
まるで初めて見るものであるかのように目を細めながら眺め、
そして空気の香りを嗅ぐ様子がいきなり長回しされるのです。



唯一名前が明らかになっていた「猿野猿吉」。
(軍服の胸に”サルノ”と記されていた)
彼が鳥のさえずりをその姿を追いながら眺め、そして思わず目を細めて微笑む様子。
爽やかな5月の風にセーラー服の襟がなびく様子。

戦後の白黒アニメでこんな風に表情の変化を描いたものはなかった気がします。



この表情の意味を、画面を見ている者は知っています。
もしかしたらこれが彼らにとって最後の帰郷になるかもしれないことも。



「海軍の水兵さんが帰ってきたよー!」

その知らせに沸き立つ村の人々。
これは猿野の弟猿、「三太」。

 

四人は村の神社にまず参拝を行います。

「拝礼」「なおれ、着帽!」

声をかけるのは熊で、どうも彼が最も上官であるようです。
ちなみに冒頭画像は手前から猿、熊、犬、雉の順番。 




ここまで全員無言。
鳥居を出て各々の家に分かれていくとき、まるで「帽触れ」のように
ゆっくりと帽を振る猿野。



このシーンは、村の子供達が猿野の荷物を持って行ってしまうのを
見送っているのですが、それを見ながら意味なく異常にふらふらしていて、
そのあとセーラー服の裾を直したり、とにかくアニメーターの

「細かい動きを表現したい」

という意欲が溢れすぎてわけがわからないことになってしまっています。
「帽振れ」のシーンとはアニメーターも全く違うという感じ。


 

「にいちゃん、何乗るの?水上艦?潜水艦?」

三太は兄に海軍で何をやっているのか聞くのですが、猿野は

「ううん」「違うよ」「海軍の兵隊さんは軍艦に乗るだけじゃないよ」
「もっと考えてごらん」

とごまかすばかりで肝心の答えをしません。

「わかった、飛行機だ!」

これにもノーアンサー。

 

ワン吉の両親は畑を耕しています。

 

雉は喋らないので名前がわかりません(笑)
仮に雉川雉兵衛(きじかわきじのひょうえ)としておきましょう。

餌を欲しがる赤ん坊(というかヒナ)の弟たちに糧食をやるもさらにせがまれ、
雉一は困った末、親と代わる代わる餌を捕ってきて口に入れてやります。

 

この世界では雉は鳥の巣に住んでいるようですが、熊は人家に住んでいます。
弟が五月の節句人形を箱から出して飾る手伝いをする兄、
それを目を細めて見ながらお茶を入れる母親。

なんと、このシーンでは熊が母親のお茶を待つ間膝を叩きながら体を揺らす、
という意味不明の動きまで見せてくれます。



猿野は近所の子供達に海軍の話をせがまれ、
航空隊に入隊して初めて単独飛行を許されたときの話、
戦闘訓練の様子を話してやります。

 

が、その間に兄の軍帽を横から取った弟の猿太。
憧れの海軍のマークをほれぼれと見つめて自分がかぶってみます。

 

そして自分の姿を水に写してうっとりと手旗信号の真似をしたり
敬礼したり、兵隊さん歩きをしているうちに帽子を川に落としてしまい・・・・、



それを拾おうとして川に流されてしまうのでした。



「大変だ大変だ、三太くん川に落ちたよ!」

このツバメの動きも大変目まぐるしく、セル画を何枚も使っているのがわかります。



猿野の驚きのポーズ(笑)
このあとつい動揺して慌てる様子も細かく表現されます。

 

知らせを聞いて犬山ワン吉も駆けつけてきます。
ワン吉は空中で回転して走っている皆を飛び越すというスーパー運動神経ぶり。
ついでに猿野まで追い越しております。

 

崖の上から飛び込んで弟を助けに行く猿野。
このときに、まるで手を水上機のプロペラのようにブーンと回転し、
泳いでいる猿野の体が空中に浮かび上がるのが、
いかにもディズニーにヒントを得たアニメならではの表現です。

 

ワン吉は体に縄をもやい結びで(多分)結びつけ、勝手知ったる故郷の地形、
流れに先回りして木のうろからダイブ、滝の手前で水面の猿兄弟をすくい上げることに成功。




村の子供たちが彼らのしがみつくロープを皆で力を合わせて引き上げます。

 

リスははっきり言って錘になってるだけの足手まとい。

 

桃太郎を入れて5人の主人公には、今のアニメシステムでは考えられない
贅沢な「キャラクター専属制度」が取られました。
つまりひとつのキャラクターに一人のアニメーターが専従したのです。
そう言われてみれば各自のキャラの傾向が少しずつ違います。

アニメーターの癖や好みが、キャラクターに反映されているのでしょう。

 

さて、熊野熊衛門(これも便宜上勝手に命名、あだ名はくまモン)
の家では、長男のくまモンが
節句の飾り付けを行い、鯉のぼりを揚げます。
くまモンの家には三太が溺れたニュースは届かなかったようです。



しかしよく考えたら桃太郎に熊、いませんよね?

ここではくまモンは金太郎に投げ飛ばされている熊の置物を手に取り、

まいったまいった、と言いたげに無言でひっくりがえって見せます。
クマは桃太郎には出てこないが金太郎には登場する、だからこの出演となった、
と制作者が言い訳をしているかのようです。

ここで桃太郎の話に金太郎をフュージョンさせていることを説明しているのですが、
出演にあたってはきっと熊のプロダクションがゴリ押ししたのに違いありません。



くまモンの母、「クマ」(たぶん)が息子を見ながら微笑み、
体を倒した時に、居間の奥にかけられた東郷元帥の写真が一瞬映ります。

さすがに東郷元帥を動物に喩えることはしなかった模様。
この世界では将官や桃太郎など士官が人間で、兵士が動物ということになっています。

 

無事に弟を救出した猿野は、ワン吉ときっちりと敬礼をして別れ、
二人で熊雄の揚げた鯉のぼりを眺めます。

彼らはお互いに何かを語り合っていますが、画面にはセリフはありません。

弟の三太がまったく懲りずに猿野の軍帽で遊んでいる間、


 

猿野はたんぽぽが綿毛を飛ばしているのをうっとりとうち眺めます。

 

そして、その綿毛が空に舞うのをしばし見ていた猿野の耳だけに、
落下傘部隊が降下を行う合図に使われるブザーと号令が聞こえてきます。

ブーッ、ブーッ

「降下30分前!全員落下傘着け!」

ブーッ、ブーッ

「降下用意!」

「こうかあ〜〜!」

ブーーーーッ



ふたたび眼を上げたとき、猿野の表情は変わっていました。



これは、彼ら海軍空挺部隊が死を決して行う降下作戦前の、
最後の帰郷だったのです。


海軍挺進部隊の降下作戦は極秘のうちに訓練が進められ、
1942年の1月11日に行われました。
前にも書きましたが、これは陸軍より先に行われ成功したにもかかわらず、
陸軍空挺部隊が予定するパレンバン空挺作戦の企図秘匿のため、
その戦果はすぐには公表されず、1ヶ月以上後の大本営発表で
パレンバン空挺作戦の成功とほぼ同時に発表されることになりました。

しかも、陸軍の第一挺進団の戦果、被害の少なさ、攻略したものの重要性が
海軍のそれを上回ったため、陸軍ばかりが目立つ結果となってしまいます。


また、日本軍落下傘部隊を謳った軍歌として大ヒットした『空の神兵』は、
後に陸軍空挺部隊を描いた同名の映画『空の神兵』の主題歌になり、
「空挺といえば空の神兵」という風潮は海軍空挺隊に不満を与えました。


「国策映画」「戦意高揚」

このアニメについて回るこれらの言葉には、非難の意味合いが含まれます。
しかし、わたしは前作「桃太郎の海鷲」で真珠湾攻撃を描いたときと違い、
このアニメを昭和20年にわざわざ海軍が後援して製作するにあたっては
海軍の陸軍落下傘部隊に対する対抗心が製作のモチベーションであり、
実は海軍落下傘部隊を世に知らしめるのが目的ではなかったかと思われるのです。

事実、この作品によって海軍挺進部隊は国民にある程度は知られることになり、
海軍の目的はほぼ果たされることになります。

国策映画というより海軍の宣伝映画の面が大きかったように見えます。

続く