いつもと違うタッチで、ヨノイ大尉にジャック・セリアズがキスをするシーンを描いてみました。
実は最初いつものようにカラーで、4割仕上げたとき、突然画面が機能停止で消えてしまいましてね。
こういうときはゼロから同じことを繰り返す気にならないものです(よね)。
そこでいっそ全く趣向を変えてスケッチ風で仕上げることにしました。
手作業で斜線をかけて画面を覆い、色ヌキとシャドウで陰影をつけています。
何だって27年前のこの映画を今頃取り上げているのかというと、
今ボストンにいるのですが、たまたまこのDVDを見つけたのでちょっと嬉しくなって買ってみたのです。
何年かぶりに今回「字幕無し、日本語部分のみ英語字幕」で観たわけですが、
昔一度観たとき感じたことを思い出しました。
「日本語にも字幕が欲しい・・・・」
そう、今回思ったことは
「英語にも字幕が欲しい・・・・」
それにしても凄い映画です。
だって、主役級に演技の上手い役者が一人もいないんですよ。
そもそも演技どころか、主役陣のうち上から三人が俳優じゃないんですから。
辛うじてローレンス役のトム・コンティが演技らしきことをしていますが、ただしこの人の日本語(通訳の役)
何を言っているのか全く分からない。
のみならず、坂本龍一の日本語が何を言っているのか分からない。
昔観たときも「こんなにぼそぼそしゃべる帝国軍人がいるか!」と突っ込んでしまいました。
今回日本語に英語字幕がついていたので、初めてこの二人の不可解な日本語が聞き取れたようなものですが、
今度は、字幕の無い坂本教授の英語は何を言っているのか全く分からなかったという・・・。
どちらで観るにしても全編字幕が必要な映画です。
こういった点でこの映画を名作と呼ぶのには若干躊躇われるにもかかわらず、
この映画の予告を見たとき、「この映画、観たい!」とときめきにも似た興奮を感じたものです。
その大きな理由はこの、今から思うとキワモノとも言える力技キャスティングの効果だったように思います。
そしてあえて褒め称えるならば極限に近い大根役者を使ってここまで魅力的な題材をまとめ上げることができたのはひとえに監督大島渚の力量と言えるのかもしれません。
先日「紙谷悦子の青春」という映画について
「戦闘シーンの無い戦争映画」と言われていることを書いたのですが、
この映画は
「戦場を舞台にし、出演人物が将兵であるが戦争映画ではない」ということができるかと思います。
ではどういったジャンルの映画なのか。
ウィキペディアでは武士道や階級意識、信仰心、友情、軍やイギリスの学校生活における苛め、
そして
後期の大島作品に底流する「異常状況のなかで形作られる高雅な性愛」というテーマも、
日英の登場人物らのホモセクシュアルな感情として(婉曲的ながら)描写されている。
などと、そのテーマについて語っているのですが、
そうですか~?
この映画、婉曲も何も、ずばりそのものでホモセクシャルがテーマでしょう?
昔観たときここまでとは思っていなかったのですが、今回観てこれは紛れもなく今の言葉で言う
「ボーイズ・ラブ」ジャンルだと確信しました。
日本では「ラストシーンのたけしの表情の素晴らしさ」「音楽の素晴らしさ」などが映画の付加価値に、
やたら高尚かつ芸術的な深い意味を持たせて評価されていた向きがありますが、
イギリスで日本公開の3カ月後この映画が公開されたとき、英国のその筋の方々は騒然となったそうです。
彼らの目には「ミシマ風味の耽美的ホモセクシャル映画」と解釈されたようで、
まあ、さっくり言うとこちらの評価の方が核心をついていたといっても良いのではないでしょうか。
夏目漱石の「こころ」が海外ではホモセクシャル小説としてカテゴライズされる、という話を思い出しますね。
ヨノイ大尉が部下と真剣での稽古をし、事後言葉少なにいたわり合う、などというサービスシーン?もあり。
(余談ですが、このDVDと一緒に三島由紀夫の『憂国』も買いました。感想はまた別の日に)
映画冒頭のエピソードというのが、朝鮮人軍属のカネモトの起こした事件。
カネモトはオランダ人捕虜の独房に忍び込んで彼を犯し、その罪で切腹斬首に処されます。
かれが「アイゴー!」と叫んで首を刎ねられる瞬間、
なんとその被害者であるはずの捕虜、デ・ヨンは舌を噛み切って後を追い「心中」します。
これが映画全体のテーマに対する伏線と言わずして何と言うのでしょうか。
次のシーンがジャック・セリアズ(デビッド・ボウイ)の裁判で、セリアズの美貌に心奪われるヨノイ大尉。
デビッド・ボウイが美貌であることに異論をはさむものではないのですが、この人、何と言いましょうか、
「口元が惜しい」と思います。
歯並びのせいでしょうか、妙にここだけ崩れていて、失礼ながらそこはかとない下流の匂いがし、
回想シーンの名門校の制服姿が何かの冗談のように見えてしまっています。
高校生を演じるには年齢的にも少し無理があったようですし。
まあしかしこれも、ストイックな日本軍人のヨノイ大尉がセリアズに堕天使のような妖しいフェロモンを感じた、
という解釈ができるので、このキャスティングは大いに成功していると言えましょう。
そして、ウィキには「反抗的な態度に悩ませられながらも次第に魅かれていく」なんてありますが、
そうですか~?
「次第に」どころか、一目観たとたんヨノイ大尉、激しく動揺していますよ。
この後の彼の主に武道によって自分を律しようとする不自然な努力は
「帝国軍人でありながら敵捕虜の美貌に魅かれてしまったことを認めたくないがためのもの」で、
ヨノイ大尉の部下(三上寛)が「あいつが大尉の心をかき乱すのを見ていられない」
という理由でセリアズを殺そうとし、失敗して自決するのも、
この部下が実はヨノイを愛していたということでしょう?
そして、セリアズが公衆の面前でヨノイを抱きしめキスをしたのは(本日画像)、
かれがヨノイ大尉の自分に対する気持ちを知っていたが故の行動。
ヨノイは「セリアズに自分の気持ちを見抜かれていた」ことに逆上して一瞬気絶したということでしょう?
原作、ロレンス・ヴァン・デル・ポストのMerry Christmas Mr. Lawrenceを読んだことがあります。
作者のジャワにある日本軍捕虜収容所での体験がベースにされている内容だということです。
戦犯裁判でひと束の金髪を懐に持っていたヨノイはそれを
「私が会った、最も尊敬する英国軍人の遺髪である」と言ったと書かれています。
そして、ヨノイがセリアズの処刑に踏み切ったのも、
(映画ではヨノイは更迭され後任将校が処刑する)
「日本人は軍人でなくても人前でキスされるなどということは恥と考えているから」と解釈しています。
大島監督はこのどこまで真実であったか分からないエピソードをヨノイ大尉の心情に踏み込んで創作し、
この映画の重要なテーマの一つに大胆に肉付けして絡めたのではないでしょうか。
試写会の時にたけしと坂本龍一の二人は自分たちの演技の酷さに唖然とし、
映画がこけることを願い隙があったらフィルムを盗んで焼いてしまおうとさえ言いあったということですが、
元々この二人は最初からキャスティングされていたわけではありませんでした。
なんと、当初ヨノイ大尉役には沢田研二、
そしてなんと、ハラ兵曹役には勝新太郎が
オファーされていたというのです。
どちらもがスケジュールを合わせることができなかったため決まらなかったというのですが、
想像してみてください。
デビッド・ボウイにキスされる沢田研二。
「メリークリスマス、ミスターローレンス」とニコニコする勝新太郎。
どうですか?
まず上は全く違和感ありませんね。
この「沢田研二に旧軍軍人をやらせるつもり」だった、という当初の計画から考えても、
ヨノイ大尉にはいわゆる軍人らしさや演技力など全く要求されていなかったらしいということが分かります。
しかし見るからにストイックな坂本龍一の方が沢田―ボウイのいかにも『危険な二人』より対比を際立たせ、
結果としては良かったのではないでしょうか。
そして(勝新太郎のアップのエンディングも、これはこれで観てみたかったとは思いますが)
映画史に残る、あまりに印象的なたけしのアップを生むことになった、という意味で、
この大抜擢はその後映画の道に進んだたけしにとって、
そしてキタノ作品を得た映画史にとって、僥倖ともいえる分水嶺だったわけです。
坂本教授は懲りもせず、この後ベルトルッチの「ラストエンペラー」にまたもや軍人役で出ちゃっています。
満映の経営にも当たり、実質上の満州の支配をしていたに等しいとされる甘粕正彦という役どころ。
(ここでの甘粕の描き方はあまりに一面的だと思いますがその話はまたいずれ)
演技はともかくこのひと、陸軍軍人役が妙に似合うんですよねー。
あのストイックなのにどこか隠微な感じが。
因みに海軍軍人姿を想像してみましたが、全くできませんでした。
これは世界の共通認識らしく、ましてや日本語の上手下手などわからない外人監督から見れば、
稚拙な演技も何のそのということで、この抜擢となったようです。
しかし、いずれの映画も演技は全く評価されず、
その代わりに音楽がまるで嫌がらせのように?評価が高く、
これも「世界の坂本龍一」の人生にとって
「あなたは余計なことに色気出さず音楽に邁進しなさい」という、
ある意味ありがたい啓示となったのではないでしょうか。(←失礼?)
というわけで総評としては、名作ではないが決して凡作にあらず、
不思議に魅力のある映画であると言えましょう。
・・・・・が、それにしても、ヨノイ大尉のあの妙なメイク。
沢田研二ならともかく坂本龍一のあの顔にどうしても必要だったのでしょうか?