◎審神者の資格としての見神
霊言、霊告、霊界レポート、チャネリングと言えば、洋ものでいえば、古くはダンテの神曲、スェデンボルグ、最近ではバシャール、あとはヘミシンクによる霊界フォーカス探訪、それと日本ものではX教祖の霊言などいくらでもある。
霊言、霊告、霊界レポートは、読んでみると、あまり世間で言わないことも言っているし、未来予言あり、過去の大事件の真相が暴露あり、もの珍しい霊界=無意識世界の風物もあって、それなりに面白かったりする。
そうしたものに共通して問われるのは、どの霊界を見ているのかってことである。たとえばヘミシンク霊界ではフォーカス○○なんていかにも霊界が数十とか数百しかないようなイメージを呈示しているけれど、霊界は見る人の分だけあると言ってもよいのではないか。つまり何十億とあるのではないか。またその人の思いが変わる都度霊界の数は増える。
天国な霊界あり、地獄な霊界あり、また現実化していく霊界あり、現実化しない霊界あり、現実化するかと見えた霊界も現実化を待つ間に変化を加えることもある。
こうして無数の霊界ある中で、わざわざ語られている霊告、霊言が眉唾でない可能性は極めて低いのではないか。
眉唾でない可能性を見極めるメソッドは一つであって、審神である。日本は審神先進国であって、神功皇后の時代から審神をやっているが、審神のテクノロジーについてきちんとまとめたのは、出口王仁三郎であった。
審神のテクノロジーの核心は、その霊言をどの霊が語っているかを見極めるということである。霊言とは神霊が憑依して語るということであるが、何が憑依しているかを見極めるということが課題となる。
見極めるためには、コーザル体以下(一霊四魂)の認識を持ち、天神地祇(本田親徳は、無形にありては、天津神(天神)、有形にありては、国津神(地祇)とする)を区別できなければ、ならないが、そこまでできるのは、最低でも見神以上でなければならないってこと。
要するに審神者は悟っていなければならない。
つまり審神のない、霊言、霊告、霊界レポート、チャネリングは、その真偽に疑惑があるのである。
一方審神を経た霊言としては、大本神諭、霊界物語があり、カルロス・カスタネダのシリーズでもドン・ファン・マトゥスの語りは正しいと思う。
霊言、霊告、チャネリングが、多数集積され、ビッグ・データになるのは良いが、そのほとんどがものの役には立たない代物だろう。