◎ジェイド・タブレット-06-52
◎青春期の垂直の道-51
◎最後の身体を持つ者
ダンマパダの中に釈迦の体験とはいえない体験が載っている。
法句351
『究極に達し、恐れなく
渇愛を離れ、汚れなき
かれは生存の矢を断った
これは最後の身体である』
(ダンマパダ/片山一良/大蔵出版P424-425から引用)
法句352
『渇愛を離れ、執着がなく
言葉と語法に精通し
もろもろの文字の集合と
前と後をよく知るならば
かれこそ最後の身体を持つ者
大慧者、偉大な人と言われる』
(ダンマパダ/片山一良/大蔵出版P424-425から引用)
まずは、自分は究極に達したと宣言する。恐れもなく渇愛からも離れ、人間的なものが少なくなり、何回かの輪廻転生はここに至ってこれが最後の転生であることを自覚した。しかしそれは、自分を『かれ』と見立てての表現になっているところに、神と人との逆転を経た語り口であることを感じる。
そして言霊についての言及を行う。言霊の妙用をよく自覚する者ならば、その作用反作用は精密に承知しているがゆえに、言葉の起こって来る過去と行く末の未来まで、自ずと手に取るようにわかる。世界の秘密を知ったからである。そこで釈迦こそは、最後の身体を持つ者、大慧者、偉大な人と言われる。
釈迦こそが、「体験とは言えない体験」を得たのだ。
さらに
釈迦がバーラーナシーへ行く途中で、邪命者ウパカから「あなたは、誰を師匠、和尚として出家したのですか」と問われた。
釈迦は、
『私は全知者、全征服者なり
いかなる法にも染まりえず
愛尽解脱者、全捨断者なり
自ら知るゆえ、誰を指定す』
(ダンマパダ/片山一良/大蔵出版P426から引用)
全知者、全征服者は、究極に至り、世界の秘密のすべてを知り、すべてを征服した者、神人合一を果たし人間としての最終形となった者。
渇愛によって起こるあらゆる実感を経て、それから解放され、捨てきった者である。
よって誰を師匠とすることもなく釈迦は究極を生きる英雄である。
私は神であるという宣言である。神と人との大逆転という体験とは言えない体験を経て初めてこういう表現となる。