◎外面的に恵まれていること、内面的に恵まれていること
これは、至道無難の自性記に出ている話。
『ある人が罰について訊ねた。
答へて云ふ。 過去と現在の罰がある。 一般に、人はあるひは死ぬと か、あるひは子孫が絶えるとか、あるひは身体を失ひ、あるひは祿を失ふのを罰といふ。それも尤もだが、常に願ふことが叶はず、何や彼やが思はくと違 ふといふのは、特に目には見えないながら苦しむ。
これが人知れぬ罰。』
《日本の禅語録/無難・正受p169-170から引用》
世間では、漠然とバチが当たるという。
さて上の文では、表に現れる罰と、蔭に隠れた人に知られぬ罰があるという。表に現れるのは外面的なものだが、蔭に隠れたものは内面的なものであって、実は本人にとっては大きな影響を与えている。この辺がうつ病の生涯有病率が15人に一人とか言われていることや、癒し・セラピー・占いの大流行につながっているように思う。
さて世の中には、霊感も含めていろいろな占いがある。四柱推命、紫微斗数、西洋占星術・ホロスコープ、人相、手相、易占、タロット・カード、オラクル・カード、ルノルマン・カード、風水、気学、地相、家相、墓相、数秘術・・・・。こうしたもので吉凶禍福を予言する。
そこで、こうした技法は、表に現れる吉凶禍福と、蔭に隠れた人に知られぬ吉凶禍福を両方占断できているのだろうか。人間は表も蔭(裏)もそろって一人の人間。外面は内面に影響を与え、内面もまた外面に影響を与える。
その成功・願望成就の歓喜はいつまでも続くのだろうか、またその失望・絶望・苦悩はいつ止むのだろうか。その繰り返しに愛想が尽きはしないのだろうか。
現代人はその発達した知性で、自分の欲望を極限まで拡大し、拡大に成功し続ける限り欲望の拡大は終わらないが、英雄の夢はいつか破れる。
ところで、出口王仁三郎は、神は罰を当てないが、人は罰を当てるから気をつけよという。これは別の話だが、人一人のできることはたかが知れているので、それも気にしなければならない。人は自分で髪の毛一本白くも黒くもできないのだ(イエス)。
願望成就というが、まずは謙虚、謙譲であって、マインドコントロールを避けて無駄な余計な願望を起こさせないようにし、そうであれば、本源的な願望しか残らないのではないか。人には人間として生まれて来た理由、本源的な願望はあるものだ。