◎天地(あめつち)の神の宮居(みやい)と生まれたる 人の神魂(みたま)ぞ 清くもたまし
出口王仁三郎は、いまの日本では大本教の関係者と日月神示に関心のある人くらいにしか興味を持たれていないが、実は江戸時代初期の天海僧正以来の大クンダリーニ・ヨーギ=古神道家であり、生涯6度死んだと広言し、クンダリーニ・ヨーガとは死の世界を窮めることであることを文字通り体現した人物。
更に昭和神聖会運動を契機として第二次大本教弾圧事件を惹起せしめたことで、現代日本の将来を霊的に方向付けた人物。
彼の影響力は広大で、生長の家など戦後興隆した有力新興宗教の半数以上が大本教系であることでもそれが知れる。
宗教界以外でも軍部、皇族、政界、財界、官界に広く支持を集め、昭和10年頃大本の信者は8百万人に達していた。
彼の主著霊界物語は、文字どおり、霊がかりな時代の総決算であるが、顕斎・幽斎の違い、三神系、富士鳴門のコネクション、万教同根、さらに、体外離脱の三区分など、クンダリーニ・ヨーガで主なポイントとなるテーマについて正統派の説明を残している。
霊界物語をピークとして、ブラバツキー夫人や、ルドルフ・シュタイナーなどで盛り上げた霊がかりなエポックは役割を事実上終えた。
言霊についてもいろいろなチャレンジはしたが、現代は精妙な言霊がほとんど有効でないほどの粗いバイブレーションが優勢な時代となったので、彼の言霊研究の評価は次の時代を待たねばならないだろう。
かのダンテス・ダイジも大本教で鎮魂を修したとされる。
