アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

冥想の深浅高低-7

2022-12-14 20:00:08 | 【アートマン】【ザ・ジャンプ・アウト-10】neo

◎原始仏教の分類4

原始仏教の遊行経において、釈迦は今まさに入滅しようとします。
『ここで、世尊は直ちに、
まず初禅(第一禅)に入り、
その初禅から出て第二禅に入り、
その第二禅から出て第三禅に入り、
その第三禅から出て第四禅に入り、
その第四禅から出て(以上で色界の禅定を終え)、

空処定(虚空が無限であるという禅定の境地)に入り、

その空処定から出て識処定(心の識別作用が無限であるという禅定の境地)に入り、

その識処定から出て不用定(いかなるものもそこには存在しないという禅定の境地)に入り

その不用定から出て有想無想定(心の表象が存在するのでもなく、存在しないのでもないという禅定の境地)に入り、その有想無想定から出て(以上で無色界の禅定を終えて、これにより生あるものの全世界である三界を超え出て)、

滅想定(心の働きが一切尽きてなくなり、全く平穏静寂な禅定の境地に入りました。)』
(阿含経を読む/青土社から引用。P951-952)

※空処定:空無辺処定のこと
※識処定:識無辺処定のこと
※不用定:無所有処定のこと
※有想無想定:非想非非想処定のこと
※滅想定:滅尽定(滅受想定)のこと

以上のように釈迦は、禅定のレベル1から順番に上昇していってレベル9に入ったのである。

滅想定は、既に色界、無色界を超えたところなので、個人という人間性を超えたところにある。ということは、個人が体験しているのではなく、仏が仏を体験する、つまり仏の側の経験のことであると思う。

また滅想定は、禅定の最高レベルである。禅定という定に分類してあるが、ヨーガ・スートラの分類では、定ではなく有想三昧と見られるので、定と三昧がここでは混同されているように考えられる。

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