◎覚醒して世界が変わる-2
○白隠-2
白隠の続き。
正受にしたたかに殴りつけられ、白隠は、雨後の泥土の上で死んだようになり、動けもしなかったが、正受はこれを見て大声で笑った。
7.南泉遷化の公案(南泉和尚は、死んで、どこへ行ったのだろうか)をやっていたある日、城下を托鉢していると、「あっちへ行け」と叫ぶきちがいばばあに箒で何度もしたたかに打たれた。
このまさに打たれんとする瞬間に南泉遷化の公案を透過した。以後正受に穴倉禅坊主と呼ばれることがなくなった。
この後に大いに悟ったのが6回あったが、悔しいことにそれを言葉で表現できた場合とできなかった場合があった。
8.その後、泉州信田の僧堂で夜坐している時に、雪の降るのを聞いて悟った。
9.美濃の東の霊松院で経行(きんひん)中、悟った。
- 42歳、『法華経』の「譬喩品」を読んでいたとき、コオロギの鳴く声を聞いて、大悟し、あまりの喜びに号泣した。
白隠は自ら大悟18回、小悟数知れずと言う。回数が問題なのではないが、現代人にとって十牛図の第三図に到達するのが最低ラインと考えられるので、白隠は、それはクリアしたのだろう。
どの小悟で見性したのかは、わかりにくい。例えば南泉和尚は死んでどこへ行く。肉体が死ぬ時、自我はほとんど死なない。では自我が死ぬかどうかどうやって確かめるのか、それには、自我が死ぬしかない。それを承知したのを以ってしても第三図見牛とはできよう。
白隠は隻手の公案を案出したり、公案を体系づけたり、門下育成での手腕は大いにあった人物である。では本当に徹底していたのだろうか。白隠は晩年夜船閑話という書を著し、観想法によるヒーリングを大いに推奨している。このように晩年になっても健康を主たる問題の一つとして考えなければならなかったあたりに不徹底を突かれる隙があるように思う。十牛図第八図の円相に向かうにはすべてを捨てることが必要である。健康や超能力(白隠は超能力の言及が多い)ですらも。
その時、自分が死ぬということを見切れば、「自性本有の有様」(アートマン)をたちどころに見るという体験が起こる(著書の藪柑子による)と、白隠は力説実証したのである。
白隠では大悟、小悟の大歓喜において、都度世界は大きく変化した。しかし誰でもこのように繰り返し起こるものでもないだろう。人によっては一発勝負もあるだろう。