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先週の一曲はムソルグスキー「展覧会の絵」から2番目のプロムナードと「古城」でした。1973年から数年、ピアノ演奏をステレオ録音する趣味を続けていましたが、その最初期の録音です。今は2005年、一世代ほど時間が経ち、子供が修学旅行に行くようになりました。去年までお城に行ったことがなかったのが、今年になって大阪城、名古屋城、熊本城を見て喜んでいます。それで今回は選曲を「古城」にしました。
展覧会の絵はムソルグスキーが友人の画家ガルトマン(ハルトマン)の展覧会から作曲したもので、絵から絵へ歩いて移る「プロムナード」が調性・雰囲気を変えて随所に出てきます。1874年、35才のときの作品ですが、42才でアル中で死んで後、数年経って公開されました。
10年以上前の話になりますが、ロシアがエリツィン政権へ移行する無血革命のさなか、「展覧会の絵」のガルトマンの絵を全部発見したというNHK取材の番組はとても良かった。その写真集「追跡ムソルグスキー『展覧会の絵』」にはガルトマンの3点の古城の絵が候補に挙がっています。でも1枚目はちょっと絢爛過ぎの感じ。ムソルグスキーの「古城」は荒城の月のような廃墟のイメージがあるので合わない感じ。2枚目は単なる教会みたいでしょぼ過ぎ。3枚目がイメージ合います。
展覧会の絵は最も好きな音楽に属しますが、ナマで2回しか聴いていません。一回目はアシュケナージ。このような大曲をライブでミスタッチ皆無という信じがたい演奏でしたが、サササーッと通り過ぎてちょっと教科書的すぎ。その前に演奏された作品111のソナタが深々とした名演だっただけに、感動はいまいち。二回目は目の前で聴いたヴォスクレセンスキー。こちらの方はミスタッチありましたがそんなことはどうでもよく、地の底から魂を揺さぶられるような演奏でした。(中西夫妻の招致活動に感謝)
実は今週の一曲は別の曲をアップするつもりだったのですが、前の記事でこの曲に思い入れのある旨のコメントがありましたので、今週の一曲もその続きにしました。
先週の一曲はムソルグスキー「展覧会の絵」から2番目のプロムナードと「古城」でした。1973年から数年、ピアノ演奏をステレオ録音する趣味を続けていましたが、その最初期の録音です。今は2005年、一世代ほど時間が経ち、子供が修学旅行に行くようになりました。去年までお城に行ったことがなかったのが、今年になって大阪城、名古屋城、熊本城を見て喜んでいます。それで今回は選曲を「古城」にしました。
展覧会の絵はムソルグスキーが友人の画家ガルトマン(ハルトマン)の展覧会から作曲したもので、絵から絵へ歩いて移る「プロムナード」が調性・雰囲気を変えて随所に出てきます。1874年、35才のときの作品ですが、42才でアル中で死んで後、数年経って公開されました。
10年以上前の話になりますが、ロシアがエリツィン政権へ移行する無血革命のさなか、「展覧会の絵」のガルトマンの絵を全部発見したというNHK取材の番組はとても良かった。その写真集「追跡ムソルグスキー『展覧会の絵』」にはガルトマンの3点の古城の絵が候補に挙がっています。でも1枚目はちょっと絢爛過ぎの感じ。ムソルグスキーの「古城」は荒城の月のような廃墟のイメージがあるので合わない感じ。2枚目は単なる教会みたいでしょぼ過ぎ。3枚目がイメージ合います。
展覧会の絵は最も好きな音楽に属しますが、ナマで2回しか聴いていません。一回目はアシュケナージ。このような大曲をライブでミスタッチ皆無という信じがたい演奏でしたが、サササーッと通り過ぎてちょっと教科書的すぎ。その前に演奏された作品111のソナタが深々とした名演だっただけに、感動はいまいち。二回目は目の前で聴いたヴォスクレセンスキー。こちらの方はミスタッチありましたがそんなことはどうでもよく、地の底から魂を揺さぶられるような演奏でした。(中西夫妻の招致活動に感謝)
実は今週の一曲は別の曲をアップするつもりだったのですが、前の記事でこの曲に思い入れのある旨のコメントがありましたので、今週の一曲もその続きにしました。
大学3年の時にオケで必死に練習して演奏会に臨んだことを昨日のことのように思い出します。バーバヤガーの小屋とリモージュの市場、卵の殻をつけたひな鳥の踊りの3つが技術的には大変でした。特にバーバヤガーは無調(でしたよね?)の上激しい跳躍が多くVnには過酷でした・・・。100回さらえば弾ける、を合言葉に練習しておりましたが、今思えばよくあんな情熱で練習できたな、と信じられない思いです。演奏会では完全燃焼してしまい、しばらく学校に行けなかったことも思い出しました・・・。
個人的な思い出ばかりで申し訳ありませんでした。
しばらく他の曲のあと続きをアップしましょう。