を更新しました。自分で調律したピアノでなくカワイの某スタジオで1989年頃録音したものです。元ページはここ。直接聴きたい場合はこれをクリック。
さて、先週の一曲ですが、ドビュッシー「前奏曲集」第1巻より第1曲「デルファイの舞姫」でした。自分で調律したSchwesterで弾きました。明るい日差しを受ける石舞台で優雅に舞う白装束の舞姫たちが想像されます。
前奏曲集第1巻が作曲されたのは1909年から10年にかけてで、常に「今までにない音楽を」求めていたドビュッシーがドビュッシーらしさのピークの作品群を生んだ時期です。これ以降のドビュッシーは(最後の室内楽ソナタ3曲は別ですが)若干無機質に走っているようにも私には思えます。他の作曲家を含め同時期の作品群を少し見てみましょう。
スクリャービン ピアノソナタ第5番(1907)
プロコフィエフ 悪魔的暗示 (1908)
ラベル 夜のガスパール(1908)
ラフマニノフ P協3(1909)
スクリャービン 調性表示を止め、後期に入る(1909)
R・シュトラウス 薔薇の騎士(1909-1910)
ドビュッシー 管弦楽のための影像(1905-1911)
ラベル ダフニスとクロエ(1909-1911)
ストラヴィンスキー火の鳥(1910)
ペトルーシュカ (1911)
シベリウス 交響曲第4番(1911)
ま、作品には後世の創作家に影響を与えたものと聴衆・演奏家に至福を与えるもの(とその両方)があるわけで、どれがどうかは歴史が決めるのでしょう。とりあえずストラヴィンスキーの言葉を引用しておきます:「私の世代の音楽家たちや私自身は、ドビュッシーのおかげを一番うけている」(吉田秀和訳「イゴール・ストラヴィンスキーとの対話」より)
さて、先週の一曲ですが、ドビュッシー「前奏曲集」第1巻より第1曲「デルファイの舞姫」でした。自分で調律したSchwesterで弾きました。明るい日差しを受ける石舞台で優雅に舞う白装束の舞姫たちが想像されます。
前奏曲集第1巻が作曲されたのは1909年から10年にかけてで、常に「今までにない音楽を」求めていたドビュッシーがドビュッシーらしさのピークの作品群を生んだ時期です。これ以降のドビュッシーは(最後の室内楽ソナタ3曲は別ですが)若干無機質に走っているようにも私には思えます。他の作曲家を含め同時期の作品群を少し見てみましょう。
スクリャービン ピアノソナタ第5番(1907)
プロコフィエフ 悪魔的暗示 (1908)
ラベル 夜のガスパール(1908)
ラフマニノフ P協3(1909)
スクリャービン 調性表示を止め、後期に入る(1909)
R・シュトラウス 薔薇の騎士(1909-1910)
ドビュッシー 管弦楽のための影像(1905-1911)
ラベル ダフニスとクロエ(1909-1911)
ストラヴィンスキー火の鳥(1910)
ペトルーシュカ (1911)
シベリウス 交響曲第4番(1911)
ま、作品には後世の創作家に影響を与えたものと聴衆・演奏家に至福を与えるもの(とその両方)があるわけで、どれがどうかは歴史が決めるのでしょう。とりあえずストラヴィンスキーの言葉を引用しておきます:「私の世代の音楽家たちや私自身は、ドビュッシーのおかげを一番うけている」(吉田秀和訳「イゴール・ストラヴィンスキーとの対話」より)
私は大好きな曲でも曲名を把握していないことがしばしばあります。「ウチにある青いCDの3曲目」ということしかわからない(笑)。でも最近、以前よりもずっと曲名を憶えるようになりました。
理由は2つあって、1つはインターネットで音楽を1曲ずつ買えるようになったこと。アルバム丸ごとだけではなく、好みの曲を選んで買うようになり、必然的に曲名にも目を向けるようになりました
もうひとつはこのブログに遊びに来るようになったこと。曲についての蘊蓄を読みながら音楽を聴くという新たな楽しみを知って、自然と曲名を憶えるようになってます。
両方とも、インターネットの影響が大きいですね。後者については、「本や雑誌の解説を読みながら音楽を聴く」という方法は以前からありましたが、本を読んでそのCDを買いに走る(またはその逆)より、クリックひとつで両方を行き来できるネットの方がずっと手軽。様々な活動の敷居を劇的に下げたのがネットの最大の功績だと思いますが、これなどもそのひとつかもしれません。