詠里庵ぶろぐ

詠里庵

計画書・申請書・報告書

2011-04-28 02:16:26 | 日々のこと(一般)
など、大学教員は忙殺される季節の一つのさなかにあります。自分が学生だったころ教授室に行くといつも先生はうずたかく積まれた書類に囲まれて、そのころはパソコンがありませんから、かりかりカリカリと何か書類を書いています。そんなに書類作成の仕事が多いのかと学生ながら思いましたが、そのころの先生方が私たちに決まって言うのは「今の先生達は我々の頃に比べてメチャクチャ忙しいね。そんなんじゃダメだよ」ということです。ダメったって、じゃあ書類の種類と数を増やしているのは誰?

ある下っ端でないお役人さんとの雑談で、こんなにたくさん書類を書かせて本当に誰かが読んでいるのか、また一つ一つ異なる書式指定されて大変な作業なので大幅に簡略化すべきではないか、と訊きました。ついでに、文房具のようなものさえ納品があっても検収が終わらなければ開封して使うことができないというのは、全国的に考えれば膨大な時間の損失ではないか。昔の教授達はこんなばかなことは無かったと言ってるぞ、とたたみかけました。

そこでどんな答えが返って来たと思います?
「昔は教授性善説に立っていたんです。今はそれではダメなんです」ですと。

しかしこれは妙に説得力があるので困ります。誰でもすぐに思いつくのが某A大学のあの教授と某B大学のあの教授。こんなとんでもない人達(の他にも情けない小悪党たちがいるかもしれませんが、そんな一握り)のせいで全国的に苦労させられるのか。

で、矛先はお上から情けない人達へと向かってしまうのですが、いや、そういう人達を生む世相の変化へと向かってしまうのですが、やっぱり昔の人達は沽券というか矜持というか、皆そういうのがあったよねぇと思ってしまいます。最近はなんだか政治家にせよなんとか安全委員会にせよ某企業のトップにせよ・・・
いや話がずれて発散しそうなのでこの辺にしておきます。
コメント
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