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九州大学山岳部 ブログ 「QUAC blog」

日々の活動、部員の声etc... QUACの日記です。

蝶ヶ岳合宿

2025年03月29日 | 冬合宿

2/15(土) 天気:快晴

09:10 中の湯 着

09:25 発

11:10 河童橋

12:40 明神

14:15 徳沢 着

18:30 就寝

岩井先頭。17日以降寒波で天候が荒れる予報のため、前日に決めたとおり徳沢より上の2220m地点程度まで行くことを目標に中の湯を出発した。快晴で雲ひとつなく、気温も-5℃程度で登山者多き。上高地トンネルを抜けてアイゼンを履き、河童橋からわかんに履き替えた。河童橋以降は登山者とほぼすれ違わなかった。トレースはあった。河童橋まで1時間半、そこから徳沢まで2時間の予定だったが竹田のスピードが上がらず、徳沢で幕営することにした。徳沢は我々以外なし。徳沢を拠点にアタックすることに決定し、3時起き4時発として18:30に就寝。

2/16(日) 天気:快晴

03:00起床

03:48徳沢発

04:06竹田撤退(18min後)

07:10長塀山

07:55現在地確認

08:13蝶ヶ岳山頂着

08:40蝶ヶ岳ヒュッテ発

09:30蝶槍

10:15蝶ヶ岳ヒュッテ着

10:30蝶ヶ岳山頂

12:48徳沢帰幕

 

 前日のヤマテンで、午前中の天候は安定する見込みだが午後以降の天候が怪しいという情報を得ていたため、徳沢から直接蝶ヶ岳までのアタックを行った。コースタイム的に蝶槍まで行くのは厳しいと考え、アイゼンは持たず軽量化を優先した。前日の快晴で別パーティが蝶ヶ岳アタックをしており、夜に雪があまり降らなかったこともあってトレースはかなり明瞭だった。雪の深さは膝ほどであったが、トレース上は雪が踏み固められていて非常に歩きやすかった。

 隊列は前から岩井-竹田-山本の順で出発。登山口から数分で急登が現れる。この時点で既に竹田のペースが上がらず、1分ほどおきに立ち止まってしまったりしていた。

 行動開始から18分、竹田から「このままだと山頂が踏めないだろうから自分だけ撤退したい」との報告を受ける。コースタイム上では12時までに山頂に辿り着けるかギリギリであった。

 幸いまだ登山口からあまり離れていなかったため、体調不良その他の異常がないことを確認して竹田だけ先にテント場に戻ってもらう判断をした。

 その後岩井と2人で急登を登り続ける。基本的にはトレースが残っているが一部消えてしまっている場所もあったため、ピンクテープや消えていないトレースを探して進んだ。先頭は適宜交代しながら行動した。

 

その後も地図を見ながら進んでいたが、樹林帯を進んでいくうちに現在地がはっきりしなくなる。トレースが残っていることやピンクテープが稀にあることから進行方向に不安はなかったが、赤旗を置くポイントをこの時点で通り過ぎてしまっていた。急登を登り切って2000m付近の広場へ。そこで別の登山者とすれ違う。テントも広場にあった。その後トレースが消え、ピンクテープを頼りに樹林帯を登り続ける。そのうちに空が白んできたため視界が開け、ルーファイの難易度は下がった。

登り始めてから約3時間半、長壁山に到着する。10mほど初めての下りがあったため、この先が長壁山のコルなのではないかと岩井と話し合うも、夏道のコースタイムが3時間であったため、2100mの広場がここなのではないかという結論に。テント跡もそこで発見した。

 長塀山のコルから少し歩くと頂上から下ってきた別の登山者とすれ違う。蝶ヶ岳ヒュッテにテント泊をしていたとのことだった。少し視界が開けてきたため、YAMAPを参考にして現在位置を確かめると妖精の池付近にいることがわかり、自分たちが想像の倍近いペースで進んでいたことが明らかになった。

 少し進むと確かに蝶ヶ岳の山頂が見え、現在位置が正しいことが確認できた。ルーファイミスを反省しつつ、そのまま山頂へ。山頂付近は強風のためか雪が少ししか積もっておらず、ハイマツが一部地面を構成していた。山頂碑で写真を撮った後ヒュッテへ。ヒュッテは冬季小屋があり、北岳の池山小屋のように中でテントが張れる大きさだった。トイレもあったので非常に使いやすい幕営場所だと感じた。

 ヒュッテで岩井と話し合い、ワカンではあるが蝶槍へ行ってみようという結論に。サングラスを外してゴーグルをつけ、ワカンでの歩行が危険そうな箇所があれば引き返すことも視野に入れ、ヒュッテを発った。

 蝶槍までの稜線は明瞭で、幅も道中ずっと余裕があった。行動中徐々に風が強くなり、最終的には20m/s近い風が吹いていた。風に飛ばされぬよう慎重に歩を進め、蝶槍へ到着。雲一つない晴天で非常に景色がよかった。

 その後ヒュッテに引き返し、休憩をとったのちに徳沢へ降りる。帰りもずっと晴れておりスムーズに行動できた。



2/17、アタック(山本-竹田) 天気:晴れのち雪

 

▪️行程

4:40 徳沢 / 1562 m

7:35 長塀山 / 2565 m

8:00 妖精ノ池 / 2615 m

8:30 蝶ヶ岳山頂 / 2677 m

11:25 徳沢 

 

▪️詳細

 3:00起床。昨夜に比べ外は寒かったが、風はなく星が見えるほど天気が良かった。午後から天気が悪化することをヤマテンで把握していたため、10:00時点あるいは天気が悪化した段階で撤収する取り決めをして山に登った。ワカンを装着し、山本(CL)が先頭で、竹田が次に続いた。

 取り付きから東に伸びる登山道(1526 - 2256 m)は、トラバース気味の登りや斜度が50度以上あると思える程の急登が続いた。トラバース道は、尾根の傾斜が大きいため足を掬われれば一気に数十mは滑落するように思われた。急登は、キックステップかつ手(ピッケル)を使わないと足元の雪が崩れて登れない程だった。一方、雪が締まっていた(登山客で踏み固められた後、ほとんど降雪がなかった)ことと、トレースが明瞭であったため、前日に比べペースは落ちていたものの全体的な行動時間に支障はきたさなかった。前述の急登は2000m付近にある広場までで、それ以降は比較的緩やかな登りが続いた。積雪は登山靴が完全に埋没するくらいにはあったため、ワカンの雪上歩行の練習には丁度よかった。4:00(1700m付近)、4:30(1800m付近)、5:30(2000m付近)で6〜7分程の休息を取った。

 ある程度行動したところで、針路が東から北東に切り替わった(2256 - 2565 m)のと同時に、日が昇り始めた。東の空(松本方面)は以前として快晴が続いたが、西の空(高山方面)は薄い雲が覆うようになっていった。長塀山に近づくにつれて傾斜は緩やかになり、樹林は次第に低くかつ疎になっていった。トレースは引き続き明瞭に残っていた。途中、先日長塀山でテン泊していたというソロの登山者とすれ違った。6:30(2300m付近)、7:30(長塀山付近)で6〜7分程の休息を取った。

 長堀山から妖精ノ池への道は、50m程降ってコルを通過し、再び登る形で続いた。長塀山の標札は雪で埋没していたが、登り一辺倒の登山道に現れた急な降りの手前のピークを山頂であると考えると良い。そのピークからは蝶ヶ岳の山体がよく臨めた。50m程の降りではトレースが掻き消されていたため、往路で唯一、若干の道迷いを起こした。妖精ノ池まで緩やかな登りが続くが、しばしば斜面をトラバースする箇所が散見された。妖精ノ池もまた目印になる人工物がないため、盆地状かつ東側に開けた雪原が見えたらそこに辿り着いたと考えて良い。危険箇所として、長堀山付近の尾根の東側に雪庇が発達していたことが挙げられる。西側の樹林帯に逃げるように通過されたい。池に着く頃にはいよいよ天気が怪しくなり、空は一面雲に覆われ、雪がちらつき始めた。

 妖精ノ池の後もしばらくは低い樹林帯を歩いた。森林限界は2660m付近で、山頂(2677m)の極手前であった。森林限界を抜けた後は一気に冷たいブリザードが吹き付け、蝶槍は見えず、赤い屋根の蝶ヶ岳ヒュッテだけがかろうじて確認できた。山頂までは積雪と埋没したハイマツのミックス帯が続いた。その際、ツリーフォールおよび躓きに注意されたい。山頂は開けており、標札が3つもあった。証拠写真を撮るためにグローブを脱いだが、十数秒後には完全に手先の感覚が無くなる程外気温は低かった。また少しの滞在で眉毛、睫毛、髭のありとあらゆる毛が凍りついた。山頂の気温はマイナス20℃以下、風速は20m/s以上はあったように思える。

 登頂後、一気に視界が悪くなったため、写真を撮り終えた後、急いで樹林帯まで退避ないし下山を始めた。途中、ホワイトアウトで先頭の姿が見えなくなるアクシデントがあったが、樹林帯がすぐそこだったため事なきを得た。樹林帯は比較的風が穏やかであったが、それでも往路に比べ格段に風雪が強くなり、トレースは薄くなるか完全に掻き消されていた。復路はそのあるかないかのトレースと赤旗・ペンキ(◯、×、→)を頼りに慎重に降った。基本はトレースを頼りに降ったが、しばしばそれを見失い、その度にトレースあるいは目印を協力しながら探した。途中、1700m付近で完全に目印を見失い、YAMAPを参考にした。復路は8:40(森林限界)9:50(2200〜2300m付近)に休息を取った。

 

2/18 天気:小雪

05:00 起床

07:18 徳沢 発

11:55 中の湯 着

岩井先頭。ゆっくりと準備をし7時発の予定だったが凍ったテントに苦難し18分ほど遅れる。微かなトレースあり。主に赤旗を頼りに進んだ。河童橋に来るひとはいるにはいた。

 


記憶に残る冬合宿・後編

2025年01月22日 | 冬合宿
エッセンで腹を満たし、いよいよ本日の目的地 池山小屋をとらえる。しばらく登っているうちに土に雪が被りはじめ、それと時を同じくして先導山本の足が凍りついた。本人曰く2週間前から風邪症状に悩まされていたらしい。本調子じゃない中、ここまで7kmの道のりを歩いてきたその体力と精神力には圧倒される。隊は歩荷分けをし、ペースを整えた。

さらに進むと次は山崎が凍りはじめた。相次ぐ3年お二人の不調に小屋目前、池山に差し掛かる頃には津田と森が先陣を切っていた。池山を通り、原生林の林を抜けると、一面白銀の世界。見上げると雪花舞い、足元は真白の絹布団。白原を越え綿帽子かぶる林の中、木立に包まれた小屋が見える、池山小屋に到着だ。
小屋には先客が一名。十分な広さであったので小屋内にテントを張り、夜の支度にとりかかる。マットを敷き詰め、その上にコンロと鍋をセットする。ゴホゴホ。小屋内とはいえ凍える寒さにダウンに身を包み、誘い水と雪のかたまりを鍋に入れる。ゴホゴホ。ガサゴソ。山本が熱を測っている。鍋に結露した水滴を雑巾でふき取る。ゴホゴホ。ゲホゲホ。山本がやってきた。隅に行く。俺インフルみたいだから近寄らないで。ゴホゴホ。鍋の中、雪はとけて水になっている。テントの中、山本は寝込む。小屋の中、9度の熱が知れ渡る。

急遽リーダー会が開かれた。グツグツ。水はお湯になり湯気が立ち昇る。雪を入れる。とける。今度はもっと雪を入れる。とける。いれる。とける。

山崎がやってきた。明日は下山する。んんん、聞き間違いかと思った。2年と山崎でアタックするものだと思ってた。山本も山崎も体調はすぐれず、このまま山籠もりして発病者が増えると下山はさらに深刻になる。賢明な判断だった。下山後山本以外に5人がインフルに罹患した。

荷物を少しでも軽くするため、夕食は2食分食べることになった。青椒肉絲と辣子鶏だ。日も暮れ、電灯のない小屋のなか、ヘッドライトの明かり頼りに調理を進める。後期入部で合宿がはじめての梅野は、ぺミカンを溶かすための水を気持ち以上入れてしまった。今夜は薄い中華スープだ。

気づくと先客は寝ている。光量を弱め、急ぎかきこむ。味わいつつもコッヘルはすぐ空になった。ささっと片付け、今夜は寝よう。おやすみなさい。


DAY2 2024.1.28
やせ細った月が明けの空に浮かんでいる。私たちを照らす光もない。朝六時半、小屋を出た。薬を飲んだからであろう、山本は解熱し足取りは軽くなっている。今のうちに降りてしまおう。森はリュックから赤旗を取り去り竹棒だけ自然に返す。もう目印を立てる必要はないのだ。梅野はせっかく雪山に来たのだからと写真を撮りまくる。遠くに見える岩峰、木立に差し込む橙の朝日、前を行く長谷川の後ろ髪引かれる足取りを。






順調に歩みを進めていたかのように見えたが、斎藤が遅れ始める。ついに鷲ノ住山中で歩みを止めてしまった。具合の悪いメンバーが増え、ペースも大分落ちたことにより、帰りのタクシーに間に合わない可能性がでてきた。昨日下山が決まり、交通係の木下はタクシーを急遽手配したのだった。逃すわけにはいかない、予約の時間を少し過ぎても待ってはくれるだろうが、何分いや何時間過ぎるかわからない。敢え無い分隊をおこなった。
速足なのは森と津田。次に山本とサポートする岩井。さいごに斎藤と彼の歩荷分けを終え
た山崎、木下、長谷川、梅野。

鷲ノ住山を下り、足元はアスファルトに変わる。日はすっかり高くなり、黒い地面が続いている。途中、路肩では路面の工事を行っていて、コンクリートの隙間に岩壁が見える。たしか北岳一帯は堆積岩が分布していた。チャートとおぼしき岩を眺めながら足を進る。そういえば、岩井は大学の課題で北岳の地質を観察しようとしていた。今回実際に岩を見ながら教えてもらいたいとも思っていたが、撤退によりその夢はついえた。
何度目かのトンネルを抜けたときだった。うしろから一台のトラックに抜かされた。続いて二台目が迫ってきた。君たち、荷台に乗ってく?気前のいいおっちゃんが運転席から顔をのぞかせる。いいんですか!?乗ります!とっさに梅野がこう叫ぶ。
一台目に抜かされたとき荷台に乗りたいなーなんて話していたのだから驚きだ。意外にも山崎と木下は断り、最尾隊の斎藤、長谷川、梅野が急ぎ乗り込んだ。またまた分隊だ。はじめてトラックの荷台に乗ったものだから荷台の長谷川は終始にこにこだった。

途中山本、岩井を拾い、あっという間に夜叉神峠に到着した。先着の津田と森はあっけらかんとこちらを見ていた。ほどなく山崎木下が着き、タクシーもやってきてほっと一息ついた。

帰りは韮崎駅解散となり、それぞれがそれぞれのルートで帰っていった。

ーーーーー
雪山デビューが撤退に流れたのも、渓谷を眼下に荷台から風を切れたのも、このメンバー
で北岳をかじれたのも、一生に一度の思い出な気がする。悔しかった。楽しかった。あり
がとうございました。
ーーーーー
冬合宿のブログは小説風に書いてみました。小説風に書くのは初めてなので、誤記があっ
たり、落ちがなかったりするかもしれませんが、ここまで読んでくださり感謝感激です。
梅野

記憶に残る冬合宿・前編

2025年01月22日 | 冬合宿

「北岳に来ただけ」今季この9文字を叫ぶことはできなかった。2024年度冬合宿・北岳アタックはメンバーの発病により撤退を余儀なくされました。北岳山域の池山小屋にて一泊後引き返し、稜線に出ることもなく帰路につきました。

はじめに賢明な撤退判断を下された諸先輩方に敬意を表すとともに、報告会での「結果的には良かったが早期に計画を破棄した現役は淡白である」とのご指摘を深く受け止め、2025年はさらに心身ともに鍛え、岳人として山を本気で楽しんでいきます。

合宿参加者/3年:山崎、山本/2年:岩井、津田、斎藤/1年:木下、森、長谷川、梅野


 さて、時は遡りDAY0  2024.12.26

博多から名古屋、中津川を経由し、甲府へ向かう。参加者は計9人の大所帯。博多駅に集合すると、1年ふたりが差し入れとともにお見送りに来てくれていた。


この時期、新幹線のぞみは全席指定席。青春きっぷの暴走により、新幹線を使うことを余儀なくされた我々は節約のため自由席券を購入。ひとりふたりで各車両のデッキで時を過ごした。車窓に見える田畑や住宅街、コンビナートや五重塔が過ぎ去り、あっという間に名古屋のビル群が迫っていた。

ローカル線に乗り換え、揺られる。遠目に雪被る頂が見える。気がつくと一面雪化粧の山あいを進んでいた。暖房の効いた車内には、部員の談笑が響き、それぞれの心根で北岳への期待が高まってゆく。

甲府に着いた頃には日は暮れ、駅前にはサラリーマンがせわしなく行き交う。計画上は駅前のカラオケ泊の予定だ。夜ご飯のため一旦解散となった。吉野家の定食にご飯おかわりを求める者、郷土料理ほうとうに温まる者、行方知れず気づくとビジネスホテルで快を満たす者。

そう、数名の先輩方がホテル泊に急遽切り替えたので、カラオケ泊は解消、残りはあてもなく彷徨うことになった。もとのカラオケ店は深夜料金に年末料金にで、ホテル泊より高かったのだ。もちろんのこと甲府城泊も検討したが、結局、安いカラオケ店にビバーク、1日目が終わった。


DAY1   2024.12.27

早朝発、甲府駅前に集合しジャンボタクシーに乗り込む。車内は真っ暗、木下は揺れるなかコンタクトレンズと格闘していた。1時間ほど夜道に揺られ、夜叉神峠に到着。準備を整え通行止めのゲートを越える。

ここから10時間の歩きが待っている。まずは鷲ノ住山登山口を目指し、登山口を越えたその先、あるき沢橋までは前座だ。昨年は暖冬により積雪も少なかったらしいが、今年はアスファルトが白むほど。ヘッドライトの明かりに、風花がきらめく。はじめての雪山、岩壁に生えるつららを横目に、しんしんと積もる雪への楽しみに満たされる。途中小休憩をはさみ、鷲ノ住山に足を踏み入れる。地面はアスファルトから土に移り、軽い足取りで山頂を跨ぎ、400mの急な下りへ突入する。薄暗い木立のなかを日頃の歩荷ではそう見ない斜度に慎重になりながら、冬靴が薄茶ける。赤旗をリュックの脇に抱える森は、その竹の棒を木に突き刺し引き抜き堪えていた。
走ると1分もかからない距離を1時間かけて下った。すっかり明るくなった谷間に野呂川が流れ、ワイヤーと鉄格子から成る灰色の吊り橋がかかる。野呂川は北岳を源流にもち、春には豊富な雪解け水が流れ下る。川の上、鉄格子の隙間から浅葱色の河面を覗く。夏にもなると豊かな水に育まれ、ヤマメが群泳するそうだが、風に揺られる波面が映るだけだった。

橋を渡り終え、土から再びアスファルトに戻る。ほどなくして、あるき沢橋が見える頃には腹音も聞こえ始めていた。

(後半へ続く)

冬合宿2023 五竜岳 前半

2023年03月17日 | 冬合宿

こんにちは、山岳部1年の山本です。
いつの間にやらそろそろ新学期が近づいてきました。
ひと月前のことにはなりますが2月の五竜岳合宿前半のブログを書き記して行きたいと思います。

今回の合宿に参加したメンバーは3年2人と1年2人でした。3年の先輩方が合宿中も準備期間中も我々を引っ張って下さり、それに着いていくだけになってしまったことは不甲斐なく思います。学年が上がるのに合わせて、より積極的に頑張りたい所存です。

 まずは2月16日、今回の合宿は青春18切符が使えなかったため、新幹線での移動を計画していました。それにより集合時間がなんと驚きの13時!普段の合宿では早朝の始発に乗らないといけないことが多々あったので、新幹線という交通手段に感動しました。。。
しかしここで私が痛恨のミスを犯します、合宿あるある(?)の忘れものです。
幸い先輩がかなりの余裕を持って着いていてくださっていたこと、そして忘れた装備の値段が安かったこともあり、電車が出るまでに先輩に忘れた物を購入してもらうことにより無事解決して頂きました。この節は装備を購入して頂いた先輩と忘れ物チェックを取り返しがつかなくなる前にしてくれた同期に本当に感謝しています……

 そんなこんなで無事電車に乗れました…がここでもハプニング、あまりにも快適だった新幹線の旅は突如終わりを迎えました。何故か新幹線が途中で目的地に着く前に止まってしまい、点検からの運行中止のアナウンス。
今回こそは交通関係で問題は起こらないだろうという僕の浅い経験から来た甘えた考えはその瞬間打ち砕かれました。
先輩たちと顔を見合わせ慌てて交通手段を模索。返金手続きやら何やらでかなり混乱しましたが、結果的に50分遅れののぞみの自由席に乗ることができ、快適とはいかないまでもちゃんと時間内に目的地に到着することができました。そして待ちに待った晩御飯!やはり肉が食べたいということで美味しいステーキ屋さんでたっぷり牛肉を頂きました。とてもおいしかったです。その後は夜行バスに乗りゆっくりと何事もなく夜の旅を楽しみました。

 長い長い16日が終わり、17日の早朝、夜行バスから降りて駅でゆっくり電車を待ちました。外があまりにも寒かったのに対して待機場所がとても暖かかったのを覚えています。
そして電車に2時間ほど揺られた後、神城駅に到着。雲ひとつ無い晴天で寒い中でも日光が眩しすぎるくらいでした。
そしてバス移動を経てスキー場、山岳部であるため山の景色にも感動しましたが、私個人としてはそんな位置にある大きすぎるスキー場にかなりの驚きを覚えました。
そのまま登るのかと思いきやそこからはなんとゴンドラでの移動。普通に登るのであれば恐らくそれだけで数時間かかってしまうであろう急登をスイーーッと登るゴンドラに対して文明を感じました。
そしてようやく登山口へ、他の登山客と思しき人に質問したりして正しいであろう道のりを見つけ、無事にたどり着くことが出来ました。
紆余曲折ありましたがここから登山開始、地蔵の頭は巻いてスタートします。
晴天の影響か雪は浅く、トレースも残っていたため登りやすい斜面が続きました。特に問題もなく正午頃小遠見を踏み、中遠見でトラバースしたが、ここのトラバースが少し斜面が急で怖かったため慎重に進んだ。
そして中遠見でテント跡を発見したためそれを利用してテン泊、景色がとても綺麗で五竜岳がやけに綺麗に見えたことを覚えている。
そしてこの日は1年生2人組にとって初めてのトイレ作り。時間も余裕があったため折角なら雪洞訓練も兼ねて少し豪華なものを作ろうということでおよそ1時間ほどかけてトイレ作りをした。そしてこの合宿初めてのテント泊、3.4人用テントに4人入ることに若干の不安はあったものの初日“は”案外快適に寝られた記憶があります…

 そして何事もなく夜を過ごし、翌朝。
18日も天気は快晴、ここまでは本当に天気も良く順調でしたが翌日の19から大きめの低気圧が来ることが判明していたため、その日のうちに良いテント場を見つけてどっしりテントを構える、という気持ちの元山行を続けました。とは言っても天気がすこぶるいい事もあり何事もなくスムーズに大遠見まで進み、その後も順調に進みました。
 ここで今回の合宿で1番と言っていいほどの幸運、西遠見手前のコルでテン場跡を発見。
その時はラッキーとしか思いませんでしたが、合宿を振り返ってみるとここにテントを立てていなかったら今回の2倍以上厳しい合宿になっていたと思います。しかし当初の予定では西遠見にテントを張る予定だったので先輩方が空身で偵察へ向かいましたが、結果コルの方が良さそうだということでテン場をそのまま利用させて頂きました。と言っても翌日からの暴風雪に備えるため、かなり高めの風防を作り、そこそこ大きめのトイレを作るなどして時間はすぐ過ぎた記憶があります。

 そして就寝後22時…天気が崩れ、雪かき作業が始まりました。力仕事とは言え単純作業なら大したことじゃない…と思いきや深夜に突然起きてする作業は思いの外こたえました……なんと言っても睡眠時間が削られるのがとてもきつい!そして睡眠の質も下がる!!いくら単純作業と言えど力仕事して速攻寝る、というだけのシンプルなものではなく、仕事を終えたらしっかりみんな雪をテントの中に入れないように叩いてもらってから入るのでその過程でテントの中がめちゃくちゃになり、それぞれが均等なスペースを確保することができなくなるなど様々な問題が発生しました。
 そして何より今回のテン場、整地は1度試みたものの地面に氷が多すぎて整地しきれず、酷く傾いてしまっていたのです!これにより端の先輩が潰される形になってしまっていました……本当に申し訳なく思っています……

 そんなこんなで雪かきをめぐった問題がありつつも翌朝19日は朝から大雪、雪が端で寝ている主将の肩を越える度テントをぶっ叩き、それでもなお雪が動かなくなれば雪かき開始、と言った具合で雪かきを行いつつ、水作りなどもしながら沈殿日を過ごします。そしてこの日に問題発覚、なんと昨日作ったトイレ1号くんが悲惨な姿で朝を迎えていたのです。。。
そこで3年の先輩方が奮闘、本当に高すぎるモチベーションで雪洞レベルで豪華なトイレを完成させてくださいました!!!
このトイレの出来が本当に素晴らしく、このトイレは合宿終了まで完全に埋没することはなかったです。改めて先輩には感謝ですね。
そしてジフィーズを食べた後は何事もなく就寝、その都度雪かきなどをしながら翌日以降の悪天候のことをあまり考えないようにして眠りました。


冬合宿2023 五竜岳 後半

2023年03月16日 | 冬合宿

お久しぶりです。

 

1年の山崎です。今回は2月16日~24日まであった五竜岳合宿の後半について話していこうと思います。

21日は前日の天気予報で午後から天気が回復するといった情報を手に入れてテント内がフィーバー状態に。みんな今までの疲れが嘘だったかのように明るくなり始めました。あとついでにだらだらし始めたような...

11時になってテントから出てみると相当雪が積もっていて雪かき。まだ雪かきは大丈夫という先輩の言葉は何だったのか。確かにテント10cmの範囲は雪なかった。といってもその範囲だけで周りにはテントの高さぐらいの雪が積もってたわけですが。まぁ11時に雪かきをした時点で、「あれ、これ天気回復嘘じゃね?」みたいな気持ちがあふれてきました。思った通りでした。結局16時から雪かき始まりました。 最悪。 テント周りの雪かきを終えたら僕はトイレの雪かきのほうに移りました。

「トイレにはそれはそれは綺麗な男神様がいるんやで、だからトイレをきれいにしたらなんかむくわれるやろ」の精神でトイレを一人でどうにか元通りに。そんな僕に男神様がプレゼントをくれました。 凍傷です。 最悪です。 トイレの男神様はあろうことか僕に指六本分の凍傷をプレゼントしてきました。マジでなんなんだ。

とりあえずそのことはあきらめて夕食づくり。そのあと明日が五竜岳アタックということもあり、先輩たちは早く寝るのかと思いきや割と遅めの時間に就寝。僕たち1年はアタックにはいかないのでいつも通りだらだら。ほんとに明日大丈夫か?

はい、大丈夫ではありませんでした。朝、先輩たちだらだら。1年だらだら。結局30分ぐらい遅れて先輩アタックに出発。沈殿日か!って突っ込みたいくらいには遅かった。

22日です。

先輩たちが五竜岳に行った後、1年二人はだらだら。僕がトイレに行くタイミングで空を見上げると快晴。美しすぎる五竜岳を静観。マジできれいでした。

そのあと、新歓用の動画をとるという話に。 テントの中で外部には出せないようなひどい動画を撮影。 まぁ部内でしか見せません

この日はとにかく話を延々として一日を過ごしました。 

先輩が13時頃に帰幕して、今日のアタックの成果の報告を受けました。白岳で引き返したそうな。コースタイム、120分の所を6時間ぐらいで登ったってことですね。一体何があったのだろうか。話によると白岳の稜線に入るまでが腰ラッセルだったそうです。大変そう。どんな感じだったのかは全く分からないけれども。とりあえずカメラを落としたという部分だけはしっかり頭に入れました。

そのあと、水づくりなどをしていると山本が闇落ち。どうやら下界で何かがあったらしい。まぁ次の日のアタックが先輩のみのパーティーで行くことが決定したので問題はなし。

はい23日です。

なんか記憶がないですね。

とりあえず朝、前日の行動が遅かったため、てきぱき行動。僕が無駄な話を振ろうとしてもそれを許さない雰囲気が出来上がってました。生きづらかった。

そのあと一年は沈殿。山本が死んでいたため、話し相手がおらずつらい一日を過ごしました。つらかったです。

とりあえず、13時ごろ先輩たちが帰幕。今日のアタックの成果の報告を受けました。五竜、無事踏めたそうです。よかった。

五竜を踏むまではトレースや、ペンキなどで道が分かりやすかったらしい。ただ、山頂を踏んだ後に天候が崩れ始め、トレースが埋もれてルーファイが難しかったそう。白岳付近でホワイトアウトにもあったらしい。なんか大変そうですね。前日落としていたカメラは先行パーティーが見つけて道のそばに置いていたそうな。

とりあえずアタックが成功したことによって明日の下山が確実に。途中で青木先輩が本気の顔で「明日まで残れば雪降るしラッセルの練習できる」みたいなことを言い出した。先輩がいうには冗談だったらしいが安平先輩が同意していたら間違いなく沈殿していただろう。まぁ、なんやかんやで明日の下山が確実になって僕はうれしい。明日は、一日で下山できるように3時起きということで話がまとまった。この日も結局だらだらして、遅めの就寝になった。

次の日ですね。24日です。朝、30分くらい遅れて起床。いつも頼りにしていた目覚まし時計替わりの青木先輩はこの日はなんだか気が抜けて起きておらず、ふつうに寝坊しました。来年度から青木先輩がいなくなるので合宿で起きれるのか不安になったり... 起きてからは下山パワーで撤収をぱぱっと終わらせて、下山。 撤収後のテン場は想像以上にへこんでいて、こんなところで寝たらそりゃテント生活もあんな感じになるわなと。何でテント張る前に整地しなかったんですかね?

下山開始1時間ぐらいして山崎の体力が死亡。凍傷で体温を奪われていて、本格的にバテみたいな感じでした。ふらふらしながら下山していたのでさすがにやばいなと思って荷物を分配。先輩がた、あと山本、荷物もってくれてありがとうございます。

下山後体力も時間も余っていたので山本と青木先輩がコンテストップの練習を始めた。僕は体力が残っていなかったし、ふつうに手があまり動かなかったので止めておきました。コンテの練習も終わったらあとはゲレンデを急いで下りてスキー場のふもとに帰還。


冬合宿 白馬岳

2021年01月15日 | 冬合宿
こんにちは!
主将を務めております、3年の安河内です。

今回は、年末年始に行いました冬合宿について報告いたします。
丁度、入山のタイミングで、数年に一度と言われる大寒波が到来し、なかなか大変な合宿になりました。

今合宿は、4年生が2人、3年生が1人、1年生が2人の計5人での合宿でした。
活動期間は、12/28~1/1の5日間。 沈殿はなしです。
山域は白馬岳で、栂池高原スキー場から入山し、また同じ場所に戻ってくるという形を取りました。
結果として、天気が先行きがあまりに厳しく、下山できないほどに天気が悪化し、身動きが取れなくなってしまうことを危惧し、予備日も使わずに下山してしまいました。
まともなピークは一つも踏むことができず、ほとんど雪訓合宿になりましたので、非常に不完全燃焼な合宿となりました。

九大山岳部は、原則として3年生で引退なのですが、4年生が2人参加してくれたことは非常にありがたかったです。
対して、1人だけ在籍しております2年生が、直前に足を痛めて、合宿に参加できなかったことは非常に残念でした。
そして、その直後に1年生にも1人足を痛めた者が出まして、その1年生も合宿に参加できなくなったらどうしよう、と頭を悩ませましたものでした。ですが、彼についてはどうやら大丈夫だったようで、無事、合宿に参加し、頑張ってくれました。
春合宿も計画しておりますので、実施できた場合は、是非とも皆で登りたい限りです。



今年度の1年生は夏合宿を経験しておらず、初めての北アルプス、初めての長期合宿となりました。
幸い大学からの合宿の許可は出ましたが、内的なリスクが非常に高かったため、今回は、技術的には難しくない白馬岳を選びました。
ルートを選び、雪崩や道迷いさえ避けられれば、白馬岳は、技術的に難しい箇所はなく、積雪期の入門的な山となるようです。
ただし、後立山連峰でも北部に位置する山ですので、雪は多く、体力勝負の山になります。実際、我々も深雪の中でのラッセルに苦しめられました。
しかし、ラッセルや雪訓などを通して、「雪に慣れてほしい」というのが今回の合宿の目的の一つでありましたので、そうした雪の多さも、また今回の合宿の目的にそぐうものではありました。



○0日目 12月27日 移動日
貧乏学生につき、全員、青春18切符を使って移動を開始します。
JRの鈍行を幾度か乗り継ぎ、大阪駅まで行きました。
1人遅刻してきた者がおり、幸先の悪さもありましたが、交通計画を変更して、なんとか問題なく済みました。
電車内では、新型コロナウイルス感染防止を念頭において、事前に車内の行動指針を設けたりもしました。

また、途中の駅で、九大山岳会で事務局長を務める義経先輩がいらっしゃいました。
変更した交通計画に付き合わせてしまったことは非常に申し訳ない限りです。
そこでは、義経事務局長や米澤会長からの差し入れを頂いたり、会からのカンパを頂いたりしました。
本当にありがとうございます!




大阪駅に着いた後は、もはや恒例となりつつある、ステーキハウス「タケル」での夕飯の後、いつもの場所でバスを待ちました。







バスは3列独立シート。やや暑かったですが、コンセントもあり、概ね快適でした。



○1日目 12月28日 入山(栂池高原スキー場 栂の森駅~自然園駅~天狗原)
移動日である0日目の後、28日の朝に栂池高原スキー場にバスが到着しました。
ゴンドラ券の販売開始まで、朝食を取ったり、装備を身につけたりして時間を潰した後に出発しました。




天気は悪くはないが、雲も目立つ。


1日目と2日目は、天気は良好で、基本的には晴れた中を歩きました。
道も、先行した多数のバックカントリースキーヤー達によって踏み固められており、歩行は比較的楽でした。
時たま踏み抜いたときであっても、膝程度の深さでした。


出発前の1枚。最終日にゴンドラ駅に到着した際の1枚と見比べると少し面白い。


1年の安平は、たまにトレースを踏み抜いたりもしていた。


ワカンの魔改造によって、ワカンが外れやすくなってしまった。ワカンを着け直している時の一枚。

そうしてゆっくりと進み、この日は、天狗原(てんぐっぱら)まで進みました。
この日の予定では、自然園駅で幕営としていましたが、天気がもたないであろうことから、天狗原まで進むことになったのです。
1年生の2人は初めての高山ということでかなりキツそうでしたし、4年生の先輩の一方は、久しぶりの北アルプスと言うことでキツそうでした。情けない話、私も、謎の歩荷量の多さで、大分バテバテでした。結局、元気だったのは、4年生のもう一方の先輩だけで、その先輩もかなりの量を歩荷しているはずでしたので、かなわないなぁと思わされました。

また、道中では、早大山岳部に抜かされることもあり、彼らとは、幕営地も近い場所になりました。



○2日目 12月29日 雪訓
この日は、当初の予定通り、雪訓に一日を費やしました。
というのも、1年生が夏合宿に参加していなかったため、1年生に雪訓の経験が一切なかったためです。
冬山においては、時間の使い方として、非常に勿体ないわけですが、こればかりは仕方がありません。
結果として、今合宿最後の好天の中、雪訓を行いました。


素晴らしい景色の中、ツリーフォール。抜け出すのは大変だった。


そんなこんなで通過した、今合宿の最高到達点にして、唯一踏めたピーク。天狗原のピーク(2204m)。


テン場からは乗鞍岳がよく見えた。スキーヤー達は何もない斜面を登って、その後に、滑降もしていたが、我々は雪崩のリスクを避けるため、遠回りして、尾根を行く計画だった。
…が、結局、尾根に取り付くことさえも出来なかった。


妙高山方面はよく見えた。


唐松・五竜方面もよく見えた。



雪訓では、はじめにピッケルストップの練習をしたが、雪が多すぎて、思うようには滑らなかった。




雪洞堀りなども行った。翌日以降に大雪の予想がなければ、本当は雪洞泊もしてみたかったところ。


その他、ピッケルストップ練習、雪洞作り、弱層テストなどを行った後に、テントに戻りました。




右手に小さく見えるテントに向かっている。因みに、早大山岳部は、我々がテン場に着いたタイミング、15時頃に下山を始めていた。



○3日目 12月30日 雪訓
この日は、前日から分かっていたことでしたが、一気に天気が悪くなりました。
そこで、テン場のごく近くでビーコン捜索訓練をした後、下山のための赤旗設置を行った程度でした。

ビーコン捜索につきましては、写真はありませんが、2回だけにとどまりました。
途中、1年の青木が腹の調子を悪くしたためです。
青木の腹調子の悪化につき、一度、全員でテン場に戻りました。

テン場に着くと、夜の間の大雪に備えて、テン場周りの整備をする役と下山のための赤旗設置をする役とに分けました。
赤旗は、設置したところで、夜の間の大雪で埋もれて見えなくなる可能性は高いのですが、何もしないよりはマシということで、設置に向かいました。

私は、赤旗設置の任に着きました。
赤旗は、入山日に通った道を思い出しながら、立てていきましたが、結局、入山日とは違ったルートに立ててしまったように思います。
ただし、自然園駅から天狗原までは、尾根などもほとんどありませんので、道などはあってないようなもの。ひとまず方角さえあっていれば良として、持ってきたほとんど全ての赤旗を立てました。
また、帰る途中では、冬毛の白い雷鳥12羽程度の群れに遭遇しました。はじめ、姿ではなく鳴き声で、その存在に気づいたのですが、皆さんは雷鳥の鳴き声はご存じでしょうか?
私自身、雷鳥のオスの鳴き声ははじめて聞いたのですが、非常に特徴的な鳴き声です。良ければ一度聞いてみてください。




非常に分かりづらいが、雷鳥が3羽いる。


赤旗立てから帰ってくると、屋根付きの非常に立派なトイレが完成していました。

テントに戻ってからは、夕食を食べる際に、米澤会長からの差し入れであるハムや焼豚なども食べました。非常においしかったです。
米澤会長ありがとうございます!

夕食を終えた後、夜の間は大雪が降るであろうことから、2時間おきに全員で雪かきをすることを決めて、床につきました。



○4日目 12月31日 天狗原~栂池高原スキー場 自然園駅
この日は写真はありません。
写真を撮る余裕もないような一日でした。

昨晩からの雪かきにより、寝不足の中、朝を迎えました。
夜の間は激しい暴風雪で、あらかじめテントの周りにそこそこの規模の溝を掘っておいたのですが、2時間経てば、その溝を埋めて、テントを圧迫するほどの雪が降りました。
2時間で30~40cm程度降っていたのではないでしょうか?
2時間おきに雪かきをし、終わったらシュラフに戻るものですから、グローブもテントシューズも濡れては凍ってを繰り返し、シュラフも大分濡れてしまいました。

それでも朝方になるにつれて、風雪は次第に収まっていき、朝方には、なんとか行動を開始できなくもないほどになりました。
ただし、風雪が収まったという意味では決してなく、行動できなくもないといった程度に多少弱まっただけです。

前日の予定としては、一日沈殿の予定でしたが、そうした天気でしたので、そこで、出発を決めました。
事前の予報と予想では、予備日を使い切った最終下山予定日まで天気は荒れたままだろうということもありましたし、最悪の場合、風雪が弱まらずに、身動きが出来なくなり、食料も足りなくなってしまいかねない、との危惧もありました。

出発を決断してからは、急いで準備をして、すぐに出発しました。
…が、前日に立てた赤旗は、ホワイトアウトで見えないか、風で飛ばされたかで、最初の数本を除いて、ほとんど確認することが出来ませんでした。
そこで、天狗原から自然園駅までにかけては、特に大きな尾根や谷などのない樹林帯で、曲がることなく、まっすぐに下っていくだけということもあり、赤旗を見失ってからは、コンパスとGPSナビ機に頼って下っていきました。

その道中は、前日からの大雪で、積雪量はかなりのものになっており、ラッセルの速度は非常に遅いものでした。腰から胸程度の高さのラッセルに苦しみながら、少しずつ前に進みました。
しかも、雪が中途半端にしまっているために、ファーストではそれほど沈まないにも関わらず、ファーストに続いて歩荷で歩くと、ファーストの意味がないほどに沈むような状態でした。
さらには、軽いホワイトアウト状態で、ファーストを交代して、ザックの元に戻ると、隊の姿は全く見えないという状況もありました。また、隊の姿が見えない上に、吹雪とゴーグルの凍結によって、トレースも一瞬で不明瞭になってしまうようなこともありました。
そうしたこともあり、通常のラッセルはすぐにやめ、歩荷ラッセルに移行しました。

歩荷ラッセル移行後は、ゆっくりながらも、確実に歩を進めていき、しばらくした後に、自然園駅に到着しました。
天場到着後も、睡眠不足と疲労と寒さにより、全員に覇気がなく、粛々と幕営の準備を行いました。

夕食で食べた年越し豚汁そばは大失敗でしたが、4年の山村さんに持ってきていただいたハム類はとてもおいしかったです。
夕食後、翌日中に栂の森駅まで下山してしまうことを決めて、濡れたシュラフで就寝しました。



○5日目 1月1日 栂池高原スキー場 自然園駅~栂の森駅
4年の山村さん、1年の青木、そして私の3人が、この日の下山後から夕方にかけて、栂池高原スキー場でスキーをしてから帰りたいと言いましたので、わがままを言って、この日の行動開始は朝の早い時間にしました。
行動内容は、前日と同じようなものです。
行きで使った林道を大幅にショートカットしながら、自然駅から栂の森駅にかけて、ほとんど直線で下っていきました。
雪の量は、前日に負けず劣らずで、ところにより腰~胸程度の深さがありました。

しかし、途中の林道からは、機械か人かによって踏み固められた場所に出まして、踝程度の積雪量に感動するようなこともありました。
そこからは楽勝で、一瞬で下山して終わりました。


下山後のスキー場での一枚。

結局、朝の7時頃に出発して、スキー場への到着が12時頃でしたので、行動時間は5時間程度でした。
想定していた行動時間が1時間強でしたので、それを大幅に超えることになりました。
行動時間の設定は、この日に限らず、大幅にずれていましたので、これは大ききな反省です。

そして、ここからは完全に余談ですが、スキー場に着いてからは、結局、山村さんと私の2人で、夕方までスキーを滑って帰りました。
帰りは電車が動いておらず、タクシーを使って大枚をはたいて帰らざるを得なかったことは痛手でした…



結局、ほとんど雪訓合宿でありましたが、これだけの雪を経験できたことは、貴重な体験だったと思っています。
しかし、山頂を踏めなかったことも、また事実。
春合宿に向けて発奮し、いっそう頑張っていきたいと思います!!


ついでに、報告書のリンクも置いておきますので、よろしければそちらも見てみてください。
https://drive.google.com/file/d/1ySjGnbmzJuAhLPCBeNBrieVQ82f2m8wm/view?usp=sharing

冬合宿 蝶ヶ岳

2020年01月08日 | 冬合宿
こんにちは。山岳部3年の下鶴です。

12/26~12/31にかけて行った冬合宿を簡単に報告します。詳しい報告は後日、HPに載せます。

計画の概要は以下の通りです。
・期間:12/26~1/4
・山域:蝶ヶ岳
・メンバー:3年2人 2年1人
・目的:①蝶ヶ岳登頂 ②雪上歩行の練習 ③雪崩捜索の確認 ④弱層テストをやってみる

12/26 博多→京都→(松本)
毎合宿お馴染みの青春18切符で鈍行を乗り継いで京都まで行きました。そこから夜行バスで松本へ

Day1 松本→中ノ湯→徳沢:風雪
バス乗車前に予想天気図を確認すると、12/29に高気圧が張り出しそう。12/29にアタックしようと3人一致。
この日は低気圧が過ぎた後の冬型で上高地でも降雪と強い風でした。何も問題なく、徳沢にて幕営。

Day2 徳沢→長壁山:晴れ
前日までの積雪でラッセルがあるかなと思いましたが、雪が少ないのと先行パーティがいたことでトレースはありました。それでも上の方は新雪でワカンを装着しました。この日は長壁山を過ぎたコルの雪原で幕営しました。天気図作成後、翌日には確実に高気圧が来るので、予定通りにアタックをすることに

Day3 アタック→徳沢:晴れ
5:00頃出発。1時間もかからずに山頂へ。30分ほど蝶ヶ岳ヒュッテで風をしのぎ、蝶槍へ。見渡す限りの晴天で、常念岳・槍ヶ岳・穂高連峰・八ヶ岳・富士山・南アルプス北部を望むことができました。
幕営地に戻った後に徳沢まで下りました。人気の山域・晴天もあり、多くの登山者がいらっしゃいました。

Day4 徳沢→横尾→槍見台→徳沢:みぞれ後雨
この日は、雪上歩行の練習として横尾からラッセルができそうな雪の斜面を探しながら、蝶ヶ岳へ登る途中の槍見台まで。雪が少ないのと高度がないことから、思っていたことより不十分な歩行となりました。そして、徳沢へ戻るとみぞれから雨に変わりました。
第1目的が達せられたこと・予想以上に雪が少ないことから下山することを決定しました

Day5 下山:曇り
夜中に雨は止み、飛行機の音と稜線の風だけが聞こえていました。上高地への途中に子連れニホンザルを見かけました。刺激しないように写真だけ撮って足早に過ぎました。
大晦日もあって、今日入山される方が多くいらっしゃいました。長いトンネルを抜けて中ノ湯まで戻り、バスを待とうとすると、親切なタクシーの運転手さんに松本まで安く送って頂きました。

蝶ヶ岳は簡単な部類に入る山域ですが、様々な反省点が見つかりました。自分は特にオーバーグローブでの操作が練習不足でした。次の春合宿までにはできるようにします。

次に合宿に1年生が参加してくれることを期待して、報告を終わります。

以下、写真です


長塀尾根の取り付き


Day2の幕営地にて


蝶槍から常念方面


朝焼けの穂高


蝶ヶ岳頂上

剱岳 早月尾根 ~2015年冬合宿2

2016年01月03日 | 冬合宿

12月30日(山頂アタック)
<AC(2h)2600mP(3h)シシ頭(1h)山頂(3h30m)AC>
いよいよ山頂アタックである。
4:30にACを出発。2400mくらいまではかなりラッセルがあった。先行の2人パーティーと交代でラッセルする。
2600mを超えたあたりから岩稜が始まる。最初の岩場(エボシ岩)はノーザイルで通過。シシ頭の前でアンザイレンする。シシ頭は、池の谷側に少しトラバースした後、岩場を直登し、リッジを超えてクライムダウンした。(この時は気づかなかったが、さらに池の谷寄りの所にクサリが出ており、帰りはこれを利用した。こちらルートのほうが簡単だった。)
次のカニのハサミは池の谷側を巻き、ルンゼに入る。ここはかなり急峻で、一部氷化している部分もあり、緊張した。
ルンゼを超えると別山尾根と合流し、稜線に飛び出す。急に風が強くなる。
頂上まであと少しだ。
細い雪稜を風に煽られないように注意しながら進み、11:10、山頂に立つ。

山頂にて

夢にまで見た厳冬期の剱岳。ついにその頂に立ったのだ。
しかし感傷に浸っている余裕はない。まだ長く危険な下降が残っている。
10分ほどで下降を開始する。

ルンゼの下りとシシ頭はザイルをフィックスして下る。
あとは特にザイルを出すこともなく、快晴の中景色を楽しみながら下った。
2600mから望む剱

出発から10h30mでACに帰還した。
その後小屋で買った酒とジュースで登頂を祝う。

12月31日(1年生訓練)
1年生をつれて2600mPまで往復。冬山初体験の1年にはちょうどよいトレーニングになったようだ。
昼前にはACに帰り着いたので、そのままテントを撤収し馬場島まで下った。
ACにて

1月1日(下山)
すべての計画を無事消化したので下山する。
伊折ゲートまではタクシーが入れず、さらに2kmほど歩いた。
富山市内で下山後の楽しみ、温泉と美味い食事を楽しんだ。


今回の合宿に来てくださったOBの中溝先生、米澤先生には大変お世話になりました。ありがとうございました。

また、一緒にラッセルしたくださった山岳会の方々や、何より共に登った仲間たちに感謝したいと思います。おかげで合宿を成功させることができました。

最後に、参考までに核心部の記録図を載せておきます。
これから早月尾根を目指す人の参考になれば幸いです。

 


剱岳 早月尾根 ~2015年冬合宿1

2016年01月03日 | 冬合宿

主将の村松です。

年末から新年にかけての1週間、剱岳早月尾根にて冬山合宿を行い、無事成功させることができました。

詳しい報告書は後程UPしますが、ここでも簡単に報告をしておきたいと思います。

12月26日(入山)
<伊折ゲート(1h30m)馬場島(3h)松尾平>
伊折のゲートでは、私達が入山第一号ということでTV,新聞の取材を受ける。
TVのインタビューは初めてで少し緊張した。今年は記録的な雪の少なさで、馬場島まではほとんど雪はなかった。警備隊の詰所でヤマタンを受け取る。
時間があったので松尾平までテントを上げる。松尾平付近は広い樹林となっておりルートがわかりづらい。赤布を頼りに進み、奥の平(松尾平の最奥部)にC1を設営する。さらに1300m地点まで食料装備を荷上げした。
松尾平は迷いやすい

12月27日(C1~1750mC2) 
<松尾平(6h)1750mテン場>
昨日のデポを回収し、上へと向かう。昨日降った雪の影響か、1400mあたりからラッセルが深くなり、時には腹まで潜った。途中で神奈川の山岳会の方々と一緒になり、交代でひたすらラッセルする。
1750m付近の平坦地にC2を設営、その後100mほど上まで食料装備を荷上げした。

12月28日(C2~早月小屋AC)
<1750m(5h)早月小屋>
この日もひたすらラッセル。出発から5時間ほどで早月小屋に着く。
小屋の東側の風の当たらないところを陣取り、ACを設営する。
時折休憩をはさみながら、ラッセル

12月29日(沈殿)
天気が悪いので沈殿。
暇なので、雪洞を掘る。2時間で2人が横になれるくらいの雪洞ができた。
天気図上では高気圧が近づいてきていたので、明日をアタックとする。

その②につづく・・・


冬合宿無事に終わりました

2015年01月07日 | 冬合宿

新年あけましておめでとうございます。今年も山岳部をよろしくお願いします。

さて、12月25日~30日に西穂高岳西尾根にて合宿をしてきました。事前の計画では槍ヶ岳に行く予定だったのですが、今年の積雪量による雪崩や気象条件を配慮して急きょ行先を変更して西穂に行ってきました。

結果から言いますと登頂はならず2860メートルのピークまでとなりましたがアタック日は天気に恵まれ、素晴らしい景色と雪の中での山登りを楽しむことが出来ました。詳しい報告は近日中にまとめてアップしますのでお楽しみに。



入山前の一枚





西尾根より奥穂方面を望む