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近所には ” 古墳 ” もあります~

2022年02月09日 | まち歩き

寒い季節ではありますが、晴れた日には近所を探索しております。

と云いますのは、兵庫県は全国でも有数の古墳がある地域であり、また神戸から明石にかけては多くの古墳が残されているからなんです

マズはウチから最も近い徒歩10分かからない場所にある古墳からです。

半年ほど前にコチラに引越す際、地図を眺めて「へぇ~ スグ近所に古墳があるのか・・」という感じで、気付いてはいたものの それ程  気にはしておりませんでした。しかし、何となく記憶に残っておりましたので、近所を歩く際には多少は気にはしておりましたが何故か発見することはありませんでした。

結局、恐らくですが、宅地開発の途中で古墳が発見されてしまい、潰すにつぶせない状況となり、丸形の古墳を取り囲むようにマンションが建ち並んでしまい 周囲からは見つからなかったわけでした。

看板の説明文にある通りなんですが、、 

何故作られた年代がそこまで明確なのかが不思議な気もします。宮内省の資料によると、その時期は  第30代 敏達天皇の時代だったみたいです

墓の頂上に上る階段が作られており、恐らくは石室が眺められるのだろうと期待満々で上がってみると、、、 何のことは無い ただの頂上になっておりましたわ~ 

  や や  ガックリ

 

で、ウチから もう少し離れて  徒歩15分ほどのところには、、

丘陵が途中でぶった切られた様な斜面の その脇に古墳の入口看板が見えます。

大歳山遺跡という、近畿地方の縄文時代前期を代表する遺跡です。コチラは少し前に紹介した「アカシゾウ」とか明石原人の発見者である直良博士により調査されたそうです。

現在は遺跡公園として整備されており、写真の左側に見えるのが古代人の竪穴式住居を復元したモノ(しかし予算が無い?のか、ほぼ朽ち果てております)です。その右脇に盛り上がって見えるのが前方後円墳の復元らしいです。

とにかく風光明媚と云いますか、とっても眺めの良い場所です!!

古代人が祖先を祭るために厳選した とっておきの場所だったのかも知れません。元々は、なだらかに続く丘陵地帯が長く伸びていたらしいのですが、近年の周辺の宅地化で丘陵が切り取られたわけで、その切取り部分が看板が立っていた  先程の急斜面になったようです。

 

三つ目は、探しながら歩いて1時間ほどかかりましたが、、、 

  電車ならば二駅でスグです。

コチラは 以前に電車の車窓から外の景色を眺めていたとき、そこだけ妙に開けていて また妙に明るい感じがする場所があり ”いったい何だろう?” と気になっておりました。たまたま兵庫だったか神戸だったかの地域新聞みたいなコミュニティ誌に記事が掲載されており、初めて 古墳なのだ と判明しました。

コチラは県内でも最大規模を誇る大古墳ですから、そばで見ると その巨大さに圧倒されますヨ~

五色塚古墳という名前で 4世紀後半から5世紀にかけて築かれたと云われてます。

個人的な印象というか感覚からすると、古墳の時代は人々は平和にのんびりと暮らしていた  な~んて安易に考えちゃいますが、、  どうやら、そうでもないらしいです!!

縄文土器に象徴される縄文時代は狩猟と採集をしながら移動生活が主だったらしいですが、、、

弥生時代になり、大陸&朝鮮からの文化(渡来人)が入ってくると 稲作が始まり定住生活になってくる そうすると出来高とかで貧富の差がでてくる だんだんと力を蓄える者が現れてきて、やがて豪族となってゆく  

すると地域の豪族どうしで領地拡大やら産物の取り合いやらで争いが始まり、次第に勢力を伸ばす豪族がでてきて広い地域を支配するようになる・・・ 歴史で習った『蘇我氏』とか豪族の誕生ですわ 

で、この五色塚古墳 いったい誰のお墓なのか? 

神戸市の文化財課の資料によると、明石海峡とその周辺を支配した豪族が葬られた と記述がありました。コレについて調べてみると、大倭直(オオヤマトノアタイ)という人物だったらしいのですが、別の説では、第14代 仲哀天皇の偽墓とも云われているようです。 宮内省の歴代天皇の墳墓紹介では、仲哀天皇のお墓は大阪の藤井寺にあると記述されております。だから偽墓なんでしょうが、何故ニセモノが必要だったのでしょうか? 

この時代には我が国には、まだ文字が無くて ハッキリしたことが判らない ようです。

県内最大というだけあって、かなりの急階段を登らなくてなりません!!

その当時には恐らく ”しきたり” があって?なのか、古墳は埴輪で埋め尽くされております。もっとも現状は往時の復元なのですが、、、

いや~ コチラも たいへん 眺めの良い場所です。

で、ふと思ったのが、 この前方後円墳の方向なのです。勝手な推測なんですが、淡路島のどこかを目指しているんじゃないかと思います。古事記を辿ると、淡路島そのものが日本の始まり(イザナギ・イザナミ)にも深く関わっているわけなので、漠然と淡路島に向いているのじゃなく  島の何処かに向いているんじゃないか  と、ロマンを感じております。

古墳を調べるうちに、古事記にも及んでしまい  子供の頃、学生時代には全く興味の無かった歴史(日本史 特に古代史)が物凄く面白くなってきました~  

あいまいで  諸説ある  のも、余計に興味が深まる感じです


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