風立ちぬ

2013年09月17日 | 健康・病気



先週の12日(木)に映画「風立ちぬ」(宮崎駿監督)を観た。
浦和所沢バイパスにあるシネプレックス新座という映画館です。
東京の家から車で10分ほどで行けるのです。
東京といっても目の前が埼玉なんです。

私はこの映画を良い出来だとは思わない。
アニメーションとしても良くない。
ただ、宮崎駿のこの映画を作りたかった気持ちは伝わった。
この映画の宣伝などをテレビやラジオで観て聴いて、「風立ちぬ」を観てみようと思った。
軽井沢がどのように描かれているかということも、軽井沢に住んでいる私としては気になった。
しかし、久石譲の音楽がいけなかった。
旋律の途中までが過去のある曲に似ていて、私の気持ちは引き裂かれた。

何が一番悪かったかというと、映画館の同じ列の5・6席離れたところに坐っていた中高年カップルだ。
映画が始まってから終わるまでずーっと話していた。
映画を観ていて気になって気になって、私はその2人を怒鳴り飛ばしたかった。
片方がトイレに行くと静かになるので、私はホッとした。
でも、2回も行くなよな…、私の目の前を歩いて。
この怒りは誰にぶつけたらいいのでしょうか?

この中高年の2人がいなかったら、「風立ちぬ」を楽しめたのかな…。

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転職

2013年09月16日 | 健康・病気

「明石家さんまの転職DE天職」(19:00 ~ 21:54日本テレビ)を観た。
<番組概要>
…人は転職して幸せになれる?年収上がる?転職32人の理想と現実さんま大暴れの3時間
▽恋のから騒ぎメンバーの今…議員に社長に整形美女に!!さんまと爆笑同窓会
▽清原の頭にボール当てた元プロ投手 ほか
<番組詳細>
転職したゲストに、司会の明石家さんまが「もうかっているのか」「人生の満足度は」
などを聞き出すスペシャル。
果たして転職して、天職に巡り合えた人は何パーセントか。
アナウンサーから住職へ、出版社副社長から南国の島のオーナーへ、
大手広告代理店から野球リーグの経営者へ転職した人たちが登場。
大きく人生を変えた人々を紹介する。
出演は伊集院光、平愛梨、田中要次、千原ジュニア、パンサー、八代亜紀、山岸舞彩、山村紅葉、
阿部祐二、甲斐よしひろ、平愛梨、岸博幸ほか。
                                                              (gooTVガイドより)

過去に芸能界にいた人やサラリーマンやスポーツ界の人の転職を取り上げていた。
人間、なかなかひとつの仕事をやり続けることは難しい。
若い頃、それなりの仕事をしていても、その仕事からかわらざるをえない人もいる。
どちらかというと、この番組で取り上げた人はそれなりに成功した人だった。
昔より年収はかなり少なくなってしまった人がいた。
それでも現在は満足している人たちだった。

私はどうなんだろう?
高校を出て15・6回転職している。
正直なところきちんと記録していないので、正確なところ何回転職したか知らない。
ギター製作所、金物店、薬品会社、大学生協(バイト・書籍部・雑貨・レコード・電器・店長)、
銀座のマネキン会社(浅草のデパートの地下で鮭を売った)、広告代理店・
時計部品下請け会社・電機メーカー(ガス流量制御機器製造)・電機下請け零細会社・
電機メーカー(無停電電源メーカーの下請け)・半導体製造機器関連メーカー(社名3回変更)・
自動車部品メーカー・福祉施設・自動車部品組み立て会社・建築足場機材レンタル会社・
警備会社・コンビニ・現在の会社。
20歳のころ、昼間の仕事を終えて夜に鶯谷のキャバレーでバイトをしていたこともあった。

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ぢぢ放談 激闘篇

2013年09月14日 | 健康・病気

「ぢぢ放談 激闘篇  永六輔X矢崎泰久」(創出版 2013年5月2日発行 )を読んだ。
ラジオなどでおなじみの永六輔と、元「話の特集」編集長・矢崎泰久の、
ユーモアと毒のあふれる爆笑対談集です。
2人とも同じ1933年生まれなんですね。
80歳、おそれいります。
私は、とてもじゃないがそこまで生きる気力がありません。
お2人とも病気で体は弱っている。
しかし、話していることは過激です。
政治家のことを小気味よく批判している。
2人の意見に私は、納得します。
交友関係が興味深かった。
井上ひさし、小沢昭一、野坂昭如などへの思い…。

目次

1 救急車なんて知らない
タクシー事故で初めて救急車に/搬送先の病院で待っていた医者は?/事故の影響で予想外の事態が… 他
 
2 地震なんて知らない
手が震えるから病気のせいかと思った/防災服の似合わない政治家/原発反対のきっかけは吉行淳之介 他
 
3 土下座なんて知らない
ロボットみたいな土下座/番組途中で永さんが消えたことも/唐十郎と寺山修司のしゃれたケンカ 他
 
4 データなんて知らない
『永六輔 戦いの夏』NHK出演の反響/パーキンソンのキーパーソン/五木寛之さんの「おやどり」!? 他

5 骨折なんて知らない
右肩脱臼の2日後に骨折/立川談志の死「ダンシガシンダ」/「ぢぢ放談」収録の朝、最初の怪我 他
 
6 病人なんて知らない
1年前と同じ病院に緊急搬送/4~5日間は不思議な空白/大変だと自覚するまで時間がかかった 他
 
7 入院なんて知らない
2カ月の入院生活で考えたことは/元気で輝いているのは女性ばかり?/オリジナリティがテレビからなくなった 他
 
8 全快なんて知らない
日本の政治家は“蚊帳の外”/葬儀屋にもいいのもいる/今はふたりとも転ばないのが先決 他
 
9 がれきなんて知らない
聞いている人の半分が「引いた」/東京大空襲も震災も語り伝えることが大事 他
 
10 がんなんて知らない
パーキンソン病と骨折と、さらにもう一つ加わった/文化として捉えてがんと向き合う 他
 
11 原発なんて知らない
反原発集会に参加した/「原発の明かりで原稿は書かない」/沖縄に原発がない理由は… 他
 
12 維新なんて知らない
まやかしの道具に使われた「船中八策」/マスコミはなぜあれほどもち上げるのか 他
 
13 有権者なんて知らない
史上最悪のひどい選挙だった/不愉快だった猪瀬直樹の都知事当選/小沢さんは軍歌を反戦歌にしていた 他
 
14 戦争なんて知らない
永さんの辛さが初めてわかった/いつのまにか戦争が始まる雰囲気/安倍首相には一刻も早く退陣してほしい 他
 
15 暴力なんて知らない
電車の優先席であわや乱闘に/我慢を強いられる東北と沖縄の人たち/井上ひさし夫妻の壮絶な殴り合い 他
 
あとがき

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3丁目の夕日

2013年09月13日 | 健康・病気

昨夜、肥さんと新所沢で飲んだ。
前回会ったのは7月でした。
8月は、東京に来られなかったのでシントコに行ってない。
午後6時半に新所沢駅の改札口で待ち合わせた。
昨日は、「まる」が休業だったのです。
「まる」が開店していたらそこで落ち合うのですが…。
肥さんが最近行きつけの「3丁目の夕日」という居酒屋に行った。
入口から入ると、右側に7・8人は坐れるカウンターがあり、奥にテーブルがあった。
2階にも席があり、そこは団体のための場所のようだ。

10日に行った「いきものがかりライブ in 横浜アリーナ」の話から始まり、
楽天の快進撃の話題にうつり、阪神の愚痴になり、互いの生活・仕事のことを語った。
若いマスターが一所懸命、刺身などを造ってくれた。
肥さんが眠たくなったようなので、9時前に店を出た。
肥さんは、早朝にブログを更新するので、夜は早く眠たくなるようです。

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東京散歩 3

2013年09月12日 | 健康・病気

2009年に九想話「東京散歩」(12/15)「おじさん2人の東京散歩」(12/16)を書いた。
2012年10月4日に「上野公園」「動物園」を書いている。
今回はその3回目ということになります。

昨日、友人のMと池袋で待ち合わせて、東大に行った。
東大の中にある生協に行くためにです。
私が24ぐらいから26歳まで東大生協で働いていた。
そのとき、Mはバイトとして私と一緒に電器売り場で働いていた。

池袋駅から地下鉄丸ノ内線に乗って本郷三丁目駅で降りた。
駅にはホームドアが設置されていた。
地下鉄はホームドアの設置が進んでいる。
これがあれば、目の不自由なひとは安心して駅のホームを歩けると思う。
駅を出て驚いた。
まったく昔の面影がない。
そりゃそうだ、私が東大生協に勤めていたのが37・8年前だ。
そのあとも何度か本郷三丁目駅には降りている。
私が20歳のころ勤めていた薬品会社も本郷三丁目にあった。
なので薬品会社のその後を知りたくて来たこともあった。
しかし、薬品会社は昔の場所にはなかった。
ネットで調べたら本郷二丁目だった。
この会社で私は、龍彦と出会いました。

「まったく変わっちゃったね。1人だったらおれ行けないよ」とMがいう。
ちょっとオーバーだが、それくらい町並みが変化していた。
本郷三丁目の交差点を渡って行く。
赤門から東大に入った。
赤門は変わらないが、入った中が大きくちがった。
写真を撮ったが、東京に置いてあるパソコンでは16GのSDカードが読み込めないのでここに載せられない。
東大のことは軽井沢に帰ってから写真付きで九想話に書きたいと思います。

それで東大生協ですが、場所的には変化がなかった。
私たちが働いていたときと同じところに第1購買部はあった。
古い建物の地下です。
「しかし、こんなに狭かったかな」とMと話した。
私たちが働いていた電器売り場には、洗濯機・冷蔵庫があり、テレビ・オーディオ製品を並べていた。
現在のそこは、はっきりいってパソコンショップだった。
ノートパソコンやプリンターが何台か陳列されていて、パソコン関係の小物が置いてあった。
テレビや白物家電はどこにもなかった。
私たちのころには、アイロンもジューサーも掃除機も扱っていた。
文具売り場はあった。
私は、1年間ぐらいレコード売り場担当もしていたが、CD売り場はなかった。
現在、CDは売ってないのだろうか?
あのころ、毎月発売されるクラシックの新譜を予約していた教授がいて、
来るとレコードのキズを丁寧に確認しながら、私にクラシック音楽のことを話してくれたっけ。

三四郎池に行った。
写真を撮ったので、後日書きます。

第2購買部(食品売り場)に行く。
街のコンビニのちょっと大きい店舗という感じだった。
きちんと商品が展示してあった。
「なかなかキレイに並べているな」30年ほどスーパーに勤めているMがいう。
価格は高くもなく、といって安くもないと私は思った。
私はいつも自分の食材を買うので、世の中の値段は理解している。

東大生協を見学して、私はちょっとしたタイムスリップをしたような気分になった。
私が26歳の11月8日に、ある女性がMを訪ねて東大生協にやってきた。
その女性が、私にとって現在一番コワイ女になっている。
あの日、その女性が東大生協に来なかったら、私の人生はちがったものになっていたでしょう。

東大生協を出てから私とMは池袋に戻り、ある鮨屋に入った。
午後2時ごろから飲み始めた。
浦霞、一ノ蔵、真澄、……
Mと現在の暮らしを語り、昔話に花を咲かせ、5時前に店を出た。
池袋は、夕暮れがはじまろうとしていた。

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痛飲

2013年09月10日 | 健康・病気

今日、久しぶりに旗坊さんと会った。
この前会ったのは、6月だった。
それも旗坊さんの体調がよくないということで昼にガストに行き、
ビールは1杯飲んだが、食事して別れた。

今日も、それほどは飲んでない。
私の20代のころに比べたら、“カエルの面にションベン”です。
しかし、会話した内容を表現するには“痛飲”としか書けない。

私は、2週間ほど前に作った俳句を師匠(旗坊さん)にメールしていた。

  颯爽と独居老人銀河行く

  迎火や父の命日失念す

「颯爽と」の句は、類句があるのではないかな、と書いてあり、
次の句にも何か書いてくれたが忘れた。
まぁ、どちらも良い講評はもらえなかった。
今日、そのことも話したが、私は忘れてしまった。
どうしょうもないですね。
話していたときは、いいことおれたちは話しているな、と思っているが、
こうして九想話を書くときはまったく覚えていない。
そうです、私は軽井沢の“独居老人”です。

旗坊さんと私は、素晴らしいことを話しているのですが、
今は、忘れてしまっていて何も書けません。
彼とは、17時に会い、19時過ぎに別れた。
たった2時間ほどですが、楽しい“痛飲”でした。

そうだ、今日いわれたことで覚えていることがありました。
「15年前に書いていた九想話はよかったね」
私もまったく同感です。

 

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おもかげ橋

2013年09月08日 | 健康・病気

「おもかげ橋」(葉室麟 著 幻冬舎)を本日読了。
 剣は一流だが、道場には閑古鳥が鳴く草波弥市。
武士の身分を捨て、商家に婿入りした小池喜平次。
2人は、彼らを裏切り国許から追放した勘定奉行の娘で、
少年時代にそれぞれが思いを寄せた萩乃をかくまうことになった。
16年ぶりの再会。2人の思いは乱れる。
そして、再び藩のもめごとに巻き込まれていく。
面白かった。
人の妻になっていながら、自分を守ってくれる弥市と喜平次にそれなりの思いを告げる萩乃。
こういう女性は困ると思いながらも、綺麗で魅力的だと私は許してしまう。
節操のない読者です。
最後は、葉室麟の小説じゃないような高田の馬場での大立ち回り、爽快でした。

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九想話の生まれた日

2013年09月07日 | 健康・病気

今日、9月7日は、九想話が初めて書かれた日です。
1998年ですから、今日で満15年になりました。
今日、午後11時過ぎに仕事から帰ってきてシャワーを浴びてから、女房と乾杯をした。
私がビール(プレ・モル)の入ったグラスをちょっと上げて「乾杯」というと、
女房は???という顔をした。
いったいなんの記念日なんだ、という思いなのだろう。
彼女は、私と初めて出会った日も入籍した日も忘れてしまうひとだ。
(結婚式は挙げてないので、結婚記念日はありません)
しかし今日女房は、自信たっぷりにいっていた。
「私は、息子たちを生んだ日と息子たちの生まれたときの体重は知っている」と。
私とすれば、そんなことは当たり前のことだろう、と思うのだが…。

今日は、ここまでにします。
これまで9月7日前後には、九想話の誕生日のことをいろいろ書いてきた。
九想話の生まれたきっかけなども書きました。
繰り返しになるのはまずいのでやめます。
今日は、九想話の生まれた日を祝いたいです!!

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北軽井沢の「キッチンが走る!」

2013年09月06日 | 健康・病気

今夜の「キッチンが走る!つくって・食べて・旅をして」(NHK総合8:00~8:43)は、“きたかる”だった。
私は、ニッポンとグアテマラのサッカーを観ていた。
8時20分ごろ、前半が終わったので、チャンネルをNHKにした。
なんか開拓のころのことを話していたので、私は女房に「今日は北海道か?」なんていった。
ところが「北軽井沢だって」と女房が叫ぶ!
いきなり女房が登場してすみません。
今日の午前11時ごろに軽井沢にやってきてしまったのです。
「ええ…」私は真剣に画面を見つめた。

私は、北軽井沢に住むSさんに電話をした。
「今、北軽井沢のことテレビでやってますね」
「いや、おれも今観ているよ。この前、パンカーラでこのテレビのこと聞いていたから…」

この番組は、その土地の作物を使って一流の料理人が料理をして、作物の生産者にご馳走するというものです。
ここからほんの30分で行ける北軽井沢のことをテレビでやっているのです。
観ないわけにいきません。
キャベツ生産農家の人ということで、番組に出ていた男性を私は知っています。
とうぜん、女房も知っていた。
パンカーラで出会っています。
パンカーラでクマの肉を食べさせていただきました。
この方が仕留めたクマの肉をパンカーラに持ってきてくれて、それをいただきました。
それで覚えています。
女性の人も知っています。
最近、私が1人でパンカーラのコンサートに出るとと、「今日、奥さんは?」と、いつも訊いてくる人です。

女房が軽井沢に来て、夕食を食べているときに、いきなりテレビに“きたかる”が出てくるとは、
人生、生きていると面白いことがありますね。

ちなみにこの写真は、今夜の晩飯です。
2つで157円のサバの塩焼きがメインです。
美味かったです。

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シリア問題

2013年09月06日 | 健康・病気

ロシア・サンクトペテルブルクで開かれていたG20のサミットは6日、2日間の日程を終え閉幕した。
閉幕後に発表された首脳宣言にシリア情勢に関する言及は盛り込まれなかった。
アメリカは軍事介入したいのだろうが、それは反対国が多く、
閉幕後に発表された首脳宣言にシリア情勢に関する言及は盛り込まれなかった。
アメリカは、シリアに軍事介入をせずに、“お話し合い”介入は出来ないのだろうか?

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