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化粧

2009年11月15日 | 健康・病気
仕事から帰ってきて、24時間営業の西友で買ってきた
刺身、コロッケ、さんま(すべて半額)をコタツの上に置き、
「麦とポップ」を飲みながらテレビをつける。

ワンステップ!( TBSテレビ23:30 ~ 00:00)
「美容室のない島」というのをやっていた。
もう終わりの頃だった。

若い女性美容師が、おばあさんの髪をセットさせて欲しいというが、
おばあさんは最初は断る。
旦那さんが7年前に亡くなってから、身の回りのことを何もしなくなった。
きれいにしても誰も見せる人がいない、という。
ほとんど毎日誰とも口をきかない生活をしている。

それでも若い美容師が、髪をセットさせて欲しいと何度もいうと、
させてくれることになった。
何年も物置にしまい込んでいた鏡台を出してきていいか、
なんて、美容師に訊いたりした。
“鏡台”なんて懐かしいですね。
現代ではあまり聞かなくなってしまった。
今は、ドレッサーというのかな?
美容師が髪をセットして、顔にファンディーションをぬり、
唇に紅をつけるときれいになった。
おばあさん、ちょっと照れて苦笑いなどしている。
満更でもないようだ。

人間、身の回りのことに気遣い、こぎれいにしていなければいけませんね。
おれなんか、正直どうでもいい、と思っている。
ひとり暮らしをしていると、そんなことめんどくさい。
タバコをやめて太っても、一所懸命痩せようとも思わない。
何年か前だったら、スマートな中高年を目指して、
若い女の子に好かれたいなんて思わないこともなかったが、
今では、もうどうでもよくなった。
なんといってもあと3年で還暦です。

あのおばあさん(70は越えている)、これからの島でのひとり暮らしで、
化粧をすることはあるのだろうか?
化粧しなければという気持ちにならなければいけないと思う。
でも、ひとり暮らしではそんな気にはならないだろう。

そんなことよりもおれのことだ。
こぎれいにしていなければと思う生活をしなければ、とは思うのだが、
軽井沢で死んだ加藤和彦のことを考える。
もうどうでもよくなったんだろうな、生きることが。
ひとりで家で毎日黙って暮らしていると、そんなことを考えてしまう。

ま、おれの場合、職場に行かなければならない。
行けばやることがある。
女房とはなんとか最低、1日1回電話でしゃべる。
メールも何度か来る。
なんだかんだイヤミをいわれている。
ありがたい。

孫にも会いたい。
もう少し、生きていたいと思う。

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陣取り

2009年11月14日 | 健康・病気
私が子どものときにした「陣取り」という遊びのことを書きます。
陣取りは、だいたい3・4人でやりました。
最初に直径2メートルほどの円を地面に描いた。
その内側にそれぞれが自分の手で弧を描く。
親指を支点にして小指で描きました。
そのほぼ半円が自分の最初の陣地になった。

そこからオハジキ(ほとんどは平たい小石でした)を人差し指で弾く。
オハジキの進んだ線を描く。
3回でオハジキを自分の陣地に戻す。
うまく戻るとそのオハジキの進んだ線が自分の陣地になる。
両角を手の親指と小指で触れ、その直線が陣地になった。
これをそれぞれが繰り返していき、陣地を増やした。
最初に描いた円のなかで一番大きな陣地を取った人が勝ちになった。

私は、けっこうこの陣取りが好きでした。
も一度、この歳で真剣にぐんけや陣取りをやってみたい。

新・増幅する俳句歳時記で、陣取りのことが話題になったので、
今日は、九想話に書いてみました。

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八ッ場視察

2009年11月13日 | 健康・病気
八ツ場上流、ヒ素検出を公表せず 国交省(朝日新聞) - goo ニュース

本日、仕事で群馬県に行きました。



中軽井沢から1時間ほどのところに、この有名な工事現場がありました。
今、世間で話題の八ッ場ダムの工事現場です。



動いている車の助手席から、携帯電話で撮りました。
これはつながって橋になるそうです。
ダム湖の上をゆく橋です。



下を流れる吾妻渓谷は紅葉の中にあり、とてもきれいでした。
すばらしい渓谷です。
これをダムに沈めるのはいけない、と思った。




私は、詳しいこと分かりません。
でも、この渓谷を失いたくないと思った。
この橋は不釣り合いです。

八ッ場ダムの計画が生まれたのが、1952年、
私が生まれた歳だそうです。


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ハラハラドキドキ、ロト6

2009年11月12日 | 健康・病気
11月5日(木)発表のロト6の6コの数字うち、
01・23・38が一致した。
久しぶりの5等に当たりました。
賞金は、1000円です。(^_^;)

ここ2年ぐらい5等にも見放されていた。
ロト6は、はっきりいって当たらない。
いや、宝くじというものに当たることがない。

でも、私はこれからも地道に買い続けよう。
ロト6を買っているお陰で、木曜日が待ち遠しい。
しかし、今日は1コしか合っていない。
だめですね。
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龍彦助けてくれ

2009年11月11日 | 健康・病気
「SONGS」(NHK総合 23:00 ~ 23:30)を観てしまった。
井上陽水が今夜から4週連続で「SONGS」に登場する。
さすが陽水ですね。
そういう立ち位置の陽水を、おれはあまり好きではない。
おれとすれば、あまり恵まれた状態にいない陽水に愛着を持つ。
でも現在は、押しも押されもしない日本の“歌謡界”の大物だもんな。
ちょっとおれから離れてしまった感じです。

番組で流れた歌は、
「招待状のないショー」「限りない欲望」「氷の世界」「傘がない」だった。
もう、たまりません。私の20・21歳のときの歌です。
あ…、タバコが欲しい。タバコをくれ~。
陽水の歌を聴いていて、おれはつまんない昔を思い出してしまった。

----------------------------------------------------------------

 龍彦は、ボクシングをやめてから、なぜかおれにギターを教えてくれとせが
んだ。おれは、プロになるんだ。世界チャンピオンになってやる。そういって、
大阪から上京してきて、おれと一緒の試薬会社に入り、ボクシングジムにも入
った。
 おれは、大学に行って教師になるという希望があり、予備校に通った。その
試薬会社は4時半に仕事が終わり、他の社員も大学のⅡ部にいたり、という人が
多かった。場所は本郷三丁目にあり、なにかと都合のいい所だった。
 龍彦は、ボクシングをやめたので夜時間があった。暇にまかせてギターを弾
いたので上達が早かった。安いフォークギターを龍彦は買っていた。
 おれは、予備校を夏休みが終わった9月にはやめていた。もともと勉強の好き
ではなかったおれに、予備校の教室で坐り続けるということが苦痛だった。
 駒込の同じアパートにいた1つ年上の人と、あるときからたまに飲むようにな
っていた。そのIさんは、美大を落ちて、山谷で日雇い仕事をしながら絵を描い
ていた。
 そのIさんから、「大学なんてくだらない、行くとバカになる」なんていわれ
て、予備校に嫌気のさしていたおれは、Iさんと毎晩飲むようになっていた。
 金はない。おれたちは安い酒を買ってきてアパートで飲んでいた。そこに龍彦
も参加するようになった。
 そのうち龍彦は会社をやめた。やめて大阪に行った。おれは寂しかった。
 半年ほどすると、龍彦がギターをぶらさげて東京にやってきた。そして、アパ
ートを見つけ定住した。仕事も探し、おれたちはまた毎晩飲む暮らしを始めた。
 しかし、また半年もすると龍彦は関西に行ってしまう。
 22歳の年末のときだったか、おれは龍彦の勤めていた神戸の仕事場に遊びに行
った。龍彦はそこで新聞配達をしていた。そこに彼の部屋もあった。そこでおれ
たちは酒を飲んだ。
「おれの故郷に行こう」と龍彦がいう。龍彦は新聞配達所をその日で辞め、おれ
たちは山口県の岩国の錦帯橋のかかる錦川の上流にある、龍彦の生家に行った。
 2日泊まったのかなそのあとどうしたのか覚えていない。
 おれと一緒に龍彦は東京に来たのかな。今となってはまったく覚えていない。
 関西での龍彦の暮らしは知らない。でもギターは弾いていてかなりテクニック
は上達していた。もともと龍彦は歌がうまかった。以前は演歌が好きで、クール
ファイブの前川清の歌をよくうたっていた。
 龍彦は、よく公園でうたっていた。部屋にいないなと思うと、近くの公園でギ
ターを弾いていた。あいつの歌はうまい。おれはプロになれると思った。
 龍彦の一番好きな歌は、陽水の「紙飛行機」だった。

♪ 白い紙飛行機 広い空をゆらりゆらり
  どこに行くんだろう どこに落ちるんだろう
  今日は青空が隠れている

 今日、陽水の歌を聴いていて、龍彦のことを思って涙がとまらなかった。
 龍彦はその後、陶芸の道を目指し萩に行った。Iさんのお兄さんが福岡で陶芸
をやっていた。九想窯です。そこに龍彦は行き、陶芸に目覚めた。
 萩にいったが2年ほどで萩を抜け出した。そこの同じ弟子だった女性と出奔し
た。何ヶ月か2人で旅をし、東京のおれの住むアパートにやってきた。
 龍彦はおれに、「こいつと結婚する」といった。
 おれは、「やめろ」といった。
「陶芸でメシが食えるようになったら結婚すればいい」
 なんて生意気なことをいってしまった。
 おれのいうことをきいてくれて龍彦はそのあと、備前に行った。
 9月に行ったのだが、すぐ頭が痛いといって入院した。脳髄炎という病気だった。
 おれは、備前に行った。あいつの仕事するロクロの前に坐った。悲しかったな。
 これがボクシングのせいかどうかおれは知らない。
 そして12月に他界した。
 陽水は、おれと龍彦をつなぐ人間です。
 それにしても、
「龍彦、今のおれはどう生きていけばいいんだ」

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ぐんけ

2009年11月10日 | 健康・病気
昨夜、「新・増幅する俳句歳時記」の清水哲男さんの句の解説に
「釘倒し」という子どもの遊びのことが書いてありました。
(九想話のブックマークにありますので見て下さい)

小春日の子らの遊びは地より暮れ  若林卓宣

という句の解説の中に「釘倒し」が出てきた。
私も子どもの頃、この遊びをよくやりました。
私の田舎(茨城)では「釘倒し」のことを「ぐんけ」といった。
なぜそういったのだろう。
私の勝手な想像ですが、「軍釘」という言葉が訛って、
「ぐんくぎ」→「ぐんけぎ」→「ぐんけ」
というふうになったのではないか?と思っています。
これはまったくのウソかも知れませんね。 m(__)m

清水さんは、五寸釘と書いてありましたが、
私の子どもの頃は、五寸釘が各家庭にあまりなく、
もっと短い釘でやっていました。
ですから、それぞれ長さの違う釘で勝負をしていた。
でも、やはり長く太い五寸釘が一番強い。
私の家には五寸釘はなくて、悔しい思いをしましたね。

遊びはいたって単純で、それぞれが自分の釘を地面に投げて刺す。
そしてジャンケンで順番を決め、自分の番が来たら、
地面に刺さっている釘めがけて、釘を打ちつける。
斜めに浅く刺さっている釘が狙われる。
その釘に自分の釘をぶつけて倒す。
相手の釘が倒れても、自分の釘が地面に刺さっていなければならない。
うまくそうなれば、倒した釘が自分のものになる。

そんなわけで私も五寸釘が欲しかった。
五寸釘は憧れでした。
仲間の中には、大工さんの仕事場から盗む奴もいた。
どの家も貧しくて、短い釘しか持っていませんでした。

釘がないときに、20センチほどの木の枝の先を肥後の守で尖らせて、
田圃で「ぐんけ」をやったこともありました。
冬の田圃は柔らかくて、木の枝の「ぐんけ」には丁度よかった。
この田圃の穴の開いた所をほじくると、ドジョウがいましたね。
この遊びは「ドジョウ掘り」といっていた。

釘で遊ぶ遊びにこんなのがありました。
最初に、人数分の多角形を地面に書く。
5人だったら五角形です。
ジャンケンで順番を決めて地面に釘を刺して行く。
自分の多角形の角から釘が刺さったところまで線を引く。
そうやってみんなで多角形の回りに線を引いていく。
みんなを自分の線で囲み、一週して自分の線に釘をうまく刺して、
他の人を封鎖したら勝ちという遊びだった。
この遊びは、うまく狙ったところに釘を刺せないと勝てない。
なかなか面白い釘を使った遊びだった。
この遊びをなんて呼んでいたか忘れた。カナシイ

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ミシシッピ・ジョン・ハート

2009年11月09日 | 健康・病気

日曜日の朝、おれはその時間に起きる必要がないのに起きた。
(その日の出勤は9時に家を出ればいい)
「あのころのフォークが聴きたい」というNHKラジオを聴きたかった。
6時15分頃からなぎら健壱がフォークのことを喋る番組です。

やっぱり聴いてよかった。
昨日は、ミシシッピ・ジョン・ハートという人を紹介していた。
おれは、この人をまったく知りませんでした。
(おれの知識なんてこんなもんです)
ミシシッピ・ジョン・ハートという人に、
高石ともやや高田渡が憧れ、そのギター奏法をコピーしたそうだ。

なぎら健壱は「リッチランド・ウーマン・ブルース」を紹介した。
このYouTubeは静止画なので、こっちを観てください。
この雰囲気、たまんないですね。

おれは、「音楽は何が好きか?」と訊かれたら、
フォルクローレとブルースと応えます。
音楽は全部好きですが、その中で何がと訊かれたらこの2つですね。
楽器は、ケーナとブルースハープを吹けるようになりたい。
でも、どっちもダメです。
いつも家ではギターを弾いている。
ギターは、弦をこするように弾けば音は小さい。
これだけがおれの毎日の“癒し”です。
(あと、スミマセン、アルコールもありました)

これから、ミシシッピ・ジョン・ハートの、
ピッキング・フィンガーの奏法を習得したい。
でも、おれのギターはガットギターなんだよな~。
ブルースにはむかない。
アコースティックギターを買う経済的な余裕がない。
情けない57歳です。


 

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11月8日

2009年11月08日 | 健康・病気
今年も11月8日がやってきた。
毎年書いてますが、女房と私が初めて出会った日です。
私たちは結婚式を挙げていないので、今日を記念日にしている。
今年は、東京と軽井沢、離ればなれ。
この暮らしはあと何年続くのだろう。
ま、お互い健康に暮らしていればいいか。

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立冬

2009年11月07日 | 健康・病気
11月7日か8日が二十四節気で言うところの立冬になるらしい。
今朝、出勤するとき車に乗るとフロントガラスが曇っていた。
ワイパーで擦ると取れない。
凍っていることに気づいた。
私は車外に出て、道具を使ってその氷をこそげ落とした。
なにも立冬だからといって、こんなに律儀に“冬”にならなくても…。
私は明日から、お湯を持って家を出なくてはならない。

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11月のパンカーラ

2009年11月07日 | 健康・病気
11月4日、草津温泉の帰りにパンカーラに寄った。
自宅までの車の運転を女房に依頼して、私はビールを飲んだ。
マスターのギターの伴奏でケーナを吹かせてもらいました。
私のケーナの下手くそなこと以外は、すべて楽しかった。
女房は、フラメンコで使うカスタネットなんぞを持ってきていて、
その説明などを始めた。
フラメンコのカスタネットは、彼女が唯一演奏できる楽器です。

帰り、車を運転しながら女房がいう。
「もう一組のご夫婦はどうしたんだろう?」
「今日は、休みだったんじゃないの」
適度なアルコールに酔ってしまっていた私は、
なんでもないことのように応えた。
「なにかちがう」

女房は、私の家に戻ってパンカーラのホームページを開いた。
そして掲示板をしばらく黙って読んでいた。
私も女房が寝てからそれを読みました。
私は、自分のあまりの脳天気さに自己嫌悪に陥った。

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