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シントコ慕情

2009年06月10日 | 健康・病気
昨日は、清瀬に帰ってグダグダしていた。
高速道路を運転して疲れたこともある。
あとは軽井沢にいるときには感じない開放感が、清瀬の家にはある。
なにしろ明るいんです(軽井沢の社宅は暗い)。
南にベランダがあり、全面がガラスドア、
建物は古いけど1月に私たちが入居する前に、
リホームされていて壁なんかも白くキレイです。

女房は残業で帰るのは遅いし、今夜はどうしょう、
狭山市にいるSさんと会いたいなと思った。
メールした。「予定がなかったら今夜会えませんか」と。
去年の秋、彼と狭山市で飲んだ。
そのとき軽井沢に行くことを話したら喜んでくれた。狭山市で飲めたらいいな、と思っていたら、彼から電話が来た。
「今日、シントコでS根さんと飲む約束をしているので一緒にどうですか」と。
人生にはこんなこともあるんだなと私は嬉しくなった。

夕方新所沢に行こうと家を出るとき憂鬱になった。小銭がないことに気づいた。
こまかいのが20円しかなかった。清瀬駅まではバス代210円なんです。
パスモは長野で使えないことを知り、4月に使い切ってしまっていた。
中軽井沢駅には自動改札なんてないんです。無人改札です。
なんとか運転手さんが5千円札を両替してくれた。
清瀬駅でパスモに千円入金した。東京では使うのだから…。

シントコに降りた。駅前は変わってない。
左のパルコは健在だった。ただ、ラオックスが閉店している。サビシイ。
肴やに行くと、SさんとS根さんは飲んでいた。
私が、勤め先のことを話すと、S根さんはよく軽井沢方面に仕事で行くという。
それじゃ、私の施設を会議室として利用してもらうようにお願いした。

昔話に花が咲いた。
7、8年前この3人はブロックヘッズでライブをした。
シントコでよく飲んでいたEMORIという人が亡くなった。
音楽の好きなその人を追悼するために、ライブをやろうということだった。
6人がバンドを作った。
そのために3ヶ月ほど、新所沢の公民館で練習した。
Sさんはギターとブルースハープ、S根さんはギターとヴォーカル、
私はケーナで参加した(へんな編成ですね)。
CDも作った。今私の手元にもそれがある。
私は恥ずかしくてそれを聴けない。

肴やを出て、スナックのような店に行き、
それからそこのマスターと一緒に女性が2人いるスナックに行った。
私たちは狂ったようにカラオケをうたいまくった。
なんか昔、ライブのために練習していたときを思い出した。
練習が終わると必ず楽家に飲みに行っていた。楽しかった。
同じカラオケでも、音楽をやっていた人たちとやるのは別な喜びがある。

10時半、私は後ろ髪を引かれながらスナックをあとにした。
新所沢駅の上りの最終が11時50分だった。
それに乗り、なんとか家まで帰れた。
あらためて私はシントコの住民ではないんだ、と思った。
寂しいですね。
でも、シントコは心のふるさとです。

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清瀬にいます

2009年06月09日 | 健康・病気
今日と明日仕事が休みなので東京に来ている。
今朝、8時半軽井沢を出てきた。
9時までにインターチェンジを通れば「通勤割引」になる。
12時頃、清瀬の自宅に着いた。
女房は、会社に行っていていない。

夜、友人と飲むために新所沢に行った。
さっき帰ってきた。
女房は寝ている。

朝、彼女は仕事に行くので6時には起きる。
おれは眠たくて寝ているだろう。
ひょっとすると話もしないで軽井沢に帰るかもしれない。
これもしかたのないことだろう。


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光回線工事

2009年06月08日 | 健康・病気
今日、NTT長野から電話があった。
いろいろな確認事項に答えて、
やっと工事をしてもらえることになった。

そして工事日は、6月28日以降だという。
日曜日は仕事なので29日の月曜日にした。
午後1時からの勤務なので午前中家にいられる。

それにしてもどうしてこんなに時間がかかるのだろう。
私としては、
申し込んで10日ぐらいでつながると思っていた。
甘かった。



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万歳三唱

2009年06月07日 | 健康・病気
今日、私の勤める施設で大きなイベントがあった。
東信地区の中学校の剣道大会が開かれた。
そのことは予約受付簿に書いてあるので前から知っていたが、
昨夜の準備設営から今日の大会の様子を見て驚いた。

昨夜は私が夜勤でいた。
スタッフの方々(おそらく中学校の先生方?)が沢山きて
施設の体育館に、イスを並べたり、
大きなトーナメント表を貼ったり、
ステージの上に国旗を飾ったりしていた。
「黒板を2つお借りしたいんですけど…」とか、
「脚立はあるんでしょうか?」などといわれるたびに、
私は、それらがあるところへ案内したり、
置いてある場所から持ってきたりしていた。
準備設営が終わってスタッフの方々が帰ってからも、
2人の人が、今日のイベントで披露する殺陣の練習を
遅くまでしていた。

今日は、上司である友人と車で8時に職場に行くと、
すでにすごい数の中学生が剣道着を着て、施設のあちこちにいた。
職員の1人が7時前から施設を開けていたのです。
私は昨夜、家に午後11時過ぎに帰り、
サッカーのワールドカップ予選を観て、
そのあとそれを九想話に書いていたのであまり寝ていない。
(書きながら寝てしまい今朝の5時に布団に寝直した
 結局、その九想話はボツにしました)

“上司”は昨日剣道大会のスタッフから、
「館長代理として万歳三唱をして下さい」と依頼されていた。
そのことでかなりまいっていた。
ネットで「万歳三唱のやり方」が書いてあるサイトを見て研究し、
挨拶の言葉の原稿を書いていた。
それを私たち職員を前に、何度も練習していた。

今日、施設では、剣道大会のほかに、書道のサークルがあったり、
絵画サークルの作品展が開かれていたり、陶芸講座も行われていた。
陶芸講座は昨日、釉薬を塗っていて今日は本焼きだった。
そういうのを見ていると、私もやってみたくなります。

昨夜は、吹奏楽団の練習日で、事務所に楽譜をコピーしにきた人が、
「どうです、吹いてみませんか?楽しいですよ」という。
この人には、私が中学、高校と吹奏楽団にいたことを話していた。
「トロンボーン、足りないんですよね」なんていってくれる。
あのアンサンブルの中で音がそろったときの心地よさを味わいたい。
私は、絵も描いてみたいし、陶芸もやりたいし、トロンボーンも吹きたい。
三味線、尺八、囲碁のサークルもあるし、写真もある。
書道もいたずらしてみたい。
みんなやってみたいが、現在の私は職員として、
利用者の活動の応援をしたいと思っています。

休憩時間、館外にタバコを吸いに行くと、
ヘブンリーブルー(西洋昼顔)が、荒縄につるを巻き付けていた。
なんかその姿がけなげで可愛いかった。

午後3時過ぎ、剣道の試合が終わり、大会の閉会式が始まった。
優勝した中学校の表彰式が進み、
いよいよ“上司”の万歳三唱が近づいてきた。
体育館の入口からみると友人は、緊張した面持ちで坐っていた。
職員の1人が写真を撮るんだと2階の客席にデジカメを持って行った。
いよいよ司会者が友人の名を呼び万歳三唱のときがきた。
私は急いで、講座の資料を印刷していた指導員のKさんを呼びに走った。
さっきからKさんは、体育館と印刷室を往復していた。
友人の万歳三唱を心待ちにしていた1人なのだ。

友人は、準備した原稿の挨拶文通りに訥々と話し、マイクを置き、
うってかわって、少し異常なくらいの大きい声量で
「バンザイ、バンザイ、バンザイ」と叫んだ。
それが、あのひとらしいなと思って、胸が熱くなった。
この友人のおかげで、今の私の生活がある。

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藤沢秀行

2009年06月06日 | 健康・病気
NHKアーカイブス(NHK総合10:05~11:25)を観た。
▽棋士・藤沢秀行逝く▽天衣無縫の人生妻が支えた
“碁の芸”▽記憶の扉
藤沢秀行という人がいっぺんで好きになった。
私はこういう人が大好きです。
今年の5月8日に亡くなってしまった。

私は将棋は好きで昔はよく指していたのですが、
碁はまったく知らない。
いや、20代の頃に友だちといたずらで打ったことはあるが、
縁がなかったのか、それ以後、碁を打っていない。

テレビを観ていてこういう人がいたのか…、と驚いた。
酒が好きでアルコール依存症の禁断症状と、
戦いながらの対局をしていたときがあった。
競輪もそうとう好きだったようだ。
女も好きで、愛人の家にいて
3年も奥さんのところに帰らなかったこともあった。
愛人との間にも子供がいた。
あるとき愛人が来て、奥さんと3人で暮らしたこともあった。
(よくわからないが、この愛人はみな別人でしょうね)

藤沢秀行のところに昔付き合っていた女性から手紙が来た。
それをテレビ取材していたディレクター?が読むと、
「会いたい」と書いてあった。
脇にいた奥さんが呆れた顔して「会いに行けば」といっていた。
この奥さんがいたから藤沢秀行は好きに生きられたんだろうな。

でも囲碁が一番好きで、若い人を強くすることが楽しみだった。
「秀行塾」から何人もの素晴らしい棋士が出た。

番組の最後のほうで、ディレクターが藤沢秀行に訊いた。
「夢はなんですか?」と、すると、いった。
「もう少しマシに生きること」



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渓流ひやおろし

2009年06月05日 | 健康・病気
長野にはおいしい酒があります。
今日飲んだのもうまかった。
「渓流 ひやおろし 蔵出し純米酒」です。
ラベルには、「全国新酒鑑評会三年連続金賞蔵 信州藏元直送」とある。
酒瓶を包んでいるのは信濃毎日新聞です。

うまい、うまかった。どう表現したらいいのだろう?
舌の上に「渓流ひやおろし」をのせると、
密度の濃いまろやかなかたまりがすっと喉に転がっていく。
この快感がいい。それをなんどでも繰り返したくなる。
うまい酒でした。

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一粒の種

2009年06月04日 | 健康・病気
夜勤の食事をとるときテレビをつけると、
福祉ネットワーク(NHK教育20:00~)
「一粒の種~遺言から咲いた命の歌~」
がん患者の最後の言葉を歌に▽誕生秘話
という番組をやっていた。

あるガン患者が亡くなって残した言葉、
「一粒の種になりたい」
その人の看護をしていた看護師が、
その言葉から詞を書いた。
自分も2年前ガンになり苦しんだ経験があった。

それを友人のシンガーソングライターに送った。
友人はその詞になかなか曲をつけられなかった。
友人の叔父がなくなり、そのことで曲をつける気になった。
その曲を、介護士として沢山の人との別れを経験して
歌手になった女性にうたわせ、CDにした。

そのCDが現在売れてきているという。
番組では、肉親をなくし、その歌を聴き、
励まされた人たちを紹介していた。

こういうことは苦手なんだよな、
と私は思いながらテレビを観ていた。
ときどき胸を熱くしながら。

私にとってこれまで最高に辛かったのは、
ボクサー崩れの龍彦との死別だった。
23歳のときで、
1年間、いつもあいつのことが頭から離れなかった。
私はめそめそして暮らしていた。
テレビを観ながらそのときのことを考えていた。


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肉じゃが

2009年06月03日 | 健康・病気
今日は休日、
夜勤の私は職場で弁当を食べることが多い。

ひと月ほど前に買ったじゃがいも・玉ねぎがある。
肉じゃがを食べたいと思った。
女房に作り方を電話で聞いた。

夕方、「カラマーゾフの兄弟」のページを閉じ、
自転車でTSURUYAに行った。
iPodを聴きながら軽井沢を自転車で走る。
「軽井沢がおれの街になった」と思った。

カツオの刺身(299円)アジのフライ(99円)
豚肉その他を買って帰る。
玉ねぎを切り、じゃがいもの皮をむく。
ヘッドフォンからは、エリック・クラプトン、
中島みゆき、長渕剛、吉田拓郎、井上陽水、
フォルクローレが入り交じって流れている。

玉ねぎと豚肉を炒め、じゃがいもと鍋に入れて煮る。
ほんだし、砂糖、醤油で味を整えた。

今夜の食事は、なかなかでした。

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現住所-その後

2009年06月03日 | 健康・病気
昨日、NTT東日本-長野から大きな封筒で書類が送られてきた。
中を見ると、地図が入っていた。
パソコンでプリントされていた文章が2通あった。
「Bフレッツ 設置場所住所確認について」
「Bフレッツ 契約者名義のご確認について」
地図が同封されていて、住んでいる場所にしるしをつけろ、
というものと、
車の免許証のコピーを送れ、というものだった。

このことは先日電話で聞いているのでいいのですが、
問題は、地図です。
その地図を見ると、私の住んでいる社宅は「21」なんです。
軽井沢町役場で見た地図では「22」だった。

私の社宅がある区画には、7つの建物がある。
軽井沢長倉****という区画です。
7つの建物に番号がついている。
それが「長倉****-21」から「長倉****-27」です。
不思議なことにその地図では、
「長倉****-21」という建物が2つあるのです。
どう考えても、私の社宅は「長倉****-22」でなければおかしい。
しかし、その地図には「22」がない。

この辺のところがあやしいですね。
私の住所が間違っていた原因だと思う。
しかし、私以外のこの社宅に住んでいる人の住所はどうなっているのだろう。
ひょっとして「軽井沢長倉****-21」だったりして。
いや、ひょっとしてというより、かなりの確率でそうだと思う。
同じ建物で2つの住所表記があるとしたらどうなるんだろう?
どうにもならないかな、あまり難しく考えなくてもいいのかも知れない。

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アニメソング

2009年06月02日 | 健康・病気
深夜「BS熱中夜話」などというテレビ番組を観てしまった。
BSでやったのを再放送していたんですね。
2回分だった。
最初のには、水木一郎と堀なんとかという女性が出ていた。
「キャンディキャンディ」をうたった人だった。
それに作曲家の田中公平という人がいて、
アニソンの解説をしていた。

2回目の番組には、歌手は福山芳樹、May's、
作曲家は、田中公平と神前暁が出ていた。
この番組では、アニソンの作曲のことについて話していた。
田中公平は東京芸大卒、神前暁は京都大学工学部卒。
そして出演していなかったが、
菅野よう子という作曲家のことを話していた。

まったく私の知らない世界のことでした。
でも、話していたことは興味深かった。
私がよく観ていたアニメは、
「巨人の星」「明日のジョー」ぐらいです。
息子たちが小さいときに観ていたのは、
「ドラゴンボール」だった。

客席にいた人は若い世代から中高年までいた。
歌手がうたうとみんな一緒にうたっていた。
熱狂的なアニソンのファンなんですね。

今、アニメソングは、日本の音楽のひとつのジャンルになっている。
こんなことになるなんて昔予想できなかった、
と水木一郎がしみじみいっていた。
この人は、歌謡曲で売れなくてアニメソングをうたってきたようです。
人間、ひとつの世界でがんばっていれば、いつか芽がでるんだな、と思った。

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