再び、卓袱台返し

2006年01月21日 | 健康・病気
今日は所沢も雪でした。
やっと私の愛車のスタッドレスタイヤの活躍するときがきた。
とはいうものの、98年山梨に単身赴任したときに買ったもの、
もうかなりすり減っているのではないか。
そろそろ買え替えないといけないな。

土曜日、出勤のとき聴くラジオは、
「大竹まこと少年ラジオ」(文化放送)だ。
その前は、TBS の加来耕三(歴史家)を聴いている。
今日は、上杉謙信の誕生日ということで話していた。

さて8時10分頃の「卓袱台返し」のコーナーの始まりだ。
2人目のハガキが面白かった。

主婦が、旦那の入浴中に携帯電話を調べた。
最近、どうも浮気の気配がある。
ある女性からのメールがいくつもあった。
その女の名前の登録が、取引会社の名前になっていた。

その主婦は、ふと思った。
私はなんて旦那のケータイに登録してあるのだろう?と。
自分のケータイから旦那のに電話してみた。

「ジャスコ大宮店」となっていた。
主婦の名前は「やすこ」という。大宮に住んでいる。

風呂から出てきた旦那に詰問した。
「この女からのメールはなんなのよ」
 なんで私が『ジャスコ大宮店』になってんの」
不倫相手といるときのために、
奥さんの登録をそうしているようだ。

私は車の中でひとり爆笑した。
昨日は9時半まで仕事をして身体は疲労困憊。
雪の中の出勤だけど、心が軽くなった。

当然、大卓袱台になった。
この番組では、投書の内容で、
「大卓袱台」「中卓袱台」「小卓袱台」に評価される。

私の携帯電話、女房は調べてないかな?心配だ。
あれと、これと、………。

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銀板カメラ

2006年01月20日 | 健康・病気
7年前だったかな、私は憧れのデジカメを買った。
フィルム代を気にせず、焼き増しなんてこともしないで、
パソコンのディスプレーで写真を楽しんだ。
私のような貧乏人には、待ってましたというカメラだった。
現在のは三台目のデジカメです。

しかし、「ニコンがフィルムカメラからの事実上の撤退」とか、
「コニカミノルタ、カメラ事業撤退」なんていう記事を読むと、
家のどこかで眠っている30年前に買った
ペンタックスの一眼レフを探して写真を撮ってみたいなんて思う。

レコードからCDに、手紙は電子メールに、
銀板カメラがデジカメに、
人間だって、いつか………に。

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自嘲

2006年01月19日 | 健康・病気
昨夜は、ほぼ2時間ぐらいしか寝ていない。
午前3時過ぎまで飲んでいました。
新所沢をあっちこっちふらふらしていた。
家に帰って、九想話を書いた。
布団で寝たのは1時間ぐらいです。
(パソコンの前で1時間ぐらい寝ていたはずだ)

今朝は、7時前に起きて作業所まで送迎車をとりに行き、
所沢駅まで送迎に行った。
市場の隣の産業廃棄物処理会社で火事があったようで、
消防車が何台も停まっていて、
市場の前の道路がすごい渋滞だった。
あの、廃棄物から現金3100万円が出てきた所です。

仕事はクソ忙しかった。
午後6時に作業は終わり、必要書類を書き、
送迎車のエンジンをかけたのは6時40分だった。
若くないのに何やってんだ、と自嘲してます。

しかし、こんな私も九想なんです。
私はたまにバカなことをします(あ、先週もやってました _●_ )。
ほんとに自分でイヤになるくらいなバカな人間になります。
これをやっているから、また毎日“真面目”に生きていける。

世間では九想話に書きたいニュースが沢山あります。
明日からまた九想の“目線”で書きたい。
今日は、そんなわけで寝ます。
睡眠をとらなくては…。
といっても、今は1月20日の午前2時半です。

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所沢の九想窯

2006年01月18日 | 健康・病気
楽家で飲んだ。
Sさん夫婦がいた。
いろいろ話をしていくうちに、2月から陶芸をやるという。
10時過ぎだったか、みっちゃんが来た。

みっちゃんの紹介でSさん夫婦は陶芸をやることになった。
みっちゃんは陶芸をずーっとやっていて、
ここ2年ばっかし休んでいた。

楽家に私が行きはじめた頃、みっちゃんは
窯から出してきた陶器をみんなにあげていた。
「おれも欲しい」というと、
「おれは、おまえを知らないからやらない」といわれた。
そんときは寂しい思いをした。
みっちゃんがいうとおり、私はまだ、楽家の常連ではなかった。

みっちゃんに、「おれもやりたいな」といった。
Sさん夫婦が行く陶芸教室は、狭山市の主催するもので、
所沢市の者は原則的には参加できないらしい。
人数的に私までは参加できないようなのです。

「それじゃ、しんちゃん(Sさん)がイヤになって
 行くのをやめたらおれが行くよ」といった。
それを聞いたみっちゃんが、
「だったら2月1日に見学に来いよ」といった。

とりあえず、私は2月1日にその陶芸教室に行きます。
あわよくば、陶芸を勉強して、
所沢の“九想窯”をつくりたいと思います。
その前に、本家の九想窯に許しをえないといけないな。

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2006年01月17日 | 健康・病気
私はこれまでめったに夢は見ない。
見ても1年に2、3度だ。
だから7年ほど書いている九想話に、夢のことは書いてない。

夢は、誰もいつも見ている、と聞いたことがある。
ただその夢を覚えていないだけだ、と。

それがこの頃、月に何度か見るようになった。
それもいつも同じ夢だ。
仕事の休みの日が多い。

家になぜか野菜がある。
たいがいニンジンかジャガイモだ。
ああ…、これを何箱パッケージしなければと思う。

必死になって1人でやる。
作業が終わって思う。
これをどうやって市場まで運ぶんだ。
フォークリフトもないのに。
フォークリフトがあったって、
その前にダンボールの山を、
家から階下に持って行くことを考えるだけで落ち込む。
私の家は4階だ。
悩んでいるうちに目が覚める。

休みの日の朝、この夢で私はぐったり疲れてしまう。
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眼鏡の話

2006年01月16日 | 健康・病気
私は20代まで目は悪くなかった。
27歳のとき時計の部品を造る会社に転職して、
デジタル時計のガラスの印刷の仕事をするようになって悪くなった。
ガラスを印刷していて10枚に1枚は、
きちんと印刷されているかどうか確認するために、
キズミという道具(レンズ)で見なければならなかったからです。

視力の落ちた30代でも眼鏡を日常生活ではかけていなかった。
しかし、車に乗るときはかけなければならなかった。
40歳になった頃、
仕事をする上で支障をきたすようになったので
一日中かけるようにした。
そう決断したときは、ちょっと悲しかった。
これでも、眼鏡をかけないほうがいい顔だと思っていたのだ。

レンズにつるだけついた、ツーポイントの眼鏡だった。
48歳のとき、車のウィンドウガラスの仕上げの仕事を
するようになったとき近くの物が見えないことに気づいた。
老眼になっていた。
遠近両用の眼鏡を買うことにした。

ツーポイントでは遠近両用はできないといわれ、
フレームにレンズのついた眼鏡を買った。
フレームがないぶんツーポイントは開放感があったのだが、
黒いフレームの眼鏡は、視界が狭く感じた。

年が明けたとき、眼鏡を買おうと思った。
5年使っていたものにかなりレンズにキズがついていた。
別に暮らしにさしさわりはないのだが、気分をかえたかった。
7日にいつも買っている西友の和真に行った。
今日、それを引き取りに行ってきた。

数日前からちょっと心がウキウキしていた。
仕事を終え車を運転しているときは、
最近感じたことのない高揚感があった。
新しく買った眼鏡は、レンズの下半分にフレームがない。
ツーポイントほどではないが開放感がある。
今かけているのですが、なかなかいいです。

それにしても、新しい眼鏡をつけて、
鏡で自分の顔を何度も見ていたら、
目のまわりの皺の多さに幻滅した。
そのことを女房にいうと一言あっさりいわれた。
「しょうがないじゃない年取ったんだから」

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自閉症のKくん

2006年01月15日 | 健康・病気
Kくんは、3年前阪神が好きだった。
巨人や西武のファンが多い作業所の中で、
おれと一緒に阪神を応援し、そして阪神は優勝した。
なのに君は去年、ソフトバンクファンになってしまった。

君の作業所での主な仕事は、
袋詰めされた野菜を箱に入れることだよね。
それはKくんが数に正確だからだ。
絶対間違わないもんな。

おれや他の通所者がパレットに積んだダンボール箱を、
積み直すのはなんなんだい。
君のこだわりか。
その気持ちはよく分かる。
おれにもそういう性癖はある。

君は一日中独り言を喋っているね。
おれが「うるさい。黙って作業をしましょう」というと、
「はい、分かりました」といった30秒後に、また喋り出す。
困ったものだとおれは思っているが、
それはKくんの“才能”だからおれは耐える。
ただ、静かに作業をしている他の通所者のことも考えてくれよ。

君はきれい好きだ。
食べ終わった弁当箱をすぐ台所で洗う。
ついでに流しのまわりも丁寧に拭く。
でもちょっと洗剤を使いすぎだと思わないかい。
あれは薄めて使うもんだ。
Kくんの使い方だと1週間で1瓶なくなってしまう。
作業所は貧乏なんだよ。

君は毎日、おれの名前を連呼していろいろ質問してくる。
それは嬉しいが、他の通所者の相手もしなければならないんだ。
Kくんとばかり話しているわけにはいかない。

木曜日の夕方、作業終了の頃、君は何で興奮したか大声で叫んだ。
「うるさい。静かにしろ!」
君に負けないほどの大きな声でおれは注意した。
ダウン症のAくんが、おれの声で耳が痛くなった、といっていた。

君は、金曜日作業所に来なかった。
めったに休まないのに。
Kくん、明日、来てくれるよね。

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久しぶりのカラオケ

2006年01月14日 | 健康・病気
Sさん夫婦が帰ったあと、私は1人になった。
といってもカウンターには、若いカップルと中年の女性と、
さっき入ってきたばかりの初老の紳士がいた。

ママが「こっちに来れば」と紳士に、
Sさん夫婦が坐っていた席を片づけながらいった。
「おれはどこでもいいよ」といいながら紳士は、
カウンターの曲がり角の席から移動した。
私とはイスをひとつをおいた隣になった。
このひとを私は知らない。
中年の女性も若いカップルも私にとって初顔だ。

5年も楽家に通っている私だが、たいした常連ではない。
2週に1、2度の利用単価の低い常連なので、
最近常連になった客をあまり知らない。
私の隣に坐ったひとを「サーさん」とママは呼んだ。
そのうち“口もち無沙汰”だった私は、サーさんと話した。

サーさんが楽家に来るようになったきっかけというのが面白い。
去年の秋頃か、
サーさんが楽家に入ったらカウンターが満席に近かった。
しかたなしに外に出て余所の店を探したがなかった。
サーさんはまた楽家に戻ってきた。
他の常連の客もママも、いったん出て行ったのがまた来たか、
という顔をしたらしい。
サーさんはその雰囲気が面白くなかった。
初めての店でいきなり焼酎のボトルを注文した。

それから楽家に来るようになった、という。
私だったら、常連で盛り上がっている小さな居酒屋に、
1人で入る気はしない。
私が初めて楽家に入ったときは、客が誰もいなかった。

たわいもない世間話をしているうちにサーさんが、
「あの女、こっちに呼べよ」と私にいう。
中高年の女性は、若いカップルと話していた。
かなり酔っていて、
カップルに焼酎のボトルをプレゼントなんかしていた。
歳は分からないが綺麗な顔立ちだ。
若い頃はそうとうな美人だったにちがいない。
着ている黒いブラウスが素敵だった。

私は昨日、作業が午後8時までかかり、野菜の加工数や
腐りではねた数や残った在庫数の報告書をファックスし、
所沢駅まで送迎に出たのが8時半、作業所に戻って、
連絡帳に必要事項を書いて作業所を出たのが10時前だった。
身体も心も疲れ切っていた。家に着いたのが10時半、
楽家に行ったのが11時前だった。
バカなことをして気晴らしをしたい気持ちになっていた。

女性に「こっちの席に来ませんか」などとにやけていい、
私はサーさんの“つかいっぱ”に成り下がっていた。
女はおぼつかない足で席を移った。
サーさんは勢いがあがった。
新しいつまみを注文をし、ボトルの焼酎を女に注いだ。
サーさんは女性にいろいろ話しかけていた。
私は適当に相づちを打っていた。

(ああ…、今日の九想話は長くなるな。
 Sさんがいっていた。「ブログになって、
 九想話を携帯電話で見ているおれは、
 長いと何回もボタンを押さなくちゃならないから辛い」と。
 ケータイで読んでいる方に心よりお詫びしますm(__)m )

結局カラオケに行こうということになった。
ママは手早く店じまいをした。
私も外の電光看板をしまったりした。
サーさんと女性とママと私で店を出た。

近所の居酒屋風のカラオケに行った。
広い店に客は2人だった。
カラオケがメインの店なのに誰もうたっていない。
私はさっそくうたった、「望郷酒場」を。
このメンバーだと演歌からがいいと判断した。

サーさんは甘い声の持ち主でムード歌謡をうたった。
ママもうたったが、女性はうたわない。
私は、続いて川島英伍の「時代おくれ」、
次がスターダスト・レビューの「木蓮の涙」、
そしてサザンの「希望の轍」、徳永英明の「レイニーブルー」、
みんな古い曲をうたった。最後に吉田拓郎の
「あいつの部屋には男がいる」をうたいたかったが、
うたったことがないので自信がなくやめた。

サーさんはタクシーを呼んでくれと店長にいった。
ママは楽家に忘れものを取りに行った。
予期せず、女性と私だけになってしまった。
彼女は「次に行きましょう」という。
私はたじろいだ。
金もないし、帰って九想話を書かなければならない。
「もう3時過ぎてますよ」というと、
つまらなそうに女性は、おとなしく帰っていった。
しかし、主婦があの時間まで飲んでいるなんて、
旦那はどんなひとなんだろう。
ママの話では、彼女は私と同じ昭和27年生まれらしい。
おばさんだと思っていた私だって、充分におじさんなんだな。

疲れているのに深夜まで遊んでしまった。
でも、私としては充分な気晴らしができた金曜日の夜でした。

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楽家2回目

2006年01月13日 | 健康・病気
仕事が終わり家に着いたのが午後10時半。
何もしないで楽家に行った。
Sさんが奥さんといた。
今年会うのは初めてだった。
楽しく飲んでいると、11時半頃帰ってしまった。

その後のことは、……。
眠いので寝ます。
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息子が帰らない

2006年01月12日 | 健康・病気
深夜の3時になるというのに息子が帰っていない。
おそらくもう帰らないだろう。

女の子とどこかに泊まっているなんてことならいいけど。
つきあってるひとはいないはずだ。

仕事か?
Uは今まで仕事で徹夜ということはなかった。
Kはなんどかあった。
同じプログラマーをしているけど、
Uの会社は夜通し仕事をするということがなかった。

二人は一卵性双生児だが、少し性格が違う。
違うが、他人と比べると同じような性格だ、と思う。
大学は違うが二人とも文学部史学科に行った。
だけど、Uが日本史でKが西洋史だった。
そしてなぜか、文学部を出たのにソフト屋になっている。

Kは家を出て、女性と同棲している。
何につけてもさばけた行動をしてきた。
Uは、“世間に対して曲がったことをしない”というやつだ。

小さいとき、いつもKが自分の要求を私たちにいってきた。
バカなことをやってきた。
Uはそれを見て、うまく立ち回ってきた。
つまり、Kがいったり行動したことで
私たちによく思われなかったことは、やらなかった。

Uには、当たり前すぎる生き方を崩して欲しい。
あまりにも品行方正な気がする。
若い今のうちだ、多少顰蹙をかうこともしてやってくれ。
私もいろいろやってきました。

でも、家に帰ってこないというのは心配だ。
ケータイがあるんだからメールでもくれればいいのに。
あいつらが社会人になったとき親の役は終わったと“決めた”。
だけど、やっぱり親なんだよな~。
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