久しぶりのカラオケ

2006年01月14日 | 健康・病気
Sさん夫婦が帰ったあと、私は1人になった。
といってもカウンターには、若いカップルと中年の女性と、
さっき入ってきたばかりの初老の紳士がいた。

ママが「こっちに来れば」と紳士に、
Sさん夫婦が坐っていた席を片づけながらいった。
「おれはどこでもいいよ」といいながら紳士は、
カウンターの曲がり角の席から移動した。
私とはイスをひとつをおいた隣になった。
このひとを私は知らない。
中年の女性も若いカップルも私にとって初顔だ。

5年も楽家に通っている私だが、たいした常連ではない。
2週に1、2度の利用単価の低い常連なので、
最近常連になった客をあまり知らない。
私の隣に坐ったひとを「サーさん」とママは呼んだ。
そのうち“口もち無沙汰”だった私は、サーさんと話した。

サーさんが楽家に来るようになったきっかけというのが面白い。
去年の秋頃か、
サーさんが楽家に入ったらカウンターが満席に近かった。
しかたなしに外に出て余所の店を探したがなかった。
サーさんはまた楽家に戻ってきた。
他の常連の客もママも、いったん出て行ったのがまた来たか、
という顔をしたらしい。
サーさんはその雰囲気が面白くなかった。
初めての店でいきなり焼酎のボトルを注文した。

それから楽家に来るようになった、という。
私だったら、常連で盛り上がっている小さな居酒屋に、
1人で入る気はしない。
私が初めて楽家に入ったときは、客が誰もいなかった。

たわいもない世間話をしているうちにサーさんが、
「あの女、こっちに呼べよ」と私にいう。
中高年の女性は、若いカップルと話していた。
かなり酔っていて、
カップルに焼酎のボトルをプレゼントなんかしていた。
歳は分からないが綺麗な顔立ちだ。
若い頃はそうとうな美人だったにちがいない。
着ている黒いブラウスが素敵だった。

私は昨日、作業が午後8時までかかり、野菜の加工数や
腐りではねた数や残った在庫数の報告書をファックスし、
所沢駅まで送迎に出たのが8時半、作業所に戻って、
連絡帳に必要事項を書いて作業所を出たのが10時前だった。
身体も心も疲れ切っていた。家に着いたのが10時半、
楽家に行ったのが11時前だった。
バカなことをして気晴らしをしたい気持ちになっていた。

女性に「こっちの席に来ませんか」などとにやけていい、
私はサーさんの“つかいっぱ”に成り下がっていた。
女はおぼつかない足で席を移った。
サーさんは勢いがあがった。
新しいつまみを注文をし、ボトルの焼酎を女に注いだ。
サーさんは女性にいろいろ話しかけていた。
私は適当に相づちを打っていた。

(ああ…、今日の九想話は長くなるな。
 Sさんがいっていた。「ブログになって、
 九想話を携帯電話で見ているおれは、
 長いと何回もボタンを押さなくちゃならないから辛い」と。
 ケータイで読んでいる方に心よりお詫びしますm(__)m )

結局カラオケに行こうということになった。
ママは手早く店じまいをした。
私も外の電光看板をしまったりした。
サーさんと女性とママと私で店を出た。

近所の居酒屋風のカラオケに行った。
広い店に客は2人だった。
カラオケがメインの店なのに誰もうたっていない。
私はさっそくうたった、「望郷酒場」を。
このメンバーだと演歌からがいいと判断した。

サーさんは甘い声の持ち主でムード歌謡をうたった。
ママもうたったが、女性はうたわない。
私は、続いて川島英伍の「時代おくれ」、
次がスターダスト・レビューの「木蓮の涙」、
そしてサザンの「希望の轍」、徳永英明の「レイニーブルー」、
みんな古い曲をうたった。最後に吉田拓郎の
「あいつの部屋には男がいる」をうたいたかったが、
うたったことがないので自信がなくやめた。

サーさんはタクシーを呼んでくれと店長にいった。
ママは楽家に忘れものを取りに行った。
予期せず、女性と私だけになってしまった。
彼女は「次に行きましょう」という。
私はたじろいだ。
金もないし、帰って九想話を書かなければならない。
「もう3時過ぎてますよ」というと、
つまらなそうに女性は、おとなしく帰っていった。
しかし、主婦があの時間まで飲んでいるなんて、
旦那はどんなひとなんだろう。
ママの話では、彼女は私と同じ昭和27年生まれらしい。
おばさんだと思っていた私だって、充分におじさんなんだな。

疲れているのに深夜まで遊んでしまった。
でも、私としては充分な気晴らしができた金曜日の夜でした。

コメント
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