掲示板をやめます。
書き込みのない掲示板は、
恥ずかしいというのが、
私の考えです。
昨日の10時5分からNHKの
「あなたのアンコール」という番組を観た。
「ETV2002・インターネットで禁煙マラソン」
番組ではある50代の女性が、
「禁煙マラソン」に参加して、
たばこから離れるまでを紹介していた。
その女性は、30年間喫煙してきた
筋金入りの愛煙家だった。
娘が結婚して孫が生まれた。
娘は、可愛い孫がいてもたばこを吸う。
娘がたばこを吸うのは、
自分が吸ってきたからだ、
これまでのことは仕方ないとして、
たばこをやめようと決意した。
禁煙マラソンに参加したら、
メールが毎日沢山来るようになった。
同じ気持ちの人たちが大勢いる。
くじけそうになった気持ちをメールに書くと、
先輩が“応援メール”をくれる。
オフ会が楽しそうだった。
禁煙マラソンでは、ニコチンパッチを使う。
それの使い方によって、
夜眠れなかったり、食欲不振になったりするようだ。
おれもこの「禁煙マラソン」に入ってたら
あんなに苦しまないでたばこをやめられたかな、
と考えた。
沢山仲間が増えたろうな。
でもな…、なんか気に入らなかった。
おれは、ただ、たばこをやめた。
30年間吸っていたたばこを、
3月5日いきなりやめた。
ニコチンパッチのことは知っていた。
でもおれは、
そんな中途半端な方法でやめるのはいやだった。
たばこをやめるのなら、ただ吸わなければいい。
それだけだ。
他人に禁煙の応援メールをもらったりしたら
おれは、またたばこを吸いたくなってしまう。
禁断症状、当たり前だ。
そんなことに耐えられなければ、
また、たばこを吸えばいい。
今までいい思いをしてきたのだ。
苦しいのはしかたない。
おれはたばこの害に気づいたからやめたのだ。
たばこを吸いたい人は吸えばいい。
おれは、ちょこっと体と経済を考えてやめてみた。
「禁煙マラソン」のこれがイヤだな。
> ステップ1の参加登録寄付金
> (1)禁煙開始コース 1口1万5千円、1口以上
> (2)禁煙継続コース 1口1万円、1口以上
なんで寄付金なんだ。
参加料金でいいじゃないか。
寄付金という表現が嫌いだ。
今日の国立競技場でのラグビーW杯予選、
日本が韓国に66点差の大勝をした。
日本、韓国、台湾がホームアンドアウエー方式で
一つの出場枠を争うラグビーの第5回ワールドカップ
アジア地区予選の最終ラウンドが今日開幕した。
現在、サッカーのワールドカップで世界は
熱くなっていますが、
ラグビーの予選をやってるんですね。
こっちのニッポンもがんばってます。
今月私は7位でした。
時間もなく、締め切り最終日に
ドタバタとつくったのでいけません。
五月闇今日一日を嗤うなり 7
課題「五月」
5月にかぎらず、いつもこんな私です。
青田道女子高生の長い列 8
課題「青田」
私の高校は田圃の先にありました。
その田圃は現在、住宅地になっている。
男子生徒も歩いていたが、
男じゃ句になりませんね。
むかしを思い出してつくりました。
肩ならべ二人で見つめる月見草 2
「肩」の字をいれるこの課題。
なにも浮かばなくて、
平凡な句をつくってしまいました。
私は6月から勤務時間が、
7時15分から16時までとなった。
朝、1時間早くなったのはかなり辛い。
しかし、今日みたいなときにはありがたい。
16時40分には家に着いて、
ワールドカップの日本ーチュニジア戦の
後半戦が観られた。
今日は楽家が3時から営業すると聞いていた。
楽家で観ようと帰ってきたら、
女房が家にいた。
女房がいるのに行くわけにいかない。
ビーシュを飲みながら家のテレビで観た。
17時頃、女房が夜のバイトに出かけた。
私は、すかさず楽家に行った。
楽家には、試合の終わる5分ほど前に着いた。
なんでみんないるの?
と思うぐらいカウンターがいっぱいだった。
仕事はどうしたの? みなさん。
「すだち作業所」のTさんもいた。
チュニジアに勝ち、
決勝T進出が決まったとき、
楽家に歓声がとどろいた。
私もミーハーだ。
自分ちの大きい画面のテレビで、
ビーシュでも焼酎でも日本酒でも(すべて安物)
なんでも飲んでゆったり観られるのに、
楽家の狭いカウンターに坐り、
天井につけてある小さなテレビを観に来た。
でもこういうことは、
みんなで観たほうが楽しい。
来週の18日が楽しみだ。
昨日久しぶりに楽家に行き、Tさんに会った。
1/20 の九想話「所沢の市場」で
Tさんのことは書いた。
計画通り、市場のある場所を借りて、
福祉施設「すだち作業所」を開設した。
自分は、市場のお店で働き、
その八百屋で店に陳列するために、
たとえば、
キュウリを5本ビニール袋に詰める、
というような仕事を、
作業所の知的障害者の人たちにさせている。
作業所には18歳から56歳まで
10人いるそうだ。
その八百屋の仕事だけでは足りないので、
他の会社からの仕事も探しているそうだ。
市場のお店は午前中で終わり、
午後は、「すだち作業所」の仕事になる。
市場のお店は早朝6時から開店だ。
Tさんは、ほんとうに働き者だ。
「すだち作業所」では、
1人に月8,000円給料として払っているそうです。
全国のそういう福祉施設で払う相場は、
5,000円ぐらいということだ。
しかし、世の中には変な人もいて、
Tさんがしていることを、
「弱者を働かせて搾取している」
というようなことをいう人がいるらしい。
「そういうふうにいうけど、
『作業所にあずけられたお陰で、
私がパートに行けるようになった』
とお母さんに感謝されてんだよな」
Tさんは寂しそうにいう。
知的障害者の“大人”をかかえている家族は
大変だと思う。
もし自分の子どもがそうだったらと、
想像するだけで、暗い気持ちになる。
昼間だけでもあずける所があるのはいい。
私は、Tさんをすごい人だと思う。
いつもジーパンにTシャツなどの
“粗末”なものを着ている。
(Tさん、すいません。私も同じですが…)
大学で福祉の勉強をし、
卒業してからその世界で働き、
今、自分で福祉施設を作った。
ここまでいろいろ大変だったようです。
県や市にいろいろな書類を出し、
補助金ももらえるようになり開設した。
私より5つぐらい年下の彼には、頭が下がる。
私は陰ながら、「すだち作業所」を応援します。
3月にやったライブの収益金の一部を
作業所に寄付出来たことはよかった。
私は6月になってから、
毎朝7時前には仕事をしている。
親会社から納品される素板(ガラス)の
受け入れをしているのです。
フォークリフトで細心の注意をはらって
重い素板の載ったパレットを
大型トラックから降ろしていると、
Nさんが7時15分ぐらいに出勤してくる。
知らなかった。
うちの会社の始業時間は8時15分です。
1時間も早く出勤してるのを知って私は驚いた。
Nさんが、4月で定年退職して、
現在はアルバイトとして勤めていると最近知った。
うちの定年は60歳です。
いつからだろう、
Nさんは、私のことを気に入ってくれていて、
会社で会うといろいろ話しかけてくれる。
私も、Nさんを見つけると、
近づいて話しかけるようになった。
先日も第1工場に用事があったとき、
Nさんの作業台によった。
「上の者がバカばっかりでどうしょうもないですよ」
「そうね。いくらなんでもこの会社はひどすぎる。
Oさん、でも我慢しようね。
この歳になったら、余所じゃ働けないもんね」
そんなことをいいながらも
Nさんの笑顔は素敵です。
何年か前、忘年会か慰安旅行かで
Nさんと少し話した。
Nさんは、40歳前後の頃ご主人を病気でなくし、
それから“このひどい会社”で働き、
2人のお子さんを育ててきたそうだ。
子どもは社会人になり、孫もいるという。
見るからに工場で労働するという感じはなく、
何も知らないでNさんを見たら、
ちょっといい家庭の奥さんという雰囲気だ。
会社の他の女性からも慕われていて、
“ボス的”というのとは少しニュアンスが違うが、
実質、会社のおばさんたちをまとめている。
この会社の女性たちは、
ほんとうによく仕事をする。
1日中立ちっぱなしで、
成形されたウィンドウガラスの樹脂のバリを取り、
ガラスを磨き、製品にしている。
これからの熱い夏、
スポットクーラーの片寄った冷気に当たり、
体をおかしくさせながらも働かなければならない。
Nさんの温かい笑顔に会うと、
がんばろうと自然に思える私です。
先週から左腕全体がしびれるようになった。
あるとき突然、何かに取り憑かれたようになり、
左腕が動かなくなる。
私は現在、
仕事中ほとんどフォークリフトに乗っている。
ハンドル操作は左手でする。
ハンドルについてるグリップを左手で握り、
右に左にフォークを急回転させるので、
しょっちゅう左手を動かしている。
そのせいかな、と考えていた。
昨日、腰のマッサージのために、
いつもの新所沢整形外科に行った。
そのときマッサージをしてくれた女性に、
「最近左腕がしびれるんです」
というと、
「今からでは出来ないから、
明日レントゲンを撮りましょう」
といってくれた。
今日は最初にレントゲンを撮った。
その写真を見て、医師が診察してくれた。
その結果「頸椎症性神経根症(ケイツイショウセイシンケイコンショウ)」
ということが分かった。
首の骨の5番目と7番目の神経が通るところが狭く、
そこで神経が炎症を起こしているというのが、
医師の説明だった。
(インターネットで検索したら、そこそこ
頸椎症性神経根症について書いてありました)
昨年、血尿が出て最初に診てもらった医師です。
レントゲンを見て「膀胱結石」と診察したのは、
はずれだった。
防衛医大の診察では「膀胱結石」ではなかった。
しかし、そのときくれた抗生物質で
“痛み”から解放された。
診察は間違ったが、薬で助かった。
内科、整形外科の医師では、
泌尿器科のことはなかなか分からないのだろう。
そのときの感謝の気持ちがある。
なにしろ、血尿のときの排尿時の痛みは格別だった。
これから頸椎症性神経根症を中心に
治療に来なくてはならない。
といっても腰も相変わらず思わしくない。
3回に1回は、これまで通り
腰のマッサージに行かなくてはならない。
一度に二つの治療は出来ないといわれた。
50になって体にガタが来た感じです。
「炊飯器買いたいな」女房が呟いた。
「釜のテフロンコートが剥げちゃってるんだ」
「そうか。買ってから5年たってるもんな」
「どうしてそんなこと覚えてんの」
なぜ覚えているかというと、
私が山梨に単身赴任した97年の5月に買って、
そのとき使っていた古い炊飯器を
私が山梨に持っていったからです。
炊飯器のことだけで、
私は過去のどうでもいいことを、
いろいろ思い出してしまう。
「そんなことまで覚えてるから、
あんたは疲れるのよ」
よく女房にいわれる。
この性分は自分でもいいとは思ってないが、
生まれつきのもので、今さらどうにもできない。
夕方、近所のラオックスに行く。
昼間の暑さはおさまり、
気持ちいい風が団地の中を吹いていた。
20分ほどで炊飯器を買った。
「今日は、値切らなかったね。
それに一番安いものじゃなかった。
これまではいつも一番安いものを買ってたよ」
ラオックスを出て女房がいう。
そういえば、私は必ず値切って買っていた。
安くしてくれなくても、いうだけはいわなくては、
という気持ちがあった。
7,980円の炊飯器を値切る気持ちはなかった。
それに、5年前買った炊飯器は失敗したと思っていた。
ご飯の炊き具合があまりおいしくないのです。
5,980円のものもあったが、それはやめた。
それにしても現在の炊飯器は高いものがありますね。
IH釜方式なんてものがあった。
店員に訊いたがよく分からなかった。
息子の内定が決まったことが、
私の心をゆるやかにしていたのかもしれない。
買った炊飯器を駐車場の車に置いて、
ビックAに食料品を買いに行く。
女房が、「パルマ(手拍子)を叩いて」という。
また始まった、と思った。
私は、等間隔に左右の掌を打ちつけた。
そのリズムに合わして彼女がステップを踏む。
途中から女房の足が刻むリズムが狂う。
そのたびに「もう1回やって」という。
何回も何回もやらされる。
こんなことをしていたら、
いつになっても買い物なんて出来ない。
いつまでも明るいなと思っていたが、
そのうちあたりが薄暗くなってきた。
「もうこれで最後」
「もう1回」
10時頃本を読んでいたら、ドアフォンが鳴った。
出ると「速達です」という女性の声。
Kへの速達だった。
ノックをして部屋を空けるとKは寝ていた。
速達をそばにおいておいた。
いつのまにか私は寝ていた。
Kが女房に、「内定決まったよ」といっていた。
ああ、あの速達はそれだったんだ。
承諾書というのをKは書いた。
余所の会社には行きません、
という内容のものだった。
うちの息子たちは双子です。
生まれたときどちらも未熟児だった。
Uはすぐ退院したが、
Kは1週間以上病院にいた。
未熟児のことなど何も知らない私は
とても心配した。
Kは中学生のとき、
1年の3学期から2年の3学期まで、
ほどんど学校に行けなかった。
防衛医大の医師の診断によると、
「成長期にホルモンのバランスが崩れ、
体調がおかしくなっている」
ということだった。
Kは中学の勉強もろくに出来ず、
高校にも行けないのかな、と漠然と考え、
暗澹たる思いなった。
それがなんとか高校に行って、
大学生にもなった。
その2人が現在大学4年生。
就職どうなるかなと思っていたら、
Uは先月決まった。
そしてKの内定が今日分かった。
これで一安心です。
結果として2人とも、
コンピューターのソフトのSEという
同じ職種になった。
就職してから大変だと思う。
私は職業には恵まれなかったから、
息子たちには好きな仕事をさせたかった。
2人とも満足しているようだ。
私としてはこの日を祝いたかった。
しかし、息子たちはたんたんとしていた。
ビーシュで乾杯したかったが、だめだった。
さびしく自分1人で乾杯した。