私の青春とある宗教団体

2022年08月29日 | 暮らし

私が高校を卒業して就職したのは、手工ギターを作るところでした。
私が高校3年の夏のときに、「月刊現代ギター」という雑誌に弟子募集の広告があり、
それを見た私は、弟子入り希望の手紙をそのギター製作所に書いた。
私は高校3年のときに、高校を卒業したらどんな仕事をしたらいいか分からなかった。
ホントのことをいえば、私は学校の教師になりたかった。
なんの教師でもよかったが、なれたら吹奏楽部の顧問になりたかった。
私は、中学・高校と吹奏楽部に所属していてトロンボーンを吹いていた。
しかし、私の家は貧しくて、大学へ進学ということは考えられなかった。
父親は大工にでもなればいいと考えていたようだった。
1ヶ月ほどたってギター製作所からハガキが来て、私は秋にそこを訪ねた。
それでそのギター製作所への弟子入りが決まった。

私は高校を卒業して1週間ほどで、そのギター製作所に弟子入りした。
ギター製作所は鉄筋の3階建てのビルだった。
私たち弟子の寝るところが3階にあった。
1階は作業所で、2階が親方家族の住まいだったと思う。
3階には2段ベットが3つあった。
弟子は私が入って3人になった。
多いときには弟子は、6人いたのだろう。
2人の兄弟子(28歳と24歳)が、夕食が終わって3階に行き、くつろいでいたときに、
「おれたちは、もうすぐここを辞める」という。
明日から、日本一のギターをつくる職人になるんだと、希望を持って弟子入りした私に、
ここは最低のところだから辞めると、私に兄弟子たちがいった。
それを聞き、私は途方に暮れた。
いろんなそのギター製作所のダメなことを、兄弟子たちが私に話した。
その中で私が一番ガッカリしたのは、親方がギターが弾けないということだった。
親方の兄弟はギターが弾けて、ギターを製作するようになったらしいが、
親方はギターがまったく弾けなかったようだ。
なのでギターが完成したときに、親方はギターを弾かない、ということだった。
弾いても、ギターの良し悪しがわからない。
弟子に弾かせて完成ということになると兄弟子がいう。
「おれは、こんなところにいる意味がない」と2人がいう。
私は、弟子入りしたその夜にそのことを知り愕然とした。

次の日から28歳の兄弟子が、私を近所でやるある集会に毎日連れ出した。
それはある宗教団体の集まりです。
その人は、フラメンコギターがうまかったが、ある宗教団体に入信していた。
24歳の兄弟子の本名は「池田」だった。
なので28歳の兄弟子は、「池田」さんを呼ぶときは「大ちゃん」と呼んでいた。
〇〇学会会長の名前を愛称にしていた。
「大ちゃん」と呼ばれた「池田」さんは、どんな気持ちだったんだろう。

私は毎日のように兄弟子に、その宗教団体の集会に参加させられた。
大勢の人に会い、毎日「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えさせられた。
私は昼間、ギターを作る作業をし、夜は、宗教団体の勉強をさせられた。
弟子入りした親方はギターが弾けないし、兄弟子の1人は宗教に無我夢中で、
私は、なんのために東京に来たのか分からなくなった。
5月末に私は、ギター製作所を辞めることにした。
私の青春の夢はボロボロに砕け、19歳で夢のない男になりました。

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