Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

「傷つくならば、それは愛ではない」

2005年05月11日 | 一般
「他人の悪口に惑わされないで」


言葉の境界線について考えてみましょう。「言葉の境界線」とはつまり次のとおりです。

誰かが、あなたの悪口を言ったとしても、それは、「その人の意見」というのに過ぎない、ということです。その人、あるいはその人たちの悪口は、その人(たち)の一方的な意見であり、「ほんとうのわたし」とは別のもの、ということをわきまえるのが、境界線を引くということです。

他人から悪口を言われるたびに傷ついていると、自分のスピリットがしぼんでしまいます。余計なことば、役に立たない他人からのことばは、自分の心やからだの中に入れないようにしましょう。

そして自分も、他人の心に土足で侵入するに等しい悪口、中傷を言うのはやめましょう。

(「心の傷を癒すカウンセリング366日」/西尾和美・著)
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人に好かれようとしていると、簡単に他人に操作されてしまいます。権力者の取り巻きになるタイプの人は、周囲からの賞賛に飢えている人を、動物的本能によるかのように直感的に見抜きます。そして上手に誉めて喜ばせ、周囲からの賞賛に渇いている人の信頼を獲得するのです。それから取り巻きタイプの人は操作を始めます。おだてたりすかしたりして、取りまきタイプの人自身の願望を当の権力者に実行させるのです。権力者が落ち目になると、これまた上手にできるだけ恨まれないように、しかし手のひらを返したように離れてゆくのです。

自分は権力者になれる人間じゃないよ、なんて思っていても、悪口を言われるといっぺんにどよ~んと不安になってしまうタイプであれば、根っこのほうで見ると、同じタイプに分類できるでしょう。そういう人は「自分」というものがまだ十分でき上がっていないのです。だから周囲の人によく思われていることで、プライドが保てるのです。いつかこのブログで、「ひとりの時間を楽しめるようになりましょう」という、やはり西尾先生のことばを紹介しました。ひとりでも時間を有意義に楽しめるのは、「自分」を持っているからです。人からちやほやされていなくても、どよ~んという不安さを感じることがないからです。

自分という人間のポテンシャルをはっきり見定めることはほんとうに大切だなあと思います。どんな場面で長所として発揮できるスキルなのか、逆にどういう場面では短所になってしまいがちなのかをきちんと知っていれば、人に悪口を言われても、足元が抜けてしまったような不安を感じることはないでしょう。実際、続けて西尾先生はこのように書いておられます。

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「自分の長所、能力を書き出すこと」

共依存症人、アダルト・チルドレンの人は、依存心が強く、ひとりでやっていけるという自信が弱いのです。見捨てられる、まる裸でいるような不安にかられ、自分よりも「かわいそうな人」、自分の基準から見て「劣っている」人にからんでゆき、そういう人から離れられません。

自分の長所、能力を書き出してみましょう。自分の力を、実際よりも低く評価しているのではありませんか。またひとりでいる時間を少しずつ長くしてみましょう。ひとりでいると、最初は虚無感に襲われるかもしれませんが、がんばって続けていれば、それはだんだんと消えてゆきます。

ひとりでも十分やっていけるという自信がつくと、寂しさ、見捨てられるという不安、また社会のしきたりに束縛されて、という理由からではなく、お互いの生活をより豊かにするため、そしてお互いの人間性の成長のために人とつき合えるようになります。当然、共依存的なつきあいからは縁を切ることもできるようになるでしょう。

たとえひとりになったとしても、自分は一生涯、決して自分を見捨てないと、自分に誓いましょう!

(「心の傷を癒すカウンセリング366日」/西尾和美・著)
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自分の長所を認めることは決してうぬぼれではありません。人に自分を認めさせようとして遠まわしな言動を取ることのほうがよっぽどみっともないと思われませんか。今日の記事の終わりに、わたしの大好きなことばをご紹介します。

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傷つくならば、それは愛ではない

あらゆる歌や小説や映画が語っていることとは違い、愛は傷つけません。
傷つくのは、自分の望みが満たされないとき、欲しいものが得られないとき、人間関係の中で過去の痛みにふれたときなどです。自分を立ててほしいとか、自分を中心にしてほしいとかいう要求がかなえられないときです。

多くの人が自分の内心の要求を「愛」にかこつけて、周囲の人につきつけてきました。そしてそれが満たされないので、憤るのです。もうそういう要求を捨てましょう。あなたの持つ、高すぎる「理想像」を要求するのは、相手に対しても、自分に対しても勘弁してあげましょう。ありのままの相手と、そしてありのままの自分とつきあってゆきましょう。

(「傷つくならば、それは愛ではない」/チャック・スペザーノ・著)
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いいことばでしょ?
この本はわたしのゲンキの素です。
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