人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

オリンピックは独裁体制崩壊の序章?

2008-08-12 06:09:00 | 時事/金融危機
北京オリンピックが始まりました。
多くの方が、TVの前で選手達に声援を送っている事でしょう。
北島選手も金メダルを取り、日本人の多くがホッとしている事でしょう。

ところで、「チベット問題」は何処へ行ったのでしょうか?

マスコミなんて批判したって、便所の落書きにもなりませんが、
しかし、今回の北京オリンピックは、
「オリンピック」と「政治」と「利権」が見え過ぎていて
気楽にTVを見る気になれません。

先ず、世界経済の観点からは
「北京オリンピックを成功させる事」は至上命題です。
オリンピックが失敗して、中国経済が減速あるいは破綻したら、
世界経済もただでは済みません。
ドルや国債を大量に中国が保有する状況で
アメリカはオリンピックの成功を祈るしかありません。
(日本が米ドルや米国債を叩き売る事は考えられませんが、
 中国が保有するドルや国債は、アメリカに突きつけた銃口の様なものです。)

ですから、テロなど内的要因以外に
オリンピックが参加国のボイコットなどで失敗する
可能性は最初から非常に低かったと思います。

サルコジ大統領を見ても、結局オリンピックを
政治的パフォーマンスにしか使っていません。
武器輸出で中国はフランスのお得意様なので、
損得勘定からすれば、当然の選択です。

マスコミもある時期までは、
「チベット問題」や「ウィグル問題」で騒ぎますが、
オリンピックが近付いたある時期からは、
「オリンピック」ヨイショ!!に転じます。
当然、視聴率の取れる目玉番組ですし、
高額な放映権料も払っています。
さらに、マスコミのスポンッサーの多くは、
オリンピックのスポンサーでもあります。

当たり前の事ですが、
近年、オリンピックにおいて「スポーツと政治」は既に不可分で、
さらに、「オリンピックと世界経済」も不可分なものとなっています。

ですから、「北京オリンピック」で騒ぐマスコミを批判する事は
大人げないなと思い事と理解しています。
(尤も、このブログ自体が大人気ありませんが・・・。)

もう少し醒めた目で見れば、オリンピックを境に
「社会主義国」や「独裁体制」は崩壊する・・・という事も出来ます。
オリンピック開催はある程度の経済成長を成し遂げた国が、
国際舞台にデビューする、お披露目でもあります。
当然、その先の経済成長の為には、
「世界経済と政治のルール」の尊守が必要です。
旧ソ連や、韓国を例に取っても、
オリンピックが旧体制崩壊の序章だった様に思われます。

だから、酷暑の北京で繰り広げられる熱戦を
クーラーの効いた部屋で、ビール片手にTVで観戦するのが
大人のオリンピックの楽しみ方なのでしょう。
20年後の社会主義独裁体制の崩壊を予想しながら・・・。

「進化」するマクロス 「退化」するガンダム

2008-08-10 13:54:57 | アニメ


40過ぎの大人がアニメの話もなんですが、
でも、デビルマンやマジンガーZで育ち、
宇宙戦艦ヤマトや、ガンダムで思春期を過ごした世代としては、
アニメにはやはり格別な思い入れがあります。

結婚して子供が出来て、その子供が「男の子」ともなれば、
子供が5歳を過ぎる頃から、日曜日の朝は「特撮ヒーロー」で目覚め、
来週の予告を食い入るように見ている自分に気が付いたりします。

私の場合は、ちょうど放映され始めたのが、
「ウルトラマン・ティガ」であったり
「仮面ライダー・クゥガー」であったり、
「メガレンジャー」であったり、今思えば、
ちょっと幸せなお父さん世代でした。

そんな子供達と今ハマッテいるのが、「マクロスF]。
夜中のアニメなんて、絶対に見る機会が無いのに、
youtubeのおかげで、「見る機会」が出来るのは便利と言うか、何というか・・。

ファースト・ガンダム世代の私は、
「マクロス」は好きではありませんし、あまり見てもいません。
ハードSF設定に、リアルロボットアニメとラブコメと元祖萌えキャラを突っ込んで、
さらには、敵宇宙人は、アイドルの女の子の歌にマイってしまう・・・・。
そんな内容を許容出きる程、10代半ばの私は柔らかな頭をしていませんでした。
ファンタジーを楽しむ余裕を持っていなかったんですね。

一方、サンライズはガンダム以降、「ボトムス」や「イデオン」といった
かなりハードな路線をひた走っていましたから、
健全な男子としては、やはりマクロスは「ぬるい」し「オタク臭い」。

ところが、時代が20数年経った今、
マクロスはオタク文化と共に、飛躍的な「進化」を遂げ、
一方、ガンダムはオタクを取り込む事に必死なあまり、形骸化して「退化」してしまった。
ガンダムSEEDを子供と見た時のショックは今でも忘れません。

「・・・こんなのガンダムじゃない・・・。
 ・・・この、ピンクの髪の娘はいったい??
 ・・・戦争や政治は、エンタテーメントじゃないんだから、
    こんなに薄っぺらに扱うべき物じゃないんだよ・・・。」

結局、戦争を体験した事の無い世代が描く「戦争」に何のリアリティーも無く、
それをメインテーマに据えたガンダムは、
ひたすらガンダムを模倣・再生産しながら「退化」の道を歩むのでしょう。
「ガンダム00」に到っては、youtubeでも一話すら最後まで見れません。
・・・たのむから、モビルスーツが空を飛ばないでくれ・・・。
・・・コラァ!!ロン毛、髪切れ、髪染めるな!!


一方、知らない間に(と言っても、初代マクロスですらまともに見ていませんが)
驚く程の進化を遂げていたのが、「マクロス」でした。
「菅野よう子」が音楽担当だから、興味を持ったのですが、
「マクロスF」の1話、2話を見て、唖然としました。
日本のアニメのCGのレベルって、こんなに高いの!!
って、はじめは技術的な驚きでした。

宇宙空間でのバジュラとバルキリーの闘いの何というスピード感。
コロニー内に進入したバジュラの大きさと重量感は
平成ガメラを通過したカメラワークを駆使して
充分なリアリテーがあるし。(ちょっと、バジュラがレギオンだけれど)
菅野よう子の音楽は、ハリウッド映画のノリでグイグイ押し出してくるし。
日本のアニメの面目躍如といった感があります。(ハリウッドよ・見習え!)

しかし、2話、3話と見るうちに、
あれ、あれ、あれ・・・ハマッテいる自分がいたんです。
と言うか、シェリル・ノームが空港に降り立った瞬間、
そして、コンサートが始まった瞬間に、すっかり虜になってました。
とにかく、このライブの映像がスゴイ。
この映像を見せられると、エイベックス系のPVなんて・・・・。

そして、お約束の三角関係を中心としたラブストーリーが
感情が連続的に推移していくのが見ていて楽しいし安心。
現代のアニメや小説にある、「イキナリこうくるか」的飛躍が無い。

おまけに、SF的設定が実にそれらしい。
環境型のスペースコロニー。
死体さえも「資源」として循環するシステム。
「空気」も資源としての位置づけがされ、
これはこれで、充分な見所になっている。

そして、とにかく歌。
従来、マクロスはアイドル調のアニオタソングが嫌いで、
見ることすらしなかったんだけど、
シェリルがとても現代的なアイドルで、
マドンナや浜崎あゆみを進化させてようなキャラクター。
これが幸いして、とても自然にストーリーを受け入れられるし、
むしろ、コンサートのシーンが楽しみでもある。
勿論「菅野よう子」の手にゆよる、王道アイドル歌謡は、
仕掛けもイッパイで、アレンジもちょっとカッコイイ。

そして、普通、ストーリーから浮いてしまう「歌」や「アイドル」という要素を
なんと巧みにストーリに取り込んでいる事か・・。
先日の病院での、「恋のつばぜり合い」の様なデュエット(what's bout my star)
の演出のなんとドキドキする事か。
これだけを取っても、マクロスが「歌」によって魅力が深まっている事を実感します。

いい年こいて、「マクロス」も無いですが、
意識的な元祖オタクアニメである「マクロス」が、
20数年の時を経て手に入れたものは、
甘美で濃厚な、「オタク文化の進化の果実」でした。

「進化するマクロス」と「退化するガンダム」が
アニメ文化の未来を予見しているうようでもあります。


菅野よう子  映像音楽・・コピーの天才

2008-08-07 10:03:00 | 音楽






「菅野よう子」をご存知の方は、アニメオタクか、
余程の音楽ファンではないでしょうか?

「菅野よう子」が注目されたのは、
多分、アニメ「カーボーイビバップ」のサントラからではないでしょうか?
NYのダウンタウンを思わせる、ファンキーなJAZZから始まり、
アンダーグランドな匂いがプンプンする、グランジな曲、
洋楽ファンの心のど真ん中に命中するようなスローバラードと盛り沢山なこのアルバムは
アニメのサントラとして一部のファンの間で珍重されるには
あまりにも勿体無いアルバムでした。

その他、「ターンAガンダム」や「マクロスシリーズ」
はたまた、数多くのCM曲など、管野よう子は大変な量の仕事をこなす
超売れっ子作曲家です。
「何飲もーかな、ビタミン・ウォーォター」というフレーズなら、
結構多くの方の耳にも残っているのではないでしょうか?

映像音楽は、クラシックや他の音楽に比べ、
とかく低く見られがちです。
劇音楽が、映像作品を離れて成立するのかどうかは意見が分かれる所ですが、
菅野よう子の楽曲は、どれもクォリティーが高く、
十分、独立した曲、アルバムとして聞くに堪えます。
・・というか、充分なエンタテーメントと成り立ちます。

ニーノ・ロータを初め、マイケル・ナイマン、坂本龍一、
ガブリエル・ヤレー、エリック・セラーと、80年代、90年代初頭は
映像音楽家にも注目が集まった時期がありました。

音楽を専攻しても、カビの生えたクラシックはやりたくない。
自己満足の現代音楽もやりたくない。
そおいった、作曲家の卵たちが行き着くのが、
CMと劇音楽の世界かと思います。

菅野よう子は「テツ100%」というバンド出身ですから、
ちょっと毛色が違うのでしょうが、
その為か、楽しめる音楽、エンタテーメントとしての色合いが、
他の劇音楽の作曲家に比べて強いようです。
マイケルナイマンを初めとするミニマリズム一派より、
エリック・セラー(リュック・ベンソン作品)に近いものを感じます。

彼女を一言で言い表すならば、「コピーの天才」。
映像音楽ですから、シーン毎に「こんな感じの曲」が求められます。
「こんな感じ」は当然。既存の映像作品だったりする訳で、
例えば、ハリウッド映画の様な・・・とか、
前衛作品の様な・・・とか、色々な要求があると思います。

そんな要求や必要性に、
オリジナルの音以上の楽曲を、あたかもそれらしく
さらりと書いてしまうのが、菅野よう子の才能ではないでしょうか。



40才以上の方はまずご存知ないと思いますが、
ガンダムの富野監督が20年ぶりぐらいにTVシリーズでガンダムを製作したのが
ターンAガンダムです。
「ガンダムが出てくるカルピス劇場」という表現がぴったりの作品で、
多分、オリジナルガンダム以外では最良の作品です。(「Z」や「シャーの逆襲」よりも)
とにかく、かつて「皆殺しの富野」と言われた罪を償うがごとく、
物語の前半はひたすら、優しく、牧歌的に進行します。
そして、後半はダイナミックにやはり・・・・。

そんな作品を、完璧に引き立てているのが、菅野よう子の音楽です。
クラシック調のもの、エスニック調、歌曲、ブルガリアンボイス風と何でもありで、
さらにはジョー・ウィリアムスから、アンソニー・ロイド・ウェッバーまで。
とても一人の人が書いた楽曲とは思えないバラエティーの広さです。
そして、その一曲、一曲が素晴らしい。
個々にみていけば、やはりコピーなんだけど、
コピーが昇華して、もはや管野よう子の音楽になっている。
さらに、彼女の得意技である、デタラメなラテン語風の歌曲は、
完全に職人の域に達しています。
(最近、よここれを真似てる作曲家がいますよね)

最近では、多くのアニメの音楽が菅野風。
それどころか、TVのワイドショーの映像バックも菅野よう子の曲。
さらに、NHKのドラマの音楽まで菅野風。

菅野よう子の曲が何故これほどまでに支持されるのか?
それは、CM曲に代表される様に、
10秒程度である世界観を確立してしまう明確性があるからではないでしょうか。
映像作品では、10秒、20秒でシーンごと曲がカットアップされてしまいます。
ですから、その10秒、20秒で何かを伝える必要があります。
これぞまさに、圧縮音楽です。

先日もハルヒの項で書きましたが、
NYの現代音楽化ジョン・ゾーンの圧縮音楽は
アニメーションの音楽にそのルーツがあります。
(確か、カール・スターリングだったか?)
映像と共に、めまぐるしく変化する音楽。

例えば、ジブリの久石譲の曲が、
ジブリ作品を見ないでCDだけで楽しめるだろうか?
答えはNOです。
ジブリは劇場作品中心なので、音楽も長尺で使用されます。
ですから、曲もある程度の時間的長さで世界間を確立します。
ジブリ作品では、インスト曲よりも、
「歌物」があきらかに目だっています。

我が家に「ネコの恩返し」のサントラがありますが、
私も子供も、何回かしか聞いてません。
映像から離れれば、たんなるクラシック曲にしか聞こえません。
CD単体では、エンタテーメントとして成立しないんです。
「つじ あやの」の歌が出てきて、初めて嬉しくなります。
菅野よう子の画曲がどれも強靭なイメージを備えているのは、
めまぐるしくシーンの変転するアニメの付帯音楽として鍛え抜かれているからでは。

「ターンAガンダム」のサントラは息子のお気に入りです。
この他、「アルジュナ」のサントラもヘビーローテーションしています。
こちらは、私も映像を未見ですが、
プログレッシブ・ロックしてます。
もうカッコイイとしか言い様がありません。
「ピンクフロイドもYESもまとめて掛かって来い」状態です。

どうでしょう。
皆さんも、騙されたと思って、一度「菅野よう子」をお聞きになっては?



追記
  マイケル・ナイマン・・・ヨーロッパの芸術映画には必ず付いてきました。
              ミニマリズムの巨匠。

  ニーノ・ロータ ・・・・フェリーニ映画はニーノ・ロータ無しでは・・・。

  ガブリエル・ヤレー・・・ジャン・ジャック・べネックスにはセット。
              アラブ人で、濃ーーい音だった気が・・・。
              クレプスキュール・レコードから「シャムロック」という
              バレー音楽をリリースしていましたが、これはイイです。

  エリック・セラー ・・・勿論リュック・ベンソン。
              「グラン・ブルー」のサントラは良く聴きます。





東野圭吾 「手紙」  文章の「浸透力」

2008-08-06 07:16:50 | 


最近、知り合いと本の話をしていて、良く出てくるのが、
伊坂幸太郎と東野圭吾。
特に若い子達が、随分と厚い本を読んでいるなと覗いてみると
東野圭吾だったりします。

恥ずかしながら、私、東野圭吾を読んだ事がありませんでした。
何故・・・?
多分、表紙にインパクトが無いから?
タイトルにひねりが無いから?
なんとなく、気分が重くなりそうな気がするから?

そんな東野圭吾が、先日我が家にやってきました。
家内が職場の女の子に借りてきて、
それが、私の所まで回ってきました。

タイトルは「手紙」。
なんと、ひねりの無い・・・。
「世界の中心で愛を叫ぶ獣」・・ハーラン・エリスや
「闇の左手」・・アーシュラ・K・ルグイン
そんな、タイトルのSFに慣れているから。
「死神の精度」や「グラスホッパー」・・伊坂幸太郎には反応してしまうけど・・・。
「手紙」はやはり買う気が起きないタイトルだな・・・。

せっかくカミサンが薦めてくれたし、
人気の作家だから、とりあえず読んどこう程度に読み始めました。

・・・・東野圭吾・・・良いですね。

弟の大学進学資金欲しさに盗みに入り、はずみで殺人を犯してしまった兄、
そんな兄を愛しながらも、「強盗殺人犯の弟」というレッテルに苦しめられ、
次第に兄を恨み始める苦学生の弟。
犯罪者の肉親に対する世間も同情という逆差別。
親切にしてくれる友人、彼から離れていく恋人、

こう書いてみると、青春小説のステロタイプの様だし、
実際、途中は「青春の蹉跌」にも重なる所もあるけれど、
奇をてらう事なく、じっくりと進むストーリー。
「殺人者の家族の負った罪」からぶれる事の無い物語の展開。

最近のマンガの様な、原色の文体やストーリーとは対極にある小説。
ほの温かな、人肌のような優しさが心地よい。

主人公に起こる「ことがら」を時系列で積み上げていく、
そして、身近な誰にでも起こりうる「ことがら」しか起こらない
ある意味、古典的な小説は、現代において感動を与えるのは難しいのでは?
と思っていましたが、しっかり泣かされました。

確かにこういうスタイルの小説は、下手な書き手が書くと
感情に訴えようとする余り、陳腐なものになってしまいがちですが、
細心の抑制の下に織り成されるエピソードの数々は、
自分の記憶でもあるかのように、スーゥと心にしみ込んでしまします。

「手紙」を読んだだけで、東野圭吾を評価する訳にはいきませんが、
このポカリスエットの様な適度な「浸透圧」を持つ事が、
ちょっと味の濃い小説が多い現代にあって、東野圭吾が支持される理由でしょうか?


追記 「世界の中心で愛を叫ぶ」・・これがヒットした時は
   私の周辺のSFファンは激怒しました。
   ハーラン・エリスの傑作短編集「世界の中心で愛を叫んだ獣」のパクリだと!!
   ハーラン・エリスはアメリカの放送作家でしたが、SFの短編を発表しました。
   多分、日本ではハヤカワ文庫の「世界の・・・」しか翻訳されていないのでは。
   ニューウェーブSFの短編の書き手には、ジェームス・デュプトリー・Jrという
   天才がいますが、エリスも何篇かは、デュプトリーに迫る鋭さを持っています。
   そして、何よりも放送作家だったからかは分かりませんが、
   SF小説が持つ、独特の野暮ったさが無い点が、エリスの魅力です。


都内走行はインターバルトレーニング

2008-08-04 23:11:46 | 自転車/マラソン


子供のミニバスの試合の応援に、
東村山まで行ってきました。
勿論、人力で。

距離にして、片道60Km。
朝5時に出発して、未だ交通量の少ない都心を抜けて行きます。
抜けて・・・・って、いつまで経っても抜けられません。
赤信号、又赤信号、赤信号。

はっきり言って、走行している時間より、
信号待ちの方が、時間が長いと思います。

その間、スタート&ストップの繰り返し。
これって、インターバルトレーニングそのものでは無いですか。



何とか、東村山に3時間弱で到着。
試合会場の近くの西部遊園地まで、足を伸ばしてきました。

ところで、東村山一丁目、二丁目、3丁目・・・って存在しないんですね。
ショックでした。
街中に突如現れる「茶畑」と存在にすら気付かなかったけど、
「多摩湖」の真横の道も走りました。