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東野圭吾 「手紙」  文章の「浸透力」

2008-08-06 07:16:50 | 


最近、知り合いと本の話をしていて、良く出てくるのが、
伊坂幸太郎と東野圭吾。
特に若い子達が、随分と厚い本を読んでいるなと覗いてみると
東野圭吾だったりします。

恥ずかしながら、私、東野圭吾を読んだ事がありませんでした。
何故・・・?
多分、表紙にインパクトが無いから?
タイトルにひねりが無いから?
なんとなく、気分が重くなりそうな気がするから?

そんな東野圭吾が、先日我が家にやってきました。
家内が職場の女の子に借りてきて、
それが、私の所まで回ってきました。

タイトルは「手紙」。
なんと、ひねりの無い・・・。
「世界の中心で愛を叫ぶ獣」・・ハーラン・エリスや
「闇の左手」・・アーシュラ・K・ルグイン
そんな、タイトルのSFに慣れているから。
「死神の精度」や「グラスホッパー」・・伊坂幸太郎には反応してしまうけど・・・。
「手紙」はやはり買う気が起きないタイトルだな・・・。

せっかくカミサンが薦めてくれたし、
人気の作家だから、とりあえず読んどこう程度に読み始めました。

・・・・東野圭吾・・・良いですね。

弟の大学進学資金欲しさに盗みに入り、はずみで殺人を犯してしまった兄、
そんな兄を愛しながらも、「強盗殺人犯の弟」というレッテルに苦しめられ、
次第に兄を恨み始める苦学生の弟。
犯罪者の肉親に対する世間も同情という逆差別。
親切にしてくれる友人、彼から離れていく恋人、

こう書いてみると、青春小説のステロタイプの様だし、
実際、途中は「青春の蹉跌」にも重なる所もあるけれど、
奇をてらう事なく、じっくりと進むストーリー。
「殺人者の家族の負った罪」からぶれる事の無い物語の展開。

最近のマンガの様な、原色の文体やストーリーとは対極にある小説。
ほの温かな、人肌のような優しさが心地よい。

主人公に起こる「ことがら」を時系列で積み上げていく、
そして、身近な誰にでも起こりうる「ことがら」しか起こらない
ある意味、古典的な小説は、現代において感動を与えるのは難しいのでは?
と思っていましたが、しっかり泣かされました。

確かにこういうスタイルの小説は、下手な書き手が書くと
感情に訴えようとする余り、陳腐なものになってしまいがちですが、
細心の抑制の下に織り成されるエピソードの数々は、
自分の記憶でもあるかのように、スーゥと心にしみ込んでしまします。

「手紙」を読んだだけで、東野圭吾を評価する訳にはいきませんが、
このポカリスエットの様な適度な「浸透圧」を持つ事が、
ちょっと味の濃い小説が多い現代にあって、東野圭吾が支持される理由でしょうか?


追記 「世界の中心で愛を叫ぶ」・・これがヒットした時は
   私の周辺のSFファンは激怒しました。
   ハーラン・エリスの傑作短編集「世界の中心で愛を叫んだ獣」のパクリだと!!
   ハーラン・エリスはアメリカの放送作家でしたが、SFの短編を発表しました。
   多分、日本ではハヤカワ文庫の「世界の・・・」しか翻訳されていないのでは。
   ニューウェーブSFの短編の書き手には、ジェームス・デュプトリー・Jrという
   天才がいますが、エリスも何篇かは、デュプトリーに迫る鋭さを持っています。
   そして、何よりも放送作家だったからかは分かりませんが、
   SF小説が持つ、独特の野暮ったさが無い点が、エリスの魅力です。


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