■ 優れたSFが未来を予見する ■
「マンガやSF小説の優れた作品は未来を予見する」というのが私の持論です。
SFはサイエンス・フィクションと訳す事が一般的ですが、先日紹介したル・グィンの諸作などは、科学小説というよりは、社会小説です。旧社会主義圏の作家の多くも、現実世界を舞台とすると規制を受けるので、架空の世界の架空の話として、体制批判や、社会学的論考を行っていました。
SFは狭義の意味においては、サイエンス・フィクションですが、広義においては、思弁的小説(Speculation Fiction)と捕らえる事が出来ます。思考実験の場として、仮想世界を生み出し、その中での人々の行動や社会的動きをシミュレートするのです。こういった思考実験が時に、未来を正しく予見した作品を生み出します。
ロバート・ハイラインの「夏への扉」は、顕著な例として挙げられるでしょう。古典的なタイムトラベル小説の名著ですが、彼が思い描いた未来の技術は、形こそ異なるものの、かなり現代の社会や技術に近いと思います。彼が予見できなかったのはコンピューターの発展で、かれはそれらを機械的に実現した社会を想定しています。(スチーム・パンクの原点とも言えます)
一方、最近の例で言えば、ウィリアム・ギブソンの「ニュー・ロマンサー」がネット空間の可能性に先見的で、サイバー・パンクというムーヴメントに発展します。
三崎亜記の作品も広義のSFに分類しても良いでしょう。2006年の「失われた町」は、ある日突然、ひとつの町から人が居なくなるという「消滅」現象と、それを取り巻く人間模様を克明に描いていますが、まさに現在の福島原発の非難地域の姿そのものです。
■ マンガはも未来を「幻視」する ■
マンガもSFの血を強く受け継いでいるので、優れたマンガは未来を「幻視」する事があります。
以前にカサハラ・テツロの「ライドバック」を題材にこの事に触れた事があります。
「マンガは未来を幻視する・・・カサハラ・テツロー「ライドバック」」
http://green.ap.teacup.com/pekepon/313.html
今回の原発事故とその事後処理にあたり、私はある作品を強く想起しました。
これも、以前このブログで取り上げた事のある、白井弓子の「天顕祭」です。
内容は以前のブログをご覧になって下さい。
「日本文化の厚み・・・マンガ「天顕祭」」
http://green.ap.teacup.com/pekepon/26.html
「ヤマタのオロチ」伝説を題材にしたヒロイックファンタジーですが、その世界の背景になるのは、「核戦争後」の世界です。この世界設定は、「風の谷のナウシカ」を始め、日本のサブカルチャーが好んで使用する舞台設定です。
今回私がこの作品を特に取り上げるのは、「除染作業」が描かれているからです。
■ 除染作業をイメージする ■
放射性物質「ふかし」に汚染された地域は、レベルによって封鎖されています。
ある種の竹が「ふかし」を土中から良く吸収するので、浄化竹と呼ばれ、汚染地域は竹に覆われています。
土中の汚染を吸収した竹は、刈り取られ、灰にされた後、最終処分用の巨大な穴に投げ込まれます。
除染作業に応募して来るのは、子供を作った後の中年男性です。法律で若者の作業は禁止されていますが、生活に困った若者が年齢を偽って応募してきます。
本編の巻末に、番外編の「若竹に吹く風」が収録されており、主人公が若き日に除染作業に潜り込んだ時の不思議体験が描かれています。
描写が細やかなので、除染作業が実感を伴って感じられます。
■ 三崎亜記の「失われた町」での除汚作業 ■
三崎亜記の「失われた町」でも、「除染作業」が描かれます。こちらの汚染物質は「思い出と記録」です。「人々が消えた町」の名前や人々の存在を、徹底的に記録から抹殺していくのです。多くの書籍や過去の記録から、一切の消えた町の名前が削除され、そこの住んでいた人々の記録も削除されます。そういった行為が、「消失」の伝播を食い止めるのです。
「消失」が起きた町の中でも、政府に選ばれた人達が除染作業に当たります。こちらの対象は写真であたり、表札であったり、子供の道具箱に書かれていた名前であったりします。除染作業員に選ばれるのは、最近身近な人を失って、大きな喪失感を抱えた人たちです。「町」はそのような人達に「影響」を与えないのです。
「失われた町」は素晴らしい作品なので、又改めて取り上げたいと思っています。
■ 白井弓子の新連載「WOMBS」はジェンダーSFの最先端 ■
ちょっと話がそれますが、白井弓子の新連載「WOMBS]は、意表をついてハードSFです。
独立的な殖民開拓惑星に連邦が干渉してきます。惑星の居住者達は連邦政府と戦争を行いますが、その戦力差は圧倒的です。そこで彼らが用いた作戦は「空間転送」。
その「空間転送」の技術たるや、驚愕を覚えます。出産経験の無い若い女性の子宮に、その星の「転送能力を持った生き物」を受胎させます。そうする事で空間転送能力が母体にも宿るという発想は画期的です。
彼女達「転送兵」は大きなお腹をプロテクターで防護します。そのプロテクターが「犬の日」に支給されるなど、作者の女性としての、そして母親としての感覚が際立っています。
「転送兵」たちはフォーメーションを組んで、攻撃部隊を戦闘地域に転送したり、あるいは撤退させたりします。
一見非常に便利な「転送能力」ですが、転送できる地点は限定的で、その星の原住生物が転送ポイントをして使用していた所でしか転送は不可能です。
さらに何人かの「転送兵」は原住生物の集合意識の様なものに囚われていきます。
白井弓子は「同人」の作家でした。「同人」として出品された「天顕祭」が、文化庁メディア大賞の優秀賞になり、一躍注目を浴びました。筆で書かれた様なタッチは個性的ですが、商業作家としての洗練さは無く、魅力的ですが、一般受けするかどうか心配でした。しかし、内容が評価されたのか、現在は多くのファンを獲得しています。
「白井弓子初期短編集」も発刊され、こちらは小粒ながら柔らかな発想の瑞々しい作品が満載です。
白井弓子は多分私と同世代の作家だと思います。「WOMBS」のSF世界は、往年のル・グィンや、ジェームス・デユプトリー・Jrといった70年代の偉大なる女性SF作家の世界に良く似た肌合いを持っています。
そういった意味では白井弓子は遅れてやって来たジェンダーSFの作家と言えますが、それゆえに、その作品は「ジェンダーSFの最先端」を表現しています。
最後におまけですが、皆さんご存知のリドリー・スコット監督の「エイリアン」もジェンダーを強く意識した作品です。女性が主人公ですし、宇宙生物の男性への受胎という設定も象徴的です。そしてH.R.ギーガーによるセットはセクシャルなイメージに溢れています。主演のシガニー・ウィバーもジェンダーを超越した存在でした(現実でも)。