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経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

SFとアニメのその先の世界へ・・・「魔法少女まどか☆マギカ」はエヴァを越える

2011-05-15 07:42:00 | アニメ
 




■ あまりの事に頭が混乱している・・・ ■


「魔法少女」のアニメなんて、日曜の朝に小学生の娘と見る番組だと思っていた。
「おジャ魔女どれみ」シリーズや、「プリキュア」のファーストシーズンは、大人が見ても良く出来ていて、このジャンルは侮れなかったりもする。

それでも「魔法少女」ものは、「サリーちゃん」や「メグちゃん」の時代から、女の子の夢の安直な反映であり、一部の大きなお友達の「逃避」の場でしか無かったのも事実である。

「魔法少女」ものから、アニメの歴史を塗り替える様な作品は、生まれる訳が無いのである。・・・そう信じていた・・・。

前期のアニメ、「魔法少女まどか☆マギカ」は、その絵柄からも、45歳の大の大人が見る様な番組では無いと思っていた。

それでも今をときめく「新房昭之」のオリジナルなので、チェックだけしようと思い、昨日1話目から見始めた。・・・・今、全12話を見終わって、はっきり言って私は混乱している。

「魔法少女まどか☆マギカ」が、近年日本アニメが越える事の出来なかった「エヴァンゲリオン」を、明らかに凌駕している事を、私は認めざるを得ない。


そして、「新房昭之」の才能を前にして、私は絶望感を噛締める・・。天才と凡人の差に、ただ打ちひしがれる。

■ それは「普通」の顔をして現れる ■

「魔法少女まどか☆マギカ」は、普通の「魔法少女」ものの姿をまとって始まります。

たいした取り得のない中学生の「まどか」は夢の中で悪魔と戦う魔法少女「ほむら」と出会います。そして、「ほむら」は転校生として「まどか」の前に現れて、警告します・・。

「あなたが家族や友人を大切に思っているならば、今とは違う自分になろうだなんて、思わない事ね。さも無くば全てを失う事になる。」と。

ここからはネタバレです。見る予定の方は読まれないように!!

(ネタバレでもしないと、「人力さん、とうとう狂った」と言われそうなので)


少女達はは謎の小動物インキュベーターと契約を交わして「魔法少女」となります。
願い事を一つ適える代わりに、「魔法少女として魔女を狩る者」となるのです。
「魔女」とは人間の妬みや苦しみの象徴であり、人に負の感情を芽生えさせ、不幸を為すと説明されます。

新房の作り出す異界のイメージは斬新です。「化物語」でも見せた実写を平面的に用いる手法で、イメージを増幅させてゆきます。

そして、その中で戦う「魔法少女」達の何と凛々しく優雅な事か。
踏み出されたつま先の動き一つ一つに、このジャンルが積み上げてきた歴史を感じます。


■ ダークな側面を持つサブヒロイン ■

物語は次第に、普通の「魔法少女」から、「ダークな魔法少女」に変調してゆきます。
「ダークなヒーロー」を演じる「ほむら」が、魔法少女としては斬新です。
凡百の魔法少女もので無い事に視聴者は戸惑いを感じ始めます。

そして、3話目で視聴者は「魔法少女の死」に直面します。
こんなのあり得ません。だって、「魔法少女」は女の子の憧れです。決して血を流す事も無く、敵を殺す事も無く、魔法によって世の中を浄化するものと、相場は決まっています。

■ ダークサイドに落ちる魔法少女 ■

インキュベーターは「まどか」と親友の「さやか」に魔法少女になる事を勧めますが、強要はしまんせん。2人とも「願い」を決めかねているうちに、目の前で「マミ」が死に、願いの代償の大きさに2人は愕然とします。

しかし「さやか」は事故に逢った幼馴染の少年の回復を願って、「魔法少女」になります。「皆の願いを叶えたい」と思う「さやか」は戦いの中で、ある不審を抱きます。・・・「自分は既に死んでいるのでは無いか」という不審を・・。

「さやか」はインキュベーターに問います。「私は何なのかと・・」。インキュベーターの答えは冷徹です。「生命の危機を最小にする為に、命は肉体の外にあり、体は痛みを感じる事すら無い」と。そう、「魔法少女」とは、既に「死んでいる」存在だったのです。魂は「魔法少女」の証であるソールジェムの中にあるのです。

「さやか」は少年に思いを打ち明ける事も出来ずに、戦い続け、その心を消耗してゆきます。「さやか」のライバルとして登場した「杏子」は、そんな「さやか」にかつての自分を重ねて、彼女を救おうとしますが、とうとう「さやか」は負の感情に呑まれてしまします。

ダークサイドに落ちた「魔法少女」は「魔女」へと変貌するのです。
「杏子」は悪魔となった「さやか」と刺し違える道を選びます。

全く救いの無い運命が彼女達にのしかかります。

■ 久遠を生きる「ほむら」 ■

「ほむら」の能力は時間を操る事。彼女は時間を止め、時間を遡行します。

「ほむら」は病弱な女の子でしたが、転校して「まどか」に出会います。
魔女の餌食となり掛けた彼女を救ったのは魔法少女の「まどか」と「マミ」。

しかし、その2人も「ワルブルギスの夜」という最大の危機に、あえなく負け、死に至ります。「ほむら」はインキュレーターに祈ります。「魔法少女」の代償として、彼女たちが出合った日に戻りたいと。

それから「ほむら」は幾百、幾千の1ヶ月を繰り返します。
しかし最後は必ず悲劇で終わります。
幾千、幾百の願いも空しく、「魔法少女」達は、魔女になり、あるいは戦い死んでゆきます。

「ほむら」が「まどか」に寄せる親愛の気持ちが、「ほむら」を強くし、一方「まどか」を平行宇宙を螺旋的に束ねる「特異点」に変えてゆきます。
最強の「魔法少女」、そして「最強の魔女」としての「まどか」の存在は、「ほむら」によって作られたものだったのです。

■ 熱力学の第二法則を覆す「少女の力」 ■

インキュベーターが「魔法少女」を作り出す目的は科学的です。
彼女たちの「希望」が「絶望」に変わる瞬間に、熱力学の第二法則を逆行するエネルギーが得られるのです。
エントロピーの増大による「宇宙の熱死」を防ぐ唯一の手立てが、「感情のエネルギー」の生成と回収だったのです。

元々「感情」を持ち合わせないインキュベーターは、原始の地球に目を付けます。そこには「感情に溢れた」人類の祖先が生息していました。
それから、彼らは数え切れない「魔法少女」達を作り出し、人類の歴史に干渉し続けます。

クレオパトラが、卑弥呼が、ジャンヌダルクが、砂漠で祈る名も無い少女が、「魔法少女」として希望を胸に戦い、そして絶望の内に「魔女」へと遷移する過程で、インキュベーターに膨大なエネルギーを提供してきました。

インキュベーターは「まどか」に言います。「人が家畜の死を悲しむだろうか?」インキュベータにとっては魔法少女達は、エネルギーを生み出す道具でしか無く、それでも彼らは知的生命体としての彼女達に敬意は払って、決して魔法少女になる事は強要しないのだと・・・。

全くもって、救いの無い話です・・・。

■ 因果を超越する願い ■

「ワルブルギスの夜」お絶大な力の前に「ほむら」の戦いは苦戦を強いられます。
幾千、幾万の弾丸を、幾千、幾万の爆撃を彼女は繰り出しますが、歯が立ちません。

瀕死の「ほむら」の前に立つ「まどか」はインキュベーターに願います。

「過去と未来に渡って、魔女の誕生を防ぐのが私の願い」だと。

インキュベーターは驚愕します。それこそが、唯一因果の鎖を解く方法であると同時に、因果の法則が崩れた宇宙がどうなるか、インキュベーターにも予測不能だったのです。

「まどか」の願いは、幾千、幾万の宇宙に拡散し、幾億、幾兆の魔法少女達の「魔女化」を阻止します。その結果「まどか」は存在を越えた存在となり、実存も、そして存在したという記憶をも失っていきます。

時間を超越する存在の「ほむら」だけが彼女の記憶を留めています。

■ 新たな世界 ■

新たな世界に魔女は存在しません。魔法少女達は「根源的悪」と戦い、インキュベーターはそこからエネルギーを回収しています。しかし、希望と絶望のエネルギーに比べて効率は劣ります。

「ほむら」の話す「まどか」と「魔女」の話を、新しい世界のインキュベータは「興味深い仮説」と受け止めます。インキュベーターに「まどか」の存在を確認する手立が無いからです。まどかは既に、「高次の存在」として、新しい宇宙からは認識不能の存在となっているのです。

唯一「ほむら」だけが、「まどか」を記憶にとどめています。
「まどか」という神を認識で出来る唯一の存在として・・・。


■ 「自己犠牲による救済」という普遍のテーマ ■

中盤以降、物語はダークファンタジーの色彩を強めて行きます。
類似する作品は、「灼眼のシャナ」でしょうか。

「自己犠牲による救済」の物語は、「小林靖子(脚本家)」が得意とするジャンルです。

「メガレンジャー」「銀河マン」という東映の戦隊物に新風を吹き込み、「仮面ライダー電王」で従来の仮面ライダーのイメージを木っ端微塵にし、「灼眼のシャナ」や「ウィッチブレイド」で素晴らしい世界を築き上げた「小林靖子」の向こうを張る、「自己犠牲と救済」の物語として秀逸です。

この形式の物語は、神話の時代から数々の作品があり、物語のステロタイプとも言えます。

多くの日本のアニメがこの形式を踏襲する中で、その多くは「救済の本質」や「その先の世界」を描き切る事が出来ませんでした。

「魔法少女まどか☆マギカ」は、物語の語り部たる「ほむら」が主人公と言っても過言で無い作品です。新しい世界を「ほむら」の眼を通して描く事で、「救済の先にある世界」の価値を視聴者は理解します。

世界は少ししか代わりませんが、それでも少しマシな姿に変容しています

この事こそが、この作品を名作たらしめる全てでは無いでしょうか。
魔法少女達は相変わらず不幸ですが、それは救いがたい不幸では無くなっています。


■ 全てのSFと全てのアニメを越える「魔法少女」 ■

SFは「永遠」や「無限」をテーマにした作品を数多く生み出してきました。

近年ではグレッグ・ベアーの「久遠」が思い当たりますし、日本のSFの名著、光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」は永遠の観察者を描いた話としては「魔法少女まどか☆マギカ」に近い肌合いの小説です。

「涼宮ハルヒの消失」や、「エンドレスエイト」も時間遡行としては良く出来た話ですが、このジャンルの根底を覆すスケールと発想は持っていません。


一方、「世界の消失と、個人の思念による再構成」という話では、「エヴァン・ゲリオン」が最右翼ですが、エヴァは「未来への希望」を失ったままで宙ぶらりんです。

手塚治虫の「火の鳥」も、主人公は再生の主体ではありません。

これら戦後のSFやアニメや漫画で繰り替えされた、永遠と再生の物語は、「再生の主体が不在」の為、主人公は運命に翻弄されるだけの存在でした。歴史の観察者であっても、神にはなれない存在なのです。

唯一、エヴァンゲリオンの碇シンジだけが、再生の主体ですが、彼は目的を欠いています。
彼の「再生」は「進化の拒絶」の意味でしかありません。シンジはいつも決断を拒否します。

一方、「魔法少女まどか☆マギカ」の「まどか」の意思は明確です。最終話まで「魔法少女」になる事を逡巡していた「まどか」の願いは「単純」であるが故に、力強く世界を変えて行きます。

■ エヴァンゲリオンのその先の世界へ ■

「世界の破壊と再生の物語」は人類の永遠のテーマとして語り継がれてきましたが、私はこの作品で、それが新たなフェーズに突入した事を確信しました。

それは、1995年の「エヴァンゲリオン」の登場より止まっていた、SFとアニメの世界が、その先の世界へと新化する瞬間でもあります。

そんな、とてつも無い作品が「魔法少女」というジャンルから生まれた事に驚愕を隠せません。

多くの良識的な大人達が、TSUTAYAのカウンターで借りる事を躊躇するであろう、このジャンルから、この作品が生まれた事が、世界にとっては不幸ではないかと心配にもなります。

多分、「新房昭之」をしても、この作品を一生越える事は出来ないのでは無いかと。

・・・私達は二つの意味から、無限のトラップに落ちてしまったのかも知れません。



<追記>

物語のスケールの大きさや、個々のエピソードのSF的面白さ、世界設定の確かさにおいて、決して「エヴァンゲリオン」を越えるものでは無い「魔法少女まどか☆マギカ」が、何故「エヴァ越え」なのかという疑問を抱かれる方も多いのではないかと思います。

「エヴァ越え」とは、エヴァンゲリオンで「碇シンジが保留にした答えを提示している」という意味であり、「希望の光」が見えているという意味でもあります。

エヴァンゲリオンは「バブル崩壊」という「時代の閉塞感」を見事に表した作品でしたが、「魔法少女まどか☆マギカ」は、その「閉塞の出口を求める気持ち」を象徴しています。

無限にループするかの様なデフレスパイラルのその先が崩壊であるのか、発展であるのはは私達には知る由もありませんが、「世界はほんの少しだけ良くなる」という希望が、今の若者達の心に響いたのでしょう。

「エヴァ越え」とは作品の質やスケールを言うのでは無く、エヴァで立ち止まっていた世界が、その先へ進もうとするベクトルを指しています。

一号機は地震直後に壊れていた?・・・作業員の証言

2011-05-15 01:26:00 | 福島原発事故
 




■ 作業員の被曝実態 ■


昨日Keikoさんが教えて下さった記事を読んでみて下さい。
地震直後に作業員が被曝していた事実が明らかになってきています。

わずか数時間で「通報基準」の7倍!100倍を超えた作業員も!
「封印された内部被曝」福島第一原発衝撃の実態 (現代ビジネス電子版)


板垣英憲氏の記事も気になりますが、こちらはいつも話し半分で読んでいます。
(政界のウラ話は面白いのですが、あまりにスゴイ話も多いので)
東京電力は、福島第1原発内の大爆発で放射性物質に被曝した社員や作業員を、東北大学付属病院に送り隔離、多数の死者を極秘裏に始末、菅直人首相も知っているらしい


■ 3号機の14日の爆発が即発臨界だとしたら・・・ ■

3号機の14日の爆発が即発臨界だとしたら、当時3号機の近くで作業をしていた作業員や、屋外で作業していた作業員の被曝は甚大なはずです。

即発臨界は中性子線を放出するでしょうから、爆発の規模によっては、生命に関わる被曝の可能性もあります。

当時、自衛隊員の負傷が報道されましたが、爆発の衝撃による打撲と報道されました。確かに外傷としては打撲ですが、彼らが中性子線で被曝していたとすれば、現在の状況が心配されます。東北大学か、自衛隊病院に搬送されているのでしょう。

さらに、現場周辺は燃料棒破損による放射性物質と、即発臨界で発生した数々の核種で汚染されていたでしょうから、内部被曝が心配です。

当時現場では50名程度が働いていたと記憶しおています。彼らこそが日本を救った50人である事に疑いの余地はありあせん。彼らの被曝が軽度である事を祈ります。


■ 一号機は地震直後には建屋に穴が開いていた? ■

「現代ビジネス電子版」の記事によれば、一号機建屋には地震直後には穴が開いていたそうです。これが何を意味しているのか・・・。

さらには、現場から地震直後に避難して、現場周辺からも避難した作業員も通常の何倍かの内部被曝をしていた事は、地震直後に現場の放射性物質の濃度が高まった事を示唆しています。

これは、配管破断による圧力容器内の蒸気の漏出を意味しているのでは無いか?



政府はまだまだ発表できない事を抱えていそうです。


原発自体の事故は報道されているよりも重大事故である可能性が高い

一時帰宅などワイドショー・ネタの報道は防護服など大げさな映像を垂れ流していて、過剰に誇張されている。

どうも、原発報道には、変なバイアスが掛かっています。



最後にこの記事を紹介します。
東西対立の遺物、原発よさらば福島の事故が証明した、効果絶大なるテロの標的(JB Press)

タイトルとは異なり、原発ビジネスの将来性について、良く検討されています。
小型ガスタービン発電に注目が集まりそうです。
時代は刻々と変化し、原発は恐竜の様な存在になりつつあります。


<追記>

とうとう地震直後の1号機で配管破断など重大な事故が発生した事が公になり始めました。
日本の原発全てが止まる事態に発展するでしょう。
暑い夏がやってきます。


1号機、津波前に重要設備損傷か(ロイター)