ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

デューラー ‐ 寄り道ルーヴル(6)

2015年12月07日 |  ∟フランスの美術館

 カタリナ が、敬愛と聊かの揶揄を込めて 「生意気な奴」と言う、ドイツ・ルネッサンスの巨匠アルブレヒト・デューラー(1471-1528)。

 彼の油彩は、<ミュンヘン>の<アルテ・ピナコテーク>などに多く架るが、不透明な水彩絵具を用いた画法のひとつグワッシュ、そしてエッチングやドローイングなどの秀作を所蔵する<ウィーン>の<アルベルティ―ナ美術館>を訪ねたこともあった。

 今回はその彼の自画像三作品で、ここルーヴルにはモニュメンタルな 「22歳の自画像」(上)が架る。

 油彩での最初の自画像とされ、“ 1493(年) ” の数字が画家自身の手によって書かれている本作は、デューラー以前の画家が、祭壇画やフレスコ画の登場人物のなかに画家自身を描くことがあったとしても、単独の絵画として西洋美術において最も早い自画像を示しているとされる。

 彼は本作の上部に信仰の証として、“ 私のことは、天の定められたままに ” と記している。

 本作から5年後に 「26歳の自画像」(下左/プラド美術館蔵)を描いている。
 そこには “ 1498 ” の年記とともに、“ 私はこのように私を描いた。私は26歳だった。アルブレヒト・デューラー ” と銘を入れている。

 さらに、ほぼ二年後に 「28歳の自画像」別名 「1500年の自画像」(下右/アルテ・ピナコテーク蔵)を描く。

 29歳の誕生日を前に描かれた本作、画面に完成を意味する彼の頭文字 “ AとD ” を組み合わせたモノグラムと “ 1500 ” の数字、そして、“ このように私、ニュルンベルグのアルブレヒト・デューラーは消しがたい色で、私自身を28歳の時に描いた ” と記している。

 真ん中で分けられた髪、短い顎の髭、祝福を与えるかのような右手などから、自身をキリストに見立てたとする説もある。

 そんなことで、その<生意気な奴>の 「28歳の自画像」を見るために、「フィレンツェの前にミュンヘンに寄ってくれる?」と、<変な旅程>を組むよう半ば命じたのも彼女だった。

 なにはともあれ、何れの作品も拡大して、ドイツ人気質?丸出しに 「天才だろう!」と、主張して已まない画家の生意気振り、篤と御覧(ごろう)じあれ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1064

 ※ 「寄り道ルーヴル(5) ‐ 続々・ルーベンス」へは、<コチラ>からも入れます。


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