大震災から3月、未だに行方が分からない方が8千名を超えるという。
ある報道番組でのこと、「今は、ただ祈ることしか・・」と静かに語る被災者の姿を映していた。
やり場のない怒りや耐え難い悲しみに克って、“ 祈り ” の境地に至られたことを思えば、今更ながらに神の無慈悲な仕打ちが悔しい。
祈りと言えばウィーンのオペラ座近く、アルベルティーナ美術館(上)に一枚の絵が架かる。
その日は折悪しく欧米人が大好きらしい「ゴッホ展」の開幕日のよう。
開館前から呆れるほど人の列が延び、その一枚に辿り着くまで外で並び、内で並ばされた。
それだけに、週刊誌ほどの紙に描かれたモノクロームのドローイングに、より深い感銘を受けたのかも知れない。
美術館の中核をなすコレクションは、オーストリア帝国はハプスブルグ家の女帝<マリア・テレジア>の女婿ザクセン=テシェン公が集めも集めたり、6万点の油絵と水彩画、100万点を超すエッチング、版画などから構成されている。
その膨大なコレクションの中に、あの生意気<デューラー>の「祈りの手」(下)がある。
ニュルンベルクで、友人と絵の修行をしていたデューラー
彼らは貧しく、画材どころかその日の食事に事欠くほど追い詰められる
友人の提案で、一人が4年間絵の修行に打ち込み、その間、もう一人は働いて生活費を稼ぐ約束を結ぶ
数年後、彼の名が世に知れ渡り、ようやく絵が売れるようになった
彼はそれまでの友人の助けを感謝して、今度は自分が働くので絵の修行をして欲しいと伝える
しかし、長い間の激しい肉体労働で友人の手は、もはや細かい筆使いができなくなっていた
彼は、自分が得た名声の陰に、友人がどれほど大きな犠牲を払ったかを知る
そしてある日のこと、定めし恨んでいるだろうと思いながら友人の部屋を訪ねると、静かに祈る声が聞こえた
彼が名声を得たことを “ 神に感謝する祈り ” だった
晩秋のウィーン、澄んだ陽射しの中のアルベルティーナ美術館、「ゴッホ展」の喧騒を別にして一枚の絵は、静かな “ 祈り ” のなかにあった。
Peter & Catherine’s Travel Tour No.338
このデューラーと友のお話、ありがとうございました。祈り。このように美しい「祈り」が心から湧いてくるようになりたいと思いました。ありがとうございました!
デユーラーには友、ゴッホには弟のテオ、陰で支え続けた人がいたんですね
人のつながりの大切さを教えてくれます
今まであまり気に留めていなかった「デューラー」を調べてみるきっかけになりました。
ありがとうございました!