ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

祈りの手

2011年06月13日 |  ∟オーストリアの美術館

 大震災から3月、未だに行方が分からない方が8千名を超えるという。

 ある報道番組でのこと、「今は、ただ祈ることしか・・」と静かに語る被災者の姿を映していた。
 やり場のない怒りや耐え難い悲しみに克って、“ 祈り ” の境地に至られたことを思えば、今更ながらに神の無慈悲な仕打ちが悔しい。

  祈りえばウィーンのオペラ座近く、アルベルティーナ美術館(上)に一枚の絵が架かる。

 Photoその日は折悪しく欧米人が大好きらしい「ゴッホ展」の開幕日のよう。
 開館前から呆れるほど人の列が延び、その一枚に辿り着くまで外で並び、内で並ばされた。

 それだけに、週刊誌ほどの紙に描かれたモノクロームのドローイングに、より深い感銘を受けたのかも知れない。

 美術館の中核をなすコレクションは、オーストリア帝国はハプスブルグ家の女帝<マリア・テレジア>の女婿ザクセン=テシェン公が集めも集めたり、6万点の油絵と水彩画、100万点を超すエッチング、版画などから構成されている。

 その膨大なコレクションの中に、あの生意気<デューラー>の「祈りの手」(下)がある。

 Photo_2ニュルンベルクで、友人と絵の修行をしていたデューラー
 彼らは貧しく、画材どころかその日の食事に事欠くほど追い詰められる

 友人の提案で、一人が4年間絵の修行に打ち込み、その間、もう一人は働いて生活費を稼ぐ約束を結ぶ
 数年後、彼の名が世に知れ渡り、ようやく絵が売れるようになった

 彼はそれまでの友人の助けを感謝して、今度は自分が働くので絵の修行をして欲しいと伝える

 しかし、長い間の激しい肉体労働で友人の手は、もはや細かい筆使いができなくなっていた
 彼は、自分が得た名声の陰に、友人がどれほど大きな犠牲を払ったかを知る

 そしてある日のこと、定めし恨んでいるだろうと思いながら友人の部屋を訪ねると、静かに祈る声が聞こえた
 彼が名声を得たことを “ 神に感謝する祈り ” だった

 晩秋のウィーン、澄んだ陽射しの中のアルベルティーナ美術館、「ゴッホ展」の喧騒を別にして一枚の絵は、静かな祈りのなかにあった。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.338

コメント (3)    この記事についてブログを書く
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3 コメント

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ありがとうございます。 (kunorikunori)
2018-03-03 09:12:00
ペトロ様

このデューラーと友のお話、ありがとうございました。祈り。このように美しい「祈り」が心から湧いてくるようになりたいと思いました。ありがとうございました!
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kunorikunori さん (petro)
2018-03-03 14:38:09
コメントありがとうございました
デユーラーには友、ゴッホには弟のテオ、陰で支え続けた人がいたんですね
人のつながりの大切さを教えてくれます
返信する
本当ですね。 (kunorikunori)
2018-03-04 16:10:33
Petro様
今まであまり気に留めていなかった「デューラー」を調べてみるきっかけになりました。
ありがとうございました!
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