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ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

元号

2019年05月03日 | 雑談
渋谷のスクランブル交差点は、何かと人が集まる場所のようです。サッカーの日本代表の試合がある毎、若者は渋谷に繰り出し、歩行者用信号が青になるたび四方から集まってハイタッチをして喜びを表現していました。サッカーに限らず大晦日やハロウィンにも人が集まり、集まるだけでなく、一通り大騒ぎをするのが恒例のようになりつつあります。今回の、平成から令和への幕開けも、人はスクランブル交差点を目指し、カウントダウン前から大熱狂に包まれました。熱狂している人の殆どは、天皇制とか歴史を紐解いて国の成り立ちをどうとか…といった事には無関心で、ただ何かあると騒がなければ損…としか考えていないようで、後には大量のごみが残されたようです。

世界でも独自の元号を持つ国は、日本だけだと聞き及びます。当然、元号不要論も耳に入ります。新聞の多くは西暦年をメインに記述し、元号は括弧書きのようです。他国の人と話すにも、元号は西暦年に置き換える必要があります。生年月日を西暦年で記述する人も増えています。が、多くの日本人は、西暦年と和暦年の2種を、器用に変換し使い分けているようです。現代は、元号とイデオロギーは完全に乖離しており、和暦も無色透明で、ある種の国が危惧するような事は殆ど存在しないかと思われます。

日本人にとっての「元号」は、単に「そこにあるもの」。当たり前のように存在しているもののように思います。それでも、元号にはある種の効用があるように思います。それは、過去を一掃する事のできる節目としての効用です。西暦は、イエス・キリストが生まれたとされる年の翌年を元年としています。ADはAnnno Dominiの略称で「主の年に」という意味を持つのだそうです。それ以来、歴史は綿々と続いており、年始にはこれまでを一掃する「新しい」感があるにせよ、「とき」に区切りはありません。それに対して、日本は諸外国の年始よりも「正月」を特別なものとしてとらえる感覚が強いようですし、改元には連綿と続く日々を突然リセットして、白紙の気持ちに戻す感が強くある気がします。日本人は、昨日までを「白紙に」、これまでを水に流すことが上手なのかも知れません。それはある意味では無責任で、ある意味では前向きな日本人のバイタリティーのようにも思われます。

丁寧に生きたいと思います。


令和

2019年05月01日 | 雑談
5月1日となり、新元号「令和」の時代が始まりました。「平成」の幕開けも経験してはいるのですが、あの時はやはり「崩御」といった事のニュース性が大きく、今回のような盛り上がり(大変礼を失する表現で申し訳ありません)には欠けていたような気がします。「令和」は崩御に伴う改元でなく、譲位といった形であったため、移行期間が随分あったような印象で、若い世代も関心を示していたような気がします。

もう散々、説明されつくした感があります。「令」は命令や規則のことを意味する言葉として使われることが多く、一早く海外でも「命令」だとの解説もされたようですが、一方で「令」の字には「良い」「優れた」「美しい」といった形容詞に繋がる意味を持ちます。「ご令室様」「ご令嬢」「ご令息」といった使い方を見れば、その文字が持つ「美しさ」や「凛々しさ」「神聖さ」を感じる事ができるはずです。漢字1字が持つ世界観というのは、途方もなく広大で、表音文字といったアルファベット文化には理解し難いものかも知れません。

「令」という字は、人がひざまずいて頭を垂れている様子を表している…とされています。権威ある神から与えられたものに聞き従う様子…。秩序に従った美しさのようなものがそこには込められているようです。つまり上意下達というと、上位の者の意思・命令が絶対で、下位の者はそれに無理やり従わされるといった印象が強く、他国で報じられた解説も、そうしたニュアンスのものが少なからずありました。でも良く考えてみると、本来の「命令」は、自然の秩序に逆らう事のない美しいものであったはずなのです。現代のように、解釈に幾種もの説があり、立場によって是にも非にもなる…といったものではないものに「従う」さまが「美しい」のだろうと思われます。本来の理にかなった「令」は美しくあるべきなのだと、今更にして思います。

世の中の事は「正しい」というところに立脚すべきでは無くて、「美しい」というところに立脚すべきなのだと、勝手な持論を唱えています。「令和」の時代は、宗教やイデオロギー、人種や立場、考え方…などの違いをすべて乗り越えたところにある、美しい時代であって欲しいと思います。

春ぅ♪

2019年04月16日 | 雑談
今年も、入園・入学の季節を待っていたかのように、豪華絢爛に咲き誇った桜ですが、早葉桜になりつつあります。ツイこの間まで、「寒い、寒い」と言っていたのに、季節はいつの間にか「春」に突入しています。庭に雑草が目立って来ました。この時期に必ず我が家の庭に咲く花があります。およそ、手入れといった事もしない、雑然とした庭ですが、春には雑草に混じって必ず「菫」が花をつけます。冬の間は枯れて、葉も茎も何も見当たらないのに、ある日ふと紫の花が目に入ります。

自然はスゴイと思います。データとして分析するなら、気温が◯℃以上になったら…、◯℃以上の日が◯日続くようになったら…、等々開花の条件は定まっているのだと思います。私たちは毎日「暑い」の「寒い」の言いながら…も、結局はカレンダーで、何月何日なのかを把握しています。今日は何日だっけ…と、新聞の日付を見たり、スマホの待ち受けを見たりするザマです。菫はカレンダーも見ず、温度計も見ず、ただ本能で咲く時期を知るわけです。

生体認証といった研究が進められています。パスワードで管理されているIT社会ですが、結局のところどんなに安全性の高いパスワードを設定しようと、破られるときには破られてしまいます。そこで、指紋認証に始まり、静脈認証、顔認証など、「その人」を証明する情報を「その人」でなければ提供できない情報を求めているわけです。コンビニに入店するだけで、顔認証され決済も済ませるといった研究が進められているようです。

但し、どんなにコンピュータを進化させても、言い換えるならどんなにデータを積み上げても、結局人間の一瞬の洞察力にかなわなのではないかと想像します。顔をどんなに分析しても、もしかすると機械は双子を見破れないかも知れませんし、どんなにその人の顔を分析しても「やましい事がある」「何か悪だくみをしている」などといった事を見破ることは機械にはできないかも知れないと思うのです。人間は、瞬時にそうした心の内まで見透かす力を備えています。言わば、人間の本能かも知れません。

それでも、カメラで顔の情報を拾い集めて、コンピュータに本人確認をさせて行けば、いつか人間はその「本能」をどこかに置き忘れてしまいそうな予感がします。春の訪れを全身で感じて花を開かせる菫にも、人間は勝てないかも知れません。

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感性

2019年04月14日 | 雑談
2017年、実業家として成功していたドナルド・トランプ氏が、第45代アメリカ大統領に就任しました。以来、世界に極右ポピュリズムとでも呼ばれるような流れが増して来たかに見受けられます。「〇〇のトランプ」などというネーミングの政治家が、あちこちに見受けられるようになりました。EU離脱や、反移民を主張する排外主義が大きな現象になっています。人道的な見地からは、多くの移民や避難民が希望する土地に受け入れられるべきなのでしょうが、社会の中に他の民族を受け入れる側はその限界を唱え、拒否する姿勢を明確にし始めました。

言わば、移民を敵視する政策が、国内的には喝さいを浴びる…といった状況です。これをして「理性」よりも「感情」が優先される時代になった、現代は「デモクラシー」の時代から「エモクラシー」の時代に入った…との論(ニーアル・ファーガソン氏)が聞かれたりもします。根幹にあるのは「自分が良ければそれで良い」的な、まず自分たちの「衣食が足りる」ことが大切だとする考え方で、国という大きな規模の話にとどまらず、日々の個人的な営みにもそうした傾向が顕著なような気がします。

「理性」は「感情」にた易く負けるもので、だからこそ「理性」に従うべきなのだと自らを律してきたものの、正直な「感情」に身をゆだねても良いのではないだろうか…というのが、現在なのかも知れません。

「理性」と「感情」が相反するのだとしたら、人間の本質は「感情」を優先してしまうのかも知れませんが、重んじられるべきは「感情」ではなく「感性」ではないかと考えます。「感情」と「感性」は多分異なります。「思い」と「想い」が異なるのと同様に。生の「感情」は、「感性」を磨くことによって、「理性」と反しないものに導くことができたりはしないでしょうか。

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自然体

2019年04月12日 | 雑談
東京都の福生病院で、腎臓病患者の女性が人工透析治療の中止を選択して亡くなったのは、昨年の8月でした。女性に対し、医師が「透析治療をしない」という選択肢も含めて提示しており、女性は治療の中止を選択しました。その後、一度治療再開を求めたものの、その際にも「苦痛を取るだけの治療」を選択したようです。

患者に対し治療中止の選択肢を示した病院側については、マスコミは元より世間からも批判の目が向けられました。この病院では、女性のほかにも透析治療を選択せずに亡くなった患者さんがおられたようです。東京都では立ち入り検査を実施、「意思確認に関する記録を残さなかった」など、診療記録に不備があるといった改善指導が行われました。患者に対する説明については「検査の対象外」としています。同時に、日本透析医学会が調査委員会を立ち上げ、病院を訪問、こちらは4月中に倫理委員会で結論を出し、5月中に理事会ステートメントを公表予定…という事です。

福生病院を擁護する意見も多く聞かれます。当方はコメントするレベルにはありません。

人間は必ずその一生を終えなければなりません。医学が未発達の時代、人類はトテモ悔しい生の終わり方を甘受してきました。その当時の常識は、現代から考えると、はなはだ稚拙なものでしかありません。医学が発達した現代にあって尚、私たちは病魔に苦しめられています。多くの病気を征服しては来ましたが、まだまだ私たちには手の届かない世界が多く存在しています。

現代にあっては、「病気」は「悪」です。病気に立ち向かうことこそが「正義」であって、病を前に逃げ出すことは「負け」とされています。有名人が次々、病気を発表し「戦う」ことを公言することが続いています。世の中の多くの同病者に戦う勇気を与える…のは確かなのでしょうが、何かしら「重い」のも本音です。自然体で居続けるにはどうすれば良いのでしょうか。

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連続データが作成できない

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令和

2019年04月01日 | 雑談
新元号が「令和」と発表されました。「ラ」行というのは、何となく斬新な感じがします。違和感はあるものの、概ね「美しい」と好評のようです。命名というのは、なかなか難しい作業であるのは、多くの方がわが子で経験するとおり。何とか良い名前を…と四苦八苦するものの、なかなか決め手に欠けて思いばかりが空回りしてしまいます。仕方が無いので(←失礼な言い方ですね)、最後は画数などに頼って英断する…という感じでしょうか。度の過ぎたキラキラネームを付ける親御さんも、世界一の名前をわが子に贈りたいという意味では、共通の思いなのかも知れません。ただ、決めてしまえば、いつか馴染んでしまうもので、長じてはそれ以外あり得ないと思うくらい名前はしっくりと身体に添っていきます。名前と同列に並べるのは、失礼かも知れません。「令和」も使っているうちに、当たり前の感触に馴染んでいくことと思います。

新元号の考案は、学識の深い学者の方々に委嘱し、案を練っておられたようですし、最終的には今日の午前中の「元号に関する懇談会」の席で決められたと聞き及びます。IPS細胞でノーベル賞を受賞された山中伸弥教授なども名を連ねておられたようです。多方面から論議が尽くされて、決まった…と思うものの、私には一つだけ違和感があります。

小学校で「令」の漢字を習うのは、4年生のようです。学年別配当表のようなものには「令」と書いてあります。ただ、小学校で習う漢字は「令」の下の部分を「マ」と書いているのではないでしょうか。(現役世代ではありませんので、いささか怪しい…)。それに伴う小さな混乱はあちこちで起こっているようなので、元号に定めるのには、どうなんだろうという違和感です。「鈴木」さんが役所で「正しい文字を書くように」と言われ、下が「マ」と書いた書類を突き返されたとか、学校のテストで「令」と書いたら×にされたとか。

パソコンで言うならば、「MS明朝」や「游明朝」を使うと「令」と印字されますが、「教科書体(HG教科書体)」や「行書体(HG行書体)」を使うと、文字の下部は「マ」となります。菅長官が掲げた毛筆の文字は「令」でした。慣習上、どちらの文字も許容される…といった風なのですが、元号の文字として使われるといったこの状況、統一しても良いのではないでしょうか。



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セル範囲に名前がつけられない

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元号

2019年03月30日 | 雑談
新しい元号の発表が明後日に迫りました。「平成」の文字を掲げた当時の小渕恵三官房長官の図は、今も記憶に新しいところです。今回は菅官房長官がその任に当たるそうです。日本の元号は「明治」に天皇1代について1つの元号をリンクさせると、一世一元が制定されましたが、それ以前は譲位以外の理由でも改元が行われていました。疫病や天変地異などを理由にした改元も多くあったという事です。同時に一部では、今更元号など不要ではないかといった議論も珍しくはありません。

新元号に先立って、河野外相が「元号と西暦の変換が難しい」といった発言をしておられます。河野氏はかつて、論文の発表年の西暦を元号に直す必要があるのかといった疑問を文科省に示したこともあるとかで、基本的には「元号不要論」者なのかもしれません。確かに、元号は世界では通用しませんから、元号と西暦の二本立ての世の中は、面倒なだけなのかも知れません。

が、何もかもが合理的な世の中が良い…というわけではありません。河野氏の指摘のように「西暦と元号」を換算する際に、間違いがないようシッカリと対応することが必要になります。日本には欧米の文化とは異なり、こうした西暦と元号の二本立ての仕組みがあるほか、膨大な数の漢字が存在します。アルファベット26文字前後で、全ての言葉が成り立つ言語に比べれば、日本語は紛れもなく複雑です。

元薩摩藩士で、明治維新後、初代文部大臣を務めた森有礼は、日本語を廃止して英語を日本の国語に定めようとしたことで知られています。森氏の「日本語廃止論」は、「元号廃止論」に似ているのかと思います。西欧の文化と交わる際に、必ずそれを変換しなくてはならない、その「無駄」を省きたかったのだろうと想像します。

ただ、この「元号西暦問題」や「膨大な漢字文化」は、間違いなく日本人の頭脳訓練に繋がっているのではないだろうか?と私は想像しています。世の中が便利になればなるほど、人がその能力を失っていくのは明白です。世の中には「使うと減る」ものがたくさんありますが、少なくとも「頭」は「使わないと減る」のではないでしょうか。

因みに「2019年が〇〇元年」になった暁には、「和暦年+18」で、西暦年が計算できることになります。

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2019年03月29日 | 雑談
改正在外公館名称位置給与法が参院で可決、成立したとニュースで報じられています。難しい法律名ですが、外務省が表記する外国の国名に「ヴ」の使用をやめる…といった内容のようです。外務省の言い分としては「本来は『V』の発音だが、国民に定着した表記、分かりやすさ、発音のし易さを優先」するものなのだそうです。まぁ、役所の表記が担当者によってコロコロ変わるのも、好ましくはありませんから、これで統一すると言われるのなら、それはそれで意味のある事なのでしょう。

今回定められたのは、外国の国名という事ですから、地方や町の名称はこの限りではない?という事でしょうか。イタリアの「ヴェネツィア」「ヴェニス」などという地名は、確かに日本語の発音とは異なる音ですが、特段違和感を持つわけではありません。できるだけ現地の言葉に近い表記を心がけるのも良いのではないかと思います。その分、場面に応じて表記が変わる…といったことが不具合につながるのでしょうか。

私たちがかつて暮らした町は、スウェーデンのGöteborgというところです。日本語ではイエテボリィとか、ヨーテボリとか、エーテボリなどと表記されています。現地の人の発音は「ヨッテボィ」くらいの感じでしょうか。外国の国の発音を、日本語のカタカナ表記にする…というところに元々無理があるのだと思います。日本語の中で「ヴ」だけは、ひらがなで書けない音ですから、仕方ないのかも知れませんが、「ヴ」の音自体は国民に定着している感を持っています。

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インドア花見

2019年03月28日 | 雑談
自然界はカレンダーをめくるわけでもないのに、キチンと季節の移り変わりを演じてくれます。否、季節の移り変わりをひたすら数えて、先人がたどり着いたのが暦でしたね。今年も浴びるほどの桜の饗宴が日、一日と近づいてくる、そんな季節です。

「三寒四温」とは良く言ったもので、めっきり暖かくなったと思っているとすぐに冷え込みますし、「春に3日の晴れなし」と言うように、お天気はくるくると変わります。ですから、豪華絢爛に咲き誇る桜を愛でることができるのは、本当にごく一瞬でもあるのです。咲いて一瞬で散り急ぐ桜を、日本人はこよなく愛して来ました。雨に降られようと、思いの他冷え込もうと、桜の美しさに変わりはありません。

ですが、日々忙しい現代人は、スケジュールを調整して「花見」を楽しむわけで、予定していた日に桜がうまく見ごろを迎えてくれるのか、雨には降られずに済むのか、はたまた花粉がひどくなりはしないか、近くにトイレはあるのか(笑)…。花見の条件というのは、なかなか厳しいものがあります。そこで最近は「インドア花見」が増えているのだそうです。桜は盆栽やビデオで楽しむ。室内でゆっくりと座って、天候の心配もせず、食料を調達するのもお店任せ。確かにこれなら、定めたスケジュールでいつでも見ごろの絶景が楽しめます。幹事の仕事もぐっと楽になります。

うん。「花見の宴」に何を求めるか?ですね。桜の雰囲気に浸りながら、仲間との会話を楽しむには「インドア花見」で十分なのかも知れません。本物の桜の、ため息が出そうなほどの妖しい盛りは、もしかすると一人で眺めるのが似合うのかも知れません。

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