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ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

パソコン講座

2021年10月18日 | 雑談
随分、ず~いぶん、間が空いてしまいました。その間、度々ご訪問くださった方々、どうしたのかな?と心配をいただいた方々、申し訳ありませんでした。こんな拙いブログですが、ほんの少し社会と繋がっている窓口として、大切にしてきた場所なので、「いずれ更新」と閉じずに放置しておりました。

詳しくは伏せますが、家族が入院しており、なんやかや…と諸事情に振り回されている数か月で、ブログを更新する余裕が無かったというのが本音です。歳は重ねたくないものです。が、仕方ありませんね。これからは自分自身も含めて、段々坂道を下っていく時期です。急こう配に加速度がついて転がり落ちないようにしなければ…。「どう生きるか?」は、「どう人生を終えるか?」と同義であることを、考えさせられます。

そうこうしている間、世の中は「コロナ」一色でした。緊急事態宣言が再発令されて、昨年に続いて日常生活が制限される中、個人的な事情も相まって、パソコン講座から長く離れることになった日々でもあります。離れていればそれはそれなりに…日常は回りますし、禁断症状(笑)もそれほどありません。このままフェードアウトすることもできそうな気分ではありますが、私にとって「パソコン講座」は天職だと感じたものでもありますから、もう少し細々と続けてみようかと、今リベンジ講座を計画中です。

昨年来のコロナ禍で、リモートが進んで来ました。いち早く大学などの講義がリモートになり、企業の在宅勤務もそれなりに形が整って来たところでしょうか。昨年は小学校などが長く授業ができない期間がありましたが、コロナ対策とやらをしたうえで再開した後、今回の緊急事態宣言期間には、オンライン授業を導入する学校も聞くようになりました。スポーツは無観客試合とやらで実施、オリンピックやパラリンピックはその最たるものでした。コンサートなどを実施する機会も無くなり、オンラインライブといった苦肉の策も現れているようです。何やら、コロナとオンラインが妙に共振している部分があります。

人が集まることができないわけで、それを補うのがオンライン。顔を合わすことなく、情報をやり取りすることができる技術は、オンライン会議やオンライン授業という形で、随分コロナの時代を救ってくれました。

…が、対面とオンラインは同等の事ができるのか?というと、多分、それは否。対面が上でオンラインが下とか、オンラインが上で対面が下とか、そういう問題でなく、異質なもの別のものだという感覚です。だからオンライン授業で対面授業と同じことをする必要は無いし、オンライン授業が対面授業を100%補えるものでもないのだと思います。逆を言うなら、対面授業はオンライン授業を超えるものでもないし、いずれは対面授業に戻るのがベストなわけでも無いのではないでしょうか。

パソコン講座も「リモート」の時代になっていくのかも知れません。遠隔操作で他人の画面を操ることができる時代です。技術と環境さえ整えば、参加者の画面を遠隔操作で操って見せながら、説明することも可能です。…が、きっと対面でなければ伝えることができないものがあるから。人の心や気持ちを受け止めることができるのは、やはり「目の前」に居るから…なのだと。コロナが残す負の産物を乗り超えることができるのは、いつでしょうか。

更新の頻度の復活は、まだ難しいと思っています。が、たまに気が向いたらつぶやいているかもしれません。気ままにお付き合いください。

店頭で

2020年02月21日 | 雑談
資本主義の世の中では、採算がとれない活動は成り立たないのだと言う事はよくわかっているつもりです。そんな中で商売を成功させていくには、確実に収益を上げて行く必要があります。

だから…、例えばスーパーなどの店舗では、少しでも多くの商品を売らなければなりません。商品が売れ残ってしまわないよう注意しながらも、顧客の購買意欲を上げるような試みも探らなければなりません。一口に商売と言いますが、実際に黒字経営を続ける努力は並大抵ではないだろうと想像します。

それは分かるのですが、八朔など3つがネットに入って売られていると、必ず1個は鮮度の落ちたものが組み合わせてあるとか、いちごのパックは上の段には大きくてきれいな粒が並んでいるけれど、パックをひっくり返して裏から見るとこれも小粒で多少傷みかけているものが混じっているとか。そんなものだと消費者も割り切っていますから、パックは必ずひっくり返して裏を凝視するとか、複数個売りのものでなくバラ売りのものを選ぶとか、それなりの知恵を身につけています。

でも、それが当たり前の世の中を何なのだろう…と立ち止まってみると、世の中どうしたら変えられるんだろうと思わなくもありません。


2019年09月01日 | 雑談
画家の安野光雅氏は、原色や派手な色を殆ど使わず、淡い色彩の水彩画を描かれますが、93歳の今も現役です。氏がエッセーの中で、花の写生に行ったのにあまり花が無くて、ヤブコウジの赤い実を見つけた時のことを書かれていました。とても美しかったのに、黄色く色づいた葉を近くに置いてもっときれいに演出しようとしたら、結果は「きれいにはなったが美しくはなくなった」のだそうです。

「きれい」と「美しい」は、恐らく英語にすればどちらも「beautiful」。単なるイメージですが、「きれい」と言うと、表面的に整っている感があります。ルールや法則に則った感があります。対して「美しい」と言うのは、もっと感性が遊んでいる気がします。もっと広い世界を感じます。

そんな世界を自由に遊べたら素敵だと思います。

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方程式

2019年06月22日 | 雑談
人の「学習法」というのは、様々です。指導者が違えば、指導方法は違って当たり前で、誰もが「これが一番最強の指導方法だ」と信じて(そこまででは無い指導者も勿論おられるのでしょうけれど)、指導に当たっているはずです。そしてこれに応える側にも「性格」や「相性」というものもありますから、万人に効果のある「指導方法」というのは、もしかすると無いのかも知れません。

時に「勉強は暗記だ」と言い切る指導者がおられます。カリスマ講師などと呼ばれる方が「理解も才能も要らない」「暗記さえすれば、大学には合格する」といった強いメッセージを発している時もあります。ご自分の経験、長年の実績…から、そうした言葉が出て来るのだと思います。そしてそれだけの実績を挙げている故の自信だとも思います。

それはそれ…として、私は「暗記」と「記憶」は違っていると思っています。確かに、覚えなければどうしようもない部分…というのは、あります。手っ取り早く覚えてしまうのが近道というわけでしょう。が、入学や進級などで、心を躍らせる春に、満開の桜を目にして、桜が咲くのは春だという記憶ができるのと、「サクラ→春、サクラ→春、サクラ→春…」と繰り返して暗記することの違いでしょうか。

物事を1対1で結び付けて、インプットされたものから瞬時にアウトプットしようとする事は、恐らく非常にもろいものではないかと想像しています。インプットされたものを、自身の記憶の中にあるものと対比させ、これならこれだとたどり着くアウトプットは、最初は時間がかかりますが、一旦定着すると非常に強固なものになると思われます。

何十年ぶりかで再会した友人が、数学の面白さを尋ねられて「だって、

この式で、きれいな円が描けるの、凄くない?」と私が答えた…と、昔の話をしてくれました。「へぇ~、そんな事、私言ったんだぁ」と本人はすっかり忘れていましたが、恐るべし、10代の私(笑)。

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昇華

2019年06月15日 | 雑談
世の中では常識として、決して「やってはいけない」事があります。それでも、様々なストレスに晒されていると「もう◯◯してしまいたい」と切れそうになることも、「ここで◯◯したりして…」と妄想に駆られることもあると思います。それでも大抵の人は、最後のタガを外すことなく、多くの怒りやジレンマを自身の中に閉じ込めて来ました。人は、そうする力を持っているからです。

が最近の社会では、最後のタガを簡単に外してしまう事が増えているように感じるのは気のせいでしょうか。「マンションの受水槽で泳いだりして…」で終わらずに泳いでしまう。「攻撃したりして…」でなく実際に攻撃してしまう。ささいな悪ふざけから、世界を揺るがす事態まで。世界が一触即発の状態にあると言っても過言ではないかもしれません。

「本音」と「建前」という言葉は「日本人論」の中で良く使われます。欧米圏での交渉はストレートに要求を示した上で、妥協点を探って要求を落としていくのに対し、日本流は建前から入って溝を埋めていくといったやり方で、何を考えているのかよく分からないなどと批判されることもしばしばです。ですから「本音」を隠したまま、「建前」だけの議論をすることは、あまり好ましくない…と思われているようです。

ですから、教育現場では「意見をハッキリ言う」「自分らしさを大切にする」といった事が重んじられてきました。結果、国民性としてあいまいな笑顔を浮かべ意見をハッキリ言わない…といった部分は残しつつも、欲望が行動の原動力になっているのが現実でしょうか。言い換えると「我慢」がない。我慢を諫める力が極端に欠落してしまったのが、混とんとした世の中の本質のような気がします。

本来の自分の感情は剥き出しにしておいてはならないのではないかと、私は考えています。もしかすると、「本音」と「建前」とは、もう少し異なるものかも知れません。「欲望」?と「超越」?。無意識の怠惰な自分が求めてしまう「欲望」が前提にあるのは確かかも知れませんが、それを「超越」「克服」して、もっとあるべき姿に「昇華」させることが必要なのではないか…と。

AI再考

2019年05月05日 | 雑談
AIは、進化した技術…と私たちは思っています。もしかすると、コンピュータにはあまり縁がない方ほど、「スゴイ技術」で、(難しい事は良く分からないけれど)私たちの生活は飛躍的に便利になる…と期待を抱いておられるのかも知れません。AIは、そんな遠い未来ではなく、既に私たちの生活の済み済みにも入り込んで来ています。一見、万能に見えはしますが、諸刃の剣、使い方を誤ると自分の首を絞めかねない側面を持っていたりもします。

例えば、企業の採用選考にAIを導入するところが出てきています。AIを使えば、選考にかかる時間は格段に短縮されますし、コネも縁故もなく公平に優秀な人材を選考してくれる…のではないかと期待してしまいます。…が、AIが独自の眼をもって履歴書の内容を評価するわけではありません。AIというのは要するに、これまでのデータを「学習」することの上に成り立っているものでしか無いのです。アマゾンがAIを活用した人材採用システムの構築を目指したものの、ほどなく断念したという話もあります。システムが、女性への評価を低く判断してしまうという偏りが生じたというのです。つまり過去に提出された履歴書をAIに学習させたところ、合格者が男性中心だったから…という理由のようです。それなら、それに対して修正を加えれば済むようなものですが、問題は性差だけでなく、あらゆる条件で偏りを防ぎきれないと判断したそうです。

現在、アメリカで深刻なのが「AIによる犯罪予測」だと言います。刑事事件の被告の将来の再犯率を、AIで自動判定させ、それに基づいて裁判官が判決を言い渡す…というもので、実際に「再犯予測プログラム」の詳細は明らかになってはいないものの、現場には導入されていると見られています。犯罪、年齢、雇用状況、教育レベルなど多岐にわたる質問に対するデータが蓄積されたものが使われている…とかで、このシステム(COMPAS)を判決に導入する事の可否について、「被告が適正手続きを受ける権利を侵害していない」という判決が出たこともあります。

AIが悪いのではありません。同じ判断を人間がした…としても、AIのようにデータしか見ずに判断するのであれば、AIに任せておく方が時間的にも労力的にも合理的です。

実は…こうした事は、既に私たちの生活の中に、当たり前のように入り込んでいます。例えば病気の際に良く示される「余命」というモノも、実は同じです。コンピュータがはじき出して「ヨメイ 3カゲツ デス」などと言うと反発を食うものも、医師の口から聞かされると、そうなのかと思ってしまいます。が、あくまで確率論です。過去のデータを学習し、分析してはじき出された数値で、遠からず当たるとは言うものの、そうでないケースも山ほどあり得ます。

せめて「3カゲツ デス」ではない伝え方が必要です。目の前の患者が何を望んでいるのか、何に耐えられるのか、何にすがれるのか…医学だの、統計だのと言う前に、考えるべきことがあるのではないかと私は思っています。

どんな状況にあろうと、人が負っている荷物をほんの僅か軽くするために、気づかれぬよう手を添えられる人でありたいと思いませんか。それはキットAIにはできません。

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宇宙へ

2019年05月04日 | 雑談
堀江貴文氏らが出資して設立したインターステラテクノロジズ(IST)という会社が、ロケット打ち上げに成功した…というニュースが飛び込んできました。MOMO1号機は、2017年夏に打ち上げられましたが、ロケットからのデータが地上に届かなくなり、地上から緊急停止させ、機体は海上に落花した用です。MOMO2号機は、2018年夏に打ち上げられ、こちらは失速して墜落、炎上して大破しました。今回はそのリベンジの3号機で、当初4月30日打ち上げを目指していましたがバルブ交換で延期、更に5月2日、3日とずらしたものの強風のため延期、4日の打ち上げで、目標高度100キロメートルを超える113.4キロの宇宙空間に達したと言います。同社はその前身SNS株式会社の時代から、小型液体燃料ロケットの開発を手掛けて来ており、今回のMOMOで実験機の打ち上げは終了し、次からは商業機を目指すそうです。

日本のロケット開発は、これまでJAXA(宇宙航空研究開発機構)が主導して来ました。内閣府、総務省、文科省、経済産業省が共同所管する国立研究開発法人、つまりは国が請け負っていました。アメリカや中国では既に民間ロケットビジネスがスタートしていましたが、日本では今回が初。日本でも、民主導の扉が開かれたようです。国による開発は、万全を期して特注品を使うことが多く、その分経費が非常に高く、発射1回に数十億円が使われているとも言われます。それに対し、ISTはホームセンターで材料を調達したり、自社で材料を加工したりして価格を抑えたと言います。更には打ち上げ費用をクラウドファンディングで募集、地元の大樹町のふるさと納税制度も利用するなど、様々な形が模索されました。

今回の打ち上げ成功は、既に他の走者がスタートしている中、取り敢えずスタートラインに立ったに過ぎず、今後の商用化には、資金の獲得や技術の開拓など、様々な関門が待ち受けるはずです。が、新しい技術への挑戦や、民間ロケットに託す夢は、何かしら私たちをワクワクさせるものがあります。日本の国がどんどんと進化していた時代、高度成長期と呼ばれた頃の勢いを彷彿とさせるものがあります。「これから」にワクワクするような時代は、日本を支える多くの若者たちに「元気」を与えてくれるはずです。停滞の中で鬱々と唇を噛んでいては、若者は明日の夢が描けません。新しいものに向かって、何かしら背伸びをしたくなるような時代になって欲しいと思います。

ホリエモンは、何かというとSNSを通じて「バカ」だの「クソ」だの…といった言葉遣いで暴言を吐くことがしばしばあります。それは、「世の中の常識」的なものに対する、彼特有の反発、反骨精神なのだという事は理解しても、50歳近くの大人が使う言葉としては、聞き苦しいものがかなりありました。「宇宙は遠かったけど、なんとか到達しました」とSNSに書き込んだ彼の言葉は、久々少年のような純真さが溢れていたようです。虚勢を張った口汚い言葉より、こちらの方が数千倍良かったと思います。