その蜩の塒

徒然なるままに日暮し、されど物欲は捨てられず、そのホコタテと闘う遊行日記。ある意味めんどくさいブログ。

小説土佐堀川

2016年02月18日 | 本・雑誌
 連ドラ「あさが来た」の原作、古川智映子著小説土佐堀川~女性実業家・広岡浅子の生涯を読んでみました。私朝ドラというのは、これまで一度も観たことはないのですが、この小説はBS-TBSのにっぽん!歴史鑑定で取り上げられたので読んでみたということです。

 浅子は、三井十一家の一つ京都の豪商油小路出水の三井家から、17歳にして加島屋広岡家へ嫁ぎます。やはり三井のバックボーンなしでは加島屋の成功はなかったのではないかと思われました。遡ること平安末期の西暦1,100年頃、藤原右馬之助信生(のぶなる)が京から近江へ移る際、琵琶湖の領地で三つ井戸を発見し、財宝もあったことから三井姓に改めました。ということは元々は藤原姓だったのですね。浅子の腰元小藤の子どもが広岡姓を名乗ったということは、実質的に明治後期まで日本は一夫多妻であったとみていいのでは!? 妾を妻と同等とみるかは疑問がありますが、少なくとも権利は同等であったようです。古くは側室という制度もあったことですし。

 浅子が嫁ぐと同時に異母姉春も天王寺家へ入家しますが、こちらは後年倒産してしまいます。貨幣改鋳と各藩の藩札の発行が江戸幕府の財政悪化をもたらし、豪商の御用金に頼るようになり文化年間からその額が多くなっていきました。新撰組が跋扈し尊王派、佐幕派、公武合体と揺れ、どちらにつくか見誤れば豪商とて即没落という事態。明治になると銀目廃止が両替商の足を引っ張り、この辺で相当淘汰されましたが、加島屋は借金で新政府へ献金したり、銀目の両替に応じたりしたことが功を奏しました。藩がなくなると借財は焦げついてしまいますが、こちらは明治政府が厳しい条件付き(古い負債は破棄とか無利息など)で大名への貸付金を一応救済。その後は廃藩置県で中央集権制がとられ、金本位制に移行し、銀行設立が相次ぎました。ちなみに、バンクは机を意味するイタリア語バンコに由来するとか。

 浅子は、文明開化で石炭の消費が増えることを予想し九州の炭鉱を買収。浅子を語る上で、懐にピストルを持ち、飯場で鉱夫と共に寝起きしたというエピソードは欠かせないようです。労咳を患ってたのに、そんなことをしてよく悪化しなかったものです。その炭鉱経営も爆発で死者15名も出し、賠償金で銀行設立は延期となりました。その苦難を乗り越えて、加島銀行を設立し、綿花の輸入・卸しの広岡商店も開業しました。五代友厚、渋沢栄一に「信用と人材」という薫陶を受け、今度は日本女子大を設立。なんと言っても伊藤博文のお墨付きをもらったことと、三井家より白金台の別荘地を寄贈されたことが大きいです。寄付金の総額も32万円となりました。現在の価値では12億円ぐらいでしょうか。

 最後に、同業(両替商)の万屋に脇腹を刺されて九死に一生を得たことから、命の尊さを考えるようになり3生命を合併させ大同生命を立ち上げました。大同は、小異を捨てて大同につくの故事が由来。

 しかし朝ドラをチラ見した限りでは、加島屋が加野屋、加島銀行が加野銀行と名前が替わってました。ドラマだからいいということではなく、歴史を歪曲してるようなものですよ。

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