昨朝出勤時車庫に入れずに外に車を置きっぱなしだったので、霜が降りて真っ白でした。そのため、今冬初めてのアイスクレーパー使用と相成りました。こうなると、タイヤ交換の時期も難しいですね。軽トラは交換してあるので、万一降ったらそちらを使えばいいだけですけど。。
ところで、皆さんは一昨夜のNHKスペシャル“デジタルネイティブ~次代を変える若者たち~”をご覧になりましたでしょうか?
デジタルネイティブとは、生まれた時あるいは物心ついた頃からPCやネットがあった世代で、それ以前の世代とはものの考え方が決定的に違います。そういう点で主に10代を指す言葉のようです。
番組では、全米中の注目を集めたという13歳で起業した少年にスポットを当てていました。グローバル化したSNSを駆使し、世界中から複数の有能な人材を選び出し発注し、化学の教育ゲームを完成させていくというものでした。そこには年齢、性別、容姿、人種、国といった垣根は存在しません。リアルとネットの区別もなく、情報は基本的に無料かつ共有という考え方です。
wiki のように多数の人々が関わるのもひとつの Webプラットフォームだと思いますが、個々人の力量の査定、コンプライアンス、あるいはセキュリティにはまだまだ問題ありです。場所は、たまたまそこに住んでるだけで問題ではないとするならば、そこに過疎地域が生き残る道はないものかとつい模索してしまいます。
そして今後この世代が就職を迎えることになれば、階層的・硬直的なものにはなじまないので、従来型の社会にどのように組み入れるか再構築を図る必要があるとも指摘しておりました。役職だけが情報を握っている情報格差などは、排除されなけばなりません。あとは後手後手に廻っている法体系の整備でしょうか?
また世代の台頭と共に、現代はまだ家電や車など大量生産、大量消費社会で商品の使い捨てもありますが、必ずや量産効果よりもカスタマイズや新しい技術を上乗せするようなアッデド・メンテナンス(※私の造語です)が重視される時代がくることでしょう。つまり新しいものを買うんじゃなくて、ソフトウェアのバージョンアップのように、古い製品に付加価値をつけていくみたいな。
仮に大量消費社会が終焉するとしたら当然大企業もいらなくなるわけで、少数精鋭の企業の時代に突入するんでしょうか?しかもそれらが単独で存在するんではなく、ネットワーク化したもので。あるいは企業という形態をとらず、個々人がネットで繋がった上でプロジェクト毎に仕事を完結していく、という方向性もあるかもしれません。
話は変わりますが、例えば“ACT-J”という形態があるように、公的機関~NPO法人~地域社会というネットワークは、インターネットの世界だけじゃなくなっています。
ところで、皆さんは一昨夜のNHKスペシャル“デジタルネイティブ~次代を変える若者たち~”をご覧になりましたでしょうか?
デジタルネイティブとは、生まれた時あるいは物心ついた頃からPCやネットがあった世代で、それ以前の世代とはものの考え方が決定的に違います。そういう点で主に10代を指す言葉のようです。
番組では、全米中の注目を集めたという13歳で起業した少年にスポットを当てていました。グローバル化したSNSを駆使し、世界中から複数の有能な人材を選び出し発注し、化学の教育ゲームを完成させていくというものでした。そこには年齢、性別、容姿、人種、国といった垣根は存在しません。リアルとネットの区別もなく、情報は基本的に無料かつ共有という考え方です。
wiki のように多数の人々が関わるのもひとつの Webプラットフォームだと思いますが、個々人の力量の査定、コンプライアンス、あるいはセキュリティにはまだまだ問題ありです。場所は、たまたまそこに住んでるだけで問題ではないとするならば、そこに過疎地域が生き残る道はないものかとつい模索してしまいます。
そして今後この世代が就職を迎えることになれば、階層的・硬直的なものにはなじまないので、従来型の社会にどのように組み入れるか再構築を図る必要があるとも指摘しておりました。役職だけが情報を握っている情報格差などは、排除されなけばなりません。あとは後手後手に廻っている法体系の整備でしょうか?
また世代の台頭と共に、現代はまだ家電や車など大量生産、大量消費社会で商品の使い捨てもありますが、必ずや量産効果よりもカスタマイズや新しい技術を上乗せするようなアッデド・メンテナンス(※私の造語です)が重視される時代がくることでしょう。つまり新しいものを買うんじゃなくて、ソフトウェアのバージョンアップのように、古い製品に付加価値をつけていくみたいな。
仮に大量消費社会が終焉するとしたら当然大企業もいらなくなるわけで、少数精鋭の企業の時代に突入するんでしょうか?しかもそれらが単独で存在するんではなく、ネットワーク化したもので。あるいは企業という形態をとらず、個々人がネットで繋がった上でプロジェクト毎に仕事を完結していく、という方向性もあるかもしれません。
話は変わりますが、例えば“ACT-J”という形態があるように、公的機関~NPO法人~地域社会というネットワークは、インターネットの世界だけじゃなくなっています。
そういった世代が人間と関わるとどうなるんでしょうか。関わって人間社会の中でどうするんでしょうか。そんな事を感じます。
家は携帯もネットも家ではNG。なきゃなくても問題ないですから。逆にアタシがやばい…
ネットはRPGゲームと違って仮想社会ではないので、リアルと同じ人間が主人公です。ネット上で会ったこともない人に仕事を発注したり受けたり、ってことが現実に起こってます。アメリカの高校生で、ネットで仕事を請け負い、月に5,000ドルを稼いでいる人もいるそうです。
いずれ10年もすると様変わりすることでしょう。資源のムダ遣いや環境保全も進むでしょうから、アナログ的なものも大事にされると思いますよ。
アンテナだけはきっちり張っておきたいなと。
とはいえ、時代に流されることなく生きるために
「ぶれない自分」というものは持っていたいですよね。
オープンソースのソフトウェアなんてのは
岸利さんの言うところのアッデド~の典型だし
それが、コンピューターの分野に留まらない時代が来るのは
確かに間違いの無いことでしょうね。
私なんぞは、うっちぃ。さんの仰る「ぶれない自分」を模索しているうちに、寿命になりそうですww
プログラムミスなどで飛行機が飛ばないことがあったりしますが、コンピュータに頼りすぎも怖いですよね。モノ作りも自動制御システムに依存していますし。
日本は特にモデルチェンジが頻繁ですので、それによるムダも見直されるべきだと思います。